Partager

第5話

Auteur: 匿名
睦月の葬儀は、どんよりと曇った日の午後に行われた。

「ひだまり子供の家」の先生や子供たち、それに、睦月に助けられたたくさんの人たちも参列してくれた。

小さな告別式場は、すすり泣く声でいっぱいだった。

菖蒲は喪服に身を包み、大きな悲しみをこらえながら、弔問客の対応をしていた。

優香がずっとそばにいてくれて、時々小声で尋ねた。「菖蒲ちゃん、大丈夫?少し座って休んだら?」

菖蒲はただ首を横に振るだけだった。でも、ついドアの方に視線を送ってしまう。

施設の子供たちが何人か、菖蒲の服のすそを引っ張って、無邪気に聞いた。「菖蒲姉ちゃん、啓太兄ちゃんは?」

優香は心配そうな顔をした。「菖蒲ちゃん、啓太くんと喧嘩でもしたの?

だって……そうでなきゃ、藤原園長の葬儀のことを、どうして私に知らせに行かせたりするの?」

菖蒲はうつむいたまま、何も言わなかった。

優香は、言い聞かせるように続けた。「菖蒲ちゃん、あなたと啓太くんは、二人とも私が小さい頃から見てきた子なのよ。

二人が結婚した時は、施設の皆が本当に喜んだんだから。

夫婦なんて、喧嘩しない方が珍しいわ。

でもね、啓太くんがあなたを想う気持ちは本物だって、私には分かる……」

優香が語る啓太との子供の頃の思い出話を聞いていると、菖蒲は鼻の奥がツンとして、涙がこぼれそうになった。

啓太はもう他の人を好きになってしまったなんて、優香にどうやって伝えればいいんだろう?

その時、告別式場の入り口に二人の姿が現れた。啓太と、彼のすぐそばに寄り添う結衣だ。

なんてこと。睦月の葬儀に、この女を連れてくるなんて。

菖蒲の顔から、さっと血の気が引いた。

菖蒲は足早に近づくと、啓太を無視して結衣を睨みつけた。そして、氷のように冷たい声で言った。「ここはあなたが来ていい場所じゃない。帰ってちょうだい」

結衣はびくっとして、啓太の後ろに隠れるようにしながら小声で言った。「菖蒲さん、私、あなたのおばあさんをお見送りしたくて……」

「お見送り?」菖蒲は心底馬鹿らしくなった。「いったいどういう立場で?

おばあちゃんが事故に遭う原因を作った加害者として?それとも……」

菖蒲は周りを見渡すと、怒りを必死に抑え、声を潜めて続けた。「その孫から夫を奪った、泥棒猫として?」

「違う……そんなことしてない……」結衣は、みるみるうちに目を赤くした。

今にも泣き出しそうな結衣の様子を見て、啓太はたまらなく可哀想に思った。

彼は不快感をあらわにして、菖蒲を見た。「菖蒲、言い過ぎだぞ!

結衣はおばあさんが亡くなったと聞いて、わざわざ弔問に来てくれたんだ。善意で来てくれたんだよ。

どうしてそんなひどい言い方ができるんだ?」

「啓太!」菖蒲は、こぶしを固く握りしめた。

啓太に言い返したかった。でも、周りの人たちの目があって、ぐっとこらえた。

睦月の葬儀で醜い騒ぎを起こしたくない。睦月を、安らかに見送りたかった。

でも、菖蒲が我慢すればするほど、相手はつけあがるだけだった。

すると、結衣が突然苦しそうに胸を押さえ、顔をしかめた。

啓太はすぐに駆け寄って、心配そうに尋ねた。「結衣、どうしたんだ?」

結衣は弱々しく言った。「啓太さん、私、菊の花粉アレルギーなの」

啓太は焦った。「なんだって!どうして早く言わないんだ!」

彼は式場のスタッフを呼びつけた。「ここの供花を全部片付けてください!」

スタッフはきょとんとして、信じられないという顔で聞き返した。

「供花を、片付けるんですか?」

「ああ、すぐに!」啓太の口調は、有無を言わせないものだった。

傍にいた菖蒲は、怒りで全身が震えた。声も、抑えきれない怒りでかすかに震えていた。

「啓太、気は確かなの!

