LOGINある日世界に突如として異次元への「ゲート」が現れた。その扉の向こうに広がるのは「ダンジョン」と呼ばれる異質な世界。ダンジョンという現象の出現に伴い、ダンジョンを攻略し、その消失を生業とする「ダンジョンクリーナー」たちが現れた。いまいち社会に溶け込めずどこか疎外感を抱いていた主人公「水瀬 優」は苦悩の末、ダンジョンクリーナーを目指すことになる。超常の力が交錯するダンジョン。そこを生き抜く人々の物語であり、これは……彼の神話だ。
View Moreある日、世界各地に「ゲート」が現れた。
ゲートといっても扉のような姿をしているわけではない。
言うなれば、空間に空いた穴。
ある種の空間の歪み。
そういった現象だ。
ゲートの向こう側にはまるでアニメやゲームのような、いわゆるファンタジーという言葉でくくられるような空間が生成されていた。
その空間はリアルタイムで成長し、変容し、やがて実体化する。
ゲートが出現した場所の周囲がそのままゲート内の空間に置き換わってしまうのだ。
そうなれば当然、魑魅魍魎とでもいうべき魔物たちが解き放たれてしまう。
後にその異空間は「ダンジョン」と呼称されるようになった。
初めにゲートが現れたのは東京という大都市のど真ん中。
突如現れた謎のゲートは人々の注目を集めたが、ダンジョンの実体化が起きてしまってからそれどころではなくなった。
瞬く間に都市中に魔物があふれ、何人も死んだ。
そしてその後……何者かの手によって実体化したダンジョンは東京ごと消滅させられた。
その事件から数十年と時は進み、ダンジョンに立ち入った者が特別な力に目覚めることがあると明らかになる。
そこからは、ある種の新時代の到来である。
ダンジョンがあるのが当たり前の時代、そしてそれを攻略する者たちの時代。
そんな特別な力に目覚めた攻略者たちを人々はこう呼ぶ。
「ダンジョンクリーナー」と。
そしてまた、今ここに新たなダンジョンクリーナーが生まれようとしていた。
◇◇◇
いつからこうだっただろう?
もしかしたら初めからこういう運命だったのかもしれない。
俺の名前は水瀬 優。
どこにでもいる普通の学生……少し前まではそうだった。
しかし、その身分も失った。
今の俺は何者でもない。
漠然と、どうにかなると思ってきた。
なるようになると、そういう風に考えていた。
現に今までどうにかなって来たし、最終的には大団円のオチが待っていると思っていた。
そしてその結果、無残にも社会から振り落とされた。
職もなければ愛想もない。
社会に居場所がないと、まるで自分が人間でないみたいだった。
今の俺には何も無い。
かといってそんな空虚な人生に自ら別れを告げる度胸もない。
「もう……」
カーテンを閉め切った部屋で一人頭を抱える。
「もう、おしまいだぁ……」
俺の心境を知ってか知らずか、窓の外からは電線の上を跳ねるスズメの鳴き声が聞こえてきた。
「ぬわあああああ……!!」
そうして哀叫しながらアスファルトの上をのたうつミミズのように自室の床を転がっていると、部屋の扉がノックされるのを聞く。
コンコン、と軽快なリズムで二回。
ノックは二回ではマナー違反だ、と結実することのなかった努力の足跡が無意味に頭の中に浮かぶ。
無論自室の扉をたたいてくるのは家族なので、そこにマナーもくそもない。
「優くん、いる~……? 一応ご飯できたんだけどぉ……」
「はい、います。ゴミ人間はここにいます! ウゥッ……」
「……あちゃ~、いまそういう時間かぁ……。じゃあ……まぁ、お姉ちゃん先食べてるね」
結局、ドアが開かれることなく足音は遠ざかっていく。
いまのは姉さんだ。
人間の失敗作みたいな俺と違って基本的に何でもできて、人当たりもよくて俺にだって優しいし、おまけに美人だし……。
とにかく、完璧とは言わずとも真っ当にできた人間だ。
どういう仕事をしているかとかは実は詳しく知らないのだが、姉さんのおかげで姉弟二人暮らしでも何ら不自由することは無かった。
「本当に……」
それに比べて俺はいったいどうしたんだか。
何を間違ったわけでもないのに、こうしてくすぶっている。
いや、もしかしたら間違うのが怖くて何もしてこなかったのかもしれない。
ただずっと、真っ当に生きているつもりで足踏みをしていただけなのかもしれない。
