Chapter: 第四十一話心地よい重みを感じて目を開けると、私は尋人にギュッと抱きしめられたまま眠っていたことに気づいた。男にしておくのはもったいないほど綺麗な顔を、チャンスとばかりにじっと見つめる。こんなに至近距離で、尋人の顔をまじまじと見るのは初めてかもしれない。「ねえ、尋人。もう一度……結婚してくれる?」まだ直接的には言えなくて、そっと小さく声に出してみる。言った瞬間、自分で言ったことに恥ずかしくなって、私はくるりと背中を向けて起き上がろうとした。――けれど、後ろからまた抱きしめられて、驚いてしまう。「えっ、尋人……起きてたの?」「ごめん、弥生」その言葉を聞いた瞬間、この幸せな朝にまさかの“謝罪”から始まるなんて思ってもいなくて、氷水を浴びたように身体が冷たくなる。「本当にごめん。どれだけ怒ってもいいから」「な……に?」自分の心臓の音がうるさすぎて、尋人の声がどこか遠くに聞こえる。「……預かった離婚届、出してない」「え?」かなり間の抜けた声が出てしまう。へなへなと力が抜け、尋人にそのまま支えられる形で抱きしめられた。「絶対に弥生を手に入れるって思ってた。だから、預かったまま出してない」「……よかった……」無意識にこぼれたその言葉に、尋人はホッとしたように大きく息を吐いた。「さっき言ってくれた言葉、本気だよな?」「……え、あの時から起きてたの!? 信じられないっ!」寝たふりをしていたと知って、恥ずかしくて、悔しくて、私は尋人の腕からするりと抜け出す。「弥生!」焦ったような尋人の声に、ふと嬉しくなってしまう。こんなにも愛されて、大切にされている。その気持ちが私に、大きな自信をくれるような気がした。尋人の隣なら、私は私らしく、もっと自分を好きになれる気がする。「今日もたくさん付き合ってもらうからね。そして、これからもずっと」そう言った私を、尋人は力いっぱい抱きしめてくれた。「ずっと一緒に、笑っていこう」ようやく元通りになった、私たち。さあ――また、ここから始めよう。
Huling Na-update: 2025-07-31
Chapter: 第四十話そこで抱きついていた自分に、ハッとする。今も、汗臭いのではないだろうか――。「ごめん、汗臭い?」慌てて離れようとした私だったが、不意に身体が宙に浮いたのがわかった。「尋人っ!!!」驚いて声を上げるも、そのまま尋人は広いバスルームへと入っていく。そして、不意に唇をふさがれ、私は目を見開いた。「バカな弥生」「ん……!」そう呟いた尋人は、さっきよりもずっと激しく、あっさりと私の唇を割って深くキスを仕掛けてくる。そのキスに意識を奪われているうちに、いつの間にか私は下着姿になっていた。「めちゃくちゃ可愛い。いや、綺麗」鏡越しに視線が絡み合う。上半身裸の尋人に、後ろから抱きしめられるような格好の下着姿の私。「汗なんて、むしろそそるだけ。俺は全然気にしないけど」そう言いながら、目は閉じず、そのまま鏡の中の私を見つめたまま、私の首筋にキスを落とす。そして手は、私のお腹や太ももをゆっくりと撫でていく。その熱を孕んだ瞳と、鏡に映る自分の姿に頭は沸騰しそうになる。けれどそれと同時に、私の中で芽生える欲求――もっと触れてほしい、もっと感じたい。そんな自分に驚きながらも、私は尋人の熱い視線から目を離せなかった。「今日はもう、何があっても抱く。我慢しない」私を思ってくれていたことに安堵しつつ、はっきりと意志を示された言葉に、心が震える。ゆっくりと私が頷いたのを確認すると、尋人は私の身体をくるりと反転させ、激しくキスをしてきた。焦れたように自分の服を脱ぎ捨て、私の下着も手早く取り払われる。「シャワー、浴びたい?」そこだけは譲れないと思い、私は小さく何度も頷いた。すると尋人は私をそのまま、それほど広くはないシャワーブースへと連れて行った。熱いシャワーを頭から浴びながら、キスを交わしつつ汗を流していく。「ゆっくり洗いたいとか、今は無理。だから、これで我慢して」手にボディソープを取り、尋人が私の肌をやさしく撫でる。浴室に響く、自分の甘い声に驚いて、私は唇をぎゅっと噛んだ。「誰も聞いてない。聞かせて」諭すようなキスを受け、その合間に、また声が漏れてしまう。頭上から降り注ぐ細かな水が、お互いの顔にかかり、髪を濡らしていく。シャワーブースから出ると、バスタオルで包まれた私は、お姫様のように再び抱き上げられた。「尋人、重いから……」そん
Huling Na-update: 2025-07-31
Chapter: 第三十九話「本当に楽しい」ニコニコしながらオムライスを運んでいた私だったが、ホテルに入り、お互い別々の部屋の鍵をもらったところで我に返った。――そうだ。佐和子に相談して、お膳立てしてもらったのだ。気合を入れて下着もつけてきたし、身体のお手入れもばっちり。……そこまで考えて、私は自分が汗でベタベタになっていることに気づく。下着だって汗臭くなっているんじゃないか。はしゃぎすぎた自分を、今さら後悔しても遅い。尋人が予約してくれた部屋は、テラス付きで、そこからパークが見える最高のロケーションだった。シックで落ち着いた雰囲気の中にも、随所にキャラクターがいて、本来ならばテンションが上がるはずなのに――でも、今はそれどころじゃない。「どうした、弥生? この部屋、気に入らない?」急におとなしくなった私に、尋人が心配そうに声をかけてくれる。