桜田刑事は正義を貫き通す

桜田刑事は正義を貫き通す

last updateLast Updated : 2025-12-11
By:  景文日向Updated just now
Language: Japanese
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桜田正義、34歳警部補。 官僚である男の死体遺棄事件の捜査を担当することになるが、被疑者である永田霞のことを不審がる。 実は、霞は現法務大臣の隠し子で──!? 弁護士、検事、警部補の織りなす人間ドラマ。

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Chapter 1

第一話 調査ミス?

 どうにも奇妙な事件だ。それが俺の、一番最初の印象だった。

 法務省官僚の遺体。握りしめた手には、犯人のものであるはずの衣類の欠片。

 犯人の特定は容易だった。証拠は衣類の他にも、携帯の通話履歴など一式揃っていたから。正直、捜査する必要は大してなかった。

 犯人の名前は、永田霞。二十四歳の法科大学院生。どうして彼が犯罪を起こすのに至ったのかわからなかったが、奇妙なのはここからだ。

「永田霞が無実?」

「調査ミスがあったらしい」

 それなりに長い年数、警視庁で刑事をやっているとわかる。相手の言葉の何が本当で、何が嘘なのか。そして、これは間違いなく嘘だった。上司は俺に何か隠している。証拠こそないが、明白だった。

「桜田くん、わかっているとは思うが……この件にはこれ以上深入りしないように」

「承知しました」

 言葉だけ従うことにしたが、やはり納得はいかない。証拠は揃っていた。調査ミスなんて、しようがない。裏があるのは明白だった。だからこそ、何がなんでも真実を暴きたい。永田霞が無罪なわけ、ないのだから。

 だが、上から言われてしまってはこれ以上捜査が出来ない。俺の階級は警部補。強硬手段をとれない。

 ……表では。

 逆に言えば、裏からは捜査がまだ出来る。しかし、それは奥の手すぎるので極力使いたくない。裏の世界との繋がりなんて、ないに越したことはない。しかし、俺は裏に精通している人物をよく知っている。

 新川虎太郎、二十八歳の弁護士。過去に冤罪事件で対立して、今でも仲が良いとは言えない。しかも、彼には黒い噂がある。裏社会に通じているのだとか、情報屋から情報を買っているだとか。それが本当なのであれば、逮捕案件なのだが……肝心の証拠は抹消されていて踏み切れない。俺の勘では、確実に黒なのだ。それでも、証拠がないのに逮捕することは出来ない。しかも、そいつに今から俺が頼ろうとしているのも情けない。

 だが、永田霞の件は気になる。だから、俺は新川を居酒屋に呼び出した。

「桜田サンが、俺に用事なんて珍しいじゃん」

 十九時半、仕事終わり。スーツ姿の新川は開口一番がそれだった。いつも整っている顔立ちは、居酒屋で女性の目を奪うだろう。こいつ、その場にいるだけで目立つタイプだからな。本人がそれに無頓着なのが、尚更腹が立つというか。

「お前にしか頼めないことがある」

 あまりこいつと関わっているところを見られたくない。手短に用件を話そう。

「実は、釈放された被疑者を調べている」

「そうかよ」

 新川の興味は引けない。俺の話術で、こいつは興味を持つのだろうか。

「実はそれが奇妙でな」

 俺は、永田霞の話を聞かせた。守秘義務に反するが、どうせ調査は打ち切られている。問題になっても、俺の意思は堅い。どうせ打ち切られるなら、もう少し探りを入れたいところだ。

