思い返すと、
三行半という言葉には短さの中に重さが詰まっていると感じます。語源は文字どおり「三行半」の文面に由来し、古くは簡潔な離縁状(りえんじょう)を指していました。江戸時代の町人文化のなかで広まった慣習的な文書で、用件だけを淡々と書き残すことで相手との関係を断つ性格を持っていたのです。表現そのものが冷たく、受け取る側にとっては突き付けられるような強い印象を残すため、今日でも「三行半を突き付ける」という比喩が使われます。
当初の法的な位置づけは地域や身分によって異なりました。封建社会では家や氏族のルールが優先され、正式な離縁は村や藩の定める手続きを
経るのが普通でしたが、日常生活では簡単な書面で事実上の縁切りを示すことが多くありました。特に江戸の町人社会では男女関係や奉公人の解雇など、迅速に関係を断ちたい場面が多く、簡潔な文面で済ませる習慣が定着していったのです。浮世草子や当時の庶民文学、風俗を描いた記録には、こうした短い離別のやり取りが断片的に残されており、社会的慣行としての広がりがうかがえます。たとえば『好色一代男』など当時の作品は男女の別れや離縁の事情を露骨に描写しており、文書による縁切りの簡便さが浮かび上がります。
明治以降の法制度の整備が転換点でした。近代法の導入により離婚手続きはより公式で書式化されたものへと変わり、単なる三行半のような簡易な文面だけで法的効力を確保することは難しくなりました。明治民法の成立や家制度の再編を経て、「三行半」は法的手段というより俗語・比喩として残っていきます。それでも文化的記憶としては強固で、昭和の家庭劇や文学、現代の会話に至るまで「簡単に切り捨てる」「簡潔に関係を断つ」といった意味合いで頻繁に使われ続けています。
個人的には、三行半が持つ“文字の冷たさ”と“社会的な効力の曖昧さ”が面白いと思います。短い一枚の紙に込められた決意や屈辱、時には解放感までが文化として残る一方、法の整備によって形を変えていった歴史は、人々の暮らしや価値観の変化を如実に示しています。現代では実務的な離婚は書類や手続きに落とし込まれるけれど、言葉としての三行半だけは鋭さを失わず、時折その威力を感じさせるまま残っています。