「汐見結衣(しおみ ゆい)様、先日ご予約いただきました結婚式場の件ですが、キャンセルということでよろしいでしょうか?」結衣はスマホを握る指先にぐっと力を込めたが、声に感情はなかった。「ええ、お願いします」「かしこまりました。それでは、キャンセル手続きを進めさせていただきます」「ありがとうございます」電話を切ると、結衣は薬指から結婚指輪を抜き取り、テーブルに置いた。それから立ち上がって、スーツケースを引いて家を出て行った。……半月前。夕方、結衣は一件の裁判を終えて、裁判所を出るとすぐにスマホを確認した。LINEを開くと、ピン留めされたトーク画面には、結衣が送った数十件のメッセージが並んでいたが、相手からの返信は一件もなかった。先月、二人は結婚式の招待状のデザインで口論になった。その翌日から、婚約者の長谷川涼介(はせがわ りょうすけ)は海外出張に出てしまった。この一ヶ月間、結衣がどんなにメッセージを送って仲直りを求めても、涼介はすべて既読無視だった。この関係において、結衣は惨めなほど自分を低くして尽くしたが、それでも涼介の心を取り戻すことはできなかった。親友の相田詩織(あいだ しおり)は見ていられず、皮肉交じりにこう言ったものだった。毎年あれほど多くの離婚訴訟を担当して、数々のくず男を見てきたでしょう?なのにどうしてまだ長谷川涼介にこだわって、彼の本性を見ようとしないの、と。実は、結衣は涼介の本性が見えていないわけではなかった。ただ、どうしても手放せなかったのだ。かつてあれほど愛し合っていた二人が、最後には心が離れて、互いに嫌悪しあう結末を迎えることが耐えられなかった。そして結衣は……涼介のことを、どうしても諦めきれなかった。八年も一緒にいたのだから、結衣にとって涼介がいない自分など想像もできなかった。そして彼のいないこれからの生活を、いったいどう送ればいいのか、皆目見当もつかなかった。メッセージを打ちかけていた、まさにその時。突然、スマホの通知が画面に表示された。涼介のSNSが更新された知らせだった。投稿されていたのはシンプルな海の写真。だが結衣は、それが自分が涼介と一緒に行きたいと何度も話していたモルディブだとすぐに分かった。結衣の指が止まってから、彼とのトーク画面に戻ろ
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