今日はおばあちゃんの葬儀なのよ。それなのに、この女のために供花を片付けろって言うの!

葬儀を台無しにするつもり?」

啓太は眉をひそめた。「菖蒲、また訳の分からないことを言って。

結衣は花粉アレルギーなんだぞ!苦しそうなのが分からないのか?

死んだ人間より、生きてる人間の方が大事だろうが!」

菖蒲は唇を震わせた。結衣が花粉アレルギーだなんて、知ったことか、と叫びたかった。

でも、菖蒲が声を上げるよりも早かった。

この騒ぎに、優香や他の参列者たちが気づいたのだ。

優香がやって来た。「どうしたの?」

啓太に寄り添う結衣を見て、優香は尋ねた。「啓太くん、こちらの方は?」

啓太は紹介した。「俺の友人だ……」

その言葉が終わるか終わらないかのうちに、幼いけれどはっきりとした声が響いた。

「このお姉ちゃんだ!」

一人の小さな女の子が、優香の後ろから顔を出し、小さな指で結衣を指さした。その声には確信がこもっていた。

「私、見たの!あの日、このお姉ちゃんがバイクで信号無視したんだよ!

トラックのおじさんがこのお姉ちゃんを避けようとして、園長先生にぶつかったんだ!」

その言葉は、まるで爆弾が落ちたかのようだった。

その瞬間、結衣に向けられる全ての視線が変わった。

「こいつが原因だったのか!」

「藤原園長を死なせたのに、よくもまあ葬式に顔を出せたもんだ」

「菅原さんもどうかしちまってるぜ。あんな女をかばうなんて!」

非難と叱責が、津波のように結衣と啓太に押し寄せた。

結衣の顔は、たちまち真っ青になった。

Continuez à lire ce livre gratuitement
Scanner le code pour télécharger l'application

Dernier chapitre

  • あの日、君と共に白髪を誓った夕暮れ   第22話

    「お前のせいだ!全部お前のせいだ、このクソアマ!お前さえいなければ、俺と菖蒲はこんなことにならなかったんだ!お前が俺たちをめちゃくちゃにしたんだ!お前が騙したんだ!死ね!死んでしまえ!」啓太は狂ったようだった。結衣が悲鳴をあげて命乞いをしても、避けようとしてもお構いなしに、何度も、何度も容赦なく刺した。「気でも狂ったの?あ!やめて、やめてったら、やめて!啓太さん……ごめんなさい……許して……」結衣の罵倒は、やがて悲痛な命乞いに変わっていた。だが、その涙は啓太を我に返らせることはなかった。すぐに、結衣の服は血で真っ赤に染まった。彼女はぐったりと血の海に倒れた。啓太は荒い息をつき、血の滴るナイフを握りしめたまま、振り返った。彼は菖蒲を見た。「菖蒲……見てくれ……結衣は死んだ、死んだんだ!海外へ行こう、遠くへ。そして昔みたいにやり直そう、な?」啓太は期待に満ちた顔で、菖蒲に手を差し伸べた。「動くな!警察だ!」倉庫の大きな扉が乱暴に蹴破られ、突然現れた警察たちが一斉に流れ込み、冷たい銃口が啓太に向けられた。克哉が、警察たちのすぐ後ろから飛び込んできた。克哉は真っ先に菖蒲のもとへ駆け寄り、彼女をしっかりと抱きしめて体を確かめた。「菖蒲!大丈夫か?怪我はないか?」その声には、隠しきれない恐怖と心配が滲んでいた。菖蒲は克哉の逞しい胸に寄りかかり、静かに首を横に振った。菖蒲の視線は克哉の肩越しに、啓太が警察たちにあっけなく取り押さえられ、冷たい手錠をかけられる様子を捉えていた。啓太は抵抗しなかった。ただ、抱き合う菖蒲と克哉をじっと見つめていた。警察に無理やり連れていかれる間際まで、啓太は菖蒲の瞳に何の感情も読み取ることができなかった。その時、やっと悟った。菖蒲はもう本当に、自分を愛してはいないのだと。警察は啓太を連行した。刺された結衣は病院に運ばれ手当を受けたが、出血多量のため、そのまま息を引き取った。その後の捜査は、迅速かつ明確に進んだ。結衣が拉致を計画、実行し、殺意があったことは証拠からも明らかだった。結衣は既に死亡していたが、その罪は公にされ、名声は地に落ちた。啓太は菖蒲への暴行には関与していなかった。しかし、結衣に対する殺人行為は悪質であり、証拠も

