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第8話

Auteur: 青の波
それからの日々、私は自分のために生きる練習を始めた。

新しい服を買って、髪型も変えて、インターネットも使えるようになった。

ネットで旅行サイトを見て、全国をあちこち見て回る計画を立てた。

この間、美咲が時々会いに来てくれた。でも彼女はあまり話さず、ただ黙って掃除を手伝い、少しそばにいてくれるだけだった。

年末年始は海外旅行に行くことにした。

出発する前に、お別れを言おうと思って美咲の家へ向かった。

美咲はドアを開けて私を見ると、一瞬きょとんとして、それから家にあげてくれた。

部屋の中は、なんだかガランとしていた。

美咲は水を一杯いれてくれると私の向かいに座った。そして長い沈黙の後、小さな声で聞いてきた。

「私、間違ってたかな?ただ、あなたみたいな女性にはなりたくなかっただけなのに」

私は顔を上げて美咲のことを見つめ、その目元をゆっくりと眺めた。

記憶が、ふと30年前に飛んだ。この子がちょうど歩き始めたころだ。黄色の小さなワンピースを着て、リビングの向こうからよちよちと駆け寄ってきた。

小さな手には食べかけのクッキーが握られていて、私の胸に飛び込んできたとき、甘え
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    それからの日々、私は自分のために生きる練習を始めた。新しい服を買って、髪型も変えて、インターネットも使えるようになった。ネットで旅行サイトを見て、全国をあちこち見て回る計画を立てた。この間、美咲が時々会いに来てくれた。でも彼女はあまり話さず、ただ黙って掃除を手伝い、少しそばにいてくれるだけだった。年末年始は海外旅行に行くことにした。出発する前に、お別れを言おうと思って美咲の家へ向かった。美咲はドアを開けて私を見ると、一瞬きょとんとして、それから家にあげてくれた。部屋の中は、なんだかガランとしていた。美咲は水を一杯いれてくれると私の向かいに座った。そして長い沈黙の後、小さな声で聞いてきた。「私、間違ってたかな?ただ、あなたみたいな女性にはなりたくなかっただけなのに」私は顔を上げて美咲のことを見つめ、その目元をゆっくりと眺めた。記憶が、ふと30年前に飛んだ。この子がちょうど歩き始めたころだ。黄色の小さなワンピースを着て、リビングの向こうからよちよちと駆け寄ってきた。小さな手には食べかけのクッキーが握られていて、私の胸に飛び込んできたとき、甘えた声で「ママ」って呼んだ。でも、目の前にいる美咲は、目元にうっすらと疲れを浮かべていた。話し方にも、今まで見たことのない戸惑いがにじんでいるようだ。この子は、間違っていたのだろうか。多分、そうなのでしょ。慎吾や誠と一緒になって私に隠し事をしていたことや、誕生日に私を一人で置いていったこと。それに、あんな冷たい言葉で私を傷つけたことは間違いだった。でも、私にも悪いところはあった。自分は兄弟と比べられてつらい思いをしたから、この子には精一杯、一番いいものを与えようと、いつもそう思っていた。でも、その「一番いいもの」が、この子が本当に欲しがっていたものなのか。私は一度も聞いてあげない。そしてもっと大きな間違いは、私がこの子に、いい父親を選んであげられなかったことだ。その時、ふと以前に慎吾が彼の友達に言っていた言葉が脳裏をよぎった。「彩花って名前、彩り豊かで綺麗だろ?だから娘にも、彩花みたいに美しく、彩り豊かな人生を送ってほしいなって思って、『美咲』にしたんだ。『美』も『咲』も、綺麗な花を連想させるし、彩花の名前とも響きが合うかなって思ったんだよ」あ

