Share

3-3 航の思い 1

last update Last Updated: 2025-05-08 11:30:22

 朱莉から電話がかかってくる少し前——

 缶ビールを片手に、航は自分のスマホを強く握りしめていた。

父の弘樹に諭されてから、今日こそ、明日こそ朱莉に別れを告げなければと思いつつ、数日が過ぎてしまっていた。そんな航の元気の無い姿を弘樹は気づいていたが、特に声をかけることはしなかった。

琢磨とは既に打ち合わせ済みだった。もし仮にどちらかのスマホに朱莉から連絡が入ってきた場合は、自分たちに二度と連絡を入れないように朱莉に告げようと。

琢磨は現在オハイオ州に移り住む為の準備で奔走している。朱莉に別れを告げるなら自分の役目だと航は決め、そのことを既に琢磨には告げてあった。それなのに航は朱莉と別れを告げるのが怖かった。だから先延ばしにしていたのに……。

その電話は突然鳴ったのだ。

握りしめていたスマホが突然鳴り響き、航は驚いた。そして着信相手を見てさらに衝撃を受けた。

「あ、朱莉……!」

まさかこんなに早く朱莉から電話がかかって来るとは思ってもいなかった。

(朱莉……この電話に出たら俺はお前に別れを告げなくちゃならないんだ……! 頼むから諦めて切ってくれ……!)

航は唇をかみしめてスマホが鳴りやむのを待っていたが、根負けして10コール目でとうとう電話に出てしまった。

「もしもし……」

自分でも驚くほど弱々しい声が口を突いて出てきた。

『こんばんは。航君。……どうしたの? 何だか随分元気が無さそうだけど?』

受話器越しから自分の身を案ずる朱莉の声が聞こえてくる。思わず涙ぐみそうになるのを航は必死でこらえて、わざとぶっきらぼうに答えた。

「いや、別に。気のせいだろう?」

『でも……』

「いいから、何の用なんだよ」

応答しながら、航は激しく後悔していた。

(俺は……なんて酷い対応をしているんだ……!)

朱莉の電話の内容は蓮のお宮参りについて来てほしいとのことだった。その話を聞きながら、航は翔に対して怒りをたぎらせていた。

(あいつめ……! また朱莉一人に自分の子供の行事を押し付けるなんて! 俺がお前の立場だったら、絶対にそんなことはさせないのに……! だけど……俺はもうこれ以上お前の傍にいちゃいけなんだよ!)

「無理だな」

朱莉の話を聞き終えると、血を吐く様な思いで航は返事をした。

『え?』

朱莉の戸惑った声が何所か悲しみを帯びたように航には聞こえた。朱莉に何か問い詰められるのが怖
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   3-24 家族の真似事 2

     その後——朱莉は蓮を抱っこした翔を覆うように着物でつつみ、帯の間に縁起物のお守り袋を通して着せると、2人の姿はとても様になっていた。猛とは混雑の場合、見失わないようにと水天宮の寳生辨財天(ほうしょうべんざいてん)の前で待ち合わせをしていた。2人並んで待ち合わせ場所に向って歩きながら朱莉は話しかけた。「素敵ですよ、翔さん、レンちゃんも。よく似合っています。境内に着いたら早速お2人の写真を撮りましょうね」「ああ……そうだね」「あ、会長も中に入って、3人で御写真を撮ればいいですね」朱莉がにこやかに話す姿を見て翔は顔を曇らせた。「あ、ああ。そのことなんだけどね……朱莉さんも良ければ一緒に……」翔が言いかけた時、こちらに向かって猛が2人のスーツを着た男性と一緒に現れた。「もう、着いておられたのですね? 遅くなってしまい申し訳ありませんでした」「いや、気にするな。時間通りだからな。それに大変じゃ無かったか? 蓮にそれほどまでの準備を朱莉さんが1人でするのは……」「え?」(会長は私が1人で準備したことをどうして知っているんだろう?)朱莉は思わず翔を見上げるが、視線を合わせようとはしない。「うん。それにしても……本当に立派な着物だな。ありがとう、朱莉さん」猛は目元を嬉しそうに緩め、朱莉に頭を下げてきた。「い、いえ。そんなことありません。当然のことですから」(まさか大企業の会長が私なんかに頭を下げるなんて!)そして翔は、そんな2人の様子を黙って見つめていた——その後——3人で本殿で御参りを終えた後、神札所がある施設へと移動し、御祈祷の受付をした。呼ばれるまでの待ち時間、翔は猛と重々しい表情でずっと2人きりで何かを話しあっていた。その様子を少し離れた場所で朱莉は見守っていた。(一体何を話しあっているのかな……? でもきっと会社のことなんだろうな……)その時、朱莉のスマホにメッセージの着信があった。(誰からだろう……?)すると相手は姫宮からであった。開いてみると、短い文章が添えられていた。『朱莉様。お天気に恵まれて良かったですね』(姫宮さん……。プライベートなことなのにここまで思っていてくれるなんて……)朱莉はすぐに返信をすることにした。『ありがとうございます。お休みの日なのに、気に掛けていただいて本当に嬉しいです』そしてメ

