俺は頷きながら、彼女の手をそっと握り返した。
「それに、俺も黙ってさらわれるつもりはないしね」
そう言った瞬間、子どもたちの表情が少しだけ和らいだ。
「え……? な、何をするの……?」
不安げに尋ねてくる声に、俺は小さく笑って答える。
「別に暴れたりはしないよ。だから安心して」
「……はぁい」
女の子は小さく頷き、俺の隣にぴたりと寄り添った。 その小さな体の震えが、俺の腕を通して伝わってくる。
――絶対に、守る。 俺はそっと目を閉じ、気配を研ぎ澄ませた。 馬車の外の音、風の流れ、足音の数……すべてを感じ取る。 ミリア、頼む。早く気づいてくれ――。
王都を出るための検問が行われており、馬車はその列に並んでいた。 堂々と馬車に人を乗せて運び出そうとしている――つまり、この国には奴隷制度が存在するということか。 あるいは、兵士の中に協力者がいるのかもしれない。 どちらにせよ、この王国の裏側は、俺が思っていた以上に深く、そして黒い。
やがて、兵士たちが荷物検査にやってきた。
「荷物は何だ?」
兵士の一人が馬車の幌に手をかけ、鋭い視線を向けてくる。
「はい。奴隷の運搬でございます」
盗賊の一人が、慣れた口調で答えた。
「中を見せろ」
「はい……ただの奴隷ですよ」
幌がめくられ、兵士が中を覗き込む。 その瞬間、俺と兵士の視線がぶつかった。
――今だ。
「あの~……俺、拐われたんですけど~」
できるだけ軽く、しかしはっきりと告げながら、懐から王族の紋章が刻まれたナイフを取り出して見せた。 国王から直接渡された、正真正銘の王家の証。
兵士の目が見開かれ、呼吸が一瞬止まったように動きが固まる。 だが、すぐにその表情は鋭く引き締まり、彼は幌を勢いよく閉じると、外に向かって怒鳴った。
「おい! こっちだ!」
その声は、空気を切り裂くように鋭く、周囲の兵士たちが一斉に動き出す気配がした。
――さて、ここからが本番だ。
異変に気づいた盗賊の一人が逃げ出そうとしたが、すぐに取り押さえられた。 その騒ぎに、城壁の上にいた兵士が下の様子に気づき、声をかける。 すると、下の兵士が緊急事態を知らせる合図を送った。
それを確認した城壁上の兵士が、すぐさま非常事態を告げる鐘を鳴らす。 重く響く鐘の音が、王都全体に鳴り渡った。
どうやらこの国では、見張りの兵が鐘の音を聞くと、自分の持ち場の鐘を鳴らしていく仕組みらしい。 こうして非常事態は瞬く間に王都全域へと伝わり、各地で赤い煙が焚かれ、緊急事態の発生とその場所が示された。 同時に、王都のすべての出入り口が封鎖される。
――はぁ……うまくいってよかった。
安堵の息をついたそのとき、目の前の兵士が俺の手元をじっと見つめながら、低い声で言った。
「失礼ですが……それ、本当に王家のものですか? 盗品や偽造品であれば、重罪になります。 ……もしそうなら、もう手遅れかもしれませんが」
その声には、先ほどの驚きとは違う、冷たい警戒の色が滲んでいた。 俺はナイフを見せたまま、肩をすくめて答える。
「さっき、王様からもらったんだけどさ」
できるだけ自然に、正直に。 ――疑われるのは当然だ。でも、これが本物だってことは、すぐに分かるはずだ。
「は? 王様から貰った? 平民がか?」
――うわ。口調が変わったんだけど……。
あのナイフが、まさか身の証どころか裏目に出るとはな。 王様も粋な計らいのつもりだったんだろうけど、まったく厄介な土産をくれたもんだ。 ったく、この世界に来てからというもの、俺の常識が通用した試しがない。
まあ、普通に考えて――平民が王様から王家の紋章入りの短剣をもらうなんて、ありえないよな。 仮に貰うとしても、それは王国に多大な貢献をした人物が、大々的な式典で授与されるようなものだろう。 それを俺は、何の前触れもなく「さっき」なんて言っちゃったわけで……。 何も考えずに事実を口にした自分を、今さらながら殴りたい。
「おい! コイツも怪しいぞ! 捕らえておけ!」
兵士の怒号が飛ぶ。 ……って、え? 盗賊と一緒に捕まるの? 俺、通報した側なんだけど?