 話し終えると、新川は少し黙っていた。そして、ビールを口に運び飲み干した。

「なるほどな。つまり、俺を使って調査したいのか」

 聡明な新川のことだ、話が早い。

「けどま、俺を使うってことは……わかってんだろうな」

「覚悟はしてる。今回は、お前だけが頼りだ」

 これがどういうことなのか、わからないほどお互い馬鹿ではない。新川の鋭い目が、俺を突き刺す。

「正義、と名前のつくお前がね……高くつくぞ」

 人の名前で遊ぶなよ。その名前、気にしてるんだから。正義、なんて不釣り合いな名前なのはわかっている。

 裏社会のルートなんて、高くて当然だ。それでも、今回はこいつだけが頼り。機嫌を損ねては、永田霞を逃してしまう。

「うるさい。……わかってる、いくらだ」

「それは……情報の内容と難易度、次第だな。また連絡する」

 用件以外で、こいつと飲む趣味はない。どこまでも相入れない男だ。深入りすればするほど、こちらが呑まれてしまうような。そんな気がする。

「用はそれだけか?」

 飲食代を置いて、席を立つ新川。もう、引き留めて話すこともない。そもそも、依頼を引き受けるとこいつは言っていない。全て、まだ動いていないのだ。

「ああ。じゃ、頼んだ」

 新川は、返事をせずこの場を去っていった。1人残された俺も、サワーを一気飲みし居酒屋を後にした。普段より、味がしない酒だった。

 それにしても、どうしたものか。酒のせいか思考がまとまらないので、今は家に帰るべきだろう。

 警視庁から程近いマンションに帰ると、一気に体の力が抜けた。自分の家というだけで、安心する。

 新川の連絡が来るまで、出来ることはない。シャワーにでも入って、寝よう。

 

