LOGIN帝国のsub皇子ルシアンは、同盟のため王国のdom王子アルトリウスと条約婚を結ぶ。二人が交わしたのは、愛より先に合意契約――可・不可、合図、アフターケア、そして週に一度だけ主導権を入れ替えるスイッチ・デー。 公の壇上では皇子が前に、私室では王子が一歩引いて支える。権謀うずまく宮廷で、役割は枷ではなく翼へ。 “雄になる”夜の練習が、やがて帝国の未来を動かす力になる。
View More鐘が七つ。鳴り終える余韻までを合図に、王都の大聖堂に静けさが落ちた。彩色ガラスの青と赤が壇上の石肌を洗い、白い香煙が細くほどけて天井へ吸い込まれていく。中央で、アルトリウス王子は指先の汗を小さく拭った。視線の先、金糸で縁取られた外套の裾を整えながら、ルシアン皇子が肩で息を整える。二人とも成人。戦と商路、その重さをもう知っている年だ。
「条約婚は、盾ではなく橋である」
司教の低い声が石壁に柔らかく反響する。両国の紋章旗は高窓からの風にゆるくはためき、磨かれた石床は踏み込むたび、靴音を氷のように刺して返した。
呼吸を合わせる。ルシアンの瞳が一瞬、こちらを探す。頷く。——いける。視線でそう告げる。
——橋。壁よりも維持費がかかる。けれど、渡ってきた者の数だけ意味が増す。アルトリウスはそう教えられて育った。今日は、その一本目を架ける日だ。小礼拝堂の壁には野花のステンドがある。青が多い。冷静であれ、という王家の戒めに似ていた。けれど、中央にだけ金の小さな果実が描かれている。実を結べ、だ。
「我らは国境関税を半減し、塩と布の双の路を開く。山間の水門は共同で守り、納骨堂の修復費を折半する」
宰相が巻紙を繰り、利得を一つずつ読み上げるたび、ざわめきが盛り上がっては沈む。商人は頷き、兵は腕を組み、修道士の何人かは組んだ指の結びを固くした。潜る者は潜る。大聖堂の影で黒いフードが一つ、香炉の鎖を短く鳴らす。地下街の顔役は回廊の柱の後ろで、笑わずに笑った。納骨堂の守り人は鍵束を音もなく懐へ消す。反対の火は消えない——ただ、表で燃やさない。
「アルトリウス王子」
取り決め通り、公では皇子が前に。ルシアンが一歩、石床に音を置いた。
「この婚約は、帝国の恥ではない。選択だ」
短い。だが芯に熱がある。アルトリウスはその背に立ち、視線で支えた。震えは膝ではなく喉に来ている。強くなる訓練は、筋ではない。声だ。視線だ。沈黙の使い方だ。
「……共に、雄になろう」
最後の一文に、アルトリウスの胸が熱を帯びる。雄——おずおずと礼だけを取る皇子ではなく、自ら条件を示し、頷きを引き出す者へ。あの言葉を、国民の前で言えた。今日の到達点としては、十分だ。
指輪交換は、少しだけ滑った。侍従が差し出した小さなクッションに、なぜか税目の目録が刺さっている。
「……これは」
「経理が、興奮して」
司教の咳払いで笑いは霧のように消え、代わりのクッションが駆けてきた。こういうぬるさは悪くない。場は柔らぎ、目録は後で役に立つ。
儀礼の締めくくり。「感応紋」の魔法陣が開き、薄い光が二人の足元に描かれた。蔦の紋が手首へ這い、肌の内側へ吸い込まれていく。痛みはない。ほんの少し、冷たい。二つの鼓動が重なる瞬間があった。縁結びの紋は見えない。見えないからこそ、言葉で重ねる。
「婚約を公に証す」
拍手は大きすぎず、小さすぎず、木壁にやわらかく返ってきた。
儀礼が終わるや、二人は小礼拝堂へ移される。公では前に。私室では——支える。扉が閉まる。香の匂いが薄れ、蜜蝋の甘さが残る。
「息、浅い」
囁くと、ルシアンは喉を撫でて見せた。頑張ったね、の代わりに、指で短く撫でる。抱き締めたい。だが先に、約束だ。
「契約を」
「うん」
書記官が二人に向けて巻紙を開く。言葉は政治と同じ、明文化する。体のことも政治の延長だ。交渉のために、合意がいる。
「合意契約。可、不可、合図、アフターケア、読み上げます」
ちょうどそのとき、合唱隊の準備の鐘が鳴った。扉の向こうで少年らが「合図」の cue を今だと勘違いし、一節を歌いかけて、祭壇裏がばたばたする。司教の苦い咳払いが二度。静かになった。
