「それこそ、RISEの本拠地に連れて行ったのかもね。薄暗い部屋、ぼんやりした灯にゆっくりした一定間隔の音。外部の刺激を極力なくして、同じ場所に何日も閉じ込めると、人は思考力が低下する」
「かくれんぼサークルのヤリ部屋みたいな?」
晴翔の問いに理玖は頷いた。
ヤリ部屋という表現が、何とも生々しい。
「睡眠を出来る限り削り、食事を少なめに、特に糖質を減らして更に思考力を削ぐ。その環境で、二人にとって心地よい言葉だけを与え続ける。例えば……、好きな気持ちを隠さなくていい。空咲さんと恋人になれる方法がある、とかね」
晴翔が、ぐっと息を飲んだ。
「心地の良い言葉とセットで、RISEの理念を教え続ける。WOは至高の存在、normalは愚物、onlyはotherの子供を産むべき。WO同士なら好きになっていい。……積木君の話から抜粋すると、そんな感じかな」
晴翔の顔が蒼褪めた。
「思考を低下させた状態で、二人の気持ちや本音を聞き出して、RISEの理念と共に心地よい言葉を与え、行動を促す。成功例が、晴翔君を襲った白石君なんだろうね」
自分で話していても、吐き気がする。
人間の自由意思を奪ってまで子供を産ませて人口を増やそうとするやり方が、気持ち悪い。そこまでしてWOを増やして、何がしたいのだろう。
「白石君が、俺を想ってくれていたなんて、全然気が付かなかった。それどころか俺にとっては、大勢いるバスケ部員の一人でしかなくて。真野君みたいによく話すわけでもなかったから、むしろ印象の薄い子でした」
晴翔が後悔した顔で俯いた。
「もっと話し掛けていたら、何か違ったのかな」
理玖は手を伸ばして晴翔の頭を撫でた。
「学生全員と話ができるわ
「向井先生、ですよね? すみません。迎えに行こうと思ったんですけど」 小走りに学生が駆け寄ってきた。「鈴木君? どうしたの?」 晴翔が向き直る。 名前から察するに、かくれんぼサークルのサークル長・鈴木圭だろうか。 國好が少しだけ理玖に寄ったから、きっとそうなんだろうと思った。「今日は助手の佐藤さんがお休みなので、僕がご案内するようにって言われていて。一階で待っていたんですが、すれ違っちゃったみたいです。すみません」 鈴木が申し訳なさそうに頭を下げる。「俺たちも早くに来ちゃったから、気にしなくていいよ」 晴翔が自分の腕時計を眺めながら労う。 約束の時間より十分近く早いから、すれ違っても仕方がないが。 学生にそんなことまでさせなくてもいいのに、と理玖は思う。(愛人を我が物顔で使う感じも、嫌いだ。そもそも学生の本分は勉学なのに) 午後二時は三限の真っ最中だ。 かくれんぼサークルのサークル長が話に参加してくれるなら、理玖としては有難い。だが、学生が優先すべきは講義だ。「鈴木君は、三限の講義はないの? 講義を休んでまで、折笠先生に付き合う必要はないよ」 折笠の言付で講義を休んだのなら言語道断だ。 ちょっとくらいは文句を言ってやろうという気になった。「水曜の午後は、講義を入れていません。出来るだけ折笠先生のお役に立ちたいので、僕がお願いして仕事をもらっているだけなんです。向井先生とのお話にも同席するよう言われています」 照れた顔で鈴木がおずおずと答える。 折笠への恋慕の強さ