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第一話 調査ミス?
 どうにも奇妙な事件だ。それが俺の、一番最初の印象だった。 法務省官僚の遺体。握りしめた手には、犯人のものであるはずの衣類の欠片。 犯人の特定は容易だった。証拠は衣類の他にも、携帯の通話履歴など一式揃っていたから。正直、捜査する必要は大してなかった。 犯人の名前は、永田霞。二十四歳の法科大学院生。どうして彼が犯罪を起こすのに至ったのかわからなかったが、奇妙なのはここからだ。「永田霞が無実?」「調査ミスがあったらしい」 それなりに長い年数、警視庁で刑事をやっているとわかる。相手の言葉の何が本当で、何が嘘なのか。そして、これは間違いなく嘘だった。上司は俺に何か隠している。証拠こそないが、明白だった。「桜田くん、わかっているとは思うが……この件にはこれ以上深入りしないように」「承知しました」 言葉だけ従うことにしたが、やはり納得はいかない。証拠は揃っていた。調査ミスなんて、しようがない。裏があるのは明白だった。だからこそ、何がなんでも真実を暴きたい。永田霞が無罪なわけ、ないのだから。 だが、上から言われてしまってはこれ以上捜査が出来ない。俺の階級は警部補。強硬手段をとれない。 ……表では。 逆に言えば、裏からは捜査がまだ出来る。しかし、それは奥の手すぎるので極力使いたくない。裏の世界との繋がりなんて、ないに越したことはない。しかし、俺は裏に精通している人物をよく知っている。 新川虎太郎、二十八歳の弁護士。過去に冤罪事件で対立して、今でも仲が良いとは言えない。しかも、彼には黒い噂がある。裏社会に通じているのだとか、情報屋から情報を買っているだとか。それが本当なのであれば、逮捕案件なのだが……肝心の証拠は抹消されていて踏み切れない。俺の勘では、確実に黒なのだ。それでも、証拠がないのに逮捕することは出来ない。しかも、そいつに今から俺が頼ろうとしているのも情けない。 だが、永田霞の件は気になる。だから、俺は新川を居酒屋に呼び出した。「桜田サンが、俺に用事なんて珍しいじゃん」 十九時半、仕事終わり。スーツ姿の新川は開口一番がそれだった。いつも整っている顔立ちは、居酒屋で女性の目を奪うだろう。こいつ、その場にいるだけで目立つタイプだからな。本人がそれに無頓着なのが、尚更腹が立つというか。「お前にしか頼めないことがある」 あまりこいつと関わっている
last updateLast Updated : 2025-10-24
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第二話 封筒
 翌日、何もなかったかのように仕事を進める。部下にも上司にも、何も悟られないように。 そして数日が過ぎた頃、一件のメッセージがスマホに届いた。差出人は、『新川虎太郎』とある。 開くと、このように書かれていた。 『いつもの居酒屋。21時』 何かあったのだろうか。あわよくば、引き受けてくれた上でもう動いているとか。それなら、永田霞に繋がる情報があればいいのだが。 新川の情報筋は本物だ。裏社会でどのように情報を得ているのかはわからないが、ハズレは一度もない。らしい。 俺が実際に使ったわけではないので、全て噂なのだが。 残業をしないように仕事をこなし、21時に間に合うよう居酒屋に向かう。 警視庁のある千代田区には、二面性がある。俺が勤めているのは、桜田門や霞ヶ関といった官公庁街。それに対し、神田方面に行けば飲み屋の温床だ。新川が勤めているのは、虎ノ門にある法律事務所なので実は警視庁からそう遠くない。だからこそ、一緒にいるのを見られると困る。神田方面に出ても、遠い距離ではないため見つかる危険性はある。 なので、いつもの居酒屋というのは必然的に千代田区、港区から外れる。俺たちが選んだのは、少し離れている五反田の居酒屋。サラリーマンが多く、全員自分の話に熱中しているので俺たちには見向きもしない。この環境が有り難かった。「で、どうなった」 今日は、新川の方が早かった。席に着くなり、俺は尋ねた。「焦るなよ。ほら、この封筒が情報。……で、金なんだが」  新川の告げた金額は、法外に高いとまではいかなかったが財布には打撃がある金額だった。「準備させろ。流石に高いな」「わかったよ、払ったら渡してやる」 この日は、これで解散となった。情報をすぐ貰えないのはもどかしいが、仕方ない。  後日。指定された金額を払うと、封筒を渡された。「これは?」「永田霞の情報」 封筒を開けると、永田霞の写真。そして──「これ、篠崎法務大臣じゃないか?」 何故か、現職の法務大臣である篠崎政臣の写真。もう一枚の写真を見ると、穏やかな笑みを浮かべた霞と篠崎。「どういうことだ?」 理解が追いつかない。この二人の間の関係性を推測できないとまではいかないが、何だこれは。「桜田、お前鈍いな」 そして、声を潜めて新川はこう囁く。 「永田霞と篠崎政臣は、血縁関係にある。正真
