Chapter: 第71話:戦支度の誓酒鐘は三度鳴った。大聖堂の石床が薄く震え、王子は指先の汗を衣の裏へ滑らせた。彼は隣に立つ皇子の呼吸を聞いていた。浅く、だが逃げていない。公では皇子が前に出る。それが二人の取り決めで、今日がその初舞台だった。「条約婚を結ぶ」皇子が短く言った。声は澄んでいた。人々のざわめきが吸い込まれて消える。老司祭が聖油を差し出し、二人は互いの手首に油を引き、契婚印の魔紋を重ねた。藍の線は絡み、金の粒子がぱっと弾ける。冷たい石の匂いと、油の甘い匂い。王子はその微かな震えを、握った手を通じて拾い取る。「条件を」皇子が続ける。契約は愛の前に置く。彼らは一週間前、旅の寝台で紙に書いた全てを、今ここで人々に示した。「可は、口づけと抱擁。不可は噛み跡を残すこと」「合図は三つ」「『よい』は、指先を二度」「『待て』は、手の平」「『中止』は、合言葉」王子は低く補った。「合言葉は白燕。公務でも私事でも同じにする」ざわつきが起こり、すぐ収まった。老司祭が頷く。週に一度のスイッチ・デーについても明文化される。火の四日、役割の練習と点検を行う。公務は変わらないが、私室では皇子が支配と委任を練習し、王子が受け止める。これは二人の“雄になる”訓練の一部だ。誓酒の杯が運ばれてきた。大麦酒だ。泡が白い筋を残す。老司祭が言う。「戦支度の前に、契りの杯を」皇子は杯を掲げた。腕は伸び、肩は落ちていない。王子は小さく微笑んだ。彼が森で初めて見たときよりも背筋は真っ直ぐだ。霧の中で互いの弱さを晒して握った手は、その日からずっと離れていない。「後背を固める」皇子の二言目はもう政治の言葉だった。大聖堂の倉、地下街の問屋、納骨堂の氷室。三つの力が軍糧を巡って綱を引いている。誓酒の場で、それを解く。王子は合図を受け、巻物を広げた。「契式魔紋を穀袋に刻む。二重封緘。二つの鍵」皇子が端的に付け足す。「鍵は両押し。片方は大聖堂。片方は我ら」魔紋は簡素だが、流用できない。封緘の破りは光る。地下街の頭は最初に顔をしかめ、次に肩をすくめた。「割前が減
Last Updated: 2025-11-13
Chapter: 第70話:雄の宣言大聖堂の床は冷たく、光は高窓から蜂蜜色に降っていた。香が乾いた木と柑橘の匂いで混じる。ざわめきは薄い嘲笑を含んで、帝国の皇子が「聞き分けのいい従順な花嫁」だという古い噂を反芻していた。ルシアンは笑わなかった。王国の王子と手をつなぎ、手のひらの温度と脈を数える。三度タップされた。合図。息は?と視線が問う。彼は顎を引いて、一、二、三、と胸を満たす。大聖堂の中庭に住む鳩が、一瞬だけ黙った。巻物が解かれ、条約婚の条文が風を受けて鳴った。白い手袋の司式官が読み上げる。両国の通商路、大河の水利、そして「二重統治」の規定。公では皇子が前に立つ。私室では王子が支え、週に一度のスイッチ・デーを設ける。役割の反転は誰の強制でもない。二人の合意がなければ運用しない。セーフワードは「雨垂れ」。黄は減速、赤は即時停止。可は手を取る、抱擁、誓環の着脱。不可は公開の命令遊戯、露出、屈辱の呼称。アフターケアは甘味、水、温かい湯、肩の圧迫、言葉の確認。王子が小さく笑った。言いづらいことほど明文化する。これが二人のやり方だった。司式官が促す。「皇子、宣誓を」ルシアンは一歩前に出た。その一歩で、嘲笑がぴり、と揺れた。彼は衣の襟に触れ、喉を見せる。支配の反対側、最も脆い場所を自分で差し出す。それが彼の「雄」の定義だ。「私は“雄”を選ぶ。従うことの快も知っている。けれど、私は今、守る責を取るほうを選ぶ。王子を、条約を、地下も地上も、骨の名も」地下の石段、暗さを吸う地下街の顔役たちが柱の陰で腕を組んでいた。大聖堂の首座司祭は唇を細くし、納骨堂の骨守は杖で床を軽く叩いた。三つの権力が互いに睨み、互いに疑う場だ。「大聖堂よ。祈りの税は据え置く。ただし監査は光の下で行う。帳簿を隠すな。地下街よ。三年の関税を減免する。代わりに水路の保全を担え。私が設計に立ち会う。納骨堂よ。名を消すな。無名をなくす費用は帝国が出す。王国と折半だ」笑いの一部が鼻を鳴らした。口で言うのは誰でもできると。ルシアンは右の掌を出す。契誓紋が彼の皮膚下で目を覚ました。青銀の線が手の甲から肘へ、鎖骨に触れて胸骨の上で渦になり、王子の左手の同じ紋と呼応する。香の煙が流れを変え、光
Last Updated: 2025-11-12
Chapter: 第69話:胸骨星の温度大聖堂の床に描かれた魔紋が、薄い青で脈打っていた。冷ややかな石と香の煙。皇子は胸元に手を当て、胸骨の奥で小さく灯る星が、今日はどうしても温まらないことに気づいた。眠れていない。儀礼の稽古、調整会議、文言の確認。休むべき夜を二つ潰した。自覚はあったが、式は待ってくれない。「歩幅、二。声は落として」王子が短く囁いた。銀の肩飾りの重みを片指で確かめ、皇子は頷く。公では自分が前に立つ。私室では彼が支える。その約束でここまで来た。今日の儀礼は条約婚の成立、公衆の前での宣誓だ。愛より先に契約、契約より先に信頼の種。ふたりはそうやって歩み寄ってきた。広場からの光が大扉から流れ込む。司教が巻物を掲げ、群衆が静まる。王子がわずかに笑った。少し曲がった王冠、緊張の証。皇子は歩み出た。前へ、前へ——「殿下、今日、スイッチの日でして」近侍が慌てて耳打ちし、王子が目を瞬いた。やらかした。週に一度のスイッチ・デー、私室の主従を入れ替えて互いの視座を保つ日。まさかの重なり。皇子の足が半歩すくみ、後ろに下がりかける。壇上の侍従長が咳払いで合図。王子が肩で笑い、ほんの指先で背を押し戻した。「公はいつも通りだ。夜に返す。ね?」短い。けれど甘い。皇子はこくりと頷いた。群衆にはただの寄り添いに見えたはずだ。小さな段取りミスは、愛のフォローで片づいた。誓いの文言は端的だった。条約の第一条、互いの領域の不可侵。第二条、争論は地上の聖堂ではなく共同評議に付す。第三条、地下街の通行と納骨堂の管理権限は共同監督下に置く。第四条、公では皇子が前に立ち、私室では王子が支える。第五条、週一度のスイッチ・デー。第六条、合意契約に基づく私的な合図とアフターケアの遵守。読み上げられるたび、魔紋が淡く光った。合意契約の本文は民の前に晒されるものではない。だがふたりは司教に提出した副本に、可と不可、合図、アフターケアを明瞭に記していた。可は言葉の拘束、短い跪礼、軽い布の結び。不可は痕を残すこと、公の場での命令、触れることより先に許可を問わないこと。合図は手の甲を二度叩けば「緩めて」、三度で「止める」。そしてセーフワードは「北星」。言えば即時終了、即座の抱擁、蜂蜜水、軟膏。夜具を温め、眠りが来るまで手を離さな
