All Chapters of 死にゆく世界で、熾天使は舞う: Chapter 1 - Chapter 10

15 Chapters

序章 第0話 死にゆく世界

 ──世界は、歪んでいた。 生命は皆、生まれながらにして罪をその身に宿していた。 他の生命を奪わねば、生きてゆくことが出来ぬ……"生きる"とは即ち罪を重ねてゆく行為に他ならない。日々、生命のやり取りが世界中の至る所で繰り広げられていた。 中でも特に罪深い存在とされたのが、人間であった。彼らは、自分たちこそが生命の頂点であると驕り高ぶり、不必要な殺戮を楽しんだ。自分勝手に善悪の概念を定義し、同族同士で殺し合うなどは日常茶飯事であった。 何より、彼らは他の生命と比べても欲望が極めて深かった。決して満たされることを知らぬその様はさながら、底なし沼のようでさえあった。 専横を極める、醜悪なる存在──ある意味で、彼らは歪んだ世界そのものを体現していると言えた。 だが──そんな世界を創造したと自ら称する《《神》》は、人間たちが跋扈する現況を好ましく思わなかった。故に神は、人間たちに罰を与えた上で、世界そのものを新たに創り直すことを決定した。 眼前では、首を吊った若い女が木枯らしに吹かれてゆらゆらと揺れていた。まだ死んでから間もないのだろうか。薄汚れた粗悪な|長靴下《ストッキング》に包まれた爪先から、ぽたぽたと糞尿が滴り落ちている。 視線を少し動かせば、至る所に死体が転がっていた。首を刃物で掻き切った者、眼前の女のように首を吊った者、吐瀉物に塗れながら倒れている者。「……惨いね」 黒衣に身を包んだ少女がぽつりとそう呟くと、彼女の傍らに控える一匹の黒い狼が、彼女の言葉に同意するかの如く悲しげに吠えた。 遠方に目を向けると、巨大な砂時計が蜃気楼のように不規則に輪郭を変えながら、時を刻んでいるのが見える。あの砂時計が目の前に広がる惨状の元凶だということを、少女はよく理解していた。 ──"崩壊の砂時計"。 少女は砂時計のことをそう呼んでいる。それは世界が終焉を迎えるまでの秒読みをする装置。そして世界中の何処にでもあって、何処にもない空虚なるもの。生命あるものが、どれほど砂時計に近付こうと試みたところで無意味である。常に一定の距離を保ったまま、目的地に何時まで経とうとも辿り着くことは出来ないのだから。 崩壊の砂時計が出現してから、世界は変貌した。遥かなる天空より飛来する、翼持つ者──《《天使》》と、地の底より這い出て来る、異形の怪物──《《魔族》》の活発化。
last updateLast Updated : 2025-05-06
Read more

序章 第1話 運命の出逢い

 黒衣に身を包んだ神秘的な少女が、村の入り口に姿を現すと、人々は一斉に奇異の眼差しを少女へと向けた。 来訪者など殆どない寒村──そこに突然現れた、巨大な黒い狼を伴った異邦からの幼き旅人。村人たちが警戒するのは致し方のないことではあった。 少女は目深に被っていたフードを取ると、近くで馬の世話をしていた男に声を掛けた。「あの──」「…………」「少し、お尋ねしたいことがあるのですが──」「…………」 男は心底嫌そうな顔をすると、そそくさと家の中へと入ってゆく。言葉の訛りや外見から、少女が異教徒だと分かったらしい。尤も外見に関しては、同じ異教徒の中にあっても極めて稀有な見た目ではあったが。 男が家の中へと入っていったのを皮切りに、他の村人たちも一斉に少女から目を逸らし、我も我もと家の中に入ってゆく。 ──"聖教徒にあらずんば、人にあらず"。 天空の神ソルを信仰する、巨大宗教勢力"聖教会"の教えだ。この村の人間たちはどうやら皆、敬虔なる聖教徒であるらしい。大地の女神シェオルを信仰する巨大な帝国ハルモニアからやって来た少女は、彼らからすれば正に不倶戴天の敵でしかないのだろう。 そもそも、聖教会の定める教義によると、異教徒は人間として扱われない。聖教徒からすれば、彼らは獣畜生と何ら変わらない存在である。人は獣畜生と言葉を交わさない。それはそのまま、少女のような異教徒相手にも適用されていたのである。「困ったね……どうしたものかな、マルコシアス」 無表情のまま、少女は顎に人差し指を軽く当てながら、傍らに控える黒い狼──マルコシアスに語り掛ける。「──"村全体から腐敗臭がする"? どうだろう……気の所為だと言いたいところだけど、君の勘は大概当たるからね」 今宵は新月──少女にとって最も危険な夜。可能ならば人のいる安全な場所で休みたかったが、村人たちの反応から察するに、どうやらそれは無理そうだ。 自殺行為に等しいが、魔族や堕罪者が跋扈する荒野で夜を明かすしかない。 少女が諦めて踵を返そうとした、その時だった。「おやおや──こんな寂れた場所に旅人さんかい?」 若い男の声が、耳に届く。振り向くと、村の外から一人の青年が、悠然とした動きでこちらへと向かってくるのが見えた。「ほぅ……これは驚いた。まさか、こんな可愛らしいお嬢さんが旅をしているとはね」「
last updateLast Updated : 2025-05-06
Read more