last updateLast Updated : 2025-10-28
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第三話 処分
 上から捜査するな、と言われている時点で公に動くことは出来ない。となれば、俺が個人で動くしかないのだが……それにしては情報が少なすぎる。まだまだ、新川頼りが続きそうだ。 新川は奥の手だから、出来れば使いたくないのだが。こればっかりは、仕方がないと割り切るしかない。「桜田くん、ちょっといいかね」 業務中に声がかかった。上司からなので、応じるしかない。「はい。何のご用件ですか」 席を立ち、部屋を移動する。あまり、他に聞かれたくない話なのだろう。「桜田くん、先日の事件を覚えているね? 官僚の事故死」 事故死な訳ないだろう。しかし、そう言っても無意味なことくらいわかっている。「はい」「君、独断で調査したね?」 上司の声のトーンが、一段低くなった。新川、バレてるのか。どこから漏れた情報なのか、見当がつかない。新川本人が垂れ込む訳ないし。「……はい」「君に処分が出てるよ。減給三ヶ月、と」 減給云々より、情報の出所の方が気になる。しかし、これをそのまま問うわけにもいかない。 とりあえず、仕事が終わったら新川を呼ぶだすか。 いつもの居酒屋に、新川は遅れてやってきた。仕事が忙しかったのだろうか。「遅かったな」「弁護士は忙しいんだよ。で、用件は」 時間の無駄が嫌いな新川らしい。出し渋る理由もないので、率直に切り出す。「永田霞の件、漏れてた。心当たりは」 流石の新川も、視線が揺らいだ。何かあるな。俺の直感が、そう告げている。「……俺の言うことをどこまで信じるかはお前の勝手だけどさ。裏の世界と政界って、実は紙一重でさ。信頼できるやつだと思ってたけど、ダメだったか。あいつは」 お、これは言質では。こいつ、裏社会と繋がっていると言った……いやでも、どこまで信じるかは俺次第って言い方が上手すぎるな。物証もない。やはりこいつを逮捕することは、出来ない。「要するに、そこから漏れたと?」「可能性の話だ。絶対じゃない。それに、どこまで本当かなんて俺は言ってない」 口が上手いな。弁護士の中でも、こいつは間違いなく一級品だ。だからこそタチが悪い。「ま、確かに俺にも来たよ。この件を調査するなってお達しがね」 こいつも釘を刺されていたのか。それにしても、誰がどこで俺たちの捜査を妨害しているのか。それがわからなければ、これ以上動くのは危険だ。「調査は、まだ
last updateLast Updated : 2025-10-30
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第四話 穢れと正義
 日比谷侑検事。彼は、姿勢正しく座っていた。整った顔は、どこか浮世離れしている印象を受ける。「桜田正義警部補、ですね」 落ち着いた声で確認されたので、「はい」と答える。「そう言う貴方は、日比谷侑検事。そうですよね」「はい、僕の名前は日比谷侑。階級で言えば検事十五号です」 検事には、階級がある。それは知っていた。数字が少ないほど上で、確か二十号からスタート。副検事でなく検事であるなら、それなりのキャリアがあるはずだ。だが、目の前の男は若々しい。若作りなのか、本当に若いのかの判別はつかない。油断をしたら、こちらが食われそうだ。「何のご用件ですか」 感情を込めず、そう問う。彼の眼差しから、温かさが消えた。「桜田警部補、永田霞の件は覚えていらっしゃいますか」 またその名前か。軽く頷き、先を促す。「一回だけ、言います。彼を追求するのは、やめて頂きたい。新川先生と共同で捜査なさっていたこと。全て僕らは把握しています。これ以上は、貴方の出世どころか命にも関わるかもしれない」 物騒な話になってきた。命、か。そこまで言われるということは、新川の言う通り永田霞に政治権力が絡んでいる可能性も高そうだ。「……貴方は正しすぎる。そして、聡明だ。だからこそ、このようなことを言いたくないのです。ご理解頂けますか、桜田警部補」 そう言われては、この場では引き下がるしかない。「わかりましたよ、日比谷検事。もう、捜査はしない。そう約束すれば、問題ないのですね」「はい。僕は貴方を守りたい。約束してくださるのなら、帰りましょう。僕も暇ではないので」 日比谷検事は、そう言い残し部屋を出て行った。どこまでも掴めない、雲のような男だった。 日比谷検事、か。何か引っ掛かるな。どうして彼が、新川のことを知っているのか。確かに新川は有名人だ。だが、ここは東京。弁護士なんて、腐るほどいる。それなのに知っていると言うことは、彼も裏社会と繋がりがあるのではないか。そう結論づけても、問題はないはずだ。 だが、念のため新川に確認してみてもいいかもしれない。 『日比谷侑検事って、知ってるか?』 メッセージを飛ばすと、すぐ返答があった。 『あいつとは付き合いが長い。何かあったのか?』 俺が思った以上に、入り組んだ関係なのかもしれない。話を聞いてみても、いいかもしれない。 『少しな。今
