モヤモヤした気持ちで家へ帰ると早々に診療所を閉め、珍しくスーツを着た越乃が旅行鞄にワイシャツを何枚か入れているところだった。「おかえり、佐加江。急に出かけることになったから、待ってたんだ」「これから?」「ああ。藤堂学長に呼ばれてね」 いつか大学病院で会った藤堂は、教授から学長へと上り詰めていた。「泊まり?」 「そんな顔するな。子供の頃のように一緒には行けないだろ、佐加江には仕事があるんだから」 佐加江の頭を撫でた越乃は笑っていた。「……すぐ帰ってくる?」「薬学の聞きたい講演もあるから、一週間くらいかな。村の患者さんには緊急時、隣村の病院へ行くよう伝えてあるから」 越乃は佐加江から見ても勉強熱心だ。専門は産婦人科だが、こちらに来てからは様々な専門書を夜遅くまで読んでいる。もし越乃が大学病院へ残ってキャリアを積んでいたら、藤堂のようになれたのかもしれない。「……ねぇ、おじさん。大学病院に残れなかったのって僕がオメガだったから?」「佐加江。今まで何度も言っているけど、おじさんは自分の意思で大学病院を辞めたんだ。佐加江の事は関係ないよ。それにおじさんは佐加江の側にずっといたいんだ、家族なら当然だろ?」 過保護な越乃が、ここまで家を空けるのは初めてだった。戸締りをしっかりする事と、発情抑制薬のある場所を確認して越乃は車で出掛けて行った。 風呂を済ませ、用意してくれてあった夕飯食べたが、一人の食事は随分と味気のないものだった。 することがなくなってしまった佐加江はふと思い立ち、家の一番奥にある自分の部屋へと向かった。誰もいないというのに辺りを見回し、広い廊下をつま先で走って、本棚の奥へ隠してあるDVDをこっそりと取り、居間へと戻った。「へへ」 前の住まいを離れる前にネットで購入したが、まだ一度も見ていないエロDVD。佐加江にも人並みに年相応の性欲はある。 居間のテレビにDVDをセットし、音を最小にする。電気を消して、65インチのテレビの前にクッションを抱えて座った。リモコンで再生ボタンを押すとドキドキしてきてクッションをもう一度抱き直し、思わずティッシュをそばへ寄せた。 『……君は何歳かな?』 「二十二歳です!」『二十歳です』 『処女なんだよね?』 『はい』 『ふふ……、おっきなクリだね』「いや、それチンチンだよ?」 佐
世界は第二の性を忘れた。 オメガも ベータも アルファも みんな平等に みんな普通に 産まれながらにして優劣があってはいけないと新薬の開発が進み、国主導で老若男女問わず全国一斉に行われた遺伝子操作。 当初、国民には死をもたらす重篤な伝染病のワクチン接種だと知らされた。 先人が抗う事なく受け入れてきた遺伝を、無理やり捩じ曲げるような試み。 国を挙げての人体実験。 第一世代から産まれた子供は、粒を揃えたように全てがベータになり、知能も運動能力も皆、同じ程度。 ずば抜ける者もいなければ、落ちこぼれる者もいない。 そんな結果を受け、男女関係なく産まれてすぐこのワクチン接種は義務化され、新薬がさらに改良された第二世代は、最良の結果をもたらした。 人類が背負った業に、勝ったとも言われた研究。 神に勝ったとも揶揄された。 そして、 世界は全てが平らになった。♢♢♢「また、来よる」「天狐様は、お行きください」「クク……。あのわらべは、甲であるな。鬼殿が可愛がるのがようわかるわ」「私はそういうわけでは」「あの芳しい香りが、我は堪らなく好きでの」 佐加江は、人がせわしなく出入りしている蔵を横目に、茅葺屋根の古い屋敷のある庭を出た。 田んぼのあぜ道を通り、黄金色した穂先を垂らした稲を指先でシャラシャラと撫でながら、イナゴが跳ぶと恐れおののき、真っ赤な鳥居が幾重にも建つ鬼治稲荷へ走る。 六歳にしては身体が小さい佐加江は途中、曼珠沙華を折り、片手に三本づつ花火のような紅い花弁の花を握りしめ、鳥居をくぐった。向かったのは、狐が祀られている社を通り過ぎ、その裏手にひっそりと佇む傷だらけの寂れた小さな祠。「鬼様、今日もお花とってきました」 昨日、供えた曼珠沙華が枯れている。背後に深い洞窟を背負った祠の扉が細く開いていることに気づいた佐加江は辺りを見回した。「鬼様!」 社裏の縁に腰掛けながら、天狐と茶をのんびり飲んでいた青藍に向かって、佐加江は蹴られた毬のごとく両手を広げて走ってくる。「なぜでしょうか。あの童には私の姿が見えてしまうのです。天狐様の結界が強く張られている、この境内であっても」「見えているのは、霊力の弱い鬼殿だけだ。我は見えておらん」 フワフワの尻尾で青藍の背中をひと撫でした天狐は、姿を消した。
