翔の父親の竜一は一卵性双生児で、竜二という双子の弟がいる。鳴海猛は2人のうち、1人を鳴海グループの後継者にと考えていた。そして候補に挙がったのが次男である竜二であった。竜一は穏やかな性格であったが、弟の竜二は荒々しい性格で、少々強引な手を使っても無理を押し通すというまさに真逆な性格の2人であった。猛は会社を大きくする為には竜二のような性格の人間の方がトップに立つにふさわしい人間と考え、竜二を後継者に任命したのだった。 竜一も竜二もほぼ同じ時期に結婚し、翌年にはお互いに子供をもうけていた。それが翔と修也であった。2人は父親が双子と言うこともあり、顔立ちが良く似ていたが性格は違っていた。皮肉なことに翔は叔父である竜二に似た性格であり、修也は竜一のように穏やかな性格であった。そして翔と修也が小学1年になった時……事件が起こった。 当時、竜二は営業部の課長を務めていたが、部下である若手社員の営業成績が振るわなかったことに苛立ちを募らせていた。そこで竜二はその社員を個人的に呼び出し、ノルマを課した。それは到底若手社員には厳しすぎるノルマであった。竜二はその社員に、もし3カ月以内にノルマを達成できなければ毎月の給料から補填させると言ってきたのだ。その社員は言われた通り、寝る間も惜しんで得意先を必死になって頭を下げて回ったが、結局ノルマを達成する事が出来なかった。思い悩んだ末に、とうとう遺書を書いてビルから飛び降り自殺をしてしまったのだ。その社員は母と子の2人暮らしだった。息子の遺書を発見した母親は嘆き悲しみ、亡き息子の書いた遺書をマスコミに公表した。その事件はあっと言う間に世間に広がり、息子である竜二の失態に激怒した猛は後継者候補の座を剥奪し、グループ会社の最下層に位置する会社へ左遷させた。この事が原因で竜二は離婚することになり、修也は母親に引き取られて鳴海の姓から母方の各務の姓を名乗ることになった。修也親子は猛の恩情にあずかり、鳴海家の邸宅の近くのマンションを与えられて2人はそこで暮らすことになった。 竜二の失態は鳴海グループの汚点であり……竜二の妻と息子の修也は鳴海家の中で存在を抹消され、明日香にも修也の存在は隠されたのだった。だが、密かに翔と修也は家族には内緒で交流をしていた。2人は顔も良く似ていたし、互いに真逆の性格だったが気は合っ
姫宮から各務修也への引継ぎは順調に進んでいた。そして本日、修也は午前中は秘書研修ということで秘書課へ顔を出していた為、久しぶりに副社長室のオフィスルームは姫宮と翔の2人きりとなっていた。「どうだい? 姫宮さん。修也への引継ぎは進んでいるかな?」翔は引継ぎの資料を作成していた姫宮に声をかけた。「ええ、順調です。それにしても彼には驚きです。とても呑み込みが早くて、何でもそつなく出来て……本当に優秀な方なんですね」姫宮は感嘆のため息をついた。「ああ、そうなんだ。修也は……本当に優秀な人間なんだ。だからこそ……」修也はそこまで言って口を閉ざした。「翔さん? どうかしましたか?」姫宮は突然黙り込んでしまった翔を見て首を傾げた。「い、いや。何でもないよ、俺に構わず続けてくれ」「はい、分かりました」そして再び、姫宮はPCと向き合った―― 12時になり、修也が副社長室へと戻って来た。「ただいま戻りました」修也が翔と姫宮に挨拶をした。「ああ、ご苦労だったな。修也」「お疲れさまでした、各務さん。どうでしたか? 秘書課の研修は」「はい、皆さんには親切丁寧に教えていただきました。午後からは引き続き姫宮さんの引継ぎ業務に入らせていただきます」修也はにこやかに返事をする。「それじゃ、姫宮さんと修也……2人で一緒にお昼に行ってくるといいよ」翔は2人に声をかけた。「そうですね。では行きましょうか? 各務さん」「はい、ご一緒させて下さい。それじゃ、翔。行ってくるよ」「ああ。行ってらっしゃい」翔に言われ、姫宮と修也はオフィスを出て行った。そして1人オフィスに残った翔は小さく呟いた。「修也……。お前が俺の秘書になるとはな……。これじゃあ10年前の関係と大して変わりないな……」そしてため息をついた――****「ここが今私が一番気に入ってる店なんですよ」姫宮が連れて来た店は本社ビルの近くにあるカフェだった。このカフェはコーヒーの種類が豊富で15種類の味のコーヒーを提供し、注文に応じてブレンドしたコーヒーを作ってくれるのだ。「姫宮さんはコーヒー通なんですね。僕は普段はインスタントしか飲まないので感心してしまいますよ」コーヒー付きのセットメニューでホットサンドを食べる修也。「でも一度引き立てのコーヒの味を知れば、きっと各務さんもインスタントで