last updateLast Updated : 2025-11-04
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第五話 覚悟
「それにしても、何で日比谷を知ってるんだよ」 もっともな疑問だ。検事の数だって、ここ東京では多い。わざわざ個人名が出ると言うことは、勘繰られても仕方がない。「ああ、会ったんだ」「会った? 日比谷に? どういうことだ?」 長くなりそうだったので、かいつまんで説明する。新川の表情は、どんどん曇っていった。「そんなことが、な……」 一気にジョッキのビールを飲み干し、テーブルに置く新川。いつになく飲む速度が早い。少しだけ心配になる。 多分、それほどまでに日比谷侑という存在が大きいのだ。新川にここまでさせる男、恐るべし。「じゃ、日比谷もそういうことだし調査は打ち切るのか?」 彼は、赤い顔でそう問う。酔っているのだろう。普段はそんな素振りすら見せないから、本当に珍しい。「打ち切らない。ここまでされて、引き下がれるかよ」 日比谷は何かを隠している。新川は手を引くと言ったが、俺は出来ない。どうせ処分はされているのだから、どう動いても問題はない。「まあ、確かにな。日比谷が出しゃばるなら、俺も手伝う。あいつは昔から気に食わないからな」「心強いな」 新川の手助けは有難い。彼がいれば、日比谷にも立ち向かえるかもしれないから。「俺を舐めるなよ」 いつになく得意気な新川に、安堵する。二人なら、理不尽な目に遭っても大丈夫。根拠はないが、そう思えた。「じゃあ、俺はもう一度永田霞を洗ってみるか」 新川はそう言い残し、帰って行った。 俺がするべきことは、日比谷が何を隠しているのかを暴くこと。そのためには、他の検察官の協力が不可欠だ。 しかし、現状はそんな知人などいない。俺の方は、既に八方塞がりだ。 そもそも、検察の知人と言ってもそいつが日比谷と関わりがなければ意味がない。そして俺は、彼の交友関係を知らない。 何からすればいいのか、わからなかった。 憂鬱な気持ちで出勤すると、上司から声をかけられた。「桜田くん、日比谷副検事が君に用だと」「また?」 いや、今副検事と言ったか? 言い間違いだろうか。「また、じゃないよ。日比谷円香副検事」「誰です?」 侑、じゃない? 今度は名前からして女性っぽいが、聞き覚えがない。「とりあえず、面会室で待ってもらってるから行ってきて」「了解しました」 こんな立て続けに用事があると言われると、身構えてしまう。昨日
last updateLast Updated : 2025-11-06
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第六話 信頼
「そんなこと言っても、ビジネスですし」「私はビジネスのつもりじゃないですよ。桜田さん個人に、話があったんです」 個人に話? では、事件は無関係なのか? 流石にそう考えるのも安直か。円香は続ける。「侑くん……日比谷侑検事は私の従兄弟なんです」「従兄弟?」「はい、昔は仲も良くて。家も近かったから、ほんとにお兄ちゃんみたいな」 親族であるなら、確かに苗字が同じでもおかしくはない。それにしても、家族揃って検察とは優秀な一族だ。「それで……侑くんが桜田さんに接触したって本人から聞いたんです。ただ、侑くん……凄く苦しそうだった」「苦しそう?」 あの冷徹そうな男が? あまり想像がつかない。「侑くんは、誰よりも正しい。正しいから、苦しむんです。本当は、永田霞のことも全部わかってる。だけど、本当のことを突き止めた時に被害が及ぶのは桜田さん。だから、侑くんは桜田さんを遠ざけようとしてるんだと思います。この事件から」 それは、お人好しすぎるというか。確かにいい見方をすればそうなのかもしれないが、この子の身内贔屓が入っているのでは?「証拠は?」「うっ……それは……」 やはり、直感らしい。それでも、この一途さはもう俺にない。正直、眩しい。まだ二十六歳、俺から見れば一回り近く下だ。守ってあげたくもなる。少しだけ、信じてみてもいいかもしれない。「まあ、言いたいことはわかる。君のことを信じてみよう」「わあ! ありがとうございます!」 彼女の表情が明るくなる。本当は、笑顔の絶えない子なのだろう。「俺は何をしたらいい?」「桜田さんには、証拠を集め直してほしいんです。私は、侑くんを説得する。完璧でしょ?」 あの検事の説得なんて、出来るのか? それでも今は、彼女を信じると決めた。俺が信じなくて、どうする。「わかったよ」「はい、で……これ私の連絡先です! 何かあったら、ここにお願いします」 円香は、名刺を手渡してきた。それを受け取り、俺も名刺を渡す。「じゃ、私はお仕事があるのでこれで! 桜田さん、一緒に頑張ろうね!」 侑とは正反対の、お転婆娘だった。俺も証拠を洗い直すか。