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   3-23 家族の真似事 1

    「……さん、朱莉さん……」「え……?」誰かに揺さぶられる気配を感じ、朱莉は目を覚ました。するとそこには驚くほど至近距離で朱莉を見つめている翔の姿があった。「え……? え!? しょ、翔さん!?」あまりにも驚いたので、朱莉の頭は一瞬で覚醒した。「ごめん、朱莉さん。驚かせてしまったようだね? いくら呼び掛けても目を開けなかったものだから」「あ、いえ。私の方こそ、レンちゃんの様子を見ないで寝てしまって……」朱莉はそう言ったが、新生児がまとめて眠れるようになったり、ミルクを飲めるようになるにはまだ月齢は足りない。この頃の新生児を育てる母親は数時間ごとにお世話をしなくてはならないので、朱莉が寝不足気味になるのは致し方ないことだった。「大丈夫かい? もしかして疲れがたまっているのかい? 何か助けが必要なら相談に乗るけど?」「翔さん……」朱莉は今迄翔から辛辣な言葉は浴びせられたことはあるけれども、労いの言葉をかけて貰ったことが無いので正直、驚いてしまった。以前の朱莉なら盲目的に翔に恋焦がれていたから、この言葉だけで自惚れてしまっていたかもしれないが……今の朱莉は違う。あれ程恋い焦がれていた気持ちは、徐々に消え失せていたのだ。(駄目……もう翔先輩の言葉で浮かれては。後で冷たい言葉を投げかけられた時、それだけショックが強くなってしまうんだから)朱莉は自分に言い聞かせると、翔に返事をした。「いえ、大丈夫です。車内があまりにも心地よくてつい、眠ってしまったんです」「ハハハ……そうなのかい? それならまた言ってくれれば乗せてあげるよ? 勿論蓮も一緒にね」あまりにも想像もしていない返しをしてきたので、朱莉は驚いた。(え? う、嘘でしょう……? うううん、きっと冗談に決まってる)「そうですね。いつか機会があれば」朱莉は曖昧に言うと、蓮をチャイルドシートから降ろし、ベビーカーに乗せると翔にスリングを渡した。「翔さん。これはスリングと言って、抱っこ紐のようなものです。最初は慣れないと使いにくいかもしれませんが、使いこなせると本当に楽に抱っこできるようになるんですよ」「ええ? これが抱っこ紐なのか? 初めて見る形だ」帯状に広がった大きな布にリングが通った形状の抱っこ紐を翔は今迄見たことが無かった。「私は普段は横抱きにしているんですけど、今日はレンちゃんに着