序章 第2話 聖痕

セラフィナが目を覚ますと、そこは院長室ではなく寝室のベッドの上だった。 すっかり夜も更けているようで、蝋燭の薄明かりで照らされている範囲を除けば、暗闇に覆われて何も見えない。外から聞こえてくる風の哭く音が、心の奥底に眠る恐怖や不安を否応なしに掻き立てる。 新月であるが故の、何とも言えない不気味な夜だ。 「あれ……ここ、は……?」 「セラフィナさん……ああ、良かった。やっと目を、覚ましてくれましたか……」 視線を横へ動かすと、シスターがベッドのすぐ傍の床に座っており、何処か疲弊しきった様子でセラフィナを見つめながら、ほっと安堵の溜め息を吐くのが見えた。 「シスター……? 私、は……?」 「喋らないで下さい……今、包帯を取り替えますから」 シスターのその言葉と、彼女が着ている修道服の袖にべったりと付着した大量の血液……そして、左胸から絶え間なく発せられる灼けるような激痛から、セラフィナは自分の身に何が起こったのかを悟った。 「……身を、起こせますか?」 「……ええ。何とか」 シスターの問いに対し、セラフィナは弱々しく頷くと、整った顔に苦悶の表情を浮かべながら、緩慢な動作で身を起こした。 止血の際に、邪魔となったのだろう。上衣とマントは脱がされたようで、上半身には何の衣類も身につけてはいない。それらの代わりに、血が染み込んでぐっしょりと濡れている包帯が、セラフィナの胸部を覆っていた。 シスターが包帯を取ると、小振りながらも整った乳房が露わとなる。冷汗と血液とが混ざり合い、雫となってシーツへと落ちゆく様が、妙に耽美的だ。 そして、左側の乳房の少し上に《《それ》》はあった。 正五芒星の形状をした、大きな傷。セラフィナが呼吸を繰り返す度に傷口がぱっくりと開き、そこから緋色の血が溢れ出している。 ──"|聖痕《スティグマータ》"。 世界にはごく稀に、特別な力を持った人間が生まれることがあった。彼らは"聖者"、或いは"聖人"と呼ばれ、見た目や能力は様々であったが、共通して身体の何処かにスティグマータが刻まれていたとされる。 セラフィナの左胸に刻まれたそれは、紛れもなくスティグマータであった。 シスターは慎重な手付きで、セラフィナの胸部を包帯で覆ってゆく。世にも珍しいスティグマータを見たいという想いと、手当てを最優先
last updateLast Updated : 2025-05-06
Read more