last updateLast Updated : 2025-11-10
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第七話 衝突
 桜田さんと別れた後、検察庁に戻る。いつも静かで、ちょっとだけ居心地が悪い。 侑くんは、デスクで書類の整理をしていた。後ろからそっと声をかける。「ゆ……日比谷侑検事」「……何ですか、日比谷円香副検事」 少し間があって、声が返ってきた。 「あの、お話ししたいことがあって」「それは、今じゃないとダメなんですか?」 仕事中だからか、冷徹な答えしか返ってこない。いやでも、ここでめげちゃダメだよね。「あ、いえ……お仕事が終わった後でも大丈夫です」 でも、怖い。そもそも、仕事の話ではあるけど……立場が逆だもん。忙しそうだし、今は引いた方がいいよね。「では、仕事があるので。仕事終わりに、また声をかけてください」 そう言って、侑くんの視線はまた書類に向いた。これ以上、何か言っても今は無駄みたい。 私も仕事に戻ろう。やることは、こっちにもあるし。 時間が経つとともに、不安になってくる。 私で、侑くんを説得できるのかな? いくら従兄弟とは言っても、年上のエリートを。 彼は、感情を見せない。昔からずっとそう。日比谷家では、それが美徳とされてきたから。 私や、私の兄は感情豊かな方だと思うけど。それは、この家にとっては異端そのもの。それで褒められたことなんて、当然ない。 それでも、私がやるんだ。これは、お兄ちゃんに頼れないし。 覚悟を決めて退勤すると、エントランスに侑くんの姿が見えた。「円香、遅かったな」 仕事の時とは違う、穏やかな口調。これが本当の侑くん。私の好きな、男性像そのもの。「侑くんが早すぎるの!」 軽口を叩けるのは、いつまでなのかな。これからする話が、関係を壊しちゃうのかな。 不安でいっぱいだけど、ここまできて話さないのも不誠実だよね。「それで、話って? 個人的なことか?」 もう、やるしかない!「あ、ええっと……桜田さんのことなんだけどね」「桜田?」 ……もしかして、忘れてるのかな。いや、そんな訳ないよね。自分で釘を刺しに行くくらいだし。「ほら、桜田正義警部補だよ。侑くん、会ったんでしょ?」 少しだけ間があいた。こう言う時の侑くん、何よりも怖いかも。「……ああ、それが?」「侑くんは、そんなやり方でしか人を守れないわけじゃないと思うの」 心臓が、ずっとドキドキしてる。でも、侑くんならわかってくれるはず。「……そ
last updateLast Updated : 2025-11-16
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第八話 衝撃
 円香からメッセージが来たのは、退勤後すぐのことだった。『桜田さん、話せる? あんまり職場から近いところでは話せないから、ちょっと離れたカフェで』 添付された地図は、渋谷のものだった。確かに、若い子が好きそうなエリアだ。 了解、と返事をし向かう。もうすぐアラフォーにもなろうという男が入るには、いささか気後れする内装だ。 一面ピンク色だし。何だかわからないが、キャラクターのグッズも置かれている。 こう言うのが好きなのだろうか。「桜田さん! こっちだよ! こっち!」 元気な声で、俺を誘導する円香。聞かれたらマズいと言いながら目立とうとするのは、天然なのか。そうなのだろう。「それで、話ってなんだ?」 席に着いたので、本題を切り出す。「ああ、うん……実はね……」 しかし、円香は急にどもり始めた。そんなに言いづらいことなのだろうか。 数分過ぎた後、彼女は小さな声で呟いた。「桜田さんとは、もう会えないかもしれないんです」「どういうことだ?」 理解ができなかったので、問い返す。もう会えない? 何かあったのは間違いない。「実は……青森地検に異動になっちゃって」「異動?」 随分と急な辞令だな。そんなこと、あり得るのか? あり得なくはないのが、この事件か。俺が転勤になっていないのは、今や奇跡と言える。「今日、出勤したらいきなりそう言われて……」「昨日、あの後に何かあったか?」 昨日の今日で、いきなりそうなるとは考えづらい。何か理由があるはずだ。「昨日は、あの後侑くん……あ、日比谷侑検事とお話したんです」「彼と……?」 そういえば、説得するとか言ってたな。この様子では、結果を察せるが。「結果は?」 それでも、一応聞いておく。「私は甘いって……痛い目を見るって言われちゃいました」「それが、青森地検への異動?」「……そう、なのかも。わからないですけど」 それがわからないほど、この子は馬鹿じゃないだろう。 わかっていても、認めたくないだけだ。「じゃあ、これからどうするんだ?」「青森に行かなかったら、クビですよ。行くしかないです」 二回しか会っていないが、今にも泣きそうな彼女は初めて見た。 どんな時でも明るいイメージだったから、意外な一面だ。「でもね……最後に仕掛けようと思うんです」「仕掛ける?」 どうやら、本題は