アルトリウスは笑いを呑み込み、ルシアンへ視線で問う。続けよう。そう言う。
「可:手首への軽い拘束、頸への口付け、指示に従う訓練。不可:痛みを目的とする行為、跡の残る強い拘束、呼吸に影響する行為」
ルシアンの喉が小さく上下する。アルトリウスは続ける。
「合図。口頭のセーフワードは『アマランス』。発声できない場合は左手を三度叩く」
「三度?」
「二度は癖で出るって、前に言ってた」
「……覚えてたんだ」
短いやり取りで、安心が流れるのがわかる。近い。けれど触れない。順序がある。
書記官が羽根ペンを止める。
「アフターケア。温かい飲み物。抱擁と体温の共有。魔紋の冷却処置。入浴の介助。翌朝の体調確認。加えて、感情の確認を言葉でする」
「言葉で」
壇上のときより少しだけ、素で柔らかい声。
「週一回のスイッチ・デーを設ける。火の曜日。公務後に時間を確保する」
「公では、私が前に。私室では、君が支える」
「うん。火の曜日だけ、交代」
短い文を積み上げる。政治と同じ。曖昧は流血を呼ぶ。体でも同じだ。
巻紙に二人の名が並ぶ。アルトリウスは筆を置き、ルシアンの手の甲を親指で軽く押して、「ありがとう」と言った。おめでとう、ではない。ありがとう、だ。
扉がこんこんと叩かれ、宰相が顔をのぞかせる。
「地下街の顔役が、挨拶を望んでおります。大聖堂の外階段にて」
「今?」
「はい。大通りは祝祭で塞がっておりますので、納骨堂の回廊を」
納骨堂。冷える場所だ。反対派が潜るには都合がいい。アルトリウスはルシアンを見る。誰が前に立つか。ここは公。皇子の名が先に出る場だ。
「……私が行く」
「隣に立つ」
決めごとは、支えるためにある。
納骨堂の階段は薄暗く、蝋燭の灯が骨壺の白さを鈍く照らす。香はない。石の匂い。水の冷たさ。足音は響きやすい。つまり、逃げる音も追う音も知らせてしまう。
射し口に、男が一人。地下街の顔役——金の歯を見せない笑い。背後に影、三。武器は持っていない。ここで抜く者は愚かだ。
「おめでとうございます」
低く頭を下げる。礼は深い。だが目は笑わない。
「祝宴の露店、税を少し軽くしていただけると、下の者が泣いて喜びますが」
「半減の通達は出してある」
ルシアンは即答した。声は壇上より自然で、芯は残る。
「当日分だけ免除しよう。屋台一つに一枚銀——従来の徴収法は見直す。次の市までに詳細を詰めたい」
顔役の目がわずかに動く。驚き。押し返された、と理解した表情。
「……話が早い」
「時間がないから」
ルシアンの指が、ほんのわずかにアルトリウスの袖を探す。アルトリウスは袖越しに指先を返す。視線は崩さない。雄になる訓練は、唇より先に足裏から始まる。ここで一歩も退かない。退くときは、二人で合図して退く。
「納骨堂への寄進は、変わらず続けます」
顔役が付け加える。階段上には司教の影。力の線は三つ——大聖堂、地下街、王族。今日から、四つ目が生まれる。二人の線だ。二重統治は常に揺れる。揺れを揺れとして受け取るのも、また訓練。
祝祭は夜まで続いた。やっと自室に戻る。扉が閉まる。廊下のざわめきが薄まる。
「……どうだった」
「怖かった。でも、逃げなかった」
「よくやった」
アルトリウスはようやく胸に引き寄せた。重さを預ける練習は、抱擁から始める。ルシアンの肩が小さく落ちる。力を抜く、という技術。
「火の曜日、忘れないで」
「忘れない。合図は?」
「『アマランス』」
「うん。君の声で、言ってほしい」
赤くなる。視線を逸らす。可愛い。けれど、可愛いだけでは終わらない。彼は今日、地下の影に向かって「今は免除」と言えた。短く、効果的に。雄の声だった。
「明日は出立だ。森を抜けて、帝都へ——橋の、もう一方の岸へ」
「森で、何が待つかな」
「狼煙か、歌か。どちらでも対応できるように」
「ああ」
灯りを落とす。二人は手を繋いだ。指の蔓紋がほんのり温かい。言葉にしたから、触れられる。触れられるから、次がある。