「……よっと」
何はともあれ、一日中のたうっているつもりもないので立ち上がる。
せっかく姉さんが作ってくれた料理なのだから、冷ましてしまってはもったいない。
それにどうせ姉さんのことだ、先に食べているとは言いつつも俺を待っているだろう。
だから服だけ着替えて、急いで部屋を出た。
リビングに向かうと、案の定姉さんは待っていた。
二人用の小さめのテーブルに頬杖をついて、ニュース番組のコーナーの一つである動物たちの映像集みたいなのを眺めている。
そこそこ大きめのテレビ画面には仰向けのまま笹の葉をむさぼる自堕落の究極系みたいなパンダが映っていた。
「この子、かわいいね。優くんみたい」
「ウッ……それは……すみ、ません……」
「あっ、いや違くて! そういう意味じゃないからもー!」
慌てて姉さんが俺の言葉を否定する。
どうやら俺のことを食っちゃ寝するだけの怠惰なパンダと言いたいわけではないようだ。
いや、さすがにそうでないということはもちろん分かっていたが。
「うそうそ、冗談だから。姉さんがそう焦ることでもないって」
「……でも優くん自虐で普通に傷つく人だし……」
「それは……まぁそう……」
姉さんの言葉に苦笑いしながら椅子に座る。
テーブルに並べられているのは簡素ながら手の込んだ朝食だ。
わかめの味噌汁から暖かい湯気が上っている。
姉さんは俺が座ったのを見て満足げに頷いてから、やっと箸を持ち上げた。
「いただきます」
そういう姉さんに合わせて俺も朝食に手を合わせる。
感覚としてはどっちかというと食材にというか姉さんに手を合わせてる気分だ。
それが済むと、姉さんはすぐにテレビのリモコンを手に取る。
お行儀よく食事を始めたからと言って、別に最後までそうというわけでもないのだ。
少なくともウチでは。
姉さんはいつもテレビを見ながらご飯を食べるし、俺もその姉さんに時折目をやりながら食事をしている。
チャンネルが何度も切り替えられ、中途半端に途切れた音声が連続する。
時々何か興味のある言葉に惹かれたのかリモコンを操作する手が止まるけれど、結局また別の番組に変えていた。
今日はなかなか見たい番組が決まらないようだ。
『本日は全国的に……』
『……を記念して……が……』
『旧首都の消滅。あれから……』
様々なニュース番組が告げる日常。
日々をちゃんとした一人の人間として生きている人たちに向けられた言葉。
そのどれもが今や俺には関係がない。
「姉さん……たぶんもうチャンネル一周したよ……」
「ん~……あんまり面白いのやってないなぁ……」
「まぁ、朝だし。こんなもんでしょ」
味噌汁を一口すすって、姉さんに言う。
姉さんはつまらなそうな顔をして、諦めたようにリモコンを置いた。
結局、最初に見ていたニュース番組で固定される。
その番組では動物のコーナーなどもう終わっていて、今は違う話題が中心になっていた。
それは……。
『……史上最年少のB級クリーナーが、ここ日本で誕生しました! なんと14歳でB級に昇格ということで、今多くの注目が彼女に集まっています!』
アナウンサーのはきはきした声。
それが告げるのは、ダンジョンクリーナーについての話だった。
ダンジョンクリーナー。
スキルさえ目覚めれば誰でもなれて、この番組で紹介されている少女のように若くして成功を収める可能性だって秘めている。
死と隣り合わせだけれど。
そんななか、この少女は若々しい才能を携えてB級に昇格したのだ。
スキル覚醒さえすれば、C級まではわりと行けるらしい。
ところがB級はそうはいかない。
B級の壁、なんて言葉が生まれるほどだ。
「へぇ、14歳……無垢ちゃんだって。すごい子もいるんだね~」
「……でも、本来子どもにこんなことさせるべきじゃないだろ。まぁ、俺が言えたことじゃないけど……」
俺の言葉に姉さんが一瞬目を丸くする。
そして少ししたら柔らかく微笑んだ。
「……ふふ、そうだよね。確かに! 優くんは優しいね」
「ウッ……」
「え、ちょっと! ほめてるのに何でそうなるのさ~!」
姉さんのまっすぐすぎる笑顔は、場合によっては悪口以上に効くのだった。
優しい人間ならこんなところで立ち止まってないよ。
しかしあの歳でB級か……。
となると収入は……。
少し考えて、そしてすぐにやめる。