last updateLast Updated : 2025-11-18
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第九話 詰将棋
 家に帰って、一人で考える。 俺なんかが、人を守ってもいいのだろうか。あんなに愛していた妻からは、仕事の多忙を理由に離婚された。親権も妻に渡った。 それでいい、そうあるべきだ。自分の感情を押し殺すことにも慣れている。 それでも、あの子を守ってあげたい。気がつけば、そう考えてしまっている。 メッセージの着信があったのは、その時だった。『何故、貴方が僕の連絡先を知っているのですか』 その疑問はもっともだった。侑からすれば、一度会っただけの人間から来た連絡だ。疑うのも、当然と言える。『それも含めて、もう一度話がしたい』 そう返すと、連絡は止んだ。恐らく、考え込んでいるのだろう。 十分ほどあって、もう一度連絡が来た。『わかりました。次の日曜日を空けておきます。銀座駅に集合でお願いします』 淡々とした、侑らしい返事。それでも、少しは手応えがありそうだ。 侑には悪いが、新川にも同席してもらうことにする。彼の感情を揺さぶれるのは、俺ではなく新川の方だ。今回のキーパーソンと言えるだろう。 新川からも了承してもらい、次の日曜日になった。「よっ」 銀座駅に先に着いたのは、意外にも新川だった。休日の格好は初めて見たが、ブランドのシャツとパンツは彼の容姿を一層際立たせている。 こいつ、自分の見せ方がわかってるな。 俺も、それなりにはきちんとした服装なのに。新川がこれでは庶民的に見える。「あ、日比谷まだ来てねーの? 珍しいな、あいつ遅刻とかしないのに」「まだ集合時間にはなっていないしな。待とう」 他愛のない話で時間を潰していると、新川の目線が移動した。その方角を見ると、見知った人影があった。「……何で君までいるんですか?」 それが侑の第一声だった。察してはいたが、やはり犬猿の仲らしい。「俺がいたら悪いのかよ」「悪いですね。これは、僕と桜田さんの約束だ。君が入る余地はない」 何だか痴話喧嘩みたいになってきた。周りの視線も気になってくるし、移動した方が良さそうだ。「とりあえず、落ち着いて座れるところに行こう」 銀座のカフェは、どこも混んでいる。それに高い。気後れするような場所なのに、侑はやけに落ち着いていた。 新川も落ち着いてはいるので、俺だけ気張っているのかもしれない。「それで? 新川まで引き連れて僕に話って何なんですか? あと、連絡
last updateLast Updated : 2025-11-22
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第十話 崩壊
 新川がやっと、口を開いた。「でも、円香嬢が事件を追ってるなんて知ってるやつ何人いるんだよ」 言われてみれば、もっともな疑問だ。あの子は、独自に事件を追っていた。こんな大事なことを、易々と人に口外するわけがない。「俺だって、お前が言うまで知らなかったし」 新川ですら知らないのか。あの事件で、裏と取引しているであろうお前でも……。「なるほど、僕以外の人間がそれを知っているのはおかしい。と」 それでも、侑は驚くほど冷静だ。今のは決定打だと思ったのに、違うのか?「でも、僕は言ったはずだ。あの子は、何でも話す。何でも話すと言うことは、顔にも出やすい。鋭い人なら、そもそも言わずに察せる。違うかい?」「……円香さん本人に聞いても?」「どうぞ。でも、彼女の知らないところで察されている可能性をお忘れなく」 これでは、負けてしまう。日比谷侑、本当に化け物のような論理の持ち主だ。 この歳で検事十五号なのは、伊達ではないらしい。「それでも、円香嬢がこの事件を追ってることはお前知ってるんだろ? 日比谷よぉ」 新川も、加勢してはくれている。この状況を何とか活かしたい。 侑はといえば、穏やかに紅茶を飲んでいる。その余裕は、本当に崩せるのだろうか。「知ってるさ。彼女は僕の従兄妹なのだから」 埒があかない。このままでは逃げられてしまう。 いや、そもそも今の目的は彼を折ることではない。上層部に、円香の左遷を取り消させることだ。 だとしたら、彼を追い詰めるのは避けた方がいいかもしれない。 「……日比谷検事、どうしてそこまで上層部に何か言うのを避けるんだ?」 仮にも従兄なのであれば、もう少し情があっても良さそうだが。それが通じないのも法の世界、か。「……僕が言ったところで、止まるとでも?」 確かに。彼が何かを言ったところで、左遷の取り消しにはならないだろう。「……円香さ
last updateLast Updated : 2025-11-26
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