細部に宿る美意識を追うと、私は谷崎潤一郎の耽美主義がただの華美な装飾ではなく、もっと深い感覚の体系であることに気づく。まず第一に、視覚と触覚への徹底した注目だ。筆致は光や影、肌のざらつき、絹の折り目といった物質的ディテールを鋭く切り取り、それらを通して人物の心理や権力関係を浮かび上がらせる。'陰翳礼讃'に示されるような光と暗闇の価値転換は、単なる美意識の好みを越えて、近代化による均質な明るさへの抵抗として読める。そこでは闇が情緒と輪郭を与え、対象の官能的な存在感を増幅させる。
さらに、耽美主義はしばしば倫理的な曖昧さと結び付く。私が注目するのは谷崎の文章が欲望と嫌悪を併置させる巧みさだ。'刺青'の例をとれば、皮膚に刻まれる絵柄への陶酔は一種の所有欲や暴力性をはらみつつ、同時に被描写者の主体性や痛みをも引き出す。その両義性が作品の緊張を生み、単純な美醜論を超えた読解を強いる。語り手の視線はしばしば病的とも言える凝視を伴い、読者は美の享受と倫理的違和感の間を揺さぶられる。
最後に、形式と語りの操作が耽美を支えている点を見逃せない。長い修飾、繰り返し、古典や外来文化への引用などを通じて、谷崎は時間感覚と様式性を作り出す。過去への
憧憬や都市化への違和感が織り込まれ、作品はノスタルジアと反復の美学によって独自のテンポを獲得する。こうした要素が重なって、私には谷崎の耽美主義は単なる装飾性ではなく、近代の中で感覚を再編成しようとする総合的な美学であると説明できる。