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   3-22 待ち伏せ 2

    (え? その声は……?)ドキッと心臓の音が高鳴り、鼓動が激しくなってくる。朱莉はゆっくり振り向くと、そこには京極の姿があった。彼の手には紙バッグが握られている。「京……極さん……」息を飲んで京極を見つめる朱莉。「朱莉さん。今日はいつも以上に素敵ですね。もしかして何処かへお出かけですか?」京極はにこやかに話しかけてくる。「は、はい……そうです。ところで京極さんは何故ここに?」返事をすると京極が近付いて来た。「何故ここに……ですか? それは僕がここに住んでいるからですよ? ここの住人ですから、いても不思議なことではありませんよね?」耳元に口を寄せるように語りかけて来る京極から朱莉は逃れるように後ずさった。「あの……本当に周りから誤解されるようなことは……お願いですからしないでいただけますか……?」朱莉は蓮を強く抱きしめたまま、京極を見た。朱莉の足は……少しだけ震えていた。「朱莉さん……。そんなに僕が怖いですか?」京極は悲しい目で朱莉を見つめながら尋ねるも、それには答えられず黙って俯く。すると、京極がため息をついた。「分かりました。怖い目に遭わせてすみませんでした。それでは失礼しますね」「は、はい……失礼します」朱莉は視線を合わせないように挨拶をすると、京極は立ち去って行った。するとタイミングよく、プレミアムブランド車がエントランス前に到着し、翔が車から降りてきた。「朱莉さん。お待たせ」エントランスに入って来た翔は、朱莉を見るなり顔色が変わった。「朱莉さん? どうしたんだ? 顔色が真っ青だけど?」翔はほんの少しの間離れていただけなのに朱莉のあまりの変貌ぶりに驚いた。「あ……だ、大丈夫です。少し気分が悪くなっただけですから」朱莉は無理に笑顔を作って返事をした。(駄目……言えない。翔先輩にはここに京極さんが現れたことは絶対に……!)「そうか? なら後部座席に座って水天宮に着くまで休んでいるといい。まあ時間にすれば30分位で着くみたいだから、あまり休めないかもしれないけど。チャイルドシートも後部座席に付けてあるからね」「え? 会長を迎えに行くのではないのですか?」朱莉はてっきり鳴海家へ寄るものだとばかり思っていた。「祖父はお宮参りが済んだら、またすぐに中国に戻るそうなんだ。だから別の車で来るよ。現地で待ち合わせなんだ」

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   3-21 待ち伏せ 1

     翌朝―- 「うわあ……レンちゃん。とってもよく似合ってるわ」朱莉は羽織付き袴のロンパースを着せた蓮を見て、微笑んだ。着物用ハンガーには事前にネット通販で購入したお宮参りに着せる黒の着物が掛けてある。背中に鷹をメインに宝船などが描かれた黒地の着物。柄は鷹を中心に松や小槌、軍配、飛翔鶴などの縁起の良い柄が描かれている。更にこの着物は仕立て直せば七五三の三歳時のお祝い着としても、袴を合わせて着用出来るようになっていた。「お天気にも恵まれて良かったね〜」手足をバタバタさせてこちらをじっと見ている蓮のほっぺにそっと触れた。朱莉はテーブルの上に置いたスマホに手を伸ばし、改めて内容を確認した。昨夜、日付が変わりそうな時間に翔からメッセージが届いたのだ。それは本日のお宮参りについての内容で、9時に迎えに行くから用意して待っていて貰いたいと書かれていた。時間を確認すると8時を過ぎていた。蓮のオムツの準備や、ミルクの準備は終わっている。ネイビーに水と餌をやり終えると朱莉は自分の準備を始めた。今日のスタイルは濃紺のワンピースに低めのヒール。朱莉は蓮の為にはお宮参りで色々と購入したが、自分の為には一切お金は使わなかった……とういうか使うことが出来なかった。翔にはカードで好きなだけ買い物をしても構わないと言われていたが、妻と言っても所詮偽装妻でしかない朱莉に取っては、どうしても遠慮せざるを得ない立場だった。  やがて時間になり、玄関のインターホンが鳴らされた。ドアアイで確認するとそこにはいつものスーツ姿の翔の姿が写っている。「おはようございます」ドアを開けながら翔を見て、朱莉は笑顔で挨拶をした。「ああ、おはよう」翔は元気が無さげに挨拶を返してきた。「翔さん、今朝はどうしたんですか? 瞼は腫れぼったいし、目の下にクマが出来ていますよ?」朱莉は心配になって尋ねた。「ああ。分かってしまったかな? 実は昨夜あまり眠れなくてね」気恥ずかしそうに翔は笑う。「何かあったんですか?」「それは……い、いや。車の中で話すよ。蓮を連れて来てくれるかな?」「はい、分かりました」朱莉はスリングを付けると蓮を抱き上げ、ママバックと畳んだ着物が入っているケースを持って来た。それを見ると翔は慌てた。「あ、すまなかった朱莉さん。まさかそんなに荷物があるとは思わなかったから。全