翔は姫宮が連れてきた各務修也を前にし、激しく動揺していた。(修也……何故お前が今頃になって現れるんだ? あれから10年も経つっていうのに……!)一方、修也も黙って翔を見つめている。その瞳はどこか寂し気だった。黙ったまま互いを見つめ合う翔と修也を見て姫宮は声をかけた。「あ、あの……」すると翔が姫宮を見た。「すまない。姫宮さん。彼と2人きりで少し話をしたいんだ。悪いけど30分程席を外して貰えないか?」「はい、かしこまりました」姫宮は頭を下げると部屋を出ていき、2人きりになると翔が口を開いた。「久しぶりだな。修也」「うん、10年ぶりだね」「今まで……ずっとどうしていたんだ?」「お爺さんの紹介で色々なグループ系企業で働いてきたよ。去年まではカナダ支社にいたんだ」「修也! お爺さんじゃなくて会長と呼ぶように言われているだろう?」翔はいつになく強い口調で言った。「あ、ああ……そう言えばそうだったね。ごめん……翔」修也は申し訳なさそうに頭を下げた。「だから、そうやってすぐに頭を下げるのはやめろ。お前だって……鳴海家の正式な血筋の人間なんだから」「だけど僕は……」修也は言いかけたが、翔が睨んでいるので口を閉ざした。「お前……ひょっとしてずっと会長の元にいたのか?」「ずっとじゃない。僕に声がかかったのは大学を卒業してからだよ」「だけど、その後はずっと会長の元にいたんだろう? 俺には内緒で」俯く修也。「黙っているってことはそうなんだな」「ごめん……翔。会長から絶対翔に言わないように口止めされていたから……」「っ!」翔は悔しそうに唇を噛んだ。(爺さんは……始めから俺以外に後継者を考えていたのか!? だから修也のことを今まで内緒にしていたのか……? 父さんはその事を知っていたのだろうか……?)その時、翔は肝心な事を思い出した。「そうだ! 修也、叔父さんは今どうしてるんだ?」「父さんは今下請けの建設会社で社長をしているよ。かなり阿漕なことをして大分世間から恨みを買ってるみたいだけどね」修也は目を伏せた。「叔母さんは元気なのか?」「うん、元気にしてる。今年帰国してから、声がかかるまで大阪支社にいたんだ。でも秘書の話が出てきて、また東京に戻って来たから今は一緒に暮らしてるよ」「叔母さんは……竜二叔父さんと会ってるのか?」「
月曜の朝——翔がオフィスに来ると、既に姫宮は仕事をしていた。何やら書類でも作成していたのか驚くべき速さでキーを叩いてる。「おはよう、姫宮さん」「あ、おはようございます。翔さん」姫宮は手を休めて立ち上がると翔に挨拶をした。「本日から副社長付きの新しい秘書が参ります。翔さんと同い年の男性なので、お互いに仕事がしやすいと思います。取りあえず臨時秘書ということですので、半年だけの秘書にはなると思います。それで……あの、実は……」姫宮は言いにくそうに言葉を濁した。そんな姫宮を見た翔は首を傾げる。「どうしたんだい、姫宮さん。何かあるのか?」「……あの、驚かないで下さいね?」「え? 何に?」「あ……い、いえ。何でもありません。今、彼は秘書課におりますので、これからこちらへ連れて参りますね。では行ってきます」「行ってらっしゃい」翔が返事をすると、姫宮はあたふたとオフィスを出ていった。1人になると翔は呟いた。「一体姫宮さんはどうしたと言うんだ? いつも冷静沈着なのに……らしくないな……?」姫宮が部屋を出ていき約10分後。——コンコンノックの音が聞こえ、ドアの外から姫宮の声が聞こえた。「副社長。新しい秘書の方をお連れしました。入ってもよろしいでしょうか?」「ああ。大丈夫だ。通してくれ」「失礼します」姫宮はドアを開けると1人の男性を伴って中へ入って来た。「副社長、新しい秘書の方をお連れしました」「今日からよろしくお願いいたします」姫宮の背後に立っていた男性は前に進み出て来ると翔を見て頭を下げた。その人物を見て翔は驚きの声を上げた。「あ! お、お前は……!?」**** 話は今から2日前に遡る。——19時半姫宮はメールでやり取りをしていた後任の秘書となる男性と本社ビルの向かい側にあるカフェで待ち合わせをしていた。窓際の一番奥のテーブル席。ここが相手の男性が指定してきた場所だ。約束の時間より10分程早く到着していた姫宮は席に着いて窓の外を眺めていると、不意に人の気配を感じ、声をかけられた。「すみません。恐れ入りますが……姫宮さんでいらっしゃいますか?」「あ、はい。姫宮で……す……。え?」姫宮は絶句した。そこには翔によく似た男性が立っていたからだ。「あ、あの……貴方がもしかして……?」姫宮は目を見開いて男性に尋ねた。「は