Last Updated: 2025-11-11
Chapter: 第68話:交互統帥丘の街の鐘が鳴り、白い大聖堂が陽に灼けていた。皇子は喉の奥で息を整え、王子の手を握った。冷たい指輪が互いの掌で触れ合い、薄い魔紋が肌に点り、香の匂いに混じって鉄の匂いが微かにした。「契約を読み上げる」祭司が巻物を広げた。文は短く区切られていた。皇子は文字を追い、王子の親指が人差し指の付け根を一度だけ押すのを感じた。合図だ。落ち着け、の意。「公では皇子が先に立つ。私室では王子が支え導く」 「週一回のスイッチ・デーを設ける。公務と私的訓練の統べを交互に担う」 「可、不可、合図、アフターケアを明文化する」祭司の声が澄んでいた。皇子の視界に、地下街の総代が石柱の陰からこちらを見ている気配。納骨堂の管理者が黒衣の裾を整えた音。将軍たちは鎧を鳴らし、顔色は固い。王子が一歩、半身を重ねるように近づき、小さく呟いた。「息、短く」皇子は頷き、巻物の「不可」を見た。「不可。公衆の場での屈辱。軍議での命令の横取り。陛下の遺骨に触れること」遺骨、と口にした瞬間、納骨堂の管理者の顎が僅かに上がった。ここで彼らの権威を立てる必要がある。皇子は次の行に目を落とした。「可。訓練のための命令。私室での拘束の模擬。戦略上の役割交換」王子の指先が手首の内側をなぞった。痕がつかない程度の圧。そこだけ布が擦れて温かい。最後に合図が来る。「合図は三つ。指輪を三拍ひねる、掌を二度合わせる、視線を落として『今』と言う」祭司は最後に一語を掲げた。「セーフワードは『鳴砂』」大聖堂にざわめきが走り、石壁がそれを吸った。皇子は顎を上げ、王子の掌を握り返した。二人は同時に「承認」と答えた。魔紋が明るくなり、観衆の呼気が静かに揃う。これで条約婚は成立した。王国と帝国の境に立つ彼らの契約は、儀礼の言葉で公にされた。儀礼の後の軍議は、同じ大聖堂の奥、冷えた石床の上で開かれた。祭壇の横の扉の先には納骨堂。階段を降りれば地下街に通じる回廊。互いの権威が隣
Last Updated: 2025-11-10
Chapter: 第67話:誘惑の使節鐘は高く澄み、松脂と蜜蝋の匂いが満ちていた。大聖堂の聖床に二人が並ぶ。公では皇子が前に出る。王子は半歩後ろで、掌を添える。肩越しに交わる視線が、いつもの合図になっていた。「条約婚の成立を、神前と民の前に」堂守が宣言した。群衆がひそめる。王子は皇子の背中越しに息を吸い、段取りを頭で反芻した。今日は式と契約の公開。政治の一段、と同時に二人の生活の規矩を、笑いも交えて晒す日だ。「合意契約の読み上げを」皇子の声はよく通った。かつて頼りなげだった柔らかさの奥に、訓練で鍛えた芯が宿る。彼は巻物を開き、項目をひとつずつ確かめるように読んだ。「可。公の場での手の接触、伴歩、腕の組み。私室での抱擁、口づけ、指示と従属。不可。公の場での口づけ以上の触れ合い、侮蔑や人格の否定、傷を残す行為。合図。前に出たい時は右手を二度、支えが要る時は左手を三度」王子は小さくうなずいた。二度、三度。指先の癖は体に入っている。「セーフワードは『灯』。言われた側は即座に停止し、状況を確認する。アフターケア。私室に戻り、湯と甘味を用意し、言葉で気持ちと体の具合を確かめる。週一回、黄昏の鐘の後にスイッチ・デーを設ける。公務の一部は入れ替えて対応する」ざわめきに、堂守が咳払いで区切りを入れた。王子は肩を揺らして笑いをこらえる。群衆の中に身じろぎ、微笑み、頷き。下町から上層までが混ざる稀有な日だった。「最後に、『公では皇子が前に、私室では王子が支える』。二重統治の原則をここに」皇子が告げると、王子は巻物の端を持ち上げて印を押した。朱が紙に走り、契約は拍手に包まれた。堂守が指輪を差し出す。だが、そこで小さな事件が起きる。「あ、サイズが逆です」女官が青ざめ、場に笑いが走る。王子は肩をすくめ、指輪を皇子の薬指から自分のにすべらせ、もう一つを皇子につけ直した。ぴったりだ。皇子は頬を赤くして笑った。これも、一緒に生きる練習だ。儀礼の後、会場は地下街の広場に移った。石は汗を吸い、香辛料と酒と人の気配が渦を巻く。その足元ずっと下には、納骨堂がひんやりと横たわり、世代の
Last Updated: 2025-11-09
Chapter: 第66話:赤縄の合図短縮森を抜けた風が冷たくて、香の煙が甘かった。大聖堂の鐘が三度鳴り、石畳は朝露で薄く濡れていた。王子は半歩引き、皇子を前に出した。条約婚の公開儀礼は、聖紋の床と、群青の天蓋と、群衆のざわめきの上に立って始まった。赤い縄は、二人の手首をゆるく繋いだ。儀礼用は細く柔らかい絹。けれど若い従者が運んできた包みには、妙に太い麻縄が混じっていた。「それは拘束犯の引き縄だ。儀礼に出すな」王子が小声で止めた。「失礼を。色だけ見て……」従者は青ざめ、慌てて入れ替えた。周囲の緊張が少しほどけ、えくぼ混じりの笑いが起きる。皇子の肩がほんのわずかに落ち、そのまま前へ出た。堂奥の司祭長が問う。「公の契約を明らかに」王子が巻物を開いた。魔紋が淡く浮き、文言が痛いほど鮮明だった。「可は、手を添える拘束の象徴、片膝の誓い。不可は、痕を残す結び、蔑む語。合図は一段。右手首の一撫でで停止。口の合言葉は『灯』。アフターケアは温湯、蜂蜜の乳、抱擁、背を撫でること。週に一度、主客相替わる日を設ける」司祭長が頷き、聖油を滴らせる。群衆の中で誰かが囁いた。「週一で逆転、だってさ」。笑いが再び波紋のように広がり、重い儀礼に熱の加減がついた。皇子は前を向いた。低くはっきりと告げる。「公では、私が前に」王子が続ける。「私室では、私が支える」二人の声はぴたりと揃い、赤縄が指先で鳴った。魔紋が二人の間で重なり、聖堂の床に淡い輪が走った。契約は結ばれ、条約婚は成立した。鐘の余韻が消える前、地下街の長が階下から現れた。階段には別の影。納骨堂の守り手が黒布をまとって立つ。「地底の商路は我らのもの」「祖の眠る道を踏むな」双方の声が重なり、場はざわめきに揺れた。大聖堂、地下街、納骨堂。三つ巴が火花を散らす気配。皇子は一度、王子の手首を見た。赤縄が軽く震え、王子の親指が皇子の脈に触れた。それは新しい合図の予行演習。二段階の余白を捨てた、一段の決断。皇子が前に出た。「静まれ。二つ告げる」声はよく通った。訓練
Last Updated: 2025-11-08