あまりにも自分がみじめに思えてきたからだ。
才能さえあれば億万長者も夢じゃない。
ダンジョン内で手に入る物質は基本的に高値が付くし、高難易度のダンジョンを攻略すればそれだけで大儲けだ。
なんとも夢のある話だが……俺とは住む世界が違過ぎる。
もう目に見えているのだ。
きっと俺はC級どころかスキル覚醒すらしない。
そんな才能、あるわけない。
そうだ。
この現状もなるべくしてなったんだ。
俺ははなから失敗作で、何の才能もなく、空っぽで……。
「あーもう!! すぐそういう顔する!!」
突然、ぐわんぐわん視界が揺れる。
何かと思えば、姉さんが俺の頭をわしわし乱雑に撫でていた。
そうやって髪の毛をぐちゃぐちゃにして、テレビを消す。
「ふぅ……まったく。あの手の話は今の優くんには毒だったかもね」
「…………」
姉さんの言葉に何も言えなくなる。
ひどくみじめで、言葉が出なかった。
「そりゃさ、受けたところことごとくお祈りメールで、おまけにバイトもクビになったら誰だって落ち込むよ!」
「ウッ……」
「今はそれ禁止!」
ぺちんと、姉さんの指先が額をたたく。
「……けどね、優くんは優くんのペースでいいの。焦らないで。急がないで。お姉ちゃんは、ずっと優くんのそばにいるから! だからさ、大丈夫。大丈夫だよ。ね?」
まるで子どもを慰めるような表情で、姉さんは俺の顔を覗き込む。
それに俺は、黙って頷くほかなかった。
姉さんは優しい。
でも、だからこそ今のままではいけないと、強くそう思うのだ。
自分に言い聞かせる。
お前が最後に本気になったのはいつだ?
そう問いかければ、いやでも自分のどうしようもなさが見えてくる。
結局そう、本当に俺は今まで足踏みをしていただけなのだ。
前に進もうとしなかった。
姉さんの優しさに甘えて。
いつだってそう、自分に何も無いかもしれないということを知るのを恐れて、本気になれなかった。
壁にぶつかる前に「ここは自分に向いていない」と背を向けてきた。
だけど、流石にそろそろ姉さんの優しさに応えなければならない。
人として、成し得なければならない最低ラインだ。
それほどに俺は姉さんに守られ、救われてきた。
だから、今できることをしなければならない。
そしてそれは……。
「姉さん、とんでもないこと言っていい?」
住む世界が違う?
どうせそんな才能などない?
本当に……?
確かめもせず何を言っているんだ、俺は!
「なぁに? 優くん?」
姉さんが首をかしげる。
「俺……俺さ……」
言え!
臆するな、退路を塞げ!
いい加減人間になれ!
「俺、ダンジョンクリーナー……試してみる」
宝くじよりはまだ現実的な確率だろう、たぶん。
テレビの14歳に感化されてなんて馬鹿みたいだけど、頭から可能性を否定して賽を振らないのはもっと馬鹿だ。
姉さんは俺の言葉に不安そうな表情を浮かべる。
しかし決して首を横には降らなかった。
「うん、分かった。あんまり危ないことは……だけど、優くんが決めたならお姉ちゃんも手伝う。応援してるからね!」
俺の肩に手を置いて、姉さんは深く頷く。
そして数秒後、体の力をフッと抜いた。
そして笑う。
「へへ、ご飯冷めちゃったね」
「あ、ごめ……」
申し訳ないのと、なんだか小恥ずかしいような気持ちで頭をかく。
もちろんそれで気がまぎれるようなことはなかった。
そしてそんな俺の顔を、姉さんは穏やかな表情でじっと見つめる。
「え、っと……姉さん?」
「ふふ……優くんは優しいね」
「え……え? なんで?」
「なんでも」
なんだか分からないけれど、そうやって姉さんがくすりと笑うのが無性に嬉しかった。
重力から引き剝がされるように、異次元へと飲まれる。既に慣れ親しんだ感覚がいつもより重い。しかしそれは錯覚に過ぎず、ただ俺の心の不安が体さえも重く引きずっているだけだった。 一呼吸が終わらないうちに、光の奔流から吐き出され視界がひらける。次の瞬間、俺は体育館の床を踏みしめていた。「待っていましたよ」 俺が皐月の姿を捉えるよりも早く、冷たい声が耳元をかすめる。その確かに聞き覚えのある声に、内臓が縮み上がるかのようだった。この感覚は……恐怖に他ならない。 先生、俺たちができるだけ出会いたくない相手……。そして……きっと会うだろうという予感のあった相手……。 