登場人物たちの嘘は、表面と内部の振幅を通して巧妙に描かれていると感じる。語り手の視点を細かく揺らし、外側の言葉と内側の思考をわずかにずらすことで、嘘が単なる事実のねじ曲げではなく、人間関係をつなぐ機能であり、同時に自己防衛の手段であることを示している。会話の短い断片や、しばしば回りくどい形で語られる過去の断章が織り込まれ、嘘が積層的に明らかになる構成が印象的だ。私は、作者の言葉選び—とくに音の繰り返しや行間の空白の使い方—が、嘘の軽さと重さを同時に伝えていると考えている。
語りの技法に注目すると、第一に信頼できない語り手の導入が効果的だ。作者はしばしば人物の視点に深く潜り込み、読者にその一人称的な論理を追わせる。そこで示される主張が、別の場面でさりげなく崩れていく瞬間があり、その崩れ方がリアルだ。次に、黙殺や省略が戦術的に使われる。重要な事実をあえて語らせないことで、その不在自体が嘘の痕跡になっている。私はこの手法を、ロシア文学の『罪と罰』における合理化と比較してみると興味深いと感じた。『罪と罰』では内的な弁明が犯行直後の精神の動揺を照らし出すが、『
嘯く』では弁明の積み重ねがむしろ人物を薄く、脆く見せる。
結末に向かうにつれて、嘘は単なる伏線回収の装置にはならない。むしろ、嘘が暴かれる過程で人物たちの価値観や寂しさ、期待が剥がれていき、読者は嘘の道徳的評価よりもその生起条件に関心を持たされる。私はこの作品が嘘を“悪”と断じない点に惹かれる。嘘が生まれる社会的距離や個々の孤独を丁寧に描くことで、嘘をめぐる共感と冷静な観察を同時に提供していると思う。