また……やらかしたか。 普通なら絶望する場面なんだろうけど、俺にとってはもう、こういう厄介事も日常の一部だ。 慣れてるからいいけどさ……。
王様からもらった短剣に王家の紋章が入ってるから、身分証明になると思ったんだけどな。 まさか逆効果とは。 でも、門が封鎖されて他の拐われた人たちが助かったなら、それでいいか。 それに、この騒ぎを起こせば、ミリアや王様も気づいてくれるだろうし。
……平民の格好が問題だったのか? いや、ミリアだって平民の服を着てても、あのオーラと威圧感で誰も逆らえないしな。 ――オーラと威圧感、か。俺には無いな。ゼロだな。
じゃあ口調か? ……いや、俺があの喋り方を真似したら、確実に殺される。 「生意気な平民め!」って言われて、さらに危険になる未来しか見えない。
そんなことを考えているうちに、俺は牢屋に放り込まれた。 しばらくして、騒がしかった詰め所の中が、突然ぴたりと静まり返る。 兵士たちの緊張が、空気を通して伝わってくる。
「いや、ここでは初めてだし。俺は気にしてないよ」 俺は肩をすくめて笑ってみせたが、ミリアの怒りは収まりそうにない。「ユウヤ様が気にしていなくても――わたくしが、許せませんわ。不愉快です!」 その言葉に、兵士たちは顔を青ざめさせ、王様は額に手を当てて小さくため息をついた。 ――はぁ……面倒だなぁ。でも、俺のことを本気で心配してくれてるのは、やっぱり嬉しい。 ミリアの怒りの矛先が誰かに向かう前に、なんとか場をなだめないと……。「詰め所の方、少し借りてもいいかな? 王様」 俺は王様に向かってそう尋ねた。「は、はい。ご自由に……お使いください……」 凍りついたような表情の王様が、必死に声を絞り出す。 まあ……欲を出して俺を呼び出した結果がこれなんだから、自業自得ってことで我慢してもらおう。 俺も一応“王様の友人”という立場になったわけだし、ミリアのご機嫌取りくらいは頑張ってみるけどさ。 ご立腹中のミリアの腕をそっと取って詰め所の中へと連れていき、王様に声をかけた。「人払いをお願いします」「はい。かしこまりました……」 王様はすぐに兵士たちに命じた。 詰め所の中に残っていた数人の兵士たちは、ミリアの気配に気圧されたのか、慌てて外へと出ていき、扉を静かに閉めた。 静まり返った室内に、ミリアの声が響く。「ユウヤ様……?」 不思議そうに、けれどどこか期待を含んだ目で俺を見つめてくる。「……目を閉じてくれる?」 俺がそう言うと、ミリアは一瞬きょとんとしたあと、はっと何かに気づいたように頬を染め、そっと目を閉じた。「あっ……はいっ♡」 その声は、どこか甘く震えていた。 ミリアは嬉しそうに
――この空気……誰か来たな。 王様か、ミリアか……。 どちらにせよ、ただ事じゃない気配だ。 そう、俺は今――王都の出入り口にある警備兵の詰め所、その牢屋の中にいた。 当然ながら、盗賊と“同じ扱い”で、しかも“同じ牢屋”に入れられているというオマケ付きだ。 ……いや、ほんと、どうしてこうなる。 そんな中、見慣れた顔――王様が詰め所に入ってきた。 目が合った瞬間、その表情が驚きと焦りに染まる。「ユウヤ様……っ! 申し訳ない! このお方を、早くお出ししろ!」 王様が声を荒げて兵士に命じると、周囲の兵たちも慌てて動き出した。 王の言葉に倣い、全員がその場に跪き、頭を垂れる。 だがその顔には、驚愕と困惑が入り混じっていた。 ――平民の男に、王が頭を下げている。 その異様な光景に、兵士たちは内心の動揺を隠しきれていなかった。「いやぁ……王様からもらったナイフ、ちゃんと役に立ったよ」 俺は苦笑いを浮かべながら、皮肉まじりに言った。「はぁ……役に立ったとは到底思えませんが……渡しておいて良かったです」 王様は深いため息をつきながらも、どこか安堵したような表情を浮かべていた。「でも、当然ながら信じてもらえませんでしたけどね」 俺が肩をすくめて言うと、王様は申し訳なさそうに目を伏せた。「……本当に、申し訳ありません……」 その声には、心からの謝罪がにじんでいた。「いや、王様が悪いわけじゃないですから。気にしないでください」 そう言って笑ってみせると、王様はふるふると手を震わせながら、横目で兵士たちを睨みつけた。 その目には、明らかに怒りの色が宿っている。 ――ああ、これは…&hellip