ふるふると否定するように首を振れば、彼は私の瞳をじっと覗き込んできた。「じゃあ、どうした?」何も気にしていないような尋人の表情に、もうこのまま何もなくてもいいかもしれない――そんな気持ちが、心のどこかで芽生え始める。「なんでもない。めちゃめちゃ可愛い、この部屋」わざとテンションを上げて、テラスに出たり、部屋を探索してみせる。そんな私を、尋人がじっと見ている。「緊張してる?」抑揚のない声が、後ろから聞こえた。テラスからパークを見ていた私は、振り返る。「え?」そう言うと、尋人もテラスに出てきて、私を見下ろした。「俺が何かすると思って緊張してる? そういう意味」はっきりとした言葉に、私は動きを止めた。そしてそのまま、彼を見つめ返す。……今の私は、汗臭いし、完璧じゃない。どうしよう。自分から誘うって決めてたのに。泣きそうになっていた私の頬に、そっとキスが落ちる。「大丈夫。何もしない。弥生がいいって思えるまで。前回、完全に暴走して……反省したから」――え?寝落ちしたあのことを、そんなふうに思っていたなんて。驚いて、私は部屋に戻っていく尋人の背中を見つめた。「テレビでも見る? それとも、明日のアトラクションの乗る順番でも……」リモコンを手にテレビへ向かっている尋人。その背中に向かって、私は思わず勢いよく抱きついた。羞恥で目を見られなくて、彼の胸に頭を埋めたまま、私はようやく気持ちを伝える。
Huling Na-update: 2025-07-31
Chapter: 第三十八話「ねえ、見て弥生。めっちゃテンション上がる!」佐和子の言葉に、私も思わず周りを見回して楽しくなってくる。二週間後、仕事がひと段落し、私たちはテーマパークに来ていた。佐和子のいう「強制的」というのがこれなのだが、私はそんなことをすっかり忘れて、目の前の光景に心を奪われていた。仕事が忙しいのはもちろんだけど、やっぱり、好きな人と一緒に来たい。そんな可愛らしいことを思っていた時期を通り越して、だんだんと足が遠のいていたけれど、こうして四人で来れたことが、私は嬉しくて仕方がなかった。「ねえ、佐和子! あそこ見て!」声をかけると、佐和子はいきなり私の耳元に顔を寄せてくる。「ねえ、弥生、ちゃんとお泊りの準備してきたのよね? ちゃんと勝負下着?」こそこそと話していると、ため息交じりに後ろから抱き寄せられる。「弥生、俺のこと放置しないで?」尋人の声に、私はハッと我に返って動きを止めた。「ごめん」「なんで謝る?」そのセリフに、私は羞恥で耳が熱くなる。いい年して、なにをはしゃいでるんだと思われても仕方ない。取り留めもなく謝っていると、いきなりグイッと手を引かれた。「宗次郎たち、また後でな」そう言いながら、尋人は走り出した。「ちょっと! 尋人!」「そんな楽しそうな弥生を、宗次郎に見せてやることない。俺と二人じゃ嫌なのか?」少し拗ねたように言う尋人に、私はポカンとしてしまう。「そんなことない。私も二人がいい」せっかく佐和子がお膳立てしてくれたんだ。今日こそ尋人と絶対に……素直になることを目標に、私はそう言って、ギュッと尋人の手を握り返した。しかし、久しぶりのパークということもあり、私は目的を忘れて遊びまくってしまった。「弥生、まだ乗るのか?」「もちろん! ねえ、その前にあれも食べよ!」ワゴン限定のパフェを見つけて、尋人の手を引く。「わかったよ」なんだかんだ言って、私に付き合ってくれる尋人に完全に甘えて、私は遊びつくした。「弥生、満喫したな。本当に意外だよ」夕食だけ合流して一緒のレストランに入ると、キャラクターが乗ったオムライスを前に目を輝かせていた私に、宗次郎くんが声をかけてくる。「意外」――確かに普段の私からすれば、こんなふうに楽しむ姿は想像つかないかもしれない。少し恥ずかしくなって、尋人も呆れてるかもとチラリと横を見
Huling Na-update: 2025-07-31
Chapter: 第三十七話「ふーん。そういうことか」仕事終わりの週末、私は佐和子に呼び出されて、にぎやかなバルにいた。会社から少し離れたこの場所は、適度に人もいて、かしこまるような雰囲気でもなく、意外と秘密を打ち明けるにはうってつけの場所なのだ。「そう、ごめん。勝手に誤解してたの。尋人と佐和子のこと」「私はまったく尋人に興味ないって、わかってたでしょ?」スパークリングワインを飲みながら、ジロリと私を睨みつける。「それは、わかってた。でも尋人は絶対に佐和子が好きだって思ってたの。だから……」「でも、ずっと弥生は尋人のことが好きだったんでしょ」あっさり言われたその言葉に、私は小さく頷いた。「それで結婚まで……」「だから、それは完全にお酒の勢いでね」慌てて否定するも、佐和子は私をじっと見つめた。「違うわよね。結局」「え?」言われた言葉に、私はフォークを一度テーブルに戻した。「弥生も尋人も、お互い好きだったから、そんなバカな真似したに決まってるじゃない」呆れたように言う佐和子に、私はポカンとしてしまう。「お互い嫌いだったら、いくらお酒が入ってたって、誰が結婚なんてするのよ。私なら絶対無理」パクリとアヒージョを口に入れると、佐和子は一気にグラスを空にした。「そう……かも」今となれば、確かにその通りかもしれない。お互い勘違いから始まったけど、すれ違いつつも、ずっと一緒にいた。「まあ、弥生と尋人らしいわ」そう言われてしまえば、もう何も言えない。