次回、第2話:合意契約、可と不可
鐘の余韻が大聖堂の高い穹窿に絡み、薄い香が白い煙になって昇っていった。祭壇の上、皇子は前に立ち、王子は半歩うしろに寄り添った。公では皇子が先に、私室では王子が支える──二人が選んだ二重の秩序だ。「条約婚を、ここに成立させる」皇子の声はよく通った。胸の中央で淡い金の魔紋がひらき、誓いの文言が空気に溶ける。王子は短くうなずき、誓書の巻末に自筆の印を押した。契約は二重。国家間の条約として、そして二人の関係のルールとして。「可は、合意のもとに。不可は、口頭で明確に」皇子が読み上げる。その指先に、王子がそっと触れた。「合図は三つ。手を二度叩く、指輪に指を添える、視線を落とす」王子が続ける。書記が速記羽根で音を刻む。最後に、セーフワード。「葡萄。これで即時中止。誰であれ尊重する」大司教が「証」と低く唱え、祭壇石に光が弾けた。群衆は息を呑み、次いで歓声に変わる。条約婚の成立と公開儀礼。二人の連続する短い言葉が、国の法と身体の合意を同じ重さで縫い合わせた。地下街は、昼でも薄暗い。式ののち、二人は外套を纏い、石段を降りた。床石は油で滑り、香辛料と金属の匂いが混ざる。「税を上げる話ではない。任命を変える話だ」王子が穏やかに切り出し、地下街の顔役が腕を組む。血統で独占されてきた末端の監督職を、住区ごとの投票で選ぶ。皇子は前に出る。「候補は血筋からも出る。ただし、最終は票だ」短い。だが硬い。顔役は底を測るように皇子の目を見る。王子は身体の角度をわずかに変え、支えの気配だけを渡す。合図は要らなかった。皇子の背筋は伸びていた。納骨堂は冷たかった。骨壁に刻まれた名が規則正しく光る。司の灯が揺れ、古い権利書が開かれる。「祖霊が継承を指名する。これが我らの掟」司の目は細かった。皇子は手の甲に描かれた魔紋に息をかけ、静かに返す。「祖霊の灯守は、施主たちが選ぶ。毎年、花の季に。灯守の印は納骨堂が授ける」血は敬う。だが意思は生きている者の側に置く。王子が文案を差し出す。灯守は儀礼の長だが、王座の代行ではない。司はしば
鐘が三度、鳴った。香の煙が白く漂い、聖油が肌にひやりと触れた。大聖堂の中央、皇子は胸に手を当て、王子の差し出す掌に指を重ねた。司祭の声は短く、魔紋が手首に浮かび、青金色の光で互いの脈を結んだ。公開儀礼は、淡々と、だが確かに終わった。地下街の代表は袖の陰で数え、納骨堂の管理長は無言で頷き、列柱の影には押し合う視線。権利の取り合いは終わっていない。むしろ、ここからだ。皇子は息を吸い、前に立ち、簡潔に宣言した。「共に治める」王子は一歩、半歩だけ後ろへ。掌の力だけで支える。その距離感が、公の合図だった。夜。私室に移ると、カーテンは厚く、焔は低く、窓は鍵が下りていた。机の上に羊皮紙、銀の印章、細い羽根ペン。王子は外套を脱ぎ、皇子の喉元の赤い印を指先で確かめる。「痛むか」「平気だ。儀礼の油の匂いがする」「なら、始めよう。私的条項の更新だ」二人は椅子に並んで座り、文字を交互に置いていった。可、と不可。合図、順序、アフターケア。王子が短く読み上げ、皇子が短く頷いた。「可。命令の口上。視線の固定。跪礼」「不可。痕の残る拘束。首を圧す行為。公の場での混同」皇子は指先を軽く上げた。「要確認。手枷は絹のみ。鍵は見える場所に」王子が笑う。「絹以外は、納骨堂から怒られる」ここで扉が軽く叩かれた。侍従が青い顔で羊皮紙の束を差し出す。「先ほどのドラフト、誤って納骨堂に回してしまいまして……戻ってきました」束の表紙には、赤い書き込み。「骨壺区域に金属鍵は禁止」。二人は声を殺して笑った。皇子は耳朶まで赤い。「返事を書こう。金属鍵は私室用だって」王子は「了解」とだけ言って、可の欄に一行足した。「合言葉の運用。セーフワードは『灯』。ささやきで発する。三度、手を叩く動作と併用」皇子はその言葉だけで喉が動いた。「……『灯』」「今は運用の確認だ。言えば、すべて止める。水を出す。手を包む。説明は求めない。再開の合図は『続ける』。それがなければ、夜は終える
