語り口は穏やかだったが、核心を外さない説明だった。俺はインタビューで、監督が
妖しい演出を「倫理や常識が揺らぐ瞬間を演出するための言語」だと表現したのを覚えている。具体例として挙げていたのが、カメラワークのわずかな傾き、日常音に混じる異物音、意図的に不自然に配置された小道具。それらは単独では奇妙に見えないが、連続すると観る側の解釈の基盤を揺さぶる、という説明だった。
さらに監督は、色彩設計についても触れ、似通った色調の中に一つだけ違和感のある色を差し込むことで心理的な違和感を発生させると語っていた。その手法は『Dark』の空気感にも似ているが、監督自身はもっと直接的に「観客の記憶や期待を利用する」と言っていた。つまり、観客が持つ「こうあるはず」という感覚を逆手に取り、裏切ることで妖しさを成り立たせるわけだ。
俺は説明を聞きながら、演出の意図が単に怖がらせるためでなく、物語の倫理観を問い直すための手段であることを強く感じた。最後に監督は、観客が自分なりの解釈を持ち帰ることを期待していると締めくくっていた。