「でも、結局うまくいってるんでしょ?」「ああ、うん。まあ……」うまくいっているとは思う。尋人は優しいし、一緒にいて楽しい。幸せだ。でも……あの寝落ちしてしまった日以来、一度もそういう雰囲気にならない。「なに? なんか歯切れ悪いわね?」そんな私に気づいたようで、佐和子がじっと見据える。「ねえ、佐和子。仲直りしたんでしょ?」いきなり話を振ると、佐和子は少し恥ずかしそうにしたあと、「うん」と頷いた。「もう……した?」「は?」いきなり何を聞かれたのかわからず、佐和子が目を丸くする。そして、驚愕した表情に変わった。「うそ。まさか……」私の言いたいことがわかったようで、佐和子が口をパクパクさせる。「尋人、嘘でしょ! 一年一緒に住んでて何もなかったとかありえない……!」「ちょっと! 佐和子!」いくら周
Huling Na-update: 2025-07-31
Chapter: 第三十六話その後、宗次郎の部屋へ行くと、初めて玄関を入ってすぐに壁に押し付けられた。「ちょっと……そう……」抱き合うことにしても、それほど求められたこともない私は、あまりにも激しいキスにめまいを覚える。こんなキス、したことあった?「佐和子、いつも俺が我慢してたの知ってる?」「え??」キスの合間に私が答えれば、宗次郎は眉根を寄せた。「優しくしないと嫌われる。そう思ってた」早急に私の服を脱がしにかかる宗次郎。「なんで? どうしてそんなこと思ったのよ」いつも穏やかで優しく、抱き合うことに不満があったわけではないが、もっと求めてほしいと思っていたことも事実だ。まさか宗次郎がこんなことを思っていたなんて、まったく想像もしていなかった。「じゃあ、いいんだな?」初めて見るかもしれない、欲を孕んだその熱の灯った瞳に、一気に身体が熱くなる。「うん……」私の肯定と同時に抱き上げられ、乱暴にベッドに落とされてからは、もうただ熱に浮かされるしかなかった。「ダメ……」本当は嫌でもダメでもなく、羞恥で零れる嬌声を宗次郎はキスで塞ぐ。それでも今日は手を止めることはなかった。「初めて佐和子を抱いたとき、今みたいに、ダメ、嫌って言われた」首筋に舌を這わせながら、耳元で宗次郎がささやく。それはただ口から出てしまっただけだったのだが、まさかそれを気にしていたとは思わなかった。「嘘……。本当は嫌じゃない」どこまでも優しい宗次郎。ずっと私を思っていてくれていたことだとわかった。「優しくしているつもりだったことが、佐和子を不安にしてたんだ。俺もこれからは変わるようにする」「え? うそ、違う……」抱き方を変えるの? そう思ったが最後、快感に落とされ、もう何も考えられなかった。でも、宗次郎もこうしたかったのなら、嬉しい……。そんなことを思いながら、私は眠るように意識を失う寸前、「佐和子、おかえり。愛してる」そう聞こえた。ぼんやりと目を開ければ、まだ暗くて朝ではないことがわかる。どれぐらい眠っていたのだろう。時計を見れば一時間ぐらいしか経っていない。そして、後ろに温かい体温を感じる。ギュッと抱きしめられていることに、泣きたいくらい幸せな気持ちになる。起こさないように彼の腕の中で向きを変えて、眠る宗次郎をじっと見つめた。幸せを感じながら昔のことを思い出していると、
Huling Na-update: 2025-07-31
Chapter: 第五十話「それで? これからはどうするの?」母の問いに、私はちらりと隣の日向を見つめた。気持ちは、もうお互いに伝え合った。けれど、これからのことまでは、まだ話していなかった。しかし、このタイミングでこの問いは、親として当然だろう。私は少しだけ視線を落としながら、「それは、おいおい……」と曖昧に口にした。けれど、その隣で日向が私を見る。そして、はっきりとした声で言った。「一緒に住みたいと思っています」言い切った日向の表情は、迷いのないものだった。父と母は顔を見合わせて、それぞれ小さく笑った。微笑んではいたけれど、その奥に、ほんの少しだけ寂しさがにじんでいる気がした。それも、当然だ。生まれてからこれまで、瑠香の面倒を見てくれたのはこの二人だった。娘と孫が、急に出ていくとなれば――気持ちが揺れるのは、私だって同じだった。そんな空気を察したのか、日向はふっとやわらかい笑みを浮かべ、穏やかな声で言った。「隣の家に越そうと思ってます。……彩華の仕事もあるし、瑠香のことも、今までどおり頼らせてもらえると助かります」その言葉に、私は思わず目を見開いた。父と母もまた、驚いたように日向を見て、そしてすぐにうれしそうに頷いた。「そうなの、それはいいわね。もちろん瑠香のことは任せて。ねえ、お父さん」「うん、ああ。そりゃあもう、大歓迎だよ。……さ、昼にしようか」どこか気恥ずかしそうに言いながら、父は立ち上がって、母を連れだって台所へと歩いていく。そんな二人を見ながら、私は隣に座る日向の袖をそっと引いて、声を潜めて聞く。「……いいの? 隣で」日向は「なにが?」とでも言うように首をかしげた。「いや、だって。職場にも近いとか、いろいろあるかなって……」そう言うと、日向はちょっとだけ笑った。「俺にとっては、これがいちばん現実的だし、いちばん幸せだと思っただけ。……ダメ?」「ダメなんて、言ってない」素直にそう返すと、日向は私の髪にそっと手を伸ばし軽く撫でた。瑠香の笑い声が、廊下の奥から聞こえてくる。母と父の笑い声も混ざってあたたかい音になっていた。「母たちのこと、考えてくれてありがとう」素直な気持ちを伝えると、「俺とっても大切な家族だからな」そう口にした。複雑な過程で育った日向だからこそ、これからは穏やかに過ごしてくれたらいい……そう思った。
