地元の古老から聞いた話をすくい上げるように話すと、
土手の伊勢屋には少なくとも三つの骨格となる伝説がある。
一つめは、店主の霊にまつわる話だ。亡くなった店主が河岸に向かって客の名を呼ぶというもので、呼ばれた者は幸運か不幸かどちらかを引き寄せるとされる。幼い頃からこの話を聞いて育った私は、呼び声の伝承が人々の心の不安を具現化しているように思えてならない。具体的な目撃談は年代や語り手で変わるが、共通するのは「声だけが残る」というイメージで、それが夜話や肝試しのネタに都合よく使われてきた点だ。
二つめは、土手に立つ伊勢屋がある条件で姿を変えたり消えたりするとする言い伝えだ。洪水の後や霧が立ち込める日だけ見える、あるいは迷った旅人を導くといった形で語られることが多い。子どもの頃に聞いた話では、店が消えると中にあった借金帳や約束事まで
白紙になるという話まであって、社会的な負債や秘密を流す象徴としてのイメージが感じられる。個人的には、こうした話題は共同体の記憶を整理するための寓話的表現だと考えている。
三つめは、店にまつわる「福と祟り」の板挟み的な伝説だ。伊勢屋で買った品が不思議な巡り合わせを生み、幸福を呼ぶ代わりに小さな代償を払わせるという筋書き。現代風にいうと〝トレードオフ〟を語る昔の形で、生活の選択と結果を物語化したものだと思う。結局、どの話にも共通するのは土手と店が人々の不安と希望を映し出す鏡になっている点で、聞くたびに地域の息遣いが伝わってくるのが面白い。