Chapter: エピローグ「新しい夢を、もう一度」窓の外では、雪が降っていた。白い息が、部屋の空気に溶けていく。ナギは机の前で、ゆっくりとペンを動かしていた。原稿用紙の上には、ぎっしりと並んだ文字たち——「風」「光」「神」「約束」どれも、見覚えのある言葉だった。最後の一行を書き終え、ナギは小さく息を吐いた。「……これで、終わりか。」原稿の端に、ふと、指先が止まる。「終わり」——その文字が、どうしても書けなかった。外の雪が、少し強くなる。風が、窓ガラスを優しく叩く。その音に、どこか懐かしい気配を感じた。——(ナギ、起きてる?)「……リィナ?」部屋の空気が、ふわりと光る。机の上のランプが一瞬だけ明滅して、その中から、柔らかな声が聞こえた。——(ねぇ、ナギ。新しい世界を創らなきゃいけないの!)ナギは呆れたように笑った。「また急だな。こっちは冬休みの課題すら終わってないのに。」——(でも、今度は“最初から”一緒に作るの。あなたが風で、わたしが光で。)ナギは目を細め、机の上に置かれた白い万年筆を見つめた。それは、まるで“白い銃”のようにも見えた。「……それはまた、大掛かりな仕事だな。」——(ふふっ、そう言うと思った。)ナギは窓の外を見た。雪の向こうで、街灯の明かりが滲んでいる。どこか遠い世界の灯りのようにも見えた。「リィナ。」——(なに?)「お前がいなくても、この世界は、
Last Updated: 2025-11-05
Chapter: 創造神篇:第17話「風と光、再生の朝」風が、戻ってきた。止まっていた木々が、そっと枝を揺らす。閉じていた花が、まぶしそうに花びらを開く。世界が、まるで大きく息を吸い込むように“動いた”。ソラとフウは丘の上に立っていた。昨日まで灰色だった空が、今日はやさしい青に変わっていた。フウが両手を広げて、風を感じる。『ねぇ、ソラ。風が歌ってる。』ソラは目を閉じて、その音を聞いた。それは懐かしい声にも似ていた。——(ソラ、フウ。もう大丈夫だな。)「……ナギ?」風がふわりと頬を撫でる。やさしく、そして少しだけ名残惜しそうに。(ああ。俺たちは、もう“創る”側じゃない。これからは、お前たちの風に任せるよ。)フウが声を震わせた。『行っちゃうの……?』(行くというより、“溶ける”んだ。この風の中に。それが、俺たちの最後の仕事だ。)リィナの光が、風に混ざってきらめく。『……ねぇ、ナギ。寂しくない?』(お前がいれば、どこにいても風は吹くさ。)リィナはくすりと笑った。『相変わらず、かっこつけるんだから。』(いや、たまには言わせてくれよ。……お前がいたから、俺は創ることを怖がらなかった。)『……わたしも。あなたがいたから、見守ることができた。』二人の声が、風と光に溶けていく。それを、ソラとフウは静かに見つめていた。「ナギ、リィナ。」ソラが空に向かって手を伸ばす。「ボクたち、ちゃんとやるよ。朝も、夜も、夢も、ぜんぶ続けていく。」フウも小さくうなずいて言った。『風が止まっても、また吹かせるよ。だから、安心して。』風が笑った。光がやさしく丘を包み込む。リィナの声が最後に響く。『ありがとう。あなたたちがいる限り、この世界は——生きてる。』その言葉を残して、光が空へ還っていった。風が追いかけるように舞い上がり、雲を割って、朝の太陽がのぞく。ソラはその光に目を細め、静かに息を吸い込んだ。「……これが、“再生”なんだね。」フウは頷いた。『うん。世界が、もう一度“おはよう”って言ってる。』二人の手が重なった。風が吹く。草がそよぎ、鳥が空へ羽ばたく。その全てが、“生きている”という確かな音を奏でていた。ソラは振り返り、遠くの地平を見た。「ねぇフウ。あの向こうにも、まだ“風”があると思う?」『あるよ。きっと、誰かの願いが吹い
Last Updated: 2025-11-04
Chapter: 創造神篇:第16話「永遠の庭と、沈黙の創造主」そこは、「音のない世界」だった。風が止まり、空も海も動かない。草木は揺れず、雲すらも形を変えない。すべてが“永遠”に閉じ込められた庭。ソラとフウは、光の道を歩いていた。靴音が響かない。息をしても、空気が揺れない。けれど、確かに彼らは“進んでいた”。フウが小さく呟いた。『……ここ、怖いね。』ソラはうなずく。「うん。でも……きれいでもある。」二人の目の前に、巨大な“光の花園”が広がっていた。咲き続ける花。散らない花びら。そして、中央には——ひとりの男が、椅子に腰かけていた。黒いスーツ。整った髪。無表情。まるで、時の流れに置き去りにされた肖像画のようだった。ソラが一歩近づくと、男の目が、ゆっくりと開いた。「……来たか。」低く、乾いた声。けれどどこか、懐かしさがあった。「あなたが、“スーツの神”?」「そう呼ばれていたこともあったな。」男神はゆっくりと立ち上がる。彼の周囲で、光が止まり、時間が歪む。「君たちは、まだ“動こう”としているのか。」ソラは一歩も引かず、真っ直ぐに見返した。「うん。ボクたちは、生きたい。」男神は目を細めた。「……生きることは、終わりを迎えることだ。それを“恐れない”と言い切れるのか?」その声には、かすかな怒りと——悲しみが混じっていた。その瞬間、風が一筋、花園を貫いた。ナギの声が響く。(……やめとけよ。“永遠”なんて、退屈なもんだ。)男神の目がゆらぐ。「ナギ……か。」(覚えてたか。ずいぶん静かな世界にしたもんだな。)「私は、君を見て決めたのだよ。」(……俺を?)男神は手を広げ、花々を指し示した。「君は“破壊と創造”を繰り返した。そのたびに、誰かが泣いた。だから私は、もう誰も泣かせない世界を作った。」リィナの声が光となって降る。『でも、それって“笑わない世界”だよ。』男神の目が見開かれる。「……笑い?」『うん。悲しみと同じくらい、“笑い”も必要なの。それがないと、心は止まっちゃう。あなたの世界みたいに。』沈黙。男神はゆっくりと、目を閉じた。「笑い……か。そんなもの、もう覚えていない。」(だったら、思い出させてやるよ。)ナギの声が風を呼び、花びらが宙に舞う。リィナが光を放つ。ソラとフウが両手を広げる。四人の力がひとつに
Last Updated: 2025-11-03