Huling Na-update: 2025-07-01
Chapter: 第四十九話「マーマー」「瑠香? もう起きたの……早いね……」柔らかな光に目を細めながら、いつも隣にいるはずの瑠香に手を伸ばそうとする。……が、触れたのは、思いがけない“硬い感触”。「え? あれ?」急に覚醒した頭で、私は勢いよく身体を起こした。昨日はたしか、日向と身体を重ねて、そのまま眠って――。一気に顔が青ざめそうになったが、下に視線を移すと、ちゃんとホテルのパジャマを着ていた。……ほっと胸をなでおろす。「彩華、おはよう」そして手が触れたのは、ベッドの上で胡坐をかいて座っていた日向の足だった。彼の膝の上には、ちょこんと笑顔で座っている瑠香の姿。その光景に、なぜか泣きそうになってしまう。こんな朝を迎えられる日が来るなんて――ほんの少し前まで、思いもしなかった。そんな私の表情に気づいたのか、日向がそっと私の頭をなでてくれた。その日向を見つめていると、瑠香が不意に口を開く。「おなかちゅいた」「瑠香ちゃんは、何が好き? ここはね、クマさんの絵のパンケーキがあるぞ」そう言って、日向はベッドから降りると、瑠香を軽々と抱き上げた。「彩華、ルームサービス頼んでおくよ。ゆっくり起きておいで」昔から面倒見がよくて、優しい日向。どんなにいなくなっても、彼の根底にあるその優しさだけは、私には疑うことができなかった。だから――私はきっと、ずっと日向を待っていたのだと思う。そして、日向もずっと、私を待っていてくれた。「日向。ありがとう」今までのすべての思いを込めて、私はそう答えた。それからの日向の行動は、こちらが思っていた以上に早かった。ホテルを出たあと、日向が「少し寄らせてほしい」と言った。その言い方があまりに自然で、私は反射的に頷いていたけれど、玄関の前まで来てみれば、胸の奥がざわついているのを隠せなかった。昨日、日向が母に連絡を入れてくれていたはず。私が彼と一緒にいることも、少しは伝わっているだろう。それでも、こうして三人で並んで立つ玄関の前は、思っていた以上に緊張する場所だった。「たらいまー!」私の躊躇などまるでおかまいなしに、瑠香が元気よくドアを開ける。その声に反応するように、中から軽い足音が響き、扉の向こうに、両親の姿が現れた。母と、父。並んで立つその姿に、一瞬、時間が戻ったような錯覚を覚えた。母は私たちの姿を見て、ど
Huling Na-update: 2025-06-26
Chapter: 第四十八話何から話そうか……。話を聞く、そう言ったけれど、何を聞いて、私は何を話すべきなのか。 いろいろまとめていたはずなのに、言葉が出てこない。 それでも、まずはこれだけは伝えないと。 そう思って、日向に視線を向けた。「瑠香は、俺の(=日向の)子――」まったく同時に、そう口にしていた。 もちろん、日向がそう思っていることは、なんとなくわかっていた気がする。 でも、改めてお互いの口から確認する必要があった。私の言葉を聞いて、日向は顔を手で覆ったあと、これでもかというくらい、私に深々と頭を下げた。「本当に、俺の無責任な行動のせいで……彩華にひとりで出産させて、辛い思いをさせて……。どうやって償えばいいかわからない」沈痛すぎるその言葉に、私は「日向だけが悪いわけじゃない」って、そう伝えようとした。 でも、すぐに日向は私の手を強く握りしめてきた。「その謝罪は、一生かけてさせてほしい」「え?」言われた意味がすぐには分からず、私はキョトンとしてしまったのだろう。 日向が責任を感じて、何かと戦ってくれていることは、私も分かっていた。 でも――「彩華が許してくれるまで、俺はどんなことをしてでも、彩華の信頼を取り戻して、ふたりを幸せにするって誓う。だから、ずっとそばにいてほしい」……でも、それはあくまで瑠香のため? そう思うのに、まるで愛の告白のようにすら聞こえる言葉と、日向の真剣な瞳に、頭が混乱する。私はもちろん、ずっとずっと日向が好きで、どんなことをされても、結局嫌いになんてなれなかった。 周りにいた素敵な人たちにも、心が動かされることはなかった。 でも、日向は?そんな思いが溢れて、言葉が口をつく。「でも、日向。瑠香は、私が勝手に産んだの。それに……“抱いて”って、あの日迫ったのも私。もし、罪悪感からなら、それでいいんだよ。瑠香の父親ってことだけは、ちゃんと認めてほしい――」そこまで言ったとき、不意に強い力で引き寄せられた。 気づけば、私は日向の胸の中にいた。「そんなこと言うな。俺は、彩華がいないと……俺でいられない」「日向……?」「小さいころから、彩華だけが俺の光で、彩華の前でだけ本当の自分でいられる――。ずっと好きなんだ」泣きそうにも聞こえるその声には、決して嘘や偽りなど感じられなかった。 その瞬間、私はギュッと心臓をつ
Huling Na-update: 2025-06-25