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   3-20 それぞれの会食後 2

     長い廊下を無言で歩き、猛は一つの部屋の前で止まるとドアを開けて電気をつけた。その部屋は猛の書斎である。20畳もある広い書斎に、高級書斎机と立派な肘掛椅子。さらに皮張りのソファの応接セットも置かれていた。猛はソファに座ると翔に声をかけた。「どうしたんだ? 翔、お前も早く座れ」「失礼します」翔がソファに座ると、猛は口を開いた。「翔。お前……色々と蓮の事朱莉さんに任せきりなんじゃないか?」猛の言葉に翔は一瞬冷や水を浴びせられた感覚を覚えた。「い、いえ。自分ではそのようなつもりは……」「そうか? お前は自覚が無かったのか?」「……」「朱莉さんに蓮の写真を何枚か見せて貰ったが、その写真には蓮しか写されていなかったぞ? 普通、家族写真があってもいいと思わないか? 朱莉さんにそのことを尋ねたら、答えに困っていたな……。だからお前に尋ねることにしたのだ。何故、お前達の家族写真が無い。いや。せめて朱莉さんが蓮を抱いている写真位はあってもいいんじゃないのか?」猛は翔を責め立てた。「……申し訳ございませんでした。色々忙しかったもので、つい家族写真がおろそかになってしまいました。明日は蓮の大切な行事ですので写真をきちんと撮ります」「……そうか。ところで翔、明日香はどうしてる?」「え?」翔は、どこか見透かしたかのような猛の目に思わず背筋が凍り付きそうになった――****「朱莉様、今日はお疲れ様でした」車内で姫宮が朱莉に声をかけてきた。「はい……正直、会長にお会いするまでは緊張していましたが、意外と気さくな方で安心しました」すると姫宮は笑みを浮かべた。「会長は朱莉様のことを気に入られておりますからね。でもあの会長に気に入られるなんて、中々無いことなんですよ。朱莉様は凄い方ですね」「い、いえ! わ、私なんて姫宮さんに比べたら全然駄目な人間ですから」「そんなことは無いですよ。朱莉様は努力家です。子育て教室に通った訳でも、誰からも子育ての方法を教わったことがなくてもきちんと蓮君を育てているではありませんか。しかも誰の手も借りずに。だから……そんな朱莉様だからこそ……」姫宮はそこで言葉を切った。「姫宮さん……?」「何があっても……朱莉様の身の保全はお守りしますね」「え?」(姫宮さん……突然何を言い出すの……?)朱莉は姫宮の意味深な言葉に

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   3-19 それぞれの会食後 1

     21時半――会食も終わった頃、朱莉は猛に尋ねた。「あの、そろそろ失礼してもよろしいでしょうか? レンちゃんを寝かせつけてあげたいので」「ああ、そう言えばそうだったな。すまなかったね、楽しくてついこんな時間まで引き留めてしまって」「いえ、こちらこそお陰様で素敵な時間を過ごすことが出来ました。ありがとうございます」朱莉は頭を下げた。「それでは僕も失礼します。朱莉さん、一緒に帰ろう」翔は朱莉に声をかけた。「おい? 翔。今の言い方は何だ? 夫婦なんだから一緒に帰るのは当たり前だろう?」猛に指摘されて、一瞬翔はハッとした顔つきになったが、すぐに冷静な表情になる。「いえ、今のはほんの言葉のあやですから、気にしないで下さい」「会長、それでは私も失礼いたします」姫宮は深々と猛に挨拶をした。「ああ、姫宮。これからも翔のことをよろしく頼む」「はい、承知いたしました」「ところで翔、明日のお宮参りは何処の神社に行くことになったんだ?」「え? え……とそれは……」(しまった……まずいぞ。朱莉さんのことだからきっともう調べてあるだろうけど、何処の神社か確認していなかった)「水天宮に行く予定です」猛の突然の質問に翔は戸惑ったが、すぐに朱莉は答えた。「なるほど。水天宮か……うん。確かあそこは安産祈願で有名な神社だったな。それにしても翔……」猛はジロリと翔を見た。「お前……ひょっとすると朱莉さんに神社を探させたのか?」「あ……そ、それは……」翔が言い淀んだので、朱莉は咄嗟に口を出した。「翔さんはお忙しい方なので、私が自分で調べると申し出たんです」「なんだ。そうだったのか?」猛は朱莉に笑顔を向け、次に翔に視線を移す。「翔。お前は少しここに残れ。話がある」「はい……分かりました」翔はグッと歯を食いしばるように返事をした。そんな2人の様子を見て朱莉は心配になってきた。(大丈夫かな……? 翔先輩……)すると朱莉は突然姫宮から声をかけられた。「朱莉様、それでは私達はお先に失礼しましょう」「え? で、でも……」すると猛が言った。「大丈夫だ、朱莉さん。車の手配は姫宮がしてくれた。多分もう玄関前に着いてると思うぞ」「え? そうなんですか!?」(すごい姫宮さん。いつの間に……。やっぱりとても優秀な秘書なんだ)朱莉は隣に立っている姫宮を尊