序章 第3話 堕罪者

 それから瞬く間に、数日が経過した。 シェイドとシスターから説得され、結局セラフィナはマルコシアスと共に、まだ教会に留まっていた。 スティグマータからの出血は治まったこと、それが起こるのは新月の夜だけで、それさえ乗り切れば、次の新月の夜までは何の問題もないことを説明しても、彼らは決して首を縦に振らなかった。 完調するまでは身を休めた方が良い──真剣な表情でそう言われてしまっては、断ることが出来なかった。 せめて、家事や警備の手伝いをさせてもらえないかと二人に頼んでみたが、取り付く島もなかった。そのためセラフィナは日がな一日、愛用している剣の手入れや、マルコシアスの毛繕いをしつつ本を読むという、当人としてはかなり自堕落な生活を送っていた。 そんなある日── 何時ものようにセラフィナが剣の手入れをしていると、村の方から鐘の音が聞こえてきた。 直ぐに鳴り止むかと思ったが、鐘の音が鳴り止む気配はない。どうやら、村の中で何か良くないことが起こったらしい。「……シスター、あれは?」 大寝室に入ってきたシスターにそう問い掛けると、シスターは何やら不安そうな様子で、セラフィナの顔と窓の外に広がる景色とを交互に見やりながら、「あれは……異常事態を報せる警報です。村の外から魔族や堕罪者が侵入した際……或いは村の中に堕罪者が出現した時に、ああやって警報を鳴らすんです」 その言葉を聞き、セラフィナは即座に考えを巡らせる。 シェイドはこの時間帯、村の外に出て、周囲に魔族や堕罪者が徘徊していないか見回っている。それらの脅威が外部から侵入した可能性は、低いと考えて良い。つまり──「──村人の誰かが、堕罪者になったってことだね」 セラフィナは無表情のまま、素早い動きで剣を腰の鞘に納めると、軽やかな動きでマルコシアスの背に跨った。「ちょっ……! セラフィナさん!?」「私が対処してきます──危険ですから、シスターはこのまま教会でお待ちになっていて下さい」「そんな……無茶です!! 貴方の身体はまだ──」「ご心配なく。シスターの仰る通り、まだまだ本調子ではありませんが、それなりには動けますから」「で、ですが……!」 尚も止めようとするシスターに対し、セラフィナは穏やかな態度のまま、「──シェイドが不在の今、村の中に出現したであろう、堕罪者若しくは魔族──恐らくは
last updateLast Updated : 2025-05-06
Read more

序章 第4話 這い寄る悪意

 夕刻── 帰還したシェイドが大寝室の扉を開くと、膝を抱えて座り込んでいるセラフィナと、彼女に寄り添うマルコシアスの姿が視界に飛び込んできた。 白磁を思わせる頬は赤く腫れ上がっており、口の中が切れているのか、薄桃色の唇の端には血が滲んでいる。誰かに暴力を振るわれたのは、一目瞭然だった。「……セラフィナ」「おかえり、シェイド。無事で良かったよ」「……誰にやられた?」 沸々と湧き上がる怒りを堪えつつ、努めて穏やかな声音でセラフィナに尋ねる。少し待ってみたが、彼女が問いに答える様子はない。「もう一度、聞くぞ──誰にやられた?」「それを知って、どうするつもり?」「…………」 自分が不在の間に何が起こったのかは、既に村人たちから聞かされている。村人の一人が堕罪者へと変貌し、数名を殺害したこと。それを、駆け付けたセラフィナが討ったこと。 セラフィナが止めていなければ、堕罪者が更なる凶行に及んでいたであろうことは、想像に難くない。最悪、村人が全滅していたかもしれないことを考えると、それを防いだ彼女は本来、感謝されて然るべきだ。 だからこそ、恩を仇で返すような真似をした村人たちに対し、シェイドは激しい怒りと嫌悪感を覚えていた。長らく自分が守り続けていたのは、相手への感謝すら知らぬような下衆ばかりだったのかと、反吐が出るような想いであった。「……仕方ないよ、シェイド。私は異教徒だから。聖教徒は異教徒のことを、人間とは認めていない。獣畜生と同じ存在だと考えている。人間は、獣畜生とは言葉を交わさない。彼らからしたら、至極当然のことなんだよ」「しかし……!」「もっと言えば、私とまともに会話をしている君やシスターの方が異質なんだよ、シェイド。聖教会の教義に反する行為を、平然としているわけだから」「…………」 ──"聖教徒にあらずんば、人にあらず"。 セラフィナの言う通り、村人たちのセラフィナに対する態度こそ、本来あるべき聖教徒の姿だ。異教徒は人ではなく、家畜や野獣と同様の扱いを受ける。 セラフィナの言うことは正しかった。それでも──村人たちのセラフィナに対する仕打ちには、納得がいかなかった。「……助けてもらっておいて、何だよ。|巫山戯《ふざけ》やがって」「助からなかった命もある。私が駆け付けた時には既に、何人か殺されていた」「それは、セラフィナの
last updateLast Updated : 2025-05-06
Read more