Chapter: 第四十七話支度を整えたあと、私はキッチンで朝の片付けをしていた母に声をかけた。「お母さん……帰ってきたら、全部話すから。もう少しだけ、待ってくれる?」日向は今日、両親にきちんと会って話したいから、迎えに行くよと言ってくれた。でも私は、それより先に――すべて自分の中で整理をつけてからにしたくて、直接会うのではなく、待ち合わせがいいとわがままを言った。そして、日向はその気持ちを尊重して、うなずいてくれた。今日の話次第で、これからのことが決まるのだと思う。どうなるかわからない以上、今の段階では両親に何をどう話せばいいか、自分でもまだはっきりしなかった。母はふと手を止めて、私の顔を見つめた。ほんの少しだけ、不安そうな表情を浮かべたけれど――やがて、ゆっくりとうなずいた。「……わかった。楽しんできなさい」それだけを言って、母は笑って背を押してくれた。きっと、母なりに今の私を信じて、見守ってくれているのだと感じた。待ち合わせ場所に着くと、日向はすでに到着していて、車のそばに立っていた。いつもはスーツ姿の彼が、今日は珍しくカジュアルな服装をしている。柔らかなグレーのシャツに、淡いベージュのパンツ。気取らない雰囲気が、思いのほか彼によく似合っていて、胸がわずかに高鳴った。週末の朝、空はどこまでも澄み渡り、お出かけ日和だった。「瑠香、靴はいた? 今日はお出かけするって言ったでしょ?」「はいたー!」リュックを背負った瑠香は、玄関でぴょんぴょんと跳ねていた。朝からすっかり上機嫌で、その姿に思わず笑みがこぼれる。「お待たせ」そう声をかけると、日向は穏やかに笑い、まず瑠香に視線を向けた。「瑠香ちゃん、おはよう」「ひなたー! ひなた、おでかけ!」「うん。今日はたっぷり遊ぼうな」差し出された手を、瑠香は迷うことなく握った。たったそれだけのことなのに、胸の奥がじんわりと温かくなった。この光景を、ずっと見ていたい――心から、そう思った。昼食をとり、パレードを見て、キャラクターのぬいぐるみを買った帰り道。瑠香がそのぬいぐるみを大切そうに抱えたまま、「きょう、たのしかったね」とつぶやいたとき、私も日向もつい顔を見合わせて笑ってしまった。「じゃあ、帰る?」話をするとは聞いていたが、瑠香ももう眠そうで私がそう問いかけると、日向は思案するような表情を浮か
Huling Na-update: 2025-06-25
Chapter: 第四十六話夜の街は、思っていた以上に静けさを湛えていた。窓を少しだけ開けると、初夏の涼しい風が部屋に入り込み、レースのカーテンがやわらかく揺れた。瑠香はすでに眠っていて、私はそっと寝室を抜け出し、リビングのソファに腰を下ろす。時計の針は、まもなく二十三時を指そうとしていた。この時間に誰かと連絡を取ることなど、普段はまずない。けれど今日は、スマートフォンを手放すことができず、画面を見ては閉じて、また見て――そんなことを繰り返している。信じているつもりだった。待つと決めたはずだった。それでも胸の奥に残るざわつきは、なかなか消えてくれない。テーブルの上で、スマートフォンが小さく震えた。表示された名前を見た瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられる。《東雲 日向》深呼吸をしようとしたけれど、指はすでに画面をスライドしていた。「……もしもし」「彩華」その一言だけで、胸がいっぱいになる。かすかに掠れた声。でも、間違いなく――日向の声だった。「ごめん、遅くなって」「ううん……それで、どうだったの?」そう尋ねると、少しだけ沈黙が落ちた。やがて、言葉を選ぶように、彼は静かに告げた。「終わったよ。全部」その言葉が胸に届いた瞬間、不意に視界がにじんだ。ほっとしたような、うれしいような、それだけでは言い表せない感情が、波のように押し寄せてくる。気づけば、涙が一筋、頬を伝っていた。「……ありがとう、日向」震える声でそう伝えると、電話の向こうで彼が小さく息を吐いたのがわかった。「俺こそ、ありがとう。彩華がいてくれたから、ここまで来られた」「……私は何もしてないよ」「してくれた。何も言わずに待ってくれた。それが、俺には本当に――力になった」その静かな言葉に、また胸が熱くなる。私はただ、待っていただけ。でも、それでもよかったと思えた。「……彩華、今すぐ会いたい」その声は低く、けれど迷いのない響きをもっていた。「……私も、会いたい」「迎えに行く。少しだけでもいい。顔を見たい」「うん……待ってる。家のそばの公園にいるね」通話を終えたあと、私はティッシュで涙をぬぐい、立ち上がった。すっかり化粧は落ちてしまっているけれど、それでも鏡の前で髪を整え、少しでもまともな顔にしようとする。泣いていたことなど、隠しようもない。でも、それでも――今夜だけ
Huling Na-update: 2025-06-25
