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第4話

Auteur: 匿名
「菖蒲、遅くなってすまない」啓太が沈んだ顔で言う。

「おばあさんがこんなに急に逝ってしまうなんて……思ってもみなかった」

優香は啓太が来たのを見ると、気を利かせて部屋を出て行った。睦月との別れの時間を二人きりにしてくれたのだ。

部屋を出る前、優香は啓太に釘を刺した。「菖蒲ちゃんはいま体が弱っているから、しっかり面倒を見てあげてね」

啓太は真剣な顔で約束した。「ご心配なく、山下さん。必ずそうする」

優香がいなくなると、菖蒲は冷たく言い放った。「出ていって。あなたの顔なんて見たくない。

おばあちゃんだって、きっとあなたに会いたくないわ!」

菖蒲の、人を寄せ付けないような態度を見て、啓太は深いため息をついた。

「菖蒲、俺を責めてるんだろう。でも、俺にも事情があったんだ。

この間、会社が経営危機に陥ってね。それを救ってくれたのが、結衣のお父さん、B市の近藤グループの近藤健二(こんどう けんじ)さんなんだ」

健二?

菖蒲はきょとんとした。その名前にどこか聞き覚えがあるような気がした。どこで聞いたんだろう?

啓太は続けた。「近藤会長には、結衣という一人娘しかいないんだ。しかも彼女は、小さい頃から体が弱くて病気がちで。

そんな結衣に、おばあさんのために献血させるなんて、できるわけないだろう?」

「近藤会長って?」

心によぎったかすかな既視感を無視して、啓太の説明を聞きながら、菖蒲は鼻で笑った。

「結衣さんはただの配達員じゃなかったの?それがどうして、急にどこかの会長の娘になるわけ?」

啓太は言った。「結衣は、子供っぽいところがあってね。

前にお父さんと喧嘩して、家を飛び出しちゃったんだ!

それで、自分の決意を示すために、お父さんのお金は一切使わないって言って、配達員をやってたんだよ。

A市では知り合いもいないから、俺が面倒を見てやるしかなかったんだ!」

この説明は筋が通っているように聞こえた。しかし菖蒲には、啓太が結衣の話をするとき、目が優しくなり、口元の笑みが隠しきれていないのがはっきりと見えた。

菖蒲は何も言わなかった。

啓太は、菖蒲の態度が和らいだと勘違いしたらしい。彼は一歩前に出て菖蒲を抱きしめ、誓うように言った。「菖蒲、前の俺の態度がお前を傷つけたことは分かってる。

埋め合わせをするチャンスをくれないか?」

啓太が真剣に言うのを見ながら、お腹の中にいる7年間待ち望んだ子供のことを思った。

菖蒲の心は揺れた。もう一度、啓太を信じてみようか?

……

退院後、菖蒲は啓太と一緒に家に帰った。

しかし、玄関のドアを開けた瞬間、目の前の光景に菖蒲は凍りついた。

結衣が、自分のシルクのネグリジェを着て、寝室から出てきたのだ。

濡れた髪、お風呂上がりの火照った頬。その態度はあまりにも自然で、まるで結衣がこの家の主であるかのようだった。

菖蒲は勢いよく振り返り、後ろにいる啓太を睨みつけた。「どうしてこの人がここにいるの?」

啓太は当然といった様子で前に出た。「菖蒲、言っただろう?

結衣は知り合いがいないんだ。俺が面倒を見てやらなきゃ!」

「面倒を見るって?」菖蒲の声は震えていた。

「だからって、私の家に住まわせて、私の服を着せるわけ?

じゃあ次は、私の夫も譲れって言うつもり?」

その言葉に、結衣は瞬く間に目に涙を溜め、気まずそうな表情を見せた。

そしておどおどと啓太の服の裾を掴んだ。

「啓太さん、ごめんなさい。私が悪いの、菖蒲さんを怒らせちゃって……

この服はすぐ着替えるし、私もすぐに出ていくから……」

しかし啓太は、またしても結衣の前に立ちはだかった。彼は眉をひそめて言う。「菖蒲!いい加減にしろ!

結衣は今、頼れる人がいないんだ。俺はただ、助けてやってるだけだ!

お前はもっと心の広い人間だったはずだ。どうして今は、そんなに人を追い詰めるようなことばかり言うんだ?」

啓太の心底がっかりしたような顔を見て、菖蒲はたまらなく皮肉に思えた。

ついさっきまで自分を熱く抱きしめていた夫が、今は別の女を庇っている。

もう一度啓太を信じようと思ったさっきまでの自分が、馬鹿みたいだと思った。

菖蒲は疲れていた。「分かったわ。もう何も言わない。

今はただ休みたいだけなの。そこをどいてくれる?」

結衣は唇を噛んで道を譲ろうとしたが、啓太にぐっと腕を引かれた。

啓太の口調は氷のように冷たかった。「結衣は体が弱いんだ。寝室じゃないとゆっくり休めない。

菖蒲、今夜は家政婦部屋で寝ろ。

冷静に話せるようになったら、また話をしよう」

その瞬間、菖蒲の中で、心が粉々に砕け散る音がした。

菖蒲は啓太を見た。その瞳にもはや愛情はなく、底なしの悲しみと絶望だけが宿っていた。

「いいわ、家政婦部屋に行く」菖蒲は、驚くほど静かにそう言った。

背を向け、一歩、また一歩と、狭く冷たい部屋へと向かった。

ドアを閉めると、こらえていた涙がついにあふれ出た。

菖蒲はスマホを取り出した。待ち受け画面は、6歳の菖蒲と直美、そして睦月が一緒に写っている写真だった。

直美が病気で亡くなった後、幼い菖蒲は睦月の温かい腕の中で思う存分泣くことができた。

でも今は、睦月も逝ってしまった。この苦しみを、誰に打ち明けたらいいのだろう?

菖蒲は直美と睦月の写真を見つめ、つぶやいた。「お母さん、おばあちゃん、私どうしたらいいの?」

写真の中の直美は、か弱さの中にも芯の強さを感じさせた。

睦月の眼差しは優しく、それでいて賢明だった。

菖蒲は、子供の頃、直美に「パパは?」としつこく聞いていたことを思い出した。

すると直美はこう答えた。「パパは悪いことをしたの。だから、ママはもう一緒にいたくないのよ。

菖蒲、大丈夫よ。パパがいなくたって、菖蒲は元気で幸せに大きくなれるわ!」

菖蒲の中で、答えが見つかった気がした。彼女は歯を食いしばって涙をぬぐうと、スマホで検索を始めた。「A市の離婚弁護士」と。

もう、全てを終わらせる時が来たのだ。

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