その声に呼吸は凍てつき、しかしこうなった今その顔を見上げるしかなかった。「今度は体育館に直通ね……。ま、何となくそんな気はしてたけど……まんまと私たちは誘われてきたわけだね」 皐月は先生と、それからその傍らに立つ春の方を見ながらため息を吐く。ただ、そのため息に絶望や失望の感情はこもっていなかった。「そういうわけだから、お誘い通りちゃんと来てあげたよ……先生……?」「ふふ……」 皐月の視線を受けて先生は笑う。春はただ縋り付くようにその腕に抱かれていた。「まぁ、わたしとしては別にどちらでもよかったのですが……手間が省けましたね。どのみちそこの忌々しい男は殺しますが……あなたはその限りではないのですよ?」 先生はこんな事態に至ってもまだ”慈悲深い指導者”を気取っているのか、皐月に憐れむような眼差しを注ぐ。それに皐月は言葉でなく、ただ中指を立てることで答えた。 決して臆さない皐月の姿に勇気づけられて、俺も先生と春の方へ一歩踏み出す。そして一目で作り物と分かる張り付いた微笑みを睨みつけた。「なぁ、今外で何が起こってるか……知らないってことはないよな? あんた、いったいみんなに、春に、何やったんだよ……先生……?」「先生……この立場と呼び名に関しては気に入っていましたが……あなたに呼ばれると不愉快極まりないですね。あなたが我が物顔で生きているだけで、今この瞬間わたしの聖域で呼吸をしているだけで気分が悪くて仕方がありません。ですが、あなたも所詮憐れな人形……わたしが何をしていたか、教えてあげましょう。そしてその上で全てを奪い去ってあげましょう」 先生もまた、こちらに一歩踏み出し
春の背中を追って凍り付いた地面の上を走る。自身の体重が足元に響く感覚が希薄で、妙な感触だった。ただもう流石に慣れても来たので足を滑らせるようなこともない。「春っ……!!」 交わした言葉も、共有した時間も少ない。それでも俺の声できっとその脚を止めてくれるだろうとその背中に呼びかけた。「……っ」 俺の声はその背中にしっかり届き、春をこちらに振り向かせる。その瞳は俺と、それからその隣に居る皐月を映した。「よかった……」 俺の声に反応してくれたことにひとまず安堵する。春の歩みも緩み、ややつまずくような形で氷の上を滑る。その前のめりになって転倒しそうになる背中に手を伸ばした。「春……見つけられてよかった。春も分かってると思うけど……今起きてることは普通じゃない……それで……」「それで、あの”教室”へ向かうのはやめて。黒幕はあそこの……先生だから」 焦りや感情が先行してしまっていた俺の言葉に、皐月が淡々と付け加える。春はアスファルト上に張った氷に踵を踏ん張らせてぎりぎり転倒を免れる。そして……。「分かってる。分かってるよ……そんなこと」 その肩に届こうとしていた俺の手を、春は振り払った。そしてすぐに、こちらから視線を外して再び走り出してしまう。「ちょ、春……!? だからダメだって……!」 とっさに引き留めようと言葉を吐き出すが、もう春は俺の声に応じない。どれだけ力を込めたとしても中学生の少女の腕力、しかしその明確な拒絶は物理的に伝わってくる衝撃以上の痛みをもたらした。「水瀬、悪いけど気遣ってられないから……ちょっと乱暴するよ……」 突然の拒絶に思考停止状態に陥ってしまっていた俺とは対照的に、皐月は冷静に手を下す。皐月は走り去ろうとしている春の背に手を伸ばすと、手のひらの中心から放出するように氷の結晶を撃ち出した。そのままの勢いで春を貫いてしまいそうな氷の結晶は、しかし命中する寸前で網のように広がり春に絡みつこうとする。が……。「……」 瞬間、鋭い光が氷に包まれた路地で跳ね返る。枯れ枝のように、血管のように大気を焼け焦がす、稲妻。それは一瞬だけ眩く輝くと、密度の薄い煙になった。電撃によって砕かれた結晶が、散らばって凍った地面を滑る。それは俺たちのつま先にこつりとぶつかって、役目を終えたようにすぐに溶けてしまっ