軍鼓が二つ、違う拍を刻んでいた。広場の石畳にひびく重音が片や三歩、片や四歩。列が蛇のようにうねり、槍の穂先が互いの肩に刺さりそうになった。「止め」皇子が前に出て、掌を立てた。春の光が外套の縁を白く縁取り、彼の耳は緊張でほんのり赤かった。王子は半歩後ろで、視線だけで行軍長に合図した。「原因は?」「太鼓頭がふたり、殿下」「それは知っている」王子が小さく笑って、皇子の腰骨に目に見えない支えの手を置いた。触れはしない。だが皇子の肩の呼吸が一つ整った。公では皇子が前。私室では王子が支える。その二重の歩調を、軍にも教える必要があった。《『軍の歩調って本当に歩調だよな』》彼らは大聖堂の影で条約婚を成立させたばかりだった。公開の儀礼では、白砂糖で磨かれた石の階段を、皇子が先に上がり王子が背面を守った。誓約の巻紙には「支配と委ね」の章があり、政治の合意と同じ体裁で、私室の契約が明文化された。可・不可、合図、アフターケア。セーフワードは薄荷。指先三回の合図で緩め、薄荷の言で即時停止、そして蜂蜜茶とぬるい湯、それから背に描く温めの魔紋。官能の言葉が、法律の言い回しで刻まれているのは、少し可笑しくもあり、安心でもあった。問題は、軍だった。二頭制と告げただけでは、現場は迷う。誰の号令に従い、どの旗を見るか。大聖堂は儀礼の権威を主張し、地下街は糧秣の配分権を握り、納骨堂は戦没者の名の扱いをめぐって口を出してきた。権力が絡まれば軍鼓も乱れる。「手引きを出す」王子が言い、地下街の書写工と取引した。地上の印刷は大聖堂の発願が必要だが、地下なら早い。薄い羊皮を重ねた掌サイズの冊子に、魔紋の透かしを入れた。表紙には二つ首の鷲の紋。左は蒼、右は朱。蒼は皇子、朱は王子。公務の場では蒼の旗が前、私室と戦術即応時は朱が支えに入る。その切り替えを明確にするために、「週一のスイッチ・デー」を軍も採用した。毎週火の六日、旗の位置が入れ替わる。笑った兵も多かったが、笑いが溶かす誤解もある。「スイッチって、その……」若い隊士が耳を赤くした。王子が片目をつむった。「公務
鐘が三度、重く鳴って、広場の空気が揺れた。白い光の下、大聖堂の階段に皇子が一歩、前に出る。王子は半身、彼の後ろに位置を取った。半歩の距離。公では皇子が前、私室では王子が支える——二人の合意が形になった並びだ。「条約婚の宣言を」皇子の声はかすれたが、意志は硬かった。喉を湿らせるために舌を動かす。歯の裏に薄い飴の甘さ。王子の指先が背に触れる。触れただけ。支えは過不足ない。祭壇に置かれた誓紙の周りでは、魔紋が淡い金で震えていた。輪と帯。鎖ではない。合意の輪は二つの心拍に合わせて脈打ち、帯は不意の衝撃を吸って緩む設計だと術師が説明していた。専門語はさておき、見た目は綺麗だ。大司教が杖を鳴らした。「婚儀は聖なる裁可を……」王子が一歩、踏み出した。低く、短く。「裁可の範囲を定義します」ざわめき。皇子は吸って、吐く。準備してきた文言が舌の上でほどけた。「魂に関わる儀礼——婚礼・洗礼・葬送——に限り、教会の裁可を尊重する。他の契約は世俗の印と議会の責に。地下街の賦課、納骨堂の貸与は、行政と教会の共同監察にする」視線が刺さる。大聖堂の扉の陰で、黒衣の書記が眉を持ち上げた。地下街の香草と干し肉の匂いが風に乗る。納骨堂に開く冷たい空気が足元にまとわりついた。「精神のケアはどうするのだ」大司教の問い。王子は答えを皇子に任せる。唇が一瞬、笑う。皇子が頷いた。「慰撫隊を設ける。癒術師と司祭を同じ隊に。記録は双方に。相談は無料。診断の記号は守秘」短い言葉の積み木が、広場に静かに積もる。石畳に光が跳ねた。王子の指先が離れる。自分で立てていることがわかったからだ。誓紙の次は、二人の私的な合意契約の明文化だった。公開するのは骨子のみ。合意可否、合図、アフターケア。書記が緊張した指で木札を掲げる。「可——命令口調、拘束は室内に限る。不可——公開の屈膝、露出、痛みの蓄積。合図——