序章 第5話 ハルモニアへ

 松明の火が、夜風を受けてゆらゆらと揺らめく。獲物を探す捕食者の如く、忙しなく四方へと向けられているのが分かる。 暗がりの中で息を潜めつつ、セラフィナとシェイドは追っ手の動きを観察していた。松明の数から察するに、追っ手の数は凡そ五名ほどだろうか。「──見つけたか?」「いや──見当たらない」「……どうする? このまま、捜索を続行するか?」「いや……今は、魔族や堕罪者の活動が活発化する時間だ。流石に危険過ぎる。口惜しいが、追跡は断念しよう」「出来れば、あの小娘を生け捕りにしたかったのだが……致し方ない。多少、褒賞金の額は下がるが、あの女の《《死体》》を異端審問官に突き出せば、暫くはそれで食べていける」 死体と聞いて、シェイドの額に癇癪筋が浮かび上がる。「…………!」 抜剣して襲い掛かろうとするシェイド──セラフィナは咄嗟に彼の腕を掴んで、それを阻止した。 そんなことは露知らず、追っ手たちは呑気に会話を続ける。「それで妥協するしかないか。だが、若し奴が処女だったらどうする? 異端審問官たちに疑われやせぬか?」「何……今頃、奴の死体を物好きな連中が、貪るように抱いているだろう。いくら生前が良い女だったからって、俺なら流石に《《あれ》》を抱こうとは思わんがね。変な奴もいるもんだ」「違いない。あそこまで変わり果てた姿だと、な……流石に不快感と嫌悪感が勝る」 追っ手たちはそのまま、村のある方角へと去ってゆく。やがて松明の火が完全に見えなくなると、セラフィナは掴んでいたシェイドの腕を放した。「……どうやら、やり過ごせたみたいだね」「……悪い、セラフィナ」「シェイド……何故、謝るの?」 セラフィナが問うと、シェイドは項垂れたまま、「若し、君が止めてくれていなければ……あのまま危うく、奴らを斬り捨てるところだった。若しそうなれば……君の身を、危険に晒すことになりかねなかった」「ううん……気にしなくても、良いよ」「セラフィナ……」「シスター……良い人、だったのにね……」「……あぁ。そう、だな……」 別れ際、悲しそうな笑みを浮かべていたシスターの顔が思い浮かぶ。恐らく彼女は、どのみち自分が助からないことを悟っていたのだろう。 故に彼女は、自分を犠牲にしてセラフィナたちを逃がすことを選択した。その末路が余りにも悲惨だったであろうことは、追っ
last updateLast Updated : 2025-05-07
Read more

第一章 第6話 帝国の支配者

 今から二十五年前──聖教会の用いている教会暦に直すと1175年。"崩壊の砂時計"が、地上に出現した直後。 崩壊の砂時計の出現を、天空の神ソルからの天啓と解釈した聖教会が、全ての異教徒たちの断罪と、全ての聖教徒たちの救済を声高に叫び、ハルモニアを始めとする諸国家に宣戦を布告した。 聖教会側が"|最終戦争《ハルマゲドン》"と呼称したこの世界大戦は当初、技術力に優れるハルモニア帝国軍が優位に戦を進めていたが、天使長ミカエルたちが聖教会側に助力、更には剣聖アレスが登場したことにより、わずか一年ほどで戦局を覆されることとなった。 天使という究極の脅威に対し、異教徒たちが助力を求めた者たち。それは神にも匹敵する力を持った、魔族たちを束ねる五人の堕天使──"死天衆"だった。 ハルモニア帝都──アルカディア。 神殿内の至る所に、巫女の格好をした少女たちの遺体が転がっていた。まだ息絶えて間もないのか、殆どは小さな手や純白のストッキングに包まれた華奢な爪先を、ピクピクと痙攣させている。 彼女たちは全員、ハルモニア国教会に所属する巫女であった。死天衆の召喚という、国家の存亡を賭けた、それでいて危険極まりない儀式に臨んだ、美しく気高く、そして清らかで勇敢なる者たち。 死天衆の一柱が召喚に応じて顕現した直後──彼女たちは顕現によって生じた暴風に吹き飛ばされ、神殿の壁や柱に身体を強く打ち付けられ、そして命を落とした。無事だったのはただ一人、逆五芒星の描かれた魔法陣の中にいた若い男だけであった。「──私を呼んだのは、貴方ですね?」 死天衆が、穏やかな声音で問い掛ける。男性とも女性ともつかぬ中性的な声。だが、長い銀髪を風に靡かせ、涼やかな青い瞳で男を見つめる様は、世に存在するありとあらゆる芸術品が、全て陳腐な|瓦落多《ガラクタ》に見えるほど神々しく、そして美しい。「……あぁ。この私だ」 周囲の惨状に胸を痛めているのか、或いは必要な犠牲だったとはいえ、未来ある少女たちの命を奪ってしまったことに罪悪感を覚えているのか、男は何処か辛そうな顔で、死天衆の問いに応じた。「大地の女神シェオルの使徒よ……"簒奪者"ソルの魔の手からハルモニアの民たちを守るべく、貴公の力を借りたい。どうか我らを救ってはくれまいか」「ふむ……」「頼む……天使どもが、あの簒奪者の犬どもが、聖教会に力を貸
last updateLast Updated : 2025-05-07
Read more