Chapter: 創造神篇:第15話「目覚めの風と、眠る神々」風の音がした。けれど、その風は、どこか“懐かしい”匂いを運んでいた。潮と花の混ざった香り。ナギがかつて創った、あの“最初の世界”の風の匂い。ソラは目を開けた。まぶたの向こうに、青空があった。柔らかな光が頬を照らす。草の感触。そして、そばには——「フウ……!」フウが、ゆっくりと身を起こした。『ソラ……ここ、どこ?』二人の周囲は、まるで“世界が生まれた瞬間”のようだった。色も形も曖昧な、光の地平。空も地も区別がつかない。ソラはあたりを見回し、やがて、風の中に声を感じ取った。(……起きたか。)それは、懐かしい声。優しくて、少し低くて、安心できる声。「……ナギ?」風がうなずくように、草を揺らした。(ああ、よく覚えてたな。)フウが目を丸くした。『ほんとに、風の中から聞こえる……!』すると、光が一筋、空を割って降り注いだ。その中に、リィナの姿があった。白い衣をまとい、髪は光そのもののようにきらめいている。『ソラ、フウ。久しぶり。』ソラは立ち上がり、リィナに駆け寄った。「リィナ! 本当に……戻ってきたの?」『うん。少しの間だけ、ね。』ナギの声が風を震わせる。(世界が“夢”に沈んでる。目覚めたお前たちが、ここで唯一の“現実”だ。)フウは首をかしげた。『夢に……沈む?』リィナは静かに頷いた。『うん。この世界を作った“もうひとりの神様”がね、すべてを夢に閉じ込めようとしてるの。“優しさは、永遠でなきゃ意味がない”って。』ソラは少し考えて、小さく首を振った。「でも、そんなの違う。優しさって、“変わる”から優しいんだ。昨日の風と、今日の風は同じじゃない。だから、生きてるんだよ。」リィナは目を細め、微笑んだ。『……ナギ。やっぱり、あの子たち……あなたに似てるね。』(……そうか? 俺はそんなに優しくねぇぞ。)『ふふっ。そう言うときが、いちばん優しいの。』ナギの声が照れたように風をざわめかせる。ソラとフウは顔を見合わせて笑った。「ねぇ、ナギ。あなたたちは、神様なんだよね?」(まぁ、一応そう呼ばれてたな。)「でも……なんで、“夢”の中に戻ってきたの?」リィナは少し空を見上げて答えた。『この世界を作ったとき、私たちは“創ること”と“見守ること”しかできなかった。でも今は違う。
Last Updated: 2025-11-02
Chapter: 創造神篇:第14話「夢の国と、忘れられた創造主」夢を見ていた。……でも、それは“誰の夢”なのか分からなかった。ソラは、霧の中に立っていた。どこを見ても白く、何もない。足元の草も、空の色も、まるで形が溶けてしまったようだ。風の音も、聞こえない。「……フウ?」声が、吸い込まれるように消えていく。その静寂の中で、ふいに“何か”の声がした。——「ねぇ、どうしてここに来たの?」ソラは振り向いた。そこにいたのは、自分とそっくりな少年だった。髪も、瞳の色も同じ。けれどその表情には、どこか“冷たさ”があった。「……ボク?」少年は笑った。——「君は“夢”だよ。この世界が眠るときに生まれる、仮の影。でもね、最近は“本物”が消えたから、夢が現実になっちゃった。」ソラは眉をひそめた。「本物って……何のこと?」——「“創造主”のことだよ。」その瞬間、霧がざわめいた。風が逆流するように吹き、白い世界がぐにゃりと歪んだ。ソラは目を閉じた。風が痛い。音がなく、色が砕ける。その奥で、かすかに誰かの声がした。(……ナギ。聞こえる?)『うん。リィナ、これは……夢じゃない。』(ああ。世界が、眠ったまま“自分を見失ってる”。)『まるで、誰かが夢の奥に“蓋”をしたみたい。』ナギは静かに息を吐いた。(……やっぱり、“まだいた”んだな。)『歪み、だね。』(ああ。俺たちがいなくなったあと、別の神がこの世界に“夢の国”を創ったらしい。)リィナの声が少し強くなる。『でも、なんでそんなことを……?』(たぶん、“世界を止めたかった”んだろうな。)ナギの声が、風のように震える。(人が考え、想い、創り始めると、神々の出番は終わる。……それを、恐れたやつがいたんだ。)リィナは少し悲しげに息をのんだ。『じゃあ、この“夢”は、誰かが作った檻なんだ。』(ああ。優しさを閉じ込めて、変化を止めた世界——“永遠の夢の国”。)風がざわめく。ナギの声が、霧を割るように響いた。(リィナ。もう一度、降りるぞ。)『……うん。でも、今回は“夢の中”に潜るんだね。』(ああ。神じゃなく、“想い”として。)リィナの光が揺れる。『……ねぇ、ナギ。もし夢の中で、ソラたちに会えたら……何て言う?』(決まってる。——「おはよう」だ。)リィナは小さく笑った。『やっぱり、そう言
Last Updated: 2025-11-01
Chapter: 創造神篇:第13話「朝露の約束と、風の目覚め」夜が明けていた。世界が、息を吹き返すように輝いていた。葉の上には、無数の朝露がきらめき、小さな雫が光をはね返して、まるで星々が地上に降りてきたようだった。ソラは目を覚ました。「……まぶしい。」隣でフウも、ゆっくりとまぶたを開ける。寝ぼけた声でつぶやいた。『ソラ……太陽、帰ってきたね。』ソラは空を見上げた。昨日の夜、初めて見た“ツキ”の姿はもうない。けれど空の向こうに、確かに“何かが残っている”ように感じた。「ねぇ、フウ。夢、見た?」フウは少し考えてから頷いた。『うん。風が、どこまでも吹いていく夢。でもね……その風の中で、“声”がした。』「声?」『うん。やさしい声。“おやすみ”って言ってた。』ソラははっとした。「ボクも、聞いた。」フウは目を見開く。『同じ夢?』「たぶん。風が光って、花が笑ってて……その中で、誰かが『ありがとう』って言ってた。」二人は顔を見合わせた。その瞬間、風が吹いた。朝の空気の中で、どこからともなく光が舞い、花びらがふわりと浮かび上がる。——ひとつの声が、風に混じった。(……おはよう。)フウは息をのんだ。「ソラ……今の、聞こえた?」ソラはうなずいた。(……もう、ひとりじゃないよ。)風が頬をなでた。それは、まるで誰かの手のひらのようにやさしかった。そして、光が答える。『……ナギ、聞こえる?』(ああ。やっと、声が届いたな。)リィナの声が風に混ざる。ナギの声が空に溶ける。(この世界……ちゃんと生きてるな。)『うん。ねぇ、見て。あの二人、もう夢と現実の違いがないの。世界の中で“感じるまま”に生きてる。』(それでいい。感じることが、生きることだ。)ソラは風に向かって、小さく言った。「……あなたたちは、だれ?」リィナが静かに笑った。『ソラ。わたしたちは、“この世界のはじまり”。でも、もう“神様”じゃないよ。』ソラの目が輝いた。「じゃあ、ボクたちは……?」(お前たちは、“この世界の今”だ。そして、これからを作る存在だ。)フウはそっと手を胸に当てた。「……風の中に、あたたかい声がする。これが、記憶?」『そう。それはあなたたちが受け継いだ、“やさしさの記憶”。』ソラは微笑んだ。「じゃあ、これが“朝”なんだね。」フウが首を
Last Updated: 2025-10-31