かなり落ち込んでいる様子の朱莉を見て、翔は思った。(やはり朱莉さんに姫宮さんと京極が双子の兄妹だと伝えなくて正解だったようだな)「それで姫宮さんの後任の秘書の方は決まったのですか?」「う~ん……それがまだ決まっていないようなんだよ。姫宮さんの話では候補は上がっているらしいが、今調整中だとかで……」「翔さんが選ばなくて良かったのですか?」朱莉の問いに翔は答えた。「ああ。今回はとりあえず、正式な秘書が決まるまでの繋ぎの秘書だから別に俺は構わないさ。でもどうせなら琢磨や姫宮さんのように優秀な秘書であることを願いたいね」「そうですね。では行ってきます」朱莉が靴を履いて玄関へ向かうと、翔が声をかけた。「待ってくれ、朱莉さん。エントランス迄送るよ」「え? どうしたのですか? 突然急に……。そこまでお見送りしていただかなくても大丈夫ですよ?」朱莉は驚いて翔を見上げた。「いや、俺がエントランスまで送りたいからさ。蓮だってきっとそうしたいさ。な、蓮?」翔は蓮を朱莉の方へ向けるように抱くと、蓮が朱莉に手を伸ばしてきた。「マーマー」「お? 蓮……今ママって言ったのか?」翔は驚いた様子で蓮を見た。すると再び蓮は朱莉を見て「マーマー」と言った。「レ、レンちゃん……」朱莉は翔の前で蓮が朱莉の事を呼んだので、顔が真っ赤になって俯いてしまった。(どうしよう……翔先輩にレンちゃんからママって呼ばれているの知られてしまった。ママって呼ばせている図々しい人間だと思われてしまったかな……)そこで朱莉は弁明しようと、顔あげて翔を見る。「あ、あのですね。翔さん今のは……」しかし翔は嬉しそうな顔で朱莉を見つめている。それが不思議でならなかった。少しの間、2人は無言で見つめ合っていたが……。「さ、朱莉さん。それじゃエントランス迄送るよ」「わ、分かりました」折角見送る言ってくれているのだ。あまり無下にするのも悪いと思い、朱莉は翔と一緒にエレベーターに乗り込むと、翔は1Fのボタンを押した。ドアが閉まった所で翔は朱莉に声をかけた。「朱莉さん。帰りのことなんだけど、車で病院を出る時俺のスマホに電話を掛けてくれるかな? そうしたらエントランスまで迎えに行くから」「は、はい分かりました。ですが……何故ですか?」朱莉は返事をしたものの、不思議に思って質問した。「
翔に姫宮の後任の秘書が決まったことを告げる2日前の事——姫宮は鳴海会長と電話で話をしていた。『そうか……もう決心したなら仕方あるまいな』電話越しから残念そうな鳴海会長の声が聞こえてくる。「はい、申し訳ございませんでした」『それで仕事を辞めた後はどうするんだ?』「そうですね。少しのんびりしたいと思います。色々考えたいこともありますし」『考えたいことか。でも姫宮君は本当に優秀な秘書だったからな。もしまた戻ってきたいという気持ちになればいつでも席を用意して待っているからな』「はい、どうもありがとうございます。それで以前お話しをいただいておりました後任の秘書の方ですが……」責任感の強い姫宮は後任秘書がどのような人物か気になって仕方が無かった。『ああ、今は大阪支社の人事部にいるんだ。……期待しているから3カ月に一度の頻度で様々な部署を経験させている最中だ』「秘書の仕事は初めてですか?」『そうだな。だからすまないが不備の無いように教えてやってくれないか? まあ呑み込みは早いから一月もあれば十分だろう。とりあえず半年ほど秘書の経験をさせている間に、姫宮君のような人材がみつかるだろうしな』「会長……それは買いかぶりすぎです」姫宮は苦笑した。『そうか? これでも人を見る目はあるつもりだ。だからこそ今の翔にこの会社をこのまま継がせても良いのか迷っている』「それで……手元に呼び戻したのですか?」『ああ、そうだ。いいか姫宮君。絶対に秘書の話は翔には内緒にしておくのだぞ? もし翔がこのことを知れば大騒ぎになって猛反対するに決まっているからな。ギリギリまで黙っているように。いいな?』「はい、承知いたしました。副社長には内密で進めます。それではその方とは今後メールでやり取りさせて頂きます」『ああ、こちらも秘書課の人間を派遣して、仕事のノウハウを教え込ませておくからな』会長の言葉に姫宮は笑みを浮かべた。「はい、よろしくお願いいたします。それでは失礼いたします」「ああ。……今まで世話になったな。ご苦労だった」「いえ、こちらこそ大変お世話になりました。ありがとうございました」会長からの電話を切った姫宮は溜息をつくと、呟いた。「本当にごめんなさい……翔さん。だけど私の本当の雇用主は会長なのでどうか許して下さい」姫宮は今は主のいない副社長室でポツリと