第一章 第7話 帝都よりの使者

 ハルモニア国境守備隊の駐屯地── シェイドは救護所のベッドの上で、退屈しのぎにハルモニア国教会の教典を読んでいた。隣のベッドからは噎せ返るような血の臭いに混じって、夜明けまでそこで意識を失っていたセラフィナの甘い残り香が漂ってくる。 昨晩は新月だったため、医者や衛生兵が夜通し付きっきりでセラフィナの看護をしていた。どうやらセラフィナはハルモニア人たちから特別視されているらしく、必死の形相で彼らは治療に当たっていた。 なお、当のセラフィナだが、夜の間はぐったりしていて今にも死にそうな状態だったというのに、朝になると軽い足取りで、風呂に入ってくると言って救護所から出ていった。呑気なものである。「やぁ──おはよう、シェイド。良い朝だね」 風呂から戻ってきたセラフィナが、無表情のまま軽く片手を挙げる。マルコシアスも一緒だったのか、セラフィナの直ぐ隣で、心做しかご機嫌そうに尻尾を振っている。「おはよう──もう、元気になったのか」「元気かどうかはさておいて、一応は動けるね」「そりゃ良かった」 セラフィナはブーツを脱ぐと、そのままベッドの上に膝を抱えて座り込み、シェイドが教典を読んでいる様子を興味深そうに見つめる。「熱心だね、随分と」「……|生憎《あいにく》これぐらいしか、今はやることがないからな」 国境守備隊に保護された時、シェイドはかなり衰弱していたため、まだ自由に動き回ることを禁じられていた。 因みにセラフィナは保護された時、衣服が土埃や返り血で汚れていた程度で、衰弱していたシェイドとは対照的にケロッとしていた。何故なのかは分からない。「──読んでいて、楽しい?」 厚手の白いストッキングに包まれた小さく可愛らしい爪先を何度か動かしながらセラフィナが尋ねると、シェイドはこくりと頷く。「あぁ、楽しいな。聖教会の教典に書かれていたことと、真逆のことが書かれている」「……例えば?」「俺がガキの頃、大地の女神シェオルは世を破滅に導く魔族の王だと教えられたが、ハルモニア国教会の教えでは天空の神ソルこそ、創造主を騙る"簒奪者"ということになっている」「そうだね。どっちも黙りこくっていて、苦しむ人々に手を差し伸べていないから、五十歩百歩というか、碌でもない存在だと私は思うけど」「だが──この教典には、大地の女神シェオルは簒奪者ソルに胸を刺されて命
last updateLast Updated : 2025-05-07
Read more