青藍の霊力が弱いのは耳とうのせいだ。悪さをしないよう、話をよく聞くよう耳朶に大きな穴が空けられ、太い輪っかが閻魔の手によって産まれた時から付けられている。「こんにちは! 鬼様」 文字通り一直線に走って来た佐加江は階段でつまずき、顔から転びそうになったところを青藍の腕に抱きとめられた。「ごきげんよう」「鬼様が、悪いことしか覚えていられないって言うから、お花盗ってきたの。ほら六本も。僕、悪い子でしょう? だから、僕のこと覚えていてくださいね」「おや、本当だ。お前はとてもとても悪い子ですね。忘れぬよう心に刻まねば」 『僕』と言わなければ、佐加江は色白で口が達者な女児のようだ。「おでこのツノも、そのトゲトゲの歯も、ぜーんぶ、大嫌いです」「嫌い、ですか」 佐加江は、特に彼の髪が好きだ。さめざめと輝く真冬の月のような色をしていて、いつだか寒かった日には首に巻きつけて遊んだ。「僕、大きくなったら鬼様と結婚するんです。二十歳を過ぎたら絶対に」「そんな事を言った覚えはありませんが」 佐加江の頬はぷーっと膨らんだ。父親代わりの越乃の故郷であるこの鬼治へ来るたび、佐加江は青藍に『結婚してください』と言っている。が、一向に頷いてくれない。昨日もその前も、しいて言えば、去年も佐加江は青藍にプロポーズしている。「鬼様」 膝の上へ乗ってきた佐加江が手を伸ばし、決して鋭くはない一角を摩る。最初は指先で、そのうち小さな手のひらで握ってゆっくりと。すると彼はいつも目を細め、表情を和らげる。今日もそうだ。「お前は怖くないのですか、私が」 青藍が小さい頃、人間の世界へ出て行っては村の子供たちによく石を投げられたものだ。『わぁ!化け物だ!!』 もう何百年と前の話だが、その頃はまだ、この村にも子供がたくさんいた。「怖い怖い! 鬼様なんか大嫌い」 突然、顔を真っ赤にして大きな声を出した佐加江に青藍は目を丸くした。「急にどうしたと言うのですか」「こうすれば、鬼様は僕をいつも覚えていてくれるはず」 言いたくのない事を口にした佐加江は、不貞腐れていた。「青藍」「セイラン?」「私の名です」 佐加江の顔は青空のようにぱあっと晴れ渡り、手のひらに書かれた良くわからない漢字に何度も頷いていた。「あ! 雨」 頬に触れた小さな雨粒に、佐加江は空を見上げた。晴れているの
「さかえーッ!」「越乃のおじさんだ」 遠くから越乃の声が聞こえる。ヒタヒタと近づいてくる靴音に、佐加江は青藍の膝からピョンと飛び降りて振り返った。「ここであった事は」「秘密でしょ。僕、その約束は絶対まもる! 鬼様のお嫁さんになりたいもの」 白いシャツに襟元の蝶々結びの細いリボン、それと同色の黒い膝までの半ズボン姿。小さなローファーを履いているのは、帰省のためにおめかししてきたのだろう。佐加江はどこからどう見ても男児だ。しかし、唇の前でひとさし指を立てて笑った顔が愛くるしい。「佐加江、こんな所にいたのか。探し……」 白衣を着た越乃が、おそらく見えていないであろう青藍には目もくれず、血相を変えて走ってきた。「ごめんなさいッ」 手を叩かれ、佐加江が手にしていた曼珠沙華が地面へとパッと散った。さしていたコウモリ傘を境内へ投げ出し、越乃はスラックスのポケットから取り出したハンカチで佐加江の手を拭った。「曼珠沙華には、毒があるんだ。ごめんな、痛かったろ。おじさん、慌てちゃって」 「平気……。赤ちゃん、産まれたの?」「佐加江、何度も教えただろ。佐加江は赤様と呼びなさいって」「赤様……」「少し時間がかかりそうだから、日暮れ前にご飯にしようと思ってね。