LOGINもうすぐ60歳だというのに、私も流行りに乗ってみて、娘の夏川美咲(なつかわ みさき)と指折りゲームを始めた。 私は得意な気持ちを隠しもせず、笑いながら手をあげた。 「私にはね、すっごく賢い娘がいる!」 それを聞いて、美咲はほぼ顔色ひとつ変えずに、指を一本だけ曲げた。 「私、新しいお母さんができたの」 その言葉に私は固まってしまい、顔に浮かべていた笑みもこわばった。 だが美咲は落ち着いた目で私を見つめ、静かに言葉を続けた。 「その人、お父さんの初恋の相手なんだって」 それを聞いて私は強張った指を宙に浮かせたまま、頭の中が真っ白になった。 そして、さっきまで言おうとしていた言葉もろとも、この突然の告白で全部吹き飛んでしまったようだ。 しまいには、喉まで出かかっていた言葉までも、ぐっと飲み込んでしまった。 本当は……宝くじで、10億円も当たったの。 それを全部、あなたにあげようと言おうと思ったのに。
View Moreそれからの日々、私は自分のために生きる練習を始めた。新しい服を買って、髪型も変えて、インターネットも使えるようになった。ネットで旅行サイトを見て、全国をあちこち見て回る計画を立てた。この間、美咲が時々会いに来てくれた。でも彼女はあまり話さず、ただ黙って掃除を手伝い、少しそばにいてくれるだけだった。年末年始は海外旅行に行くことにした。出発する前に、お別れを言おうと思って美咲の家へ向かった。美咲はドアを開けて私を見ると、一瞬きょとんとして、それから家にあげてくれた。部屋の中は、なんだかガランとしていた。美咲は水を一杯いれてくれると私の向かいに座った。そして長い沈黙の後、小さな声で聞いてきた。「私、間違ってたかな?ただ、あなたみたいな女性にはなりたくなかっただけなのに」私は顔を上げて美咲のことを見つめ、その目元をゆっくりと眺めた。記憶が、ふと30年前に飛んだ。この子がちょうど歩き始めたころだ。黄色の小さなワンピースを着て、リビングの向こうからよちよちと駆け寄ってきた。小さな手には食べかけのクッキーが握られていて、私の胸に飛び込んできたとき、甘えた声で「ママ」って呼んだ。でも、目の前にいる美咲は、目元にうっすらと疲れを浮かべていた。話し方にも、今まで見たことのない戸惑いがにじんでいるようだ。この子は、間違っていたのだろうか。多分、そうなのでしょ。慎吾や誠と一緒になって私に隠し事をしていたことや、誕生日に私を一人で置いていったこと。それに、あんな冷たい言葉で私を傷つけたことは間違いだった。でも、私にも悪いところはあった。自分は兄弟と比べられてつらい思いをしたから、この子には精一杯、一番いいものを与えようと、いつもそう思っていた。でも、その「一番いいもの」が、この子が本当に欲しがっていたものなのか。私は一度も聞いてあげない。そしてもっと大きな間違いは、私がこの子に、いい父親を選んであげられなかったことだ。その時、ふと以前に慎吾が彼の友達に言っていた言葉が脳裏をよぎった。「彩花って名前、彩り豊かで綺麗だろ?だから娘にも、彩花みたいに美しく、彩り豊かな人生を送ってほしいなって思って、『美咲』にしたんだ。『美』も『咲』も、綺麗な花を連想させるし、彩花の名前とも響きが合うかなって思ったんだよ」あ
心臓がどきんと鳴ったけど、それ以上は考えなかった。ただ、あの人たちからできるだけ遠くへ行きたい、そう思った。……ホテルに着くと、部屋を一つとって弁護士に電話した。離婚協議書をできるだけ早く送ってほしいと頼んだ。やるべきことをすべて終えて、やっとソファに崩れるように座り込めた。窓の外を行き交う車を、ただぼんやりと眺めていた。ポケットの中でスマホが震えた。美咲からのメッセージだ。【お母さん、どこにいるの?お父さんも私も、必死で探してるんだよ】メッセージを見つめ、しばらく画面の上で指をさまよわせた。そして、やっと一言だけ返信した。【私は大丈夫だから、心配しないで】ホテルに隠れればしばらくは安全だと思っていた。でも、夕方になって、やっぱり面倒なことになった。夕食を買いに外へ出て、ホテルから一歩踏み出したところで、黒いパーカーを着た男二人に行く手を阻まれた。男たちは私の両脇を固めると、一人が口をふさぎ、もう一人が腕をつかんで近くの路地裏へ引きずり込もうとした。必死にもがいて男の手に爪を立てた。でも、壁に強く突き飛ばされ、後頭部を打ちつけて激しい痛みが走った。「おとなしくしろ!さもないと痛い目にあうぞ!」男の声はしゃがれていて、脅すような響きがあった。目を凝らして見ると、男たちの襟元に小さな銀色のバッジがついているのに気がついた。あれは昔、誠が働いていた工事現場で配られていたバッジだった。慎吾と誠が差し向けた男たちだと気づき、心臓が凍りついた。その時、一台の白い原付バイクが突然突っ込んできて、そのハンドルが男の一人の腰に激突した。男は痛みにうめき声をあげ、私をつかんでいた腕を放した。私はその隙に後ろへ下がり、原付バイクに乗っていた人を確認した。美咲だ。髪はぼさぼさで、顔にはほこりがつき、手にはスパナを握りしめていた。声は震えていたけれど、その口調はとてもきっぱりしていた。「母から離れて!さもないと警察を呼ぶわよ!」「なんでお前がここに?」私を捕まえていた男は、彼女が現れるとは夢にも思っていなかったようで、一瞬呆気に取られていた。美咲は私をかばうように原付バイクを横付けし、スパナを高く振り上げた。「あなたたちのこと、つけてきたの!父と誠に言われて、母を捕まえに来たんでしょ?