Chapter: 第四十五話その日も、朝は変わらず始まった。洗濯機を回しながら、朝食をテーブルに並べる。「瑠香、ゆっくりたべてね」いつも通りの朝の風景の中で、心のどこかがざわついていた。何かが起こっている。言葉にはならないけれど、確かに胸の奥にひっかかっている、直感に近い予感。昨夜、日向は言った。「明日は大事な会議がある」と。それ以上は何も語らなかったし、私も「教えて」とは聞かなかった。聞いたところで、私にできることは何もない。でも――もし知ってしまえば、もっと不安になることも、私は分かっていた。「ママ、えほんー、よむー!」「はいはい、じゃあ片付けたらね」瑠香に笑いかけながらも、意識のどこかでは、ずっと日向の顔が浮かんでいた。彼が、自分の人生を懸けて何かと戦っている。そう思うようになったのは、あの夜、彼が「全部片付ける」と言ったあの言葉が、ずっと心に残っているからだ。日向が本気で誰かに立ち向かっているとき、私は何もできない。ただ家で、待っているしかない。けれど、その“待つ”という時間が、こんなにももどかしく、切ないものだなんて――知らなかった。彼が誰と向き合っていて、どんな壁にぶつかっているのか。何ひとつ知らされていないまま、私はただ、今日という一日を過ごしている。キッチンで洗い物をしながら、スマホに目を落とす。新着通知はない。もちろん、日向からの連絡も。「……バカだな、私」ふと漏れた呟きは、カチリと鳴った食器の音にかき消された。「何もないのが、きっとうまくいってる証拠。そう思わなきゃ」自分に言い聞かせるようにつぶやいても、心はざわざわと騒がしいまま。不安と信頼が交互に押し寄せて、感情が波のように揺れていく。何もしていないのに、胸がぎゅうっと締めつけられて、気がつけば洗い終えた皿を拭く手が止まっていた。「ママ、だいじょぶー?」小さな声に、はっと我に返る。「うん、大丈夫だよ。ちょっと考えごとしてただけ」そう言って笑ってみせたけれど、その笑顔がどこかぎこちないことに、自分でも気づいていた。会議室には、静寂が満ちていた。いつもなら、プロジェクターの光と資料をめくる音が行き交うはずのこの場所には、今日に限ってそのどれもなかった。ただ張り詰めた空気だけが、沈黙のなかでじっと息を潜めていた。――ついに、この時が来た。テーブルの向こう
Huling Na-update: 2025-06-23
Chapter: 第四十六話「日葵、おい、日葵」 少し身体を揺すられ、重たい身体を感じながら目を開けると、目の前に壮一の顔があり、日葵は思わず驚いて目を見開いた。「何、そんなに驚いてるんだよ」 くすりと笑った壮一に、日葵は昨夜のことを思い出して顔が熱くなる。「お前、思い出してるな?」 何もかもお見通しのように言われ、日葵はムッとして睨みつけるように壮一を見返す。「そんな顔も俺には煽りでしかない。可愛い」 その言葉と同時に、シーツの中で壮一の手が不埒な動きを始め、日葵はビクリと身体を震わせる。「って、違う違う!」 自分を律するように言いながら起き上がった壮一の動きで、日葵の裸の身体が露わになり、慌ててシーツを引き寄せた。「ああ、もっと日葵とベッドにいたいけど……年が明けるな」 「えっ!」 その一言で、今日は大晦日だったことを思い出す。さすがにこのままの姿で年を越すのは……と、日葵も急いで身体を起こす。ベッドの下に落ちた下着に手を伸ばしたそのとき、背後から壮一が覆いかぶさってきた。「やっぱり、年越しはやめて、ベッドで過ごそう?」 甘く艶っぽい声に、日葵も一瞬だけ心が揺れるが、グイッと壮一を押し返して真剣に見つめる。「来年は、ずっと一緒にいられるんでしょ?」 自分でも恥ずかしいセリフに思いながらも、しっかりと伝えると、また壮一のため息が聞こえる。「お前って、ほんと昔から変わらないな。俺を振り回す天才……」 そう言いながらキスを落とされ、唇が離れる頃には、日葵の呼吸はすっかり乱れていた。そんな日葵を満足そうに見つめると、壮一は「この続きは、また来年」と言って、ベッドから立ち上がった。「そうちゃん! 服、着てよ!」 「年を越す前に、シャワー浴びてくるよ」 その言葉に、日葵も急いで服を引っかけると、壮一に言葉をかけた。「私も、いったん部屋に戻ってシャワー浴びてくる」 「一緒に入る?」 悪びれもなく返ってくる言葉に、日葵はぶんぶんと首を振って否定する。さすがにそれは、まだハードルが高い。「私の部屋の方が色々あるから、後で来てくれる?」 年越しそばのことや、母が持たせてくれた料理のことを思い出しながらそう言うと、浴室から「わかった」と返事が返ってきた。部屋に戻った日葵は、大きく息を吐く。 さっきまでの甘い余韻が身体に残っていて、ようやく壮一とひとつに
Huling Na-update: 2025-05-17
Chapter: 第四十五話「日葵だけが俺には特別だ。愛してるよ」その言葉にとうとう日葵の瞳から涙が零れ落ちる。この言葉がどれほど自分が嬉しいか言われてわかった。「私もそうちゃんだけだよ」泣き笑いで言うと日葵はそっと壮一の頬に触れた。その手を壮一が自分の手で握りしめる。「日葵のこと、大切にしたい。今の余裕のない俺じゃないときにしないとな」そう言うと、壮一は日葵の上から降りようとするのがわかった。「ダメ!」つい無意識に言葉が零れ落ちていて、日葵は自分に驚いて手で口を覆う。「日葵……?」(でも、でも、ここで勇気を出さなければ、また次の機会ははずかしくなっちゃう)日葵はそう思うと、壮一にゆっくりと語り掛ける。「そうちゃんのものになりたい……」自分の顔が真っ赤なのも、心臓の音がうるさいのもわかっていたが、これだけはきちんと伝えたかった。壮一が自分のことを考えてくれているのが分かったからこそ、もうこれ以上遠回りをしたくなかった。驚いたような表情の壮一の瞳がそっと閉じられたと思えば、次に見たその瞳は妖艶で熱を孕んだ初めて見るものだった。しばらく動きが止まっていた壮一だったが、何か覚悟を決めたような表情で日葵を見た後、無言で子供の頃のように日葵を抱き上げる、そのことに驚いて日葵は声を上げた。