俺は頷きながら、彼女の手をそっと握り返した。「それに、俺も黙ってさらわれるつもりはないしね」 そう言った瞬間、子どもたちの表情が少しだけ和らいだ。「え……? な、何をするの……?」 不安げに尋ねてくる声に、俺は小さく笑って答える。「別に暴れたりはしないよ。だから安心して」「……はぁい」 女の子は小さく頷き、俺の隣にぴたりと寄り添った。 その小さな体の震えが、俺の腕を通して伝わってくる。 ――絶対に、守る。 俺はそっと目を閉じ、気配を研ぎ澄ませた。 馬車の外の音、風の流れ、足音の数……すべてを感じ取る。 ミリア、頼む。早く気づいてくれ――。 王都を出るための検問が行われており、馬車はその列に並んでいた。 堂々と馬車に人を乗せて運び出そうとしている――つまり、この国には奴隷制度が存在するということか。 あるいは、兵士の中に協力者がいるのかもしれない。 どちらにせよ、この王国の裏側は、俺が思っていた以上に深く、そして黒い。 やがて、兵士たちが荷物検査にやってきた。「荷物は何だ?」 兵士の一人が馬車の幌に手をかけ、鋭い視線を向けてくる。「はい。奴隷の運搬でございます」 盗賊の一人が、慣れた口調で答えた。「中を見せろ」「はい……ただの奴隷ですよ」 幌がめくられ、兵士が中を覗き込む。 その瞬間、俺と兵士の視線がぶつかった。 ――今だ。「あの~……俺、拐われたんですけど~」 できるだけ軽く、しかしはっきりと告げながら、懐から王族の紋章が刻まれたナイフを取り出して見せた。 国王から直接渡された、正真正銘の王家の証。 兵士の目が見開かれ、呼吸が一瞬止まったように動きが固まる。 だが、すぐにその表情は鋭く引き締まり、彼は幌を勢いよく閉じると、外に向かって怒鳴った。「おい! こっちだ!」 その声は、空気を切り裂くように鋭く、周囲の兵士たちが一斉に動き出す気配がした。 ――さて、ここからが本
「……それにしても、ずいぶん長くないですか? 少し様子を見てきますわ」 ミリアは不安げに眉をひそめながら立ち上がった。言葉には出さなかったものの、心の奥に、かすかな胸騒ぎが広がり始めていた。 ――変なことになっていなければいいけれど。まさか、置いていかれたなんて思ってませんわよね……? そんな心配を抱えながら、ミリアは武器屋へと向かう。昼間の今は、冒険者たちが依頼に出ている時間帯。店内には他の客の姿はなかった。「先ほど、こちらにいらした方は?」 ミリアが店主に声をかける。微かに焦りを帯びた声色だった。「ええ、だいぶ前に出て行かれましたよ。かなり慌てた様子で、キョロキョロしながらこの先の方へ走って行かれました。もしかしたら、置いていかれたと勘違いされたんじゃないですかね?」 店主の説明に、ミリアの胸がきゅっと締めつけられる。 ――やっぱり……! 誤解させてしまったんですのね……っ!「ユウヤ様の護衛は、どうなっているのです?」 ミリアは鋭い視線で護衛たちを睨みつけた。問い詰められた護衛たちは、言い訳すらできず、沈黙するしかなかった。「な、何をしていたのですか!? ユウヤ様は、わたくしにとって大切な婚約者なのですよ! 護衛をつけないだなんて……本当に、使えない護衛ですわねっ! いますぐ探し出しなさい。もし何かあったら――絶対に許しませんから!」 ミリアの怒声が店中に響き渡る。その叫びには、ユウヤを失ってしまうかもしれないという焦燥と、護衛たちへの激しい苛立ちがにじんでいた。 護衛たちは顔を青ざめさせたまま、慌てて捜索に向かっていく。 王国の兵士も事の重大さを察し、応援を呼びに走り、同時に国王への報告へと向かった。「こんなに護衛がいるのに……誰ひとり、ユウヤ様について行っていないなんて……」 ミリアは不安と苛立ちに胸を締めつけられ、自らの無力さを噛みしめた。 数時間が経ってもユウヤの行方は知れず、焦りはさらに募っていく。彼女は王国兵を呼びつけ、ユウヤの捜索を最優先事項として命じた。もはやその命令は、王国の法律に等しい絶対的なも