  • あの日、君と共に白髪を誓った夕暮れ   第21話

    「そんなはずない。お前はまだ、俺を許してくれてないだけなんだ……」啓太は首を振り、菖蒲のきっぱりとした態度を信じようとしなかった。突然、スマホの着信音が鳴り響いた。画面を見ると、船長からの電話だった。啓太は立ち上がると、菖蒲に優しく言った。「迎えの船が着いたようだ。菖蒲、いい子だからここで待っててくれ。すぐに戻るから。そしたら、ここから永遠に離れよう」啓太は菖蒲をじっと見つめてから、踵を返して足早に倉庫を出ていった。倉庫の扉が閉まった瞬間、菖蒲は縄をほどこうと必死でもがいた。でも、啓太がきつく縛っていたから、びくともしない。その時だった。倉庫の側にある小さな扉が、音もなく静かに開けられた。そして、光を背にした人影が中に入ってきた。結衣だった。結衣は憎しみに満ちた顔で、毒を含んだ刃のような視線を、菖蒲に突き刺していた。「なんであなたがここにいるの?」菖蒲は、嫌な予感で胸がいっぱいになった。「私がどうしてここにいるのかって?」結衣は甲高い声で笑った。「菖蒲、私が手引しなければ、元夫さんと一緒に逃げるなんてこと、できたと思う?」菖蒲は眉間にしわを寄せた。「啓太と結託して、私を拉致したっていうこと?いったい何をするつもり?」菖蒲は、なんとか自分を落ち着かせようとした。「さあ、なんでしょう?」結衣は毒々しい目で言った。「あなたは私の婚約者とお父さんを奪い、本来なら私が継ぐはずだった近藤グループまで奪った!そんなあなたに、私が何をすると思う?」菖蒲は唇を引き結んだ。「今あなたがしていることが、犯罪だって分かってるの?」菖蒲は結衣を説得しようとした。「結衣さん、今すぐ私を解放してくれたら、お父さんの手前もあるし、今回のことは見逃してあげる。でも、そうじゃないなら……」結衣はヒステリックに笑った。「菖蒲、私があなたの言葉を信じると思う?」結衣の声はだだっ広い倉庫に響き渡り、不気味さを増していた。「私がどれだけあなたを嫌っているか、知ってる?毎晩、あなたをズタズタに引き裂く夢を見るのよ!」興奮のあまり、結衣は一歩ずつにじり寄った。「あなたさえ死ねば、お父さんはまた私だけを可愛がってくれる!私はまた、皆にちやほやされる近藤家のお嬢様に戻れる。近藤グループのたった一人の後継者よ!啓太さんも、克

  • あの日、君と共に白髪を誓った夕暮れ   第20話

    啓太が放つ殺気に、結衣は一瞬たじろいだ。しかし啓太は一歩ずつ詰め寄り、その目にはずっと抑えてきた炎が燃え上がっていた。「俺が甲斐性なしなら、お前はもっと大バカだ!せっかくのチャンスを全部パーにしやがって、どの口が俺を笑うんだ!」顔を真っ赤にした啓太を見て、結衣はふと笑った。「今のあなたは、少し男らしく見えるじゃない!」結衣は不意に啓太に顔を寄せた。「分かってるわ。あなたはずっと菖蒲のことばかり。彼女をまた、あなたのものにしたいと思わない?」啓太の目に動揺が走り、その視線が揺れた。「今の菖蒲が……どうして俺のところに戻ってくるんだ?」「もちろん、できるわよ!」結衣は断言した。「私たちが協力すればね」「協力?」「そうよ!」結衣は声を潜めた。「あなたが菖蒲を連れていなくなれば、お父さんの娘は私だけになる。近藤グループは私のものになるの。そしてあなたは、菖蒲とまた一緒になれる。昔みたいに幸せな生活を送れるの。すべてが、あるべき場所に戻るのよ。素敵でしょ?」結衣の声は、甘く魅惑的だった。彼女の目を見つめながら、啓太は魔が差したように頷いた。「いいだろう!」……その日、菖蒲は海外とのテレビ会議があり、深夜まで残業していた。会議が終わり、地下駐車場へと向かった。しかし自分の車の前まで来たとき、突然現れた人影が行く手を塞いだ。菖蒲は相手の顔を見ると眉をひそめた。「啓太、ここで何してるの?」啓太は愛情のこもった眼差しで、菖蒲に近づこうとした。「菖蒲、少し話がしたいんだ」菖蒲は警戒して一歩下がる。「あなたと話すことなんて何もない!」啓太は困ったように笑った。「菖蒲、そんなに警戒しないでくれ。お前を傷つけたりしない」啓太はポケットから赤い紐のお守りを取り出し、菖蒲に差し出した。「これ、見てくれないか?」菖蒲は、それに目を奪われた。睦月が、いつも肌身離さず持っていたお守りだ。睦月が事故に遭った時、このお守りは壊れるか、どこかへ行ってしまったのだと思っていた。まさか啓太が持っているなんて。菖蒲は思わずそのお守りを受け取った。目には涙が浮かんでいる。「どうしてあなたがこれを?」睦月を思う気持ちに浸っていた菖蒲は、啓太の複雑な表情に気づかなかった。その隙に啓太は、強力な