私は当せん証明書を受け取って、ざっと目を通した。間違いがないのを確認すると、職員に「ありがとうございます」と言った。誠が真っ先に態度を変えた。さっきまでバカにしたように笑っていたのに、途端に媚びるような笑顔になった。彼は私のそばに駆け寄ってきて、腕を掴もうとした。「お母さん!本当に宝くじが当たったんだね!いやあ、すごいね!この前は、俺が悪かった。あんなひどいことを言ってしまって……どうか、気にしないでね」私は一歩うしろに下がって、その手をよけた。誠の手が宙で止まり、笑顔が少し引きつった。でも、彼はすぐにまたにこやかな表情を作った。「お母さん、当せん金を受け取ったばかりで、疲れただろう?家まで送るよ。それに家には、あなたの大好物の料理もあるし。美咲に作らせるから」慎吾も近寄ってきた。でも、彼は誠みたいに、あからさまに機嫌を取ろうとはしなかった。ただ眉をひそめて、何かを言いかけたように口を動かしただけで、結局言葉にはしなかった。その目には、ためらいの色が浮かんでいた。私の手にある当せん証明書と、彩花を交互に見て……どうやら頭の中で何か計算しているようだ。その時、彩花は慎吾のそばへ歩いていくと、そっと彼の腕に自分の腕をからめた。「慎吾、あなたと茜さんはまだ離婚してないでしょ?この当せん金は夫婦の共有財産になるはずよ。法律上は、あなたの分が半分あるんじゃないかしら?」その言葉は、慎吾と誠にとって、まるでカンフル剤のようだ。慎吾はぱっと目を輝かせ、すぐに背筋をぴんと伸ばした。そして、急に強気な口調になった。「そうだ!茜、俺たちはまだ離婚してない!この金は俺の分が半分あるんだ!お前一人で独り占めはさせないぞ!」誠も、それに乗っかってきた。「そうだよ、お母さん!このお金はあなたとお父さんの共有財産じゃないか。俺たちは口出しすることじゃないけど、あなたが一人で全部持っていくのを見過ごすわけにはいかないよ。それに、俺と美咲にはまだ家のローンが残ってるんだ。だから、そのお金を少し分けてもらえたら、俺たちも助かるんだけどね」私は、彼らの浅ましい顔つきを見ながら、心の中で冷たく笑った。ついこの間まで、私を家から追い出して、さんざんバカにして、見下していたくせに。宝くじが当たったと知った途端、きれいごとを
娘の言葉には答えず、私の視線は、慎吾と彩花が握り合っている手に釘付けになっていた。慎吾は一瞬かたまり、思わずその手を放しそうになった。でも、すぐに何かを思いついたみたい。急に開き直った態度で、私に向かって怒鳴った。「おい、聞いてるのか!茜、なんでお前がここにいるんだ?まさか、俺たちの後をつけてきたんじゃないだろうな?」すると誠が、人を馬鹿にしたような口ぶりで話しかけてきた。「いい歳して、若い子みたいに人の後をつけるなんて。もしかして、お父さんから離婚されるって聞いて、何か弱みでも探して慰謝料をふんだくろうって魂胆なのか?」彼の声は大きくないけれど、ちょうど周りで換金を待っている列の人たちには聞こえるくらい、絶妙な声量だ。案の定、周りから好奇の目が一斉に向けられた。その視線は、私の洗いざらして白っぽくなったTシャツに突き刺さった。でも私は、彼らが思ったであろう気まずさを全く感じず、とても落ち着いていた。私が口を開こうとした時、彩花は、慎吾の腕を軽く引っぱった。「慎吾、ここは外だよ。そんなに大声を出したら、周りに笑われちゃうじゃない」しかし、口ではそうやって慎吾をなだめているけど、彼女の私に向けられたその目には、隠しきれない優越感が浮かんでいた。そこでようやく美咲が口を開いた。その声はものすごく不機嫌なものだ。「お母さん、一体こんなところで何してるの?昨日だって一晩中帰ってこないで。うろつき回って、何かあったらどうするつもり?」彼女も口では心配しているふりをしているようだけど、その目には心配の色なんて少しもなかった。あるのは、ただ「面倒なことになった」という苛立ちだけのように見えた。私はぐっと息を吸い込み、落ち着いた声で言った。「当せん金を受け取りに来たの」「当せん金?」慎吾は、ぷっと吹き出した。そして、ホールの壁で流れている当選案内の表示を指さした。「まさか、あの一等賞の10億円が当たったとでも言うつもりか?夢を見るのもいい加減にしろよ。スーパーで10円でも安い野菜を探して駆けずり回って、同じTシャツを20年も着続けているようなお前が、なけなしのお金で宝くじなんか買うもんか?」すると周りにいた人たちも、つられて笑い出した。その一つ一つの笑い声にこもった悪意が、私の耳に響いた。もちろ