高田は午後の光を遮るカーテンの隙間を見つめていた。時間はすでに十五時を回っている。外は晴れているらしかったが、室内の気温も光量も、アプリで一定に管理されており、天候の影響を受ける余地はない。けれど、なぜか今日は、モニタの色が少しだけくすんで見えた。
タスクは定時通りに処理されているはずだった。午前中に提出されたログの確認、脆弱性レポートの対応、バックアップスクリプトの再構築。すべて予定通り。指先も、キーボードの上では一定のリズムを保っていた。
それでも何かが違った。集中が維持できなかった。
いつもなら切り替えがスムーズなはずの画面遷移で、なぜかエラーを起こしたように、視線がモニタに定着しない。カーソルが点滅している場所を見ていても、視界の周辺にぼんやりと何か別の像が浮かんでくる。
……今日は来ない。
その事実が、頭のどこかでずっと響いていた。
昨日、メッセージが届いた。大和からだった。「明日から出張入ってしもた。来週また行くわ」
文面は短く、語尾に軽いニュアンスがあるのが、彼らしいと思った。それだけの内容。けれど、読み終えたときの胸の奥に残った空洞は、妙に深く、広かった。高田はキーボードから手を離し、デスクの脇に置かれた黒い手帳に指を伸ばした。手に取ったそれは、いつものように重く、確かな厚みがあった。記録の重み。日々の感情と数式が、紙の上に降り積もった塊。
いつものようにページを開き、今日の日付を確認する。書きかけのページに鉛筆を走らせようとした瞬間、手が止まった。
何も書くことが、なかった。
正確には、“書くべきデータ”が、思考の中に浮かばなかった。演算子も、変数も、構造体も。コードが意味を持たない。今日一日、自分の中で最も大きく揺れた要因が「何も起きなかったこと」だという事実が、途方もなく不確定で、不安定だった。
手帳を閉じず、ただページをめくった。書くわけでも、読むわけでもなく、紙の感触を指先で確かめながら、意味のない行動を繰り返す。その行為の中にあるわずかなリズムだけが、自律を維持する唯一の手段のように思えた。
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