  • あの日、君と共に白髪を誓った夕暮れ   第19話

    啓太はどこへ行けばいいのか分からなかった。彼は明かりが煌々と灯るホールを避け、裏庭の方へ向かった。今はただ、どこか静かな場所で一人になりたかった。目の前の植え込みを回り込もうとした、その時。向こう側から激しい言い争いの声が聞こえてきて、足を止めた。それは結衣の声だった。甲高く、怒りに満ちている。「お父さん!気は確かなの?菖蒲は、施設で育ったのよ。みなしごと何も変わらないじゃない!そんな人が、お父さんの娘だなんて、ありえないわ!」啓太の心臓が鷲掴みにされたようだった。思わず息を殺す。健二の声には有無を言わせない響きがあった。「この件はもう調べがついている。菖蒲のお母さんは、俺の初恋の相手だ。菖蒲は間違いなく俺の娘だよ」結衣の声は悔しさに満ちていた。「分かったわ、百歩譲って彼女がお父さんの娘だとしても!でも、お父さん、どうして彼女が近藤グループの跡継ぎだって発表するの?私のお母さんこそが、お父さんの最初の妻だったじゃない?あの隠し子に会社を譲るなんて、亡くなったお母さんにどう顔向けするつもり?」「黙れ!」健二が怒鳴った。「誰が菖蒲を隠し子などと!誰が菖蒲母娘を貶めることを許した!菖蒲のお母さん、直美は、俺の初恋の人なんだ!人生で唯一、心から愛した女性だ!会社名も、俺と直美が一緒に考えたんだぞ!あの頃、俺は直美を裏切ってしまった……直美が俺の子を産んでくれていたなんて、知りもしなかったんだ……」健二の声は一度詰まり、尽きない後悔と苦しみに満ちていた。しかし、すぐにまたきっぱりとした口調に戻った。彼は断固として宣言した。「菖蒲は、この俺の正真正銘の長女だ!そして近藤グループの正当な後継者なのだ!会社を菖蒲に継がせるのは、当然のことだ!」「お前のことだが」健二は少し間を置いて言った。「亡くなったお母さんの顔を立てて、さらに3%の株を渡そう。これで、お前が持つ株は8%になる。一生贅沢して暮らせるはずだ!だが、もしこれ以上余計なことを考えたり、菖蒲に手を出したり、あるいは外でくだらない噂を流したりしたら……」健二は言葉を切り、警告した。「その時は、親子の縁を切ることになると思え!」物陰で聞いていた啓太は、あまりに馬鹿げていると思った。結衣の立場、そして近藤グループが自分の会