時計を確認した國好が立ち上がった。「そろそろ時間です。折笠准教授の研究室に行きましょう」 理玖の白衣の襟の裏に、栗花落が小さな盗聴器を付けた。「お話し中、俺は部屋の外で待機しています。何かあれば、突入します。向井先生や空咲さんが気が付かれた異常があれば、呼んでください」 一介の警備員が理玖たちと一緒に折笠の部屋に入り込んで話を聞くのは無理がある。妥当な方法だと思った。 第一研究棟の真後ろに第二研究棟が建っている。 古くて小さい第一研究棟の倍以上の横幅で八階まである。学生棟よりは古いらしいが、それでも第一研究棟に比べたら遥かに新しい。「難点は、学生棟を通らないと第二研究棟に行けない所だよね」 第一研究棟の通用口は、第一学生棟と繋がる一か所だけだ。その通用口を通って、第一学生棟から後ろの第二学生棟を経由し、第二研究棟に入らないと、折笠の研究室に辿り着かない。 近くに見えるのに遠い場所だ。「第一研究棟の一階の北側にある非常口から出ると、近いんですけどね」 晴翔が反対側を指さした。 第一研究棟の北側の非常口を出ると、第二研究棟の非常口が目の前にある。そこから入って階段を昇る方がずっと近い。 第一研究棟と第二研究棟の非常口は職員駐車場に隣接しているので、こっそり利用する職員も多い。その為、暗黙の内に夜間以外は開錠されている。「本来なら非常口は非常時以外、施錠されているべきだよ。通ってはいけない」 防犯の観点からも、日中の開錠はよろしくないと思う。 晴翔が理玖の顔を覗き込んだ。「あの非常口、呪いの研究室の真ん前ですもんね」 ぽそり
「立場としては、お二人と似たような感じっす。ただね、佐藤さんの方から、内密にしてくれって言われてるもんでね。特に向井先生にはバラすなってね」 栗花落が困った顔で苦笑する。「なんで、僕……。関わりたくないから?」 素朴な疑問だ。 普通に考えて、職を失う原因になった生徒と再会なんか、したくないだろう。今の自分を知られたくないとも、考えたかもしれない。「そうでは、ありません。満流は貴方を守るために折笠の助手に入った。貴方を疎んじたりはしていません」「僕を、守る……?」 理玖の呟きに、國好がはっとして、苦い顔をした。「國好さん、内密の意味」 栗花落が諦めた顔を向ける。 國好が息を飲んで顔を真っ赤にした。「佐藤さんは内緒にしてほしいんでしょうけど、俺と國好さん的には向井先生に佐藤さんの本当の気持ち、知ってほしいって思うんすよ。だから國好さん、中途半端な態度になっちゃって」 栗花落が國好の肩を叩いて慰めている。 國好が片手で頭を抱えている。 理玖は國好を見詰めた。 その視線を無視できなかったのか、國好が気まずそうに顔を上げた。「懲戒免職に、なってから。更生するまでの約束として、満流は親父の所に通っていました。私立探偵のような仕事を始めて、軌道に乗るまで、八年くらい。俺は、その頃からの友人で」 國好の顔が赤い。 何ともぎこちない話し方のせいで、余計に気持ちが籠って感じる。 歳が近い國好と佐藤が友人になるのは、あまり不思議ではないと思った。「向井先生の事件に関して、満流の口からは、ほとんど何も聞いていません。だけど、アイツがWO優先
俯いていた晴翔が、思い出したように顔を上げた。「研究室に来る前に、事務に寄って聞いたんですが。積木君も父親の病院に入院しているって。二週間の休学申請が出ているそうです」 驚いた理玖とは裏腹に、國好と栗花落は訳知り顔をしている。「入院? 頭を打ったからかな。そういえば、僕が講堂を出た後のことをまだ、聞いていませんよね。佐藤さんと積木君は、どうなったんですか?」 積木はあの時、佐藤に思いっきり蹴り飛ばされて頭部を教壇に強打していたから、入院したとしても納得だが。佐藤は、どうなったのだろう。(というか、國好さんたちと、どういう関係なんだろう) 午前中は弁当窃盗から報告書事件、かくれんぼサークルの話でほとんど終わってしまった。 國好が、あからさまに理玖から目を逸らした。「積木大和は頭部を打撲する怪我をして一週間の入院だそうっすよ。都合が悪い事実が発覚した時の政治家や有名人ばりの雲隠れっすかねぇ」 RISEの存在を警察から隠すための時間稼ぎだろうか。 