前回は店の価格交渉が目的だったから、護衛や使用人を連れていると“金持ち”に見られて不利だと思って断っただけで――別に護衛や使用人が嫌いってわけじゃない。むしろ、今回はお願いしておいたほうが安心だ。 王都に詳しい兵士がいれば、道案内もしてもらえるだろうし、ミリアの護衛も手薄だ。何かあった時のためにも、念のため備えておいたほうがいい。「ミリアの護衛が少ないので、護衛は助かります」「お役に立てそうで良かったです」 王様は嬉しそうに答えた。完全に王様が友達感覚というか、明らかに接待をする側になってるな……まあミリアを怒らせたのは王様なので仕方ないか。♢王都散策 王城から王都へ出てきた。 王城から出ると、活気があって賑やかで苦手だけど、たまには賑やかな場所も良いかな……。喧騒が耳に届き、様々な匂いが鼻をくすぐる。焼き立てのパンの香ばしい匂い、色とりどりの布地が風になびく音、大道芸人の軽快な音楽。五感が刺激され、少しずつ気分が高揚していく。 この賑わいの裏には、見えない影が潜んでいるような気がした。こんなに活気があるのに、どこか底知れない不穏さを感じるのは、俺が異世界から来たせいだろうか。 ミリアに腕を組まれて、商店を回って買い物を楽しんだ。通りには様々な露店が並び、活気ある声が飛び交っている。「へぇ……こんなのもあるんだ?」 俺は興味深そうに、ある店の店頭に並べられた武器を見つめた。手裏剣に似たような武器があった。へぇ~投げる武器もあるんだ……注意をしておかないとだな。この世界では、思いがけない場所から脅威が飛んでくるかもしれない。「投げて使う武器かしら?」 ミリアは俺の視線を追って、同じものを見た。彼女の好奇心旺盛な瞳が、武器をじっと見つめている。「はい。買ってすぐには使用は難しいですが……訓練して使えるようになれば、とても便利でございます」 店主
「それもそうですわね」 ミリアも納得したようだ。「まぁ……ミリアがいてくれれば、問題ないと思うけどさ」 俺がそう言うと、ミリアはぷくっと頬を膨らませた。「か弱いわたくしに、いったい何をさせようというのですか……?」「いやいや、か弱い女の子が王様をイジメたりしないでしょ」「イジメてませんわ……」 ミリアは膨らませた頬のまま、ぷいっとそっぽを向いてしまったけれど、からかわれてるだけだと分かってくれてるようで良かった……。「じゃあ治癒の薬と美容薬を作って帰りますか」「はぁい♪ ユウヤ様」 ミリアは楽しそうに返事をした。「ユウヤ様、本当にご婚約を?」 王様が、恐る恐る尋ねてきた。その声には、まだ不安が残っているようだ。「え? あ……はい」 俺は曖昧に答えてしまった。「ユウヤ様……なんですの、その間は?」 ミリアが不満そうに俺を見上げた。「えっと……俺で本当に良いのかなと……ミリアはお姫様だったし」 王様より地位のあるミリアが平民の俺と結婚して良いのか? 結婚して俺はどうなるんだ? 不安なんですけど。その心配を王様がしてくれてるのか……? 俺の内心は、期待と戸惑いが入り混じっていた。「ユウヤ様じゃなきゃダメなのです!」 ミリアはきっぱりと言い放った。その声には、一切の迷いがなく、強い意志が込められていた。「だそうです」 俺は王様の方を見た。「そうですか……ご婚約おめでとう御座います」 王様は、安堵したように言った。その顔には、重い荷を下ろしたかのような清々しさが見える。「有難う御座います」