作曲の現場でよく観察するのは、
諦念という感情は単に「悲しい」の延長ではなく、色あせた確信やあきらめが混ざり合った独特の肌触りを持っているということだ。だから曲作りでは、感情を誇張するのではなく、むしろ余白と静けさで語らせることが多い。私が意識するのは、音を削ぎ落として残るものに意味を持たせること。少ない要素の繰り返しや、音が途切れず続く中で少しずつ変化していく様子が、諦念の「受け入れ」に近いニュアンスを生むと感じている。
具体的な手法としては、和声の選び方がとても重要になる。完全な短調の悲痛さとは違い、借用和音や不確かな終止、テンションの抜けた和音など、解決をあえて曖昧にすることで「もうどうにもならない」という静かな諦観を表現する。メロディは大きな跳躍を避け、段階的に下がっていくラインや断片を繰り返すことが多い。リズム面ではテンポを緩め、拍の切れ目に余白を作る。アレンジでは低域の持続音(ドローン)やミュートした弦、ソロ楽器の孤立したフレーズを使って、世界が広がっているのに手が届かないような感触を出す。
楽器の選定と音色の作り込みも重要で、鋭い高音よりも摩耗した中低域、ハーモニクスやフィルターでこもらせた音が相性がいい。録音やミックスでリバーブを深く使いすぎず、むしろ残響の特定の周波数だけ伸ばしたり、軽いディレイで過去の残像を引きずらせると、諦念の時間感が出る。映画音楽なら『シンドラーのリスト』のように単旋律が反復されることで受け継がれる喪失感を醸すし、『ブレードランナー』のようなアンビエント的なテクスチャは世界の虚しさを音だけで描き出す。少ない音で長く引き延ばす手法や、意図的な不協和(クロマティックな接近やクラスタ)も、感覚的な疲弊を伝えるのに有効だ。
自分の作業では、まずごく短いモチーフを作って、それを異なる楽器や音色で何度も反復させることから始める。毎回少しだけ変化を加え、やがて解決を示さずに音を終わらせることが多い。静寂の使い方、音の終わり方をきちんと設計すると、聴き手の中で「あきらめ」が自然に成立する。音楽は直接的に説明しない分、こうした微妙な操作で余韻と意味を残せる。そうして出来上がった曲は、言葉では語れない諦念をそっと伝えてくれる。