細やかな
浅慮が積み重なって大きな亀裂になる瞬間ほど、脚本という工芸の面白い部分はないと思っている。観客にとって納得できる葛藤を生むには、単に登場人物を愚かに描くだけでは足りない。行動の動機、視点の偏り、情報の不均衡──これらを慎重に組み合わせて、キャラクターが自分の最良の判断だと信じる選択を繰り返す流れを設計する必要がある。劇的な結果は、そこから自然に発生することが望ましい。
私はしばしば、まず小さな誤認や短絡的な欲求を物語の種として撒く手法を使う。たとえば 'ロミオとジュリエット' のように、感情の高ぶりや情報不足が即座に破滅へとつながる構図を参照しながら、現代劇ではもっと微妙な形を探る。登場人物にとって合理的に見える誤り(見た目の証拠を過信する、相手の言葉を都合よく解釈する、短期間の報酬に飛びつくなど)を積み重ね、それが他者の反応や環境制約と噛み合って連鎖的に悪化するようにする。重要なのは、観客が「そんなの馬鹿げている」と
一蹴できないよう、選択を成り立たせる背景とプレッシャーを用意することだ。
構成面では因果の厳格さを保つ。誘因となる出来事を序盤で提示し、中盤で誤判断が波及することを示し、クライマックスでその選択の重みが回収される。サブプロットを使って同様の浅慮を別視点で反映させると、テーマが強化される。また、劇的なアイロニー(観客は真実を知っているが登場人物は知らない)を効果的に配すれば、同じ行動がより痛烈に響く。台詞では説明を避け、行動と反応で真相を提示するのがコツだ。結末は救済でも罰でもよいが、いつでも選択の必然性が観客に伝わることを優先する。こうして浅慮がただの欠点でなく、物語そのものを動かす原動力になると考えている。