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第149話

Author: 無敵で一番カッコいい
明日香は、四角いタイルが敷き詰められた道に足を踏み入れた。雪はもうすっかり溶けていた。冷たい風が頬を打ち、彼女は思わずまた咳き込んだ。

図書館に入り、いつもの席に腰を下ろした。

いまの明日香にとって、帝都大学に合格して海外交換留学の資格を手に入れることだけが、唯一の望みだった。

もしかしたら、そんな彼女の努力を見て、康生も少しは考えを変えてくれるかもしれない。娘は政略結婚の道具じゃない。月島家を支えることも、きっとできるはずだ。

大きな窓の向こうで、突然また雪が降り出した。今度は、激しく。

うつむいた明日香の姿が、窓ガラスにぼんやり映る。真剣な眼差し、静かに揺れる長い髪。

いくつか試験問題を解き終えたころ、空腹を感じて携帯を見ると、ちょうど食事の時間だった。

そのとき、不意にメッセージが届いた。

【明日香さん、プレゼントを用意したんだ。気に入ってくれるといいな】

画面に浮かんだその名前に、明日香の指は止まった。

彼女は遼一の忠告を忘れたことがなかった。だから、樹からのメッセージには返事をしなかった。以前の会話履歴も、すべて削除した。

あの夜のことさえなければ、きっと、いい友達になれたのに。

初めて会ったときに、ちゃんと彼の本当の姿に気づいていればよかった。

樹は、本当にいい人だった。少なくとも、明日香はそう信じていた。彼を救ったことは、何一つ間違っていなかった。

命を手放させずにすんで、本当によかった。あのとき彼を助けられたことは、明日香にとって、人生最大の幸運だった。

樹は、たくさんの温もりをくれた。話し相手になってくれて、つらいときにはそばにいてくれて、美術展にも連れて行ってくれた。

そして、二人だけの秘密も......

けれど遼一は、狭量で陰湿で、そして残酷だ。些細なことでさえ報復し、手段も選ばない。康生と裏の仕事をしていたころ、どれだけの命を奪ってきたか分からない。目的のためなら、どんな犠牲も厭わない男だ。

樹はようやく足の病気を克服したばかり。たとえ藤崎家の次期当主であっても、遼一は彼を許しはしないだろう。あの人は、決して証拠を残さない。

これ以上、無関係の人が傷つくのは見たくない。

だから、もう会わない方がいい。それがお互いのためだよ、樹。

......さようなら。

明日香は立ち上がって、軽く体を伸ばした。

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