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第375話

Author: 春うらら
彼の声は低く、どこか甘く誘うような響きがある。

その声は結衣の鼓膜を震わせ、そのまま胸の奥まで染み渡るかのようで、心臓までもが騒がしく鼓動を始めた。

彼女は手を伸ばしてほむらを抱きしめ返し、低い声で言った。「ええ。でも、明日からにしましょう。今夜は、私がおばあちゃんのそばにいたいから」

ほむらは軽くため息をついた。「分かったよ」

彼が立ち去った後、結衣はベッドのそばへ歩み寄り、時子の手を握った。

「おばあちゃん、誰があなたの降圧剤をすり替えたのか、もう突き止めた。その裏にいる黒幕も、きっとすぐに見つけ出す。だから、今は何も考えずに、ゆっくり休んでくれ。何があっても、私がずっとそばにいる。もう二度と、誰にもあなたを傷つけさせたりしないから」

時子の目尻から涙が滑り落ち、感情が高ぶったように「うー……うー……」と声を発した。

時子が何かを言いたげにしているのに気づき、結衣は彼女に顔を近づけた。「おばあちゃん、何を言いたいのか?」

「うー……会……うー……社へ……」

結衣は目を伏せ、時子の双眸を見つめて言った。「おばあちゃん……私に、汐見グループを継いでほしいのか?」

「うん……」

時子は苦しそうに頷いた。

結衣は時子の手を握る力をゆっくりと強め、しばらくして、ようやく決心を固めた。「分かった。引き受ける。私が、汐見グループを継ぐ。でもその前に、おばあちゃんは必ず元気になってくれ。でないと、私、安心して会社で働けないから」

「うー……うう……分かった……」

時子が眠りに落ちた後、結衣はソファに戻って腰を下ろした。

今回、時子が何者かに陥れられたことで、結衣は悟った。自分が汐見家の争いに巻き込まれたくないと願っても、相手は自分を見逃してはくれないのだと。

守りたい人を守るために汐見グループを継ぐしかないのなら、それを受け入れるしかない。

しかし、会社を継ぐ前に、裏でこそこそと動いている人間を一人残らず見つけ出さなければならない!

翌朝、和枝が結衣と交代するためにやって来た。

病室のドアを開けると、ソファの上で薄い毛布だけをかけて丸まって眠る結衣の姿が目に入り、和枝の目に心配そうな色が浮かんだ。

時子が脳出血で入院してからというもの、静江と満は一度も世話をしに来ようとせず、結衣だけが昼間は仕事をし、夜は病室で時子に付き添っている。

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