Chapter: 後日談 第二編:異世界に咲くもの魔王との戦いを終え、神の武器たちと別れた使い手たちは、誰一人として現世には帰らなかった。彼らは魔界に残ることを選んだ。そこに芽吹いた小さな命たち――傷つき、絶望し、それでも生きることを選んだ存在たちの、未来のために。リィナは、銃だったナギとの記憶を胸に、一面の荒野に種をまき続けた。 どんなに不毛に見える大地であっても、やがてそこには草が芽吹き、やがて花が咲く。 「私、今を生きているよ」――その一言は、失われたはずの温もりへと手を伸ばす彼女自身への応答だった。ルークは剣の形見を背負い、再び剣士としての道を歩んでいた。 彼は若者たちに剣を教える教師となった。 かつての剣、ヒナコの軽口を思い出しながら、笑顔を絶やさずに。 「剣は人を傷つけるためだけじゃない。守るためにあるんだ」――その言葉を信条に、生徒たちに誇りを伝えた。ライナは鍛冶場を再建し、新たな武器を作ることを禁じられたこの世界で、農具を鍛える日々を送っていた。 イオリの残響が今も炉の奥で響いている。 「壊すのも、直すのも、同じ手だ」――彼女は赦しと再生の槌音を、大地に響かせ続けた。レオナは小さな孤児院を開いた。 戦災孤児や迷い子たちを受け入れ、穏やかな日々を送っていた。 タカフミの頁をもう開くことはできないけれど、その言葉の重みは今も彼女の心に宿っている。 「過去を赦すことでしか、未来は描けない」――レオナの眼差しは、いつも優しく、どこか寂しげだった。アベルは村々を巡り、治癒と祈りを教え歩く旅僧のような存在になっていた。 アマネのやわらかな言葉を胸に、煙草をくゆらせながら老いた人々の話し相手になっていた。 「誰かの話を聞くこと、それが一番の癒しなんだよ」――彼は、争いの終わりに寄り添い続けた。セイヤは変わらず真面目なまま、かつてカンテラだった“先生”の教えを守り続けた。 彼は都市の整備を担い、子どもたちに読み書きと理屈を教えている。 灯の象徴としてのカンテラを飾り、その火を絶やさぬよう、毎晩火を灯していた。カイルは自警団を組織し
Last Updated: 2025-07-14
Chapter: 後日談 第一編:日常へ還るそれは、奇跡と呼ばれた。長き昏睡から目覚めたバス事故の乗員全員が、ほぼ同時に意識を取り戻したその出来事は、ニュースでも大きく取り上げられ、世間の注目を集めた。各方面の専門家がその原因を突き止めようと奔走したが、結局“奇跡”という言葉以上の説明は出てこなかった。一方で、目覚めた者たちは、それぞれに胸の奥に確かな“記憶”を抱えていた。異世界の旅、武器との対話、戦いと覚醒、そして別れ。夢だと片付けるにはあまりに鮮烈なそれは、日常に戻った後も、彼らの心の根に残り続けていた。あれから数年が経ったある日。「みんなで集まろう」というひとりの呼びかけをきっかけに、あの事故の乗員たちは、とあるファミリーレストランに集まっていた。店の窓際に並ぶ、懐かしい顔。少し背が伸びた者もいれば、以前と変わらぬ笑顔の者もいた。気まずさやよそよそしさはまるでない。ただ、心から再会を喜び合う仲間たちが、そこにいた。そして最後に、ゆっくりと扉が開く。姿を現したのは、一人の少年――ナギ。小柄な体に、整えられた前髪、少し緊張したような表情。しかし彼が一言、「みんな、ひさしぶり」と声をかけた瞬間、店内はどよめきと涙と笑顔で満ちた。「ナギ!?ほんとに……。」「嘘だろ、あの神童って……ナギかよ……!」かつて“神の銃”として共に戦った彼は、今はただの一人の少年として、そこに立っていた。だが、その瞳には、あの頃と変わらぬ強い意志が宿っていた。誰かが泣き、誰かが笑い、誰かがただ黙って、頷いた。席についたナギは、お子様ランチを前にして、ちょっと照れながら言った。「ここに来たかったんだ。……ちゃんと、生きて“再会”したかったから。」運転手の男――かつて大剣の中で贖罪を続けた彼も、席の端で小さくうなずいた。「……ありがとう。君たちがいなければ、俺はずっと“あの場所”にいた。」「もう大丈夫だよ」と笑ったのは、かつての杖だったアマネ
Last Updated: 2025-07-14
Chapter: エピローグ:記憶に残る旅世界を覆っていた闇が晴れ、不毛の大地にもかすかな風が吹き始めていた。 光の欠片が舞い落ちるその中で、武器と使い手たちは最後の時間を過ごしていた。 「これで……本当に、お別れなんですね。」 リィナの声に、誰もが静かにうなずいた。 「ふふ、また新しいお花が咲きますよ。あなたがまいた種が、きっと。」 アマネとアベルは優しく微笑む。 「まぁ、新しい神様がリィナなら信じてやってもいいかもな。」 「俺はもう、守れなかったあの日から、ずっと……お前に救われてたんだ。」 タカフミはレオナの手を取り、そっと目を閉じる。 「私も、まるで夫婦のような生活が楽しかった。」 「……道を踏み外しそうになった俺を、止めてくれてありがとう。」 大剣使いは黙って大剣を見つめ、運転手の魂が宿るそれに思いを伝えた。 「……一緒に、戦ってくれてありがとう。」 「ちぇっ、ようやくいい感じに慣れてきたのに、これで終わりかよ。」 ヒナコはルークの肩に寄りかかりながら、照れ隠しのように笑った。 「でも……あんたの剣、悪くなかったよ。」 「俺も……お前に出会えて、よかった。剣に、命があるなんて思ってなかったけど、今は信じられる。」 ルークは目を潤ませながら、ヒナコに答えた。 「……俺の手は、誰かを裁くためのものじゃない。許すためにある。」 イオリがぽつりと呟くと、ライナが笑って背中を叩いた。 「だからさ、これからもその手で誰かを守りな!」 「……君のような弟子がいてくれて、私は……誇りに思うよ。」 カンテラは静かに目を細めた。 「“先生”、ありがとう……ずっと一緒にいてくれて。」 セイヤは深く一礼した。 「この時間が、永遠に続けばよかったのにね……」 リィナが呟いたそのとき、スーツの男が現れた。 「今回の神様はお優しいみたいですから、皆さん生きて帰れますよ。よかったですねぇ。」 その言
Last Updated: 2025-07-14