第一章 第8話 竜の背に乗り

 帝都アルカディアから迎えのドラゴンがやって来たのは、概ねセラフィナが予想した通り、二日後の夕刻であった。「──こ、これが……ドラゴン……」 鈍い光を放つ黒い鱗……引き締まった巨躯。太陽を背に翼を大きく広げた、威風堂々たるその姿は、見る者に畏敬の念を抱かせる。 生まれて初めて見るドラゴンという生き物に、シェイドは興奮を抑えられない様子であった。まるで、面白いものを見つけた少年のように目を輝かせている。 大地の女神シェオルが、大地に満ちる生命の循環を促すために創造したと言われる生物──ドラゴン。彼らは上位魔族に分類されており、人間にも引けを取らぬ高い知性と、恵まれた身体能力を有している。 巨体に見合わず俊敏で、空を自在に飛べることから汎用性が極めて高く、今回のように最短距離で帝都に行きたい時などは非常にありがたい存在である。「──やっぱり本物は、迫力が違うな……」「──準備は出来た、シェイド?」 背後にいたセラフィナが声を掛けると、シェイドはセラフィナへと向き直り、こくりと頷いた。「あぁ──出来たよ、セラフィナ」「じゃあ、今からドラゴンに乗る際の注意点を教えるね」 セラフィナはシェイドの手を引き、ドラゴンの目の前までゆっくり歩を進めると、「ドラゴンは誇り高い種族。少しでも誇りを傷付けられたと感じると、暴れ出して手が付けられなくなるから、彼らの方が目上であることを、乗る前に示す必要がある。見ていて」 セラフィナはそこで一旦言葉を区切ると、すらりと伸びた細い脚を軽く交差させ、胸に右手を当てながら深々とドラゴンに対して頭を下げた。 ドラゴンは数秒ほど、お辞儀をしているセラフィナをじっと見下ろしていたが、やがてセラフィナの頭に軽く前足をかざした。「──こんな感じ。ドラゴンが頭上に前足をかざしたら、背に乗ることを許された合図だから、許しが得られるまではお辞儀を止めないこと」「……難しそうだな」「そこまで、難しく考えなくても良いよ。乗せてくれる相手に敬意を払う……それだけのこと。さ、やってみて」 セラフィナに促されるまま、シェイドは胸に手を当ててドラゴンに対し一礼する。 ドラゴンはシェイドに顔を近づけると、牙を剥き出しにして唸り声を発する。熱い鼻息が顔に掛かり、冷や汗が背筋を伝う。「……これ、大丈夫なのか? 嫌な予感しかしないんだが」「
last updateLast Updated : 2025-05-08
Read more

第一章 第9話 アルカディアの丘へ

 シェイドが目を覚ますと、ちょうど夜明けを迎えるところだった。 シェイドが起きたことに気付いたのだろう。夜通しドラゴンを駆り続けて少し疲れた様子のセラフィナが、身を軽く捩ってシェイドの顔をちらりと見やる。「おはよう──よく眠れた?」 風に吹かれて大きく靡く長い銀髪を片手で押さえながら、セラフィナは少しだけ顔を綻ばせる。「おかげさまで──あと、どれくらいだ?」 シェイドが尋ねると、セラフィナは前方を指差しながら、「見えてきたよ──ほら」 セラフィナの指す方へと視線を向けると、遙か彼方──巨大な城塞都市が、暁光に照らし出されるのが見えた。「あれが……」「そう。あれが、帝都アルカディア」 帝都アルカディア──元々アルカディアは、都の中心部にある小高い丘の名称に過ぎなかった。聖教会の迫害を受けた者たちが寄り合い、日々を生きるための共同体をアルカディアの丘の上に築いたのが、帝国ハルモニアの始まりとされている。 やがて、アルカディアの丘の頂上に大地の女神シェオルを祀る大神殿が建てられ、その周囲を取り囲むような形で都市が形成され、今の帝都アルカディアとなった。 ハルモニア帝国内には幾つか大都市が存在するが、帝都アルカディアは中でも最も人口が多く、少なく見積っても百万を優に超す人や異人族が暮らしているという。「……迫害から逃れるためのちっぽけな共同体から始まって、今では世界有数の大都市になった、というわけか」 セラフィナの説明を聞いたシェイドは、何処か感慨深そうに眼前に迫ってくる帝都を見つめる。「そうだね。因みに、アルカディアは"理想郷"を意味する言葉になっている。それはそのまま、ハルモニアという国家の掲げるスローガンにもなっていてね。民衆の叛乱とかは、建国から一度も起こっていないらしいよ」 理想郷──その言葉を聞き、シェイドはふと疑問を抱いた。 セラフィナの話を聞く限り、ハルモニアは地上に存在する最後の楽園と言っても差し支えない国である。 アルカディアのような理想郷を創るというスローガンを掲げている点や、建国から一度も叛乱が起きていないという点などから、国民に寄り添う政治が行われており、国民もまたそれに不満を抱いていないことが伺える。 何故、セラフィナはグノーシス辺境伯領のみならず、ハルモニアという国そのものから出奔し、旅人として各地を放浪
last updateLast Updated : 2025-05-08
Read more
PREV
12
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status