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第690話

Author: 月影
乃亜は紗希を抱きしめたくてたまらなかったけれど、結局何もせずに頭を下げ、黙々と朝食を食べ続けた。

朝食が終わると、乃亜は上の階で着替えを始めた。

晴嵐も服を着て、リュックを背負っていた。

木咲は車椅子を押しながら紗希をリビングに運んだ。

「ありがとう、木咲さん」

紗希が言うと、木咲は笑顔で返した。

「紗希さん、少し休んでいてください。何かあれば呼んでくださいね」

木咲が食器を片付けに行くと、紗希は静かに考えた。

「こんなに美しい女性が、どうして足を失ったのだろう?」と。

乃亜が着替えて降りてくると、晴嵐もすっかり服に着替えていた。

まだ三歳の彼は、服がピシッと整っている。

乃亜を見ると、すぐに駆け寄ってきて抱きついた。

「ママ、行こう!」

乃亜はその小さな顔を見て、少し驚きながらも、愛おしさがこみ上げてきた。

「前は保育園行きたくないって言ってたよね?今日はどうして行くの?」

晴嵐は背筋を伸ばして言った。「もっと勉強しないと、ママを守れないから」

乃亜はその言葉に目を見開き、少し驚いた。

「強くなったら、誰にも僕たちを傷つけさせない!」

晴嵐は真剣な顔で言った。

乃亜の目が一瞬、赤くなった。

こんな小さな子が、どうしてこんなに感動的なことを言うんだろう?

その思いに胸が詰まる。

紗希は横でその様子を見て、少し羨ましく思った。

乃亜にはこんなに暖かい晴嵐がいるんだ。幸せだな、と思う。

乃亜はその気持ちを胸にしまい込み、晴嵐の手を取って外へ向かった。

靴を履いて、出かける前に紗希に一声かけた。

保育園に向かう途中、乃亜は晴嵐に言った。「知らない人には話しかけないよ。絶対に知らない人について行っちゃダメだよ」

美咲が逃げている今、何が起きるか分からない。

でも、晴嵐を学校に行かせないわけにはいかない。

だから、ちゃんと自分を守れるようにしてほしい。

保育園に到着し、車を停めると、母子二人の姿に周囲の人々が振り返った。

「ママ、あの男の子、すごくカッコいい!」

「見て、あのママ、めっちゃ美人!」

「もしかして、あの人、有名な女優かな?」

周りの話し声を耳にし、乃亜は晴嵐をさりげなく見た。

彼が特に気にしていないことを確認し、ホッとした。

心配しすぎだったかもしれないと思いながら、晴嵐を保育園の門に送ると
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