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第三章 第81話 サロメ

Author: 輪廻
last update Last Updated: 2025-07-15 11:00:15

同時刻──

ハルモニア第二の大都市エリュシオン……その地下に広がる"地下墳墓(カタコンベ)"の最深部に位置する礼拝堂に、赤い衣を纏った一人の若い女が姿を現す。

「……合言葉は?」

丁度その場に居合わせたバフォメットがくぐもった笑い声を発しながら問うと、女は詩を諳んじるかの如く流暢に、透き通った声で答えた。

「──Vanitas vanitatum,et omnia vanitas.」

──"空の空、空の空、一切は空なり"。人間がどれほどこの世で生きようと努力しても、それらは全て無意味かつ無駄な行為であり、ただ虚しいだけである。

聖教会の聖典にも記されている一節であり、遍く人間たちに深い希死念慮を抱かせようと画策する"獣の教団"の教えの根幹でもあった。

「──着いて来い。王がお待ちだ」

バフォメットは身を翻すと、礼拝堂の片隅にある部屋へと姿を消す。女はこれといった反応を示すことなくバフォメットの後に続き、部屋の中へと足を踏み入れた。

部屋の中には、アズラエルや黒い燕尾服にシルクハットという出で立ちの紳士など、"獣の教団"の主だった幹部たちが整然と列を成して佇んでおり、その奥では"獣の王"が執務机の上に両肘を付きながら、女をじっと見つめていた。

「──やぁ、サロメ。思ったよりも、早い帰還だね」

椅子からすっと立ち上がる"獣の王"──サロメはそれに呼応するようにその場に片膝を付くと、胸に手を当てて恭しく、王に対し一礼する。

それを茶化すように、紳士然とした格好と、道化師が如く真っ白に塗りたくられた顔が特徴的な痩せ細った男が高笑いを発しながら、

「──ホホホホホォ! バビロンさぁん? 実験体ともども散々に打ちのめされてぇ、おめおめと逃げ帰ってきたんですかぁ?」

「貴方に話すことは、何もなくってよ? 道化師メフィストフェレス」

身に纏っていたフード付きの赤いローブを流れるように脱ぎ、優雅な手つきでメフィストフェレスへと投げつけながら、サロメはくす
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