「ちょ……そうちゃん!」急にどうしたかと思えば、そのまま壮一の寝室へと向かうのがわかった。自ら誘う形になってしまった日葵だったが、ドキドキしてどうしていいのかわからない。そっと優しく真っ白なシーツに降ろされたときに、今から自分に起こることが知識として頭をグルグル回る。そんな日葵の瞳に、真面目な表情の壮一が映る。「日葵……俺が初めて?」その問いに、少し悔しくなりつつ日葵はうなずく。きっと勝ち誇った顔をしているのかと、日葵はチラリと壮一を見れば、そこには日葵の思う壮一ではなかった。「よかった……。間に合った……」心から安堵しているような壮一に、日葵は柔らかく微笑むと言葉を重ねる。「キスも全部そうちゃんしか知らないんだから責任取ってよね」その言葉にきょとんとした後、壮一は日葵の大好きな笑顔を見せた。「当たり前だ。日葵は何も考えなくていい。ただ俺を見てろ」言葉はそんな命令口調だが、日葵に触れる手はこれでもかというぐらい優しい。そのことが日葵は嬉しくて、キュッと心が締め付けられ
Huling Na-update: 2025-05-17
Chapter: 第四十四話遠くない二人のマンションに着くと、壮一は無言のまま日葵の手を引いて自分の部屋の鍵を開けた。こんなに近くにいたのに、壮一の部屋に入るのは初めて。日葵は思わず緊張し、胸が高鳴る。「入って。特に何もないけど」「おじゃまします……」日葵の部屋には何度か壮一が来たことがある。でも、自分が彼の部屋に入るのは、それだけで特別なことのように感じてしまう。間取りはまったく同じなのに、部屋の雰囲気はまるで違っていた。整然としていて、ものが少なく、生活感がほとんどない。「何もないだろ? 寝るだけの部屋だから」ソファー、テーブル、テレビ……最低限の家具があるだけの空間に、日葵はなぜか落ち着かない気持ちになる。同じ空間にいながら、これまでとはまったく違う意味で“二人きり”でいることに、息が詰まりそうだった。「そうちゃん、忙しかったもんね」少しでも平静を保ちたくて明るく声を出し、部屋の中をぐるりと見渡していた日葵は、ふとソファに座る壮一の視線に気づく。「日葵」やさしく甘やかなその声に、思わずビクッと肩が跳ねた。ただ見つめられているだけなのに、何も言われていないのに、なぜか足が勝手に動く。ゆっくりと、日葵は壮一の座るソファへと歩を進める。すぐ目の前まで来たとき、壮一が何も言わずに手を広げた。(来いって、こと……?)ごくりと唾を飲み込んだ日葵は、悔し紛れのように言う。「そうちゃんってやっぱりイジワル」でも、そのとき向けられた壮一の笑顔が、あまりにも優しくて、懐かしくて――日葵は胸がいっぱいになる。「だって俺、ずっと我慢してたんだよ? 日葵に触れるのを。 でも今、急に変わった関係に戸惑ってるだろ?」図星を突かれ、日葵は言葉に詰まる。でも――「それ、違うよ」「え?」そのまま、日葵は勢いよく壮一の腕に飛び込んだ。予想外の行動に、壮一の腕は宙に浮いたまま動かない。「急に変わった関係に戸惑ってるんじゃない。 もっとそうちゃんに近づきたい。抱きしめてほしい―― そんな気持ちが自分の中にあることに、驚いてるだけなの」首に腕を回し、顔を隠すように埋めると、そっと耳元で囁いた。「……初めてなの。こんな気持ち」少し息を詰めるような壮一の声が返る。「初めてって……崎本部長は?」「付き合ってなんかないよ。ずっと好きって言ってくれてたけど、どうしても無
Huling Na-update: 2025-05-17
Chapter: 第四十三話会社を出て、壮一の車で実家へ向かう途中。車内は温かく、静かで、どこか落ち着かない空気が流れていた。壮一は黙ったまま、日葵の手を弄ぶように優しく指先を触れてくる。今までとは明らかに違う。日葵の中に、得体の知れないドキドキが広がっていく。「……日葵、ドキドキしてる?」「なっ……別にしてません!」つい、嘘をついたことがすぐにバレる。「俺はしてるよ。小さいころとは違う“女”の日葵に」「なっ……!」言葉にならず、パクパクと口を動かすだけの自分が情けない。ちょうど赤信号で車が止まったところで、壮一がそっと手を握りしめ、身を乗り出してくる。「壮……」「もっとこの関係に慣れろよ」妖艶で綺麗すぎる顔が、今、自分だけを見ている――それだけで、鼓動は爆発しそうなほど跳ね上がる。目を見開いたままの自分に、そっと優しいキスが落とされる。そして唇が離れたあと、まっすぐに見つめてくる壮一の瞳に、日葵は息を呑んだ。(もうダメ……嬉しすぎて、苦しい……)信号が青に変わると、壮一は何事もなかったかのように車を走らせる。その横顔を見つめられずに、日葵は視線を窓の外へ向けた。煌びやかな街の灯りが、年の瀬を静かに彩っている。(この年で……本当の恋を知るなんて)心の奥で、静かに大きなため息をついた――それは、戸惑いと幸せが入り混じった音だった。「全員揃うのは何年ぶりだろうな」誠と弘樹の会話で始まったその会は、莉乃の手料理を囲みながら、和やかに進んでいた。久しぶりの年末の年越しはとても賑やかで、壮一も、誠真たちと久しぶりの再会を楽しそうに過ごしていた。その様子を見ているだけで、日葵は胸がいっぱいになるほど幸せだった。「そういえば咲良ちゃん、誠真がいろいろ待たせて不安にさせたんだって?」彼女の咲良とは今日が初対面。隣で控えめに笑う咲良に日葵が声をかけると、彼女は小さく頷いた。「そうですね。初めは何も言ってくれなかったので……」「ほんと、ひどい奴よね。ごめんね」笑いながら話していると、どこか慌てたように誠真がこちらに駆け寄ってきた。「姉貴、変なこと言ってないよな?」普段は余裕たっぷりで軽薄な印象さえある誠真の、焦った表情が珍しくて、日葵はついクスッと笑ってしまう。「こんな誠真、初めて見たかも」「うるさいよ」言い返す誠真がムッとした顔で日葵を見