  • あの日、君と共に白髪を誓った夕暮れ   第18話

    健二は軽く眉をひそめ、ボディーガードに目配せをした。「結衣は取り乱している。部屋へ連れて行って休ませなさい」結衣は泣き叫びながら抵抗したけど、どうにもならなかった。彼女は無理やりその場から連れ出された。ゲストたちは、さっきの騒ぎなんてまるでなかったかのように、和やかに談笑を続けていた。健二は菖蒲を連れてゲストたちの輪に入り、各界の名士たちに彼女を紹介して回った。啓太は、ただその場にぽつんと立ち尽くしていた。大勢に囲まれ、まるで雲の上の人のような菖蒲を見ていると、周りのみんなから笑われている気分だった。……化粧室の外。啓太は化粧直しをしていた菖蒲をようやく見つけ、その行く手を塞いだ。「菖蒲!本当に生きていたんだ!」啓太は興奮のあまり言葉もまとまらず、目を赤くしていた。彼は菖蒲の両腕を掴み、強く揺さぶった。「無事だったなら、なんで連絡くれなかったんだよ!俺がどれだけ必死にお前を探したか、分かってんのか?それに、どうして近藤家のお嬢様なんてことになってるんだ?」菖蒲は力を込めて、啓太の手を振りほどいた。彼女はまるで赤の他人を見るかのような冷たい目つきで言った。「どなたか知りませんが、人違いです」「人違い?」啓太は、とんでもない冗談を聞いたかのように鼻で笑った。彼は菖蒲に詰め寄った。「8歳からの付き合いだぞ!俺たちは小さい頃からずっと一緒だったじゃないか!大学を卒業してすぐ結婚して、7年間も夫婦だったんだぞ!俺は自分のことみたいにお前のことを分かってる。そんな俺がお前を間違うわけないだろうが!」しかし菖蒲が全く動じないので、啓太はすっかり取り乱してしまった。「菖蒲、悪かった!本当に反省してるんだ!結衣に騙されてたんだ!全部あいつが仕組んだことなんだよ!愛してるんだ。俺がずっと愛してたのはお前だけだ!だから家に帰ろう、な?もう一度、やり直そう……」そう言うと、啓太は抵抗する菖蒲を無視して顔を寄せた。そして、かつては自分のものだったはずの、今は冷たく閉ざされた唇を、無理やり奪った。「んっ!」菖蒲は、とっさに顔を横に背けて避けた。啓太の唇は、菖蒲の口の端をかすめた。その生々しい感触に菖蒲の体はこわばった。でもすぐに、さらに力を込めて必死に身をよじった。「菖蒲から離れろ!

  • あの日、君と共に白髪を誓った夕暮れ   第17話

    本性を現した結衣は、完全に人が変わったようだった。今までの優しくて聞き分けのいい態度は消え、代わりに現れたのは、隠そうともしない横暴さだった。「啓太さん、喉が渇いたわ。お水を持ってきてちょうだい」「何よこの部屋、散らかりすぎじゃない?家政婦も雇ってないの?もう、あなたと一緒にいると私の品位が下がるわ」「昨日買った服に、早くアイロンかけてちょうだい。もしシワが一つでもあったら、あなたのあのボロ会社、潰してやるから!」啓太は、ただ無になって、すべてを受け入れていた。しかし、我慢しても状況を好転させることはなかった。結衣の浪費はとどまることを知らず、あっという間に啓太の乏しい運転資金は底をついてしまった。そればかりか会社の経営に無理やり口を出し、見かけは立派でも欠陥だらけのプロジェクトをいくつか契約してしまったのだ。「お金がないって?」結衣は、啓太から渡された決算報告書をいらだたしげに放り投げた。「本当に使えない男ね!こんなことさえ、まともにできないなんて」啓太は怒りを必死に抑えながら言った。「結衣、このプロジェクトはお前がどうしてもって契約したんだ。初期投資が大きすぎるし、回収にも時間がかかる。今の会社は……」「はいはい、分かったわよ!」結衣は啓太の言葉を遮り、新しくしたばかりのネイルを無頓着に手入れしながら言った。「お金がないだけでしょ?だったらうちのお父さんにでも頼めばいいじゃない。ちょうどよかったわ。昨日、お父さんから『帰ってこい』って電話があったの。きっと私に会いたくなったのよ。一緒に来なさい。未来の娘婿が、今どれだけ『有能』か、お父さんにも見せてあげないとね」結衣の言葉に含まれた皮肉に、啓太の顔は青ざめた。だが、彼に選択の余地はなかった。今の啓太にとって、健二は最後の頼みの綱だった。しかし、二人がB市にある近藤家の邸宅に着くと、屋敷は煌々と明かりが灯され、どうやらパーティーが開かれているようだった。結衣は得意げに顎を上げて言った。「お父さんったら、私が帰ってくるのを知って、歓迎パーティーを開いてくれたに違いないわ!」しかし、啓太の腕に手を絡ませてパーティー用のホールに足を踏み入れた途端、二人は目の前の光景に凍りついた。ホールは、シャンデリアがきらめき、大勢の名士たちでごった返していた。