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   3-18 翔の謀 2

    「今夜は老舗割烹料理屋から懐石料理を頼んだんだ。皆、存分に味わってくれ」猛は翔、朱莉、姫宮を見渡しながら言った。その言葉と同時に着物姿のスタッフが現れ、次々と料理を並べていく。朱莉は運ばれてくる料理に息を飲んだ。ご飯、お吸い物、盛り付けの美しい刺身、酢の物が次々と運ばれてくる。続いて茶碗蒸しに上品な煮物、アユの塩焼き、マツタケの土瓶蒸し……それ等が並べられていくのを朱莉はただ茫然と見つめていた。「さて、それでは頂くか。ん? どうしたんだ? 朱莉さん」猛が朱莉が微動だにせずに料理を食い入るように眺める姿に気付き、声をかけてきた。慌てて朱莉は顔を真っ赤にさせた。「す、すみません! あまりにも豪華な料理を前にして驚いてしまったんです!」「おお、そうか。成程。朱莉さんも普段は質素つつましく過ごしているのだな? うん、そう言う姿は嫌いじゃない、いやむしろ普段は倹約が一番だと思う。そして使う時は使う……これが一番だと思わないか?」猛は豪快に笑った。朱莉は何と返事をしたら良いか分からないので、猛に話を合わせておいた。「は、はい、その通りだと思います」「よし、では食べるか?」猛の言葉を合図に、一同は会食を始めた。猛は隣の席に座る朱莉に色々と蓮の子育ての方法について尋ねているし、朱莉は丁寧に答えていた。そんな猛と朱莉の様子を伺いながら翔は思った。(祖父はどうやら朱莉さんを気に入ってるようだが……数年後、俺が朱莉さんと離婚する話を持ちだしたらどのような反応を示すのだろうか? もしまだ会長職を退かず、元気なようだとしたらこのまま偽装婚を続けた方が良いかもしれない。最近明日香の心が俺から離れかけている気がするし、それならいっそ朱莉さんが嫌がらないのであれば、このまま本当の夫婦になってしまってもいいし、別居婚という形をとってもいいしな……)神妙な顔をして食事を進めていると、不意に姫宮が声をかけてきた。「副社長、どうされましたか?」そこで翔は小声になった。「い、いや。ほら、朱莉さんと会長……随分親しげだと思わないか?」「ええ、そうですね。お2人はお話が合っている様ですね」「ああ。それで思ったんだが……」翔はそこで一度言葉を切った。「最近、明日香の様子がおかしいんだ。今回、俺に何の相談も無しに勝手に旅行へ行ってしまうし……俺から離れていこうとしているよう