Chapter: 第四十六章:そして、希望の名を完全覚醒を果たしたリィナと神の銃ナギの一撃――それは世界の深淵に届くような光だった。「行くよ、ナギ……!」「応じる。君の願い、その引き金に――。」放たれた弾丸は、すべてを切り裂き、すべてを超えて、魔王ゼル=ヴァルグの胸を貫いた。爆風のような衝撃とともに、黒く染まった魔界の空が揺らぐ。魔王の身体が崩れ落ち、血ではない、記憶のような光が空へと昇っていく。「見事だ、人の子らよ……。」倒れ伏したゼル=ヴァルグは、なおもその双眸に光を宿していた。「我ら魔界は、神に遺棄されし土地。憎しみと孤独だけが残され、輪廻の果てにまた同じ結末を繰り返す……そう信じていた。」瓦礫に埋もれたその口が、わずかに笑みを作る。「だが……お前たちはそれを越えた。怒りも、悲しみも、裏切りも、信じる心で乗り越えた。まさしく、それこそが“神”という概念の本質なのかもしれん。」その言葉に、リィナは静かに膝をつき、応じる。「あなたの寂しさも、苦しみも……全部、届いてた。だからこそ、もう一度この世界を信じてほしい。私たちは、変わっていける。」そこに現れたのは、ラミル=ファエラ。彼女はその場の誰よりも美しく、そして静かに語りかけた。「すべての生命の感情を聞いてきたこの身だからこそ、わかるわ。あなたたちが、世界に与えた意味を。」彼女は一礼し、頭を深く下げた。「ありがとう、人間たち。あなたたちは本当に……素晴らしかった。」その言葉に、誰もが言葉を失った。ただ、静かに、深く、心に刻まれていく。そして、旅は終わった。不毛だった大地に、風が吹く。かつてリィナが蒔いた種の一粒が、小さな芽を出していた。「……咲くかもしれないから。」彼女の言葉は、今や確かな真実としてそこにあった。彼らは手を取り合い、帰るべき場所へと歩き出す。終わり、そして始まり。希望は、いつでも名もなき小さな一歩から始まるのだ。
Last Updated: 2025-07-14
Chapter: 第四十五章:神の座、導かれし銃声灼熱のような閃光が世界を断ち、魔王ゼル=ヴァルグの斬撃が空間を裂く。瞬間、都市一つを呑むかのような力が押し寄せ、ただそこにいるだけで魂が焼かれるかのようだった。「これは……“世界を終わらせる力”だ……!」アベルが苦悶の声を上げ、アマネの杖が彼をかろうじて守る。タカフミの書が歪み、レオナが震える指でそれを開く。「それでも、やらなきゃ……!」全員が覚醒の力を解放し、魔力と神気が戦場を染める。だが、どれほどの攻撃を重ねても、魔王の影は薄れもせず、ただ彼らの心を削っていく。「お前たちは、何のために戦う?」魔王の問いが、心に突き刺さる。仲間がひとり、またひとりと倒れ、それでも誰一人、諦めようとはしなかった。激戦の渦中、世界の鼓動すら途絶えたかのように、戦場は凍りついていた。倒れては立ち上がり、傷ついては叫ぶ仲間たち。覚醒の光は幾度も戦場を駆けたが、魔王ゼル=ヴァルグは微動だにしなかった。その全身から放たれる黒の奔流は、希望すらも飲み込む深淵だった。「……まだ、だめなの……?」リィナは膝をつき、銃身を握る手が震えていた。「俺たちの力が……届かない……!」ナギの声が揺れる。だがその時――リィナとナギの魂が、音もなく繋がった。世界が静止した。時の流れは断ち切られ、二人だけの空間が広がった。そこは、あの日のバス事故――ではない。――白く、どこまでも静かな空間。リィナはそこで、一人の泣いている女性を見つけた。大きく膨らんだ腹を抱え、必死に何かを訴えるその姿。「……お母さん……?」ナギが囁く。そのお腹には、確かに新たな命が宿っていた。「ナギ……あなたは、あの事故で……。」リィナは言葉を失った。そこに現れたのは、スーツ姿の男。「選びなさい。あなたに“それ”を取り戻す力を与えよう。神の座に就き、世界
Last Updated: 2025-07-13
Chapter: 第四十四章:それぞれの答え沈黙。 それは、誰の心にも深く根を下ろしていた。不毛の大地に咲くはずのない希望の種を撒いた少女、リィナが先んじて言葉を放つ。「私は……この手で、何かを壊すためじゃなく、育てるために、旅をしてきました。」彼女はそっと掌を握る。「……いつか、この大地にも、花が咲くと信じてるから。」ナギがうなずく。 「この旅で、俺は“誰かのために引き金を引く意味”を知った。撃つことは終わりじゃない。希望を通す穴になることだって、ある。」ヒナコはふふっと笑う。 「誇りとか大層なもんはわかんない。でも、ルークが前に進むって決めたから、あたしも斬る。彼の歩く道を、切り拓くために。」ルークは彼女に視線を送ると、静かに剣を構える。 「剣は使い方ひとつで、殺すだけじゃなく守ることもできる。……今の俺には、その意味がようやくわかる気がする。」アマネは穏やかに笑った。 「戦うってのはね、あたしみたいな年寄りには重い話さ。でも……癒す力を持つ者だからこそ、最後まで“生きる”希望に寄り添いたいのさ。」アベルはその隣で、煙草を噛みしめる。 「神なんて信じちゃいねぇ。けど、あの光に救われたヤツがいて、それを信じてるヤツがいるなら、俺はそいつらの信念を護る。」タカフミはレオナを見て、しっかりと頷く。 「俺は記された“過去”の中にいた。でも、レオナが開いたページが……俺に“今”を与えてくれたんだ。過去を赦してもらえたから、俺も誰かを赦せるようになった。」レオナの瞳には、光が宿っていた。 「私は……あなたの記憶を読んだからこそ、知っている。魔物にも痛みがあり、過ちがあるって。だから私は、同じ過ちを繰り返さないために、戦います。」イオリは短く息を吐いた。 「赦しってのは、便利な言葉じゃねぇ。叩き直して、それでも一緒に立ち上がってくれる奴がいるかどうかだ。……俺はライナの覚悟を叩き続けたい。」ライナも、まっすぐ魔王を見つめる。 「私のハンマーは、命を壊すためじゃない。“裁いて、赦す”覚悟を持つためのもの。だから、
Last Updated: 2025-07-13
Chapter: 第139話:地脈の門と、眠る約束雷の国・ヴァンデルを出て、数日。 ようやく嵐の音も静まって、空には晴れ渡る青が戻ってきた。だけど――どこか、胸の奥がざわついていた。「……静かすぎない?」 馬車の中でぽつりと呟くと、 隣のカイラムが腕を組んで頷いた。「だな。風も雷も落ち着きすぎてる。 まるで“地”が息を潜めてるみたいだ。」「“地”が?」「この世界の魔力は風・水・雷・地の四属性で流れてる。 そのうち“地”は根の役割をしている。 もしそれが止まったら――」「全部が、倒れちゃう?」カイラムは黙って頷いた。 ユスティアが記録板を開いて補足する。 「現時点で、地脈の流れは各地で減少しています。 グランフォード領でも、地下水位が下がっている報告が。」「それって……」「はい。次の祠――“地の祠”が、すでに不安定化しています。」 「そっか。最後の祠、だもんね。」 私は深く息をついた。 風、氷、雷。 それぞれの祠には“止まった心”があった。