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卜伝が京の町で若い剣士に挑まれた時の話が好きですね。相手は様々な流派の技を披露しましたが、卜伝はただ静かに構え、一度も太刀を交えずに勝負を終わらせました。後で「なぜ斬り込まなかったのか」と問われると、「彼の剣は既に折れていた。『一つの太刀』を知らぬ者の剣など、初めから存在しないも同然だ」と語ったそうです。
この逸話には、技術の前に心構えが重要だというメッセージが感じられます。卜伝の『一つの太刀』とは、物理的な動作ではなく、己の在り方を極める修行そのものだったのでしょう。最近の『バガボンド』という漫画でもこの思想が描かれていて、時代を超えて通じる剣の哲理だなと感じます。
ある大名が卜伝に「秘剣とは何か」と尋ねた時、庭の雀が飛び立つ瞬間を刀の峰で押さえ、そのまま羽を傷つけずに地面に下ろしたという話があります。これが『一つの太刀』の真骨頂でしょう。
斬るだけでなく、活かすこともできる境地。『宮本武蔵』の五輪書にも通じる「剣禅一味」の考え方で、技術の熟達よりも精神の鍛錬を重視した点が興味深いです。卜伝の他の逸話と比べても、このエピソードほど「剣の道は人を殺す術にあらず」という思想が明確に表れているものはありません。現代の居合道の師範がよく引用するのも頷ける、深みのある教えです。
船旅の途中で海賊に襲われた時、卜伝が船縁に立ち、波間に漂う小枝を「これが『一つの太刀』だ」と言いながら斬ったという話があります。不安定な足場で、流れる対象を斬るという離れ業。しかし重要なのは結果ではなく、「どんな状況でも平常心を保つ」という教えでした。
このエピソードからは、剣術が単なる武芸ではなく、生きるための哲学だったことが伝わってきます。『桜井の宿』の決闘と並び、卜伝の実践的な知恵が光る場面です。
卜伝が門人に「敵の構えを見切るコツは?」と問われ、畳の縁に置いた胡桃を刀で真っ二つにした逸話があります。驚く門人に「『一つの太刀』とは、迷いがなくなった心の状態だ」と説いたそう。斬る対象より、斬る心を磨けという教えですね。
この話は『死ぬことと見つけたり』という禅の言葉を思い起こさせます。技術の追求には限界があっても、心のあり方は無限に深められる——そんな気付きを与えてくれるエピソードです。
塚原卜伝の『一つの太刀』は、
剣術の極意を凝縮した
エピソードとして語り継がれています。ある時、弟子たちが「どうすれば強くなれますか」と尋ねたところ、卜伝は「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」と答えた後、庭の片隅に立つ柳の枝を一刀両断に見せました。
この行為には「型に
囚われず、ただ真っ直ぐに
斬る」という意味が込められていました。卜伝は「全ての技は『一つの太刀』に帰着する」と説き、複雑な剣技よりも、無駄を省いた純粋な斬撃こそが本質だと示したのです。『兵法家伝書』にも引用されるこの逸話は、現代の武道家にも「余計な考えを捨てよ」という教訓として響いています。柳の枝が風に揺れる様子と、それを断ち切る一瞬の冴えが、今でも目に浮かぶようです。