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    心臓がどきんと鳴ったけど、それ以上は考えなかった。ただ、あの人たちからできるだけ遠くへ行きたい、そう思った。……ホテルに着くと、部屋を一つとって弁護士に電話した。離婚協議書をできるだけ早く送ってほしいと頼んだ。やるべきことをすべて終えて、やっとソファに崩れるように座り込めた。窓の外を行き交う車を、ただぼんやりと眺めていた。ポケットの中でスマホが震えた。美咲からのメッセージだ。【お母さん、どこにいるの?お父さんも私も、必死で探してるんだよ】メッセージを見つめ、しばらく画面の上で指をさまよわせた。そして、やっと一言だけ返信した。【私は大丈夫だから、心配しないで】ホテルに隠れればしばらくは安全だと思っていた。でも、夕方になって、やっぱり面倒なことになった。夕食を買いに外へ出て、ホテルから一歩踏み出したところで、黒いパーカーを着た男二人に行く手を阻まれた。男たちは私の両脇を固めると、一人が口をふさぎ、もう一人が腕をつかんで近くの路地裏へ引きずり込もうとした。必死にもがいて男の手に爪を立てた。でも、壁に強く突き飛ばされ、後頭部を打ちつけて激しい痛みが走った。「おとなしくしろ!さもないと痛い目にあうぞ!」男の声はしゃがれていて、脅すような響きがあった。目を凝らして見ると、男たちの襟元に小さな銀色のバッジがついているのに気がついた。あれは昔、誠が働いていた工事現場で配られていたバッジだった。慎吾と誠が差し向けた男たちだと気づき、心臓が凍りついた。その時、一台の白い原付バイクが突然突っ込んできて、そのハンドルが男の一人の腰に激突した。男は痛みにうめき声をあげ、私をつかんでいた腕を放した。私はその隙に後ろへ下がり、原付バイクに乗っていた人を確認した。美咲だ。髪はぼさぼさで、顔にはほこりがつき、手にはスパナを握りしめていた。声は震えていたけれど、その口調はとてもきっぱりしていた。「母から離れて!さもないと警察を呼ぶわよ!」「なんでお前がここに?」私を捕まえていた男は、彼女が現れるとは夢にも思っていなかったようで、一瞬呆気に取られていた。美咲は私をかばうように原付バイクを横付けし、スパナを高く振り上げた。「あなたたちのこと、つけてきたの!父と誠に言われて、母を捕まえに来たんでしょ?

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    私は当せん証明書を受け取って、ざっと目を通した。間違いがないのを確認すると、職員に「ありがとうございます」と言った。誠が真っ先に態度を変えた。さっきまでバカにしたように笑っていたのに、途端に媚びるような笑顔になった。彼は私のそばに駆け寄ってきて、腕を掴もうとした。「お母さん!本当に宝くじが当たったんだね!いやあ、すごいね!この前は、俺が悪かった。あんなひどいことを言ってしまって……どうか、気にしないでね」私は一歩うしろに下がって、その手をよけた。誠の手が宙で止まり、笑顔が少し引きつった。でも、彼はすぐにまたにこやかな表情を作った。「お母さん、当せん金を受け取ったばかりで、疲れただろう?家まで送るよ。それに家には、あなたの大好物の料理もあるし。美咲に作らせるから」慎吾も近寄ってきた。でも、彼は誠みたいに、あからさまに機嫌を取ろうとはしなかった。ただ眉をひそめて、何かを言いかけたように口を動かしただけで、結局言葉にはしなかった。その目には、ためらいの色が浮かんでいた。私の手にある当せん証明書と、彩花を交互に見て……どうやら頭の中で何か計算しているようだ。その時、彩花は慎吾のそばへ歩いていくと、そっと彼の腕に自分の腕をからめた。「慎吾、あなたと茜さんはまだ離婚してないでしょ?この当せん金は夫婦の共有財産になるはずよ。法律上は、あなたの分が半分あるんじゃないかしら?」その言葉は、慎吾と誠にとって、まるでカンフル剤のようだ。慎吾はぱっと目を輝かせ、すぐに背筋をぴんと伸ばした。そして、急に強気な口調になった。「そうだ!茜、俺たちはまだ離婚してない!この金は俺の分が半分あるんだ!お前一人で独り占めはさせないぞ!」誠も、それに乗っかってきた。「そうだよ、お母さん!このお金はあなたとお父さんの共有財産じゃないか。俺たちは口出しすることじゃないけど、あなたが一人で全部持っていくのを見過ごすわけにはいかないよ。それに、俺と美咲にはまだ家のローンが残ってるんだ。だから、そのお金を少し分けてもらえたら、俺たちも助かるんだけどね」私は、彼らの浅ましい顔つきを見ながら、心の中で冷たく笑った。ついこの間まで、私を家から追い出して、さんざんバカにして、見下していたくせに。宝くじが当たったと知った途端、きれいごとを

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