ビルの陰から、通路の奥から……人の背丈の1.5倍ほどの怪物が這い出して来る。それらは少し前までは確かにここにあったはずの日常を瞬く間にむしばんでいった。どこかで誰かの悲鳴がする。その声すら搔き消すように、クリーナーたちの放つ攻撃が迸った。 皐月はその状況に退屈そうにため息を吐く。「はぁ……どいつもこいつも大したことなさそうな奴ばっか。そんなに面白くなさそうだね」「お、おい……そんなこと言ってる場合かよ……」「大丈夫……。ただ、いくら元人間って言ったって……少しくらいは痛い目見てもらうけどね」 皐月は俺の言葉にそう答えると、眼前で繰り広げられる戦場へと一歩踏み出す。そのつま先がアスファルトを叩いた瞬間、そこを中心に花弁が開くかのように地面が凍結していった。「……っ」 初めてちゃんと見る皐月の能力に息をのむ。凍結、という点では俺の使えるものとも同じだが……その影響範囲はこの数秒にも満たない時間で俺のものを優に超えていた。 地表を伝って広がっていく凍結はその結晶を成長させながら都市全域に広がっていく。その氷の結晶は魔物たちの動きを制する檻となった。「ま、足止めするってだけならこれで十分でしょ。あとは撃ち漏らしを個別に処理するだけ……」 幾分か寒くなった廃都近縁で、あまりにもあっけなく場を収めて見せた皐月は悠々と残りの仕事を片付けるために歩き出す。先ほどまで魔物と交戦していたクリーナーたちも、突如凍結した魔物を前にその手を止め、その眼差しを皐月に注いだ。「おい、あれって……」「皐月無垢、だよな……?」 惨状が一転、瞬く間に静寂に包まれた都市にクリーナーたちが口々につぶやく声が響く。「水瀬、ほら行くよ。まだ自由に動けてる魔物も居るはず、それに……まだ魔物になってない人も、まだまだ居るはず。ここはまだ安全とは程遠いんだから、気を緩めないで」「あ、ああ……分かった……」 皐月は周囲の人々の注目にうんざりしたような表情を浮かべ、少し入り組んだ路地の方へ逃げるように駆けていく。俺も数センチの厚さの氷が張った地面の上で滑りかけながらもその後を追った。「なぁ、皐月……あの魔物たちって、その……戻れるのか?」 残党を探す皐月の後ろに続きながら、尋ねる。皐月はそれ自体にはさして興味なさそうに「さあね」と答えた。「……でも、あの先生が
「……外が……」 まだ鹿間さんとの電話途中だが、少し外が騒がしくなってくる。皐月もそれが気になったようで、窓際に寄り下の景色を眺めた。『……すまない、水瀬くん……。ちょっと、こっちの方でも……対応しなきゃいけない事態みたいだ……。ちょっ……』 鹿間さんの方でも何かが起き始めているのか、電話に鹿間さん以外の不明瞭な声が割り込んでくる。その後『済まない、とにかく二人は……今は念のため外に出ないでいてくれ』とだけ言って、電話が切れてしまった。「あっ……」 いったい何がどうなっているのか。もう誰ともつながっていない電話をポケットにしまい、窓際の皐月に歩み寄る。そしてその肩越しに街並みを見下ろすと……。「なんだ……これ……」 朝の静けさの中にあった街の状況は、一変していた。「魔物だ……。それも、一体や二体じゃない」 皐月はホテルの外に広がる光景を冷静に言い表す。あの教室を除けばゲートすら存在していなかったこの廃都近縁に、多数の魔物が現れていた。大きさや姿はまちまち、ダンジョン内部の魔物に見られるような一貫性が……ここに突如として現れた魔物たちにはなかった。「あ、おい……皐月……!」 この状況を見るなり、皐月は部屋の出口へ駆け出してしまう。その肩を引き寄せようと手を伸ばすが、俺の指先はぎりぎり届かなかった。「待って、皐月! 鹿間さんが待ってろって……!」「知ってる。聞こえてた。水瀬は……言うとおりにしたいって言うなら、ここで待ってればいい。けど……結局私たちが何のためにここに来てるのか、やらなきゃいけないことが何なのか……後悔しない選択をした方がいいよ」「それはっ……」 一度は足を止めた皐月だったが、俺を試すかのような一瞥をくれると……いよいよ外へ駆け出してしまった。「それは……そう、だけどさ……」 ホテルの部屋のドア。そこを潜り抜けてしまえば、俺はおそらく……この混沌の渦中に放り込まれる。鹿間さんの命に背いてだ。今思えば……こういう時の皐月を引き留めるのも、鹿間さんが俺に期待した役割だったのかもしれない。 あのドアの向こうへ俺も行きたい。一度踏み出してしまえば、ある意味では……楽になれるのだ。けれど……。「……ふっ」 うじうじと得意でもないのに色々と考える俺が、少しばかばかしくなってくる。そうだ、この期に及ん