でも、“地”って……止まるというより、 “沈む”感じがする。まるで、眠るように。 やがて地平線の向こうに、 巨大な断層のような亀裂が見えてきた。「……あれが、“地の門”か。」 ユスティアが小さく呟く。 「地表が裂け、祠が沈んだ跡です。 この先に、古代都市《テッラ・ロウ》が眠っています。」「眠る都市……」 「その中心に“地の祠”があるはずだ。」 亀裂の縁に立つと、 地面の下から低いうなり声が響いた。 地鳴りのようでいて、まるで“心臓”の鼓動みたいだった。「……ねぇ、これ、生きてるよね?」 「そう聞こえるな。」カイラムが剣を抜く。 「油断するな。地は優しいようで、いちばん重い。」 亀裂の中へと降りていく。 道は暗く、湿っていて、 壁には古代文字のような刻印が続いていた。「読める?」 「……“根は眠り、芽は夢を見る”」 リビアが呟いた。 「これは“地の神”の古い祈り文。 眠りとは再生、という意味を持つ。」「じゃあ、祠が“眠ってる”っていうのは…… 再生の前兆?」「ならいいんだがな。」カイラムが険しい顔をする。 「問題は“何が夢を見てるか”だ。」 やがて、開けた空間に出た。 広大な地下都市――。 崩れた神殿や石像、 枯れた木の根が天井から垂れ下がっている。
Last Updated: 2025-11-14
Chapter: 第138話:雷鳴の街と、嵐の誓い――空が怒っていた。氷の都を後にして数日。私たちは雷の国《ヴァンデル領》へと足を踏み入れた。とにかく、うるさい。空は常にごろごろ鳴っていて、一時間に一度はドンッ!と何かが落ちる。「ねぇ……これ、平常運転なの?」「はい。こちらの国では、雷が日常です。」ユスティアが冷静に答えた。「この地は“天空の導線”と呼ばれるほど雷が集まりやすい場所で、 空と地上の魔力が常に衝突しています。」「つまり、常に感電の危険があるってことね?」「言葉の選び方!」「落ちたらどうするんだよ……」カイラムがため息をつくと、リビアが翼で頭を軽くはたいた。「魔王族に雷ごとき、恐るるな。 焼けたとしても、香ばしくなるだけだ。」「どんな励ましだよ!?」 一行がたどり着いたのは、雷雲に包まれた街――《ストルムシア》。建物のほとんどが金属の避雷装置で覆われ、屋根の上では“雷集め”と呼ばれる儀式が行われていた。巨大な塔の先端に集まった雷が魔石に吸い込まれ、街のエネルギーとして再利用されているらしい。「すごい……雷を飼いならしてるみたい。」「“嵐を制する者が国を制す”――彼らの国是だ。」ユスティアが呟く。「この地の主は、雷公《らいこう》アルディン・ヴァンデル。 代々“嵐の加護”を受け継ぐ家系です。」 雷鳴がひときわ強くなったそのとき、塔の上からひとりの青年が飛び降りた。「うわぁぁぁっ!? 落ちた!? 今人落ちたよね!?」「いや……あれは飛んでる。」雷の光を背に、彼は空中で軽やかに身をひねる。着地と同時に周囲の雷を吸い込み、電撃を羽織るように立ち上がった。「ようこそ、風の国の継承者よ。」鋭い金色の瞳、乱れた銀髪。その全身から“雷”の気配が滲み出ていた。「俺はアルディン・ヴァンデル。 雷鳴の街を統べる者だ。」「かっこよ……」思わず口から出た。「お、おい、惚れるなよ。」カイラムが眉をひそめる。「惚れてないもん! ちょっと電撃走っただけ!」「それが惚れてるって言うんだよ!」「ふふ……賑やかだな。」アルディンが微笑んだ。「歓迎しよう。 ただし――ここから先は、“嵐の誓い”を越えねばならない。」 「“嵐の誓い”?」「この国では、異国の者は“雷の試練”を受けることになっている。 嵐を恐れぬ者のみが、神殿に足を踏み入れられ
Last Updated: 2025-11-13
Chapter: 第137話:氷の門と、眠る祈りの都風の道を越えて三日。見渡す限りの白銀の大地が広がっていた。「さ、寒いぃぃ……! 鼻が凍るぅぅ……!」私は風除けのマントを首まで引き上げ、凍えながら雪原を進んでいた。「……だから言っただろ、厚着しろって」カイラムが肩に雪を積もらせながら呆れ顔。「その格好じゃ、パンより先に凍るぞ。」「だって荷物多かったんだもん……」「荷物の半分がパンだろ」「焼き立てが恋しいんだもん……」「もん、じゃねぇ」「はいはい、口論は歩きながらでお願いします」ユスティアが軽やかに歩きつつ、冷気でくもる眼鏡を指で拭った。「目的地はもうすぐです。フロステリアの“氷門”。 ここを越えれば、王都ルミア・グラスへ入れます。」 遠く、氷の峡谷の奥に、巨大な半透明の門が見えてきた。「……きれい。」その門はまるで凍った滝のように輝き、陽の光を受けて七色に反射していた。だが近づくにつれ、空気がぴんと張りつめていく。「なんか……静かすぎない?」「うむ。鳥も、風も、止まっておる。」リビアが羽をすぼめ、低く唸る。「氷の精霊の“息”だな。 この門、ただの氷ではない。意志を持っておる。」 そのとき、門の中心に淡い光が集まった。氷の粒が舞い、やがて人の姿をとる。「ようこそ、旅人たち。」その声は風鈴のように澄んでいた。現れたのは、透き通るような白髪と蒼の瞳を持つ少女。肌は雪のように白く、衣は氷の結晶でできているようだった。「私はフロステリアの“氷守(ひもり)”リュミエール。 外の風を運ぶ者たち……あなたたちね?」「え、ええ……たぶん。」「風の国からの報せは届いています。 あなた方が“暁の継承者”だと。 この地の封印を解く資格を持つ者だと。」「封印……?」ユスティアが眉をひそめる。「ここにも、祠が?」「はい。氷の祠《フロストレム》。 けれど、いまは閉ざされています。 百年前の“祈りの凍結”以来、 誰ひとりとして中に入れた者はいません。」 「……凍結?」「祈りが、氷に封じられたのです。」リュミエールの瞳が微かに揺れる。「この国の人々は“永遠の祈り”を望みました。 その結果、祈りは形を得て――時を止めました。」「時を、止めた?」「はい。 人も街も、祈りの瞬間のまま、眠り続けているのです。」 私は息を呑んだ。“沈黙の
Last Updated: 2025-11-12