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   3-17 翔の謀 1

     朱莉が翔に連れらて来た部屋はまるで貸し切りの高級レストランのようなダイニングルームだった。大理石で出来た大きな天板のテーブル。皮張りのひじ掛け付きの豪華なチェア。そして天井からはテーブルを照らすように吊り下げられた間接照明。落ち着いた雰囲気のインテリアは目を見張るばかりである。(私……何て場違いな場に来てしまったの?)蓮を胸に抱いたまま緊張で足が震えていると、既にテーブルの前に着席していた猛が声をかけて立ち上がった。「おお! こんばんは朱莉さん。久しぶりだねえ……子育てで忙しい所を呼び立てて、すまなかったね」「い、いえ。こちらこそ。会長の方こそ、お忙しいのにレンちゃんのお宮参りの為にわざわざ帰国していただいたなんて、感謝しております」朱莉は深々と頭を下げた。「まあ、堅苦しいことは言いっこ無しだ。ところで朱莉さん。私にも可愛い曾孫の顔を拝ませてくれないか? あ、あと会長と呼ぶのは無しだ。お爺様と呼んでくれないか?」「はい。分かりました。お爺様」朱莉が蓮を抱いて猛の元へ行こうとした時、翔が声をかけた。「朱莉さん。俺が蓮を預かるよ」「え?」何故なのだろうと朱莉は翔の顔を見上げると、そこには何処か切羽詰まった表情の翔がいた。(翔先輩?)朱莉は不思議に思ったが、翔には何か考えがあるのだろうと思い、朱莉はそっと蓮を渡すと、翔は大事そうに胸に蓮を抱きかかえて猛の元へと向かった。「今、寝てますけど、どうぞ。是非顔をご覧になって下さい」翔は猛の方へ蓮の顔を見せた。「おう、おう。何て可愛らしいんだ……。うん、目元の部分は特に翔、お前によく似ているじゃないか……」猛は顔をほころばせながら蓮を愛おし気に見ている。その時、朱莉は気が付いた。(そうだった。翔先輩とレンちゃんは実の親子だけども、私とレンちゃんは赤の他人。当然どこも似ているはず無いわ。だからそのことを気付かせないために翔先輩がレンちゃんを代わりに抱いて会長に見せに行ったのね)朱莉はその時思った。この先蓮を連れ出して、健診に行ったり、公園へ連れて行くこともあるかもしれない。そして自分と蓮を見た人たちは口には出さなくても、全く似ていない親子と思う可能性だってあるのだ。それを思うと、朱莉は少し悲しくなってきた。「朱莉様、どうかされましたか?」姫宮が朱莉の元気のない姿を気にして声をかけてきた

  • 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした   3-16 貴女の味方です 2

     鳴海家は港区南麻布の高級住宅街の中にあった。いったいどれほどの敷地面積を誇るのだろうか。家の敷地は真っ白の高い塀に囲われ、さらに高い樹木が生えている為、家の外観を外側から見ることは不可能になっており、ライトで塀の外周が照らされている。その様子はまるで要塞のようにも見えた。立派な門構えにはインターホンが付いており、姫宮は車から降りるとインターホンを押した。すると程なくして、シャッターが開く。朱莉は目の前に飛び込んできた光景を見て息を飲んだ。門から家までの距離が100mはあろうかと思われる広い庭には、大きな池迄ある。芝生に置かれたスポットライトに照らし出された鳴海家は、まるで家と言うよりは美術館のような造りをした豪邸であった。「嘘……信じられない……」車の中から見た鳴海家は朱莉の想像をはるかに超えていた。それと同時に偽装婚とはいえ、自分は何て分不相応な結婚をしてしまったのだと思った。日本でも有数のトップ企業で、世界進出も果たしている鳴海グループ。そしていずれ翔はその後継者となる人物だ。(こんなに立派な人なんだもの。幾ら偽装妻でも私みたいな平凡な人間を見ていればイライラしてしまうのも無理は無いかも……)朱莉は翔が自分につらく当たるのは、きっと自分に責任があるからだろうと勝手に決めつけてしまった。「朱莉様、玄関前に着きました」その時、姫宮に声をかけられた朱莉は顔を上げた。するとすでに玄関前には翔の姿があった。(翔先輩……!)朱莉はギュッと手を握ると深呼吸した。「朱莉様、大丈夫ですか?」姫宮が心配して声をかける。「はい、大丈夫です」(落ち着かなくちゃ。何事も無かったかの様に振舞わないと。だってこれから鳴海会長と会食なんだから……)チャイルドシートから蓮を抱き上げると、パチリと目を開けて泣き出した。「フエエエエエエ……ン!」「あら、大変! レンちゃん。お腹でも空いた? それともオムツ?」「目が覚めたのですね?」朱莉は蓮のオムツの匂いを嗅いでみた。「レンちゃん。おむつだったのね? それじゃすぐに何処か場所を借りてさっぱりしましょうね」朱莉は蓮を抱き上げると車から降り、その後から姫宮も降りると、すぐに翔が朱莉の側へやって来た。「蓮、どうしたんだ?」「はい、オムツが汚れて不快なんだと思います。何処かオムツを変える場所を貸して頂けま

Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status