Huling Na-update: 2025-05-15
Chapter: 第四十二話あの日から年末まで、怒涛のように予約や問い合わせが入り、事業部は“嬉しい悲鳴”を上げ続けていた。本来ならもう年末年始の休暇に入っているはずだったが、日葵たちの部署だけは、年の瀬ギリギリまで出勤していた。「本当にお疲れ様。こんな最終日まで出てくれて、感謝しかない」すっかり元気を取り戻した壮一の言葉に、チームのメンバーたちは笑顔で首を振る。それほどの達成感があった。「年始は少し長めに休んでいいから。ゆっくりしてくれ」「はい!」活気に包まれたオフィスで、帰り支度を進める中、日葵はそっと壮一を盗み見る。あの日以来、ろくに会話もできていないまま忙しさに追われ、「気持ちが通じた」と言える確信もない。それにもう一つ、気がかりな存在があった。「長谷川さん、今年は本当にお世話になりました」可愛らしい笑顔を浮かべて柚希が声をかけてくる。日葵も笑顔で返した。「柚希ちゃん、あのね……」「あ、大丈夫ですよ。私は何も言ってません」「え……?」日葵が聞き返すと、柚希はふわりとした微笑みを浮かべた。「私がチーフに抱いていたのは、ただの尊敬です。なので、それ以上は言わなくて大丈夫です」きっとパーティー以降、社内では色々と噂になっていたのだろう。それでも先に自分を気遣うような言葉をくれる柚希に、日葵は心から感謝した。「柚希ちゃん、お疲れさま」静かに言葉を返すと、柚希はぺこりと頭を下げてフロアを後にした。その背中を見送りながら、日葵は小さくため息をつく。(柚希ちゃんの方が大人だな……ありがとう)自分の気持ちがわからず、たくさんの人を傷つけた。それでも譲れない想いがあった。もう、二度と迷いたくない。そう決意しかけたその時、背後に気配を感じて振り返る。「チーフ……」気づけば、フロアには誰もいない。壮一とふたりきりになっていた。ただそれだけの状況に、胸がドキンと跳ねる。何度も一緒に過ごしてきた空間なのに、前とは違う――恋人になった今、日葵の中の感覚はすっかり変わっていた。「終わった?」「……はい」視線を交わすと、壮一の瞳に自分が映っていて、照れくささから思わず目を逸らす。しかし、その視線を逃すまいと、壮一の瞳が日葵を追う。「あの日からゆっくり話せてなかったから。今日は……一緒にいよう」その一言に、日葵の鼓動はさらに早くなる。「うん……」
Huling Na-update: 2025-05-12
Chapter: 第四十一話「部長がいるからって諦められるぐらいの気持ちなんでしょ!」叫ぶように言った日葵を、真剣すぎるほどの壮一の瞳が射抜いた。「そんなわけあるか!」声を張り上げた壮一の言葉には、これまでの葛藤が滲んでいた。「お前といるのが苦しくて……でも、会いたくて。そんな気持ち、お前にわかるか? 俺はずっと、自分の強引さで日葵を傷つけてきた。もう二度と……俺の勝手で、お前の幸せを壊すわけにはいかないんだ。だから俺は……」振り絞るように言ったあと、壮一は掴んでいた日葵の腕を離し、自分の手を爪が食い込むほど強く握りしめた。そんな壮一の姿に、もう耐え切れなくなった日葵は、その腕の中に飛び込んだ。一瞬、壮一の腕が反射的に日葵を抱きしめようとするも、どこか躊躇うように、その手は中空に戻る。しかし、それでも日葵は胸のうちを言葉に乗せて、必死に語った。「じゃあ……ずっと捕まえててよ。もう、私が不安にならないように。崎本部長には、ちゃんと謝ってきたの……あんなに素敵で優しい人なのに」子どもの頃のように泣きじゃくる日葵を、壮一は困ったように見つめた。「ひま……俺、本当はこんなに情けない男なんだよ。いつもカッコつけてただけでさ」弱く、探るようなその声に、日葵はキッと睨んだ。「そんなの、もう知ってる!」「それでも、俺がいいのか? お前を、何度も泣かせたのに」「それでも……それでも、そうちゃんがいいって思っちゃったんだから、仕方ないでしょ!」その言葉に、壮一は小さく苦笑する。「……やっぱりバカだな、日葵は」言いながら、そっと視線を逸らす日葵を、ついに壮一の腕が強く抱き寄せる。息が詰まりそうなほどの力に、日葵は思わず胸を叩いた。「ちょっと、そうちゃん……苦しい……」それでも、その腕の温もりが嬉しくて、恥ずかしくて、視線を逸らそうとする日葵の頬を、壮一の指がそっと掬い上げた。「……やばい。嬉しい。もう一生、泣かせない」そう言って、これまでどんな時よりも近い距離で——日葵の唇が優しく塞がれた。「んっ……!」初めてのキスに戸惑いながらも、壮一は迷いなく、その想いを深く刻み込むように日葵を包み込んでいく。「そうちゃん……もう……無理」切れ切れに声を漏らした日葵を、壮一はさらに抱き寄せ、耳元でささやいた。「絶対にもう二度と、お前を泣かせない。……大好きだよ」その言葉に
Huling Na-update: 2025-05-11