Chapter: 第136話:風の帰還と、再会の約束――風が帰ってきた。暁の祭壇での継承の儀から三日。サーラディンの砂の海は静かに息を吹き返し、街には久しぶりに“音”が戻っていた。風鈴のように鳴る砂の結晶、街角で回る風車、子どもたちが笑いながら凧を追いかけている。「ねぇカイラム、見て! 砂が喋ってる!」「……いや、喋ってねぇだろ」「喋ってるもん! “風が気持ちいいね”って言った!」「お前がそう聞こえただけだろ」「じゃあ、聞こえたもん勝ち!」「……理屈になってねぇ」私はにこにこしながら風を両手で掬った。砂の粒が光にきらめいて、まるで世界そのものが笑っているみたいだ。 「本当に……あなた方には感謝の言葉もありません。」そう言って頭を下げたのは、ファリード王子だった。以前の彼の眼差しは、どこか責任と緊張に縛られていた。でも今は――柔らかな風のように、穏やかだった。「“沈黙”は完全に消えました。 風の道も再び開通し、各国への風信も再開しています。 まさに、風の復権です。」「よかった~。 これでパンもちゃんと膨らむ!」「そこに帰結するのか……」「パンは平和の象徴なの!」 ユスティアが笑いながら記録板を閉じた。「風脈の流れを解析しましたが、興味深いことが一つあります。 サーラディンを中心に、世界中の風が“循環”し始めている。」「循環?」レーンが首を傾げる。「はい。 それぞれの国の風が、ただ流れるだけではなく“繋がる”んです。 まるで、風同士が互いを呼び合っているみたいに。」「まるで……人間の心みたいだね。」私はぽつりと呟いた。「誰かが笑えば、それが風になって、 遠くの誰かの背中を押すような……そんな感じ。」「……上手いこと言うな」「ふふん、たまにはでしょ?」「“たまには”って言うな」 ファリードが一歩前に出て、手にしていた金色の風晶を差し出した。「これは、“暁の風”の欠片です。 新たに世界を繋ぐ風の象徴。 グランフォードの風として、お持ち帰りください。」「いいの?」「ええ。 この風はあなた方の功績の証です。 そして――約束の印でもあります。」「約束?」「また、風が迷ったとき。 どうかあなたの声で、再び導いてください。」 胸の奥がじんわりと熱くなる。レオニスが消える前に言った言葉が、また静かに心を撫でていった。
Last Updated: 2025-11-11
Chapter: 第135話:暁の祭壇と、風の継承者たち砂の都・サーラディンでの戦いから数日後。私たちは再び旅立ちの準備を整えていた。塔の最上部に立つと、風がやさしく頬をなでる。あの沈黙の嵐はもうどこにもない。代わりに、清らかな風が都市全体を包んでいた。「ふぅ~、やっと落ち着いたねぇ!」私は伸びをしながら言う。「お前、戦った翌日からパン祭りしてただろ」「だって平和になったんだもん!」カイラムが呆れた顔をしながらも、パンを一切れ受け取って口に運ぶ。「……相変わらず味は悪くない」「“悪くない”って言い方、なんかムカつく!」「誉めてるんだよ」「ほんとぉ~?」そんな私たちの掛け合いに、周囲の兵士たちが小さく笑う。空気が柔らかい。まるで風そのものが笑っているみたいだった。 「エリシア陛下。」声をかけてきたのはファリードだ。彼は以前よりもずっと穏やかな表情をしている。「風の塔の修復が完了しました。 そして……“暁の祭壇”の準備も整いました。」「暁の祭壇?」「はい。 風が最初に生まれた場所。 この世界に“風”という概念が誕生した、最古の聖域です。」ユスティアが説明を引き継ぐ。「古代の地図にも断片的に記録があります。 勇者と魔王が初めて“共に祈った場所”……。」「へぇ……そんな伝承があったんだ。」「風の流れが安定した今なら、 あの地への道が再び開くでしょう」とファリードが続ける。「ですが――そこには、“継承の儀”が残っています。」「継承……?」「ええ。 あなたが“風を継ぐ者”であるなら、 その力はまだ“半ば”なのです。 暁の祭壇で、真に風を繋ぐ資格を問われるでしょう。」 「……試されるってこと?」「そうです。」「よし!」私は胸を叩く。「受けて立とうじゃないの!」カイラムが苦笑を浮かべた。「お前、試されるの好きだよな」「成長イベント大好きだから!」「イベント扱いかよ……」 ファリードが小さく笑い、その瞳に尊敬の色を浮かべる。「あなた方がこの地に吹かせた風は、確かに私たちを変えました。 どうか、次の風も……あなたの手で。」「うん、任せて!」私はにっこりと笑って、風を掴むように手を伸ばした。 ――翌朝。サーラディンの外れ、砂丘の果て。そこに、暁の祭壇への道が口を開いていた。金色の砂がまるで流れる川のように蠢き、光の筋が
Last Updated: 2025-11-10
Chapter: 第134話:影の風と、沈黙の誓約――風が、止まった。あの“沈黙の終わり”を祝福するかのように鳴っていた砂上の風が、突如として凍りついたように静止した。「……いまの、聞こえた?」ユスティアが眉をひそめる。彼の耳が、僅かに震えていた。「聞こえたって……何も、聞こえないけど?」私が問い返すと、ユスティアは頭を振る。「そう、それが“聞こえた”んです。 ――音が、一瞬で消えた。」その瞬間、塔の壁に埋め込まれていた金色の砂が黒ずんでいく。音を失った空気が、重くのしかかる。まるで世界全体が“息を止めた”かのようだった。「まさか……“影の風”が、もう……!」ファリードが青ざめた顔で呟いた。「ファリード、説明を!」カイラムが詰め寄る。「“影の風”とは、かつて我々が封印した“風の反響”。 風が流れる限り、そこに生じる“抵抗”―― それが積もり積もって、沈黙として現れる。 風の祭儀で二つの風を重ねたことで……それが、解放されたのです。」「つまり、私たち……また封印を解いちゃったってこと!?」私の声が裏返る。「だが、今度は“自然発生”ではない」カイラムが低く言った。「誰かがこの流れを狙っていた――“風の力”そのものを。」「……まさか、“魔導連邦”が動いてるのか?」リビアが羽をたたみながら低く唸った。「奴ら、風の塔を利用すれば、世界の気流を操作できる。 戦争を始める前に、風を奪えば物流も国境も麻痺する……。」「そんなの、許せない!」私は拳を握りしめる。「風は、誰のものでもない! 世界みんなの息そのものよ!」「……まさかお前からそんな名言が出るとは」カイラムが呆れ気味に笑う。「パンの焼き加減の次は、風の平等か?」「うるさいわね! でも真面目なんだから今!」 ファリードが塔の外を見上げる。空には、黒い霞のような帯が浮かび上がっていた。それは風の流れを逆流させる“影の気流”。「……早い。 これほどの規模、すでに“風脈”そのものが汚染されています。」「風脈?」「はい。 世界中の風を繋ぐ巨大な魔力網。 古代の勇者たちが築いた“循環の地図”の根幹……。 その一部が、今このサーラディンを中心に反転しているのです。」「勇者の……地図……」私は息をのむ。「じゃあ、この現象、私の中の“記録”と関係してる?」ファリードが頷いた。「おそらく。 あ
Last Updated: 2025-11-09