  • あの日、君と共に白髪を誓った夕暮れ   第7話

    菖蒲は、手術室の無影灯がこんなにも眩しいものだなんて知らなかった。涙が勝手にあふれてくるほど、目に突き刺さる光だった。白衣を着た医者は菖蒲が泣いているのに気づくと、気を遣って慰めてくれた。「気を落とさないでください。手術は無事に終わりましたよ。まだお若いんだから、また赤ちゃんは授かりますよ」そばにいた若い看護師が、慌てて医者を隅へと引っ張っていった。菖蒲の耳に、看護師の声がかすかに届いた。「この方の旦那さんが、浮気相手と一緒に来て……ええ、彼女のおばあさんのお葬式の会場から救急車で運ばれてきたみたいで……なんだか、すごくお気の毒で……」菖蒲は、皮肉な笑みを浮かべた。

  • あの日、君と共に白髪を誓った夕暮れ   第6話

    結衣はよろよろと崩れ落ちそうになりながら言った。「わざとじゃないの……本当にわざとじゃないの……本当にごめんなさい。この命でお詫びするから!」そう言うと、結衣は興奮した様子で、柱に向かって頭を打ち付けようとした。啓太は顔色を変え、慌てて結衣を強く抱きしめた。「結衣!バカなことはやめろ!」啓太はわなわなと震え、涙にくれる結衣を強く抱きしめた。そして菖蒲に顔を向けた時、彼の目からは罪悪感のかけらも消え、ただ怒りに燃える冷たさだけが残っていた。「菖蒲!」啓太の声は氷のように冷たかった。「結衣を追い出すために、ずいぶんと手の込んだことをするじゃないか!あんな小さい子に嘘まで

  • あの日、君と共に白髪を誓った夕暮れ   第4話

    「菖蒲、遅くなってすまない」啓太が沈んだ顔で言う。「おばあさんがこんなに急に逝ってしまうなんて……思ってもみなかった」優香は啓太が来たのを見ると、気を利かせて部屋を出て行った。睦月との別れの時間を二人きりにしてくれたのだ。部屋を出る前、優香は啓太に釘を刺した。「菖蒲ちゃんはいま体が弱っているから、しっかり面倒を見てあげてね」啓太は真剣な顔で約束した。「ご心配なく、山下さん。必ずそうする」優香がいなくなると、菖蒲は冷たく言い放った。「出ていって。あなたの顔なんて見たくない。おばあちゃんだって、きっとあなたに会いたくないわ!」菖蒲の、人を寄せ付けないような態度を見て、啓

  • あの日、君と共に白髪を誓った夕暮れ   第3話

    菖蒲は、消毒液のツンとした匂いの中で目を覚ました。目に入ったのは、真っ白な天井だった。一瞬、意識がもうろうとした。今までのことは全部、苦しい悪夢だったんじゃないか、と。睦月は今も家でご飯を作って待っていて、啓太は相変わらず、仕事で忙しくても優しくて思いやりのある夫のままだ。しかし、ベッドのそばにいる山下優香(やました ゆうか)の顔を見た途端、菖蒲は嫌な予感がした。優香は、「ひだまり子供の家」のベテラン保育士で、睦月とは20年来の同僚だ。この時間は、施設で子供たちの面倒を見ているはずなのに。どうしてここにいるんだろう?優香の唇は震え、言葉を発する前に涙がこぼれ落ちた。

Plus de chapitres
Découvrez et lisez de bons romans gratuitement
Accédez gratuitement à un grand nombre de bons romans sur GoodNovel. Téléchargez les livres que vous aimez et lisez où et quand vous voulez.
Lisez des livres gratuitement sur l'APP
Scanner le code pour lire sur l'application
DMCA.com Protection Status