理玖が積木との会話を警察に話せば、任意の取り調べくらいはあるかもしれないが。「向井先生との会話だけでは、証拠不十分で逮捕には至れません。白石が持っていた違法な興奮剤の出所の特定と向井先生の事件で証拠が上がれば、引っ張れないこともないですが」 理玖は國好をじっと見詰めた。 さっきから國好に目を逸らされている気がする。「僕はまだ、積木君との会話の内容を國好さんにお伝えしていませんが」「協力者からの情報提供です」 早口で言葉を切ると、國好があからさまに顔を逸らして押し黙った。 あの状況での協力者など、佐藤満流以外にいないと思うのだ
國好たちが晴翔の入院先に見舞いに来た次の日は、水曜日だ。 折笠と午後二時に話をするアポを取っている。 國好と二人で行こうと思っていたら、午前中に退院した晴翔が大学に午後出勤してきた。(昨日、話に出なかったから、てっきり忘れていると思っていたのに) だから理玖もあえて、話題には出さなかったのに。「今日、退院したばかりなんだから、無理しないで家で休んでいいよ」 敢えて促してみる。 晴翔が、じっとりと理玖を|睨《ね》めつけた。「俺は忘れてませんから。ちゃんと考えてましたから。國好さんと二人だけでは行かせませんから」 どうやら、しっかり覚えていたらしい。 理玖が休めというのを見越して、晴翔も敢えて話題に出さなかったのだろうか。「というか、皆さんは何をしているんですか?」 晴翔が大変、怪訝な顔でテーブルを眺める。 二人掛けのソファに挟まれて置かれたテーブルの上には、籠に山盛りのクッキーが置いてある。 理玖と向かい合って、國好と栗花落が座っていた。「今日の午前中、僕は休みだったから、國好さんたちと一連の事件の擦り合わせをしていたんだよ」 本当なら理玖も昨日一日、療養休暇の予定だったが、火曜日の午前には二年生のWO講義が二限に入っている。だから休みを昨日の午後と今日の午前にずらした。「そうですか……。クッキーは理玖さんの手作りですか?」 一目で理玖の手作りと見抜く辺り、晴翔も慣れてきたなと思う。 昨日、晴翔の見舞いから帰っても何となく落ち着かなくて、気晴らしに作ったクッキーだった。
國好と栗花落が帰ってから、晴翔が布団に転がって不貞腐れていた。「あんなの、狡いです。普通に格好良い。誰でも惚れる」 國好の話をしているんだろう。 跪いて手を握る様が、まるで物語に出てくる騎士のようではあったが。「確かに格好良かったけど……。晴翔君、國好さんに惚れちゃったの?」 理玖には確実にない要素だ。 そういう部分に晴翔も惚れるのだろうか。 ゴロンゴロンしていた晴翔が動きを止めた。「今のは一般論です。俺は惚れません」 晴翔の手が伸びてきて、理玖の顎を掴まえた。「理玖さんの、こういう顔が見られるなら、ちょっと許せる」 晴翔がニコリと笑む。「こういうって、どういう?」「俺が他の人に惚れたかもって思って、不安になる顔」 顔が近付いいて、唇が触れるだけのキスをする。 理玖を見詰める瞳が妖艶で、そっちの方が何倍もドキドキした。(國好さんは騎士《ナイト》系イケメンだったけど。晴翔君は晴翔君で王子様系イケメンだからな。僕は爽やか笑顔の王子様が好きらしい。……時々、ワンコ系だけど) 理玖の乙女脳が解析を始めた。 あざと可愛い系の栗花落といい、何とも個性的だなと思う。 自分が一番、没個性だと理玖は思った。「というか、積木君はどうなったんでしょうね。佐藤と一緒に講堂に置いてきちゃったんでしょう?」 晴翔の素朴な疑問を聞いて、理玖も思い出した。「そうだった。國好さんに聞き忘れちゃった。佐藤先生は警察の協力者かと思ってたん