『進撃の巨人』のライナーとベルトルトを思い出すと、似非と本物の違いが鮮明になる。あの二人は長い間
パラディ島の兵士として振る舞っていたが、本質的な目的はまったく異なっていた。
表面的な態度や言葉遣いは完璧だったが、行動の端々に矛盾が生じていた。例えば、巨人化の瞬間に露呈した真の姿は、それまでの「仲間」という建前を一瞬で崩した。似非は時間とともに剥がれ落ちるもの。本物かどうかは、危機的な状況での反応や、長期にわたる一貫性で判断できる。
作品の世界に限らず、SNSで熱烈にファンを装いながら二次創作しか共有しないアカウントも似た例だ。本当の愛好家は、たとえ批判的であっても作品の核心に触れる議論を厭わない。