佐加江がどこにもいないから、心配したんだぞ」 越乃と手を繋ぎ、歩き出した佐加江はコウモリ傘の中へ入ったものの肩が濡れていた。 地面に落ちた曼珠沙華を拾いあげた青藍が、後ろ手に小さく手を振る背中をいつまでも見つめている。「ーー鬼殿のそんな切なげな顔、初めて見たわ。千年の付き合いとて、我は鬼殿の名を知らんかったぞ」 「この雨は、天狐様の仕業ですね」 「人が来た事を知らせたのだ」 大きな尻尾を揺らし笑っている天狐は、普段は村人に化けたりしている人たらし。男女関係なくあの世の屋敷へ連れ込んで、いかがわしいことばかりを繰り返している。今は桐生と言う少年が、それはそれは気に入っているようだ。『おら! 天狐どこ行った。ここから出せよ』 つい先ほどまで、静かだった境内に桐生の声が地中深くから聞こえてくる。「目を覚ましたようだな。昨夜は、朝方までまぐわっておったのよ」 わずかに鼻先をくすぐる匂いに、青藍は眉根を寄せた。
「天狐様……、この匂いは」「結界をいま少し強くせねば、駄目なようだ。こんなところまで、芳しい匂いがしておる。どうだ、鬼殿。この匂い。我々、丙にはたまらんだろ」 天狐は牙をむき出しにし、ペロリと真っ赤な唇を舐めた。「あの男、偶然にも甲であってな。我に落ちるまで、まだうなじを噛んでおらんのだ。発情がそろそろかと思うてな、放ったらかしにしておる」 四肢をついて座る天狐のまたぐらでは、匂いに誘われるように陰茎がニョキニョキと出たり入ったりしていた。「今夜は、あの山々に怪火が灯るかもしれぬ」「それは……」「お狐様へ、桐生が嫁入りするのだ。ひれ伏すのは、我の方だがの」 自身の事を「お狐様」と呼び、ブルッと身震いをした天狐は全身の毛を舐め、毛づくろいを始める。 人間社会ではオメガ、ベータ、アルファと呼ばれる第二の性も、あやかしの世界では、甲乙丙。子を宿せるものが甲と呼ばれ一番良いものとされ、身分が高いあやかしほど丙なのだ。 ましてやあやかしの丙を産み落とせるのは、甲の男。あるいは、その逆も然りーー。肉体的に同一性のまぐわいでしか、丙が産まれないのだ。しかし、甲の出生については、あやかしですら分からない。「この匂いには、勝てぬ」『天狐、早く来てくれよ。俺……、もう我慢できねぇよ』「ふふ。あの童も発情を迎えるのが楽しみだの、鬼殿」「そう言うつもりは、私には毛頭ございませぬ」「仮紋まで刻んでおいて、いまさら。一週間ほど屋敷にこもるゆえ、青臭い鬼殿は心配なさらぬよう」 天狐は実に愉快そうに笑い、社へ飛び込んで行った。 その夜、鬼治村を囲む山嶺に怪火が無数に灯った。 村人は赤子が産まれた事への神の怒りだと早々に雨戸をしめ、誰一人として外へ出ようとしなかった。が、深夜になり、鳥居の前へ横付けした車から麻袋を担いだ男が一人ーー。
「はぁ……、はぁ……」 男は額に脂汗をかき、息を荒げながら境内へと入ってきた。天狐の社を通り過ぎ、祠の奥にある洞窟へと入って行く。麻袋から見えた生気なくダラんと垂れた脚は骨と皮だけで、内腿へと流れ出た血がどす黒く変色していた。 その背後をついていく死神が社の裏手に腰をおろした青藍に気付き、黄ばんだ歯をむき出しにしてニタリと笑う。 青藍は、屋敷の回廊へ意識を飛ばす。 今さっき灯ったばかりの蝋燭の炎が赤々と燃え盛り、その近くにあったまだ半分以上残った蝋燭の火は、今にも消えようとしている。 あの袋の中の者は、まだ息がある。 佐加江が落として行った曼珠沙華を握りしめたまま、青藍は夜が明ける頃まで、ザクッ、ザクッと穴を掘る音を聞いていた。 しばらくすると、回廊の炎がふっと消えた。 魂が天上へ向かうように、細く長い煙が立ち登る。それが、この者が今生で何も悪いことをしてこなかったと言う証だ。 手を泥だらけにした男が、祠に刃を向ける。それは、この鬼治に|古《いにしえ》より伝わる儀式だった。「ーー鬼様、魂を刈り取ったでごせぇやす」 青藍の腕にも、祠と同じように傷がつき、鮮血がぽたり、ぽたりと落ちた白装束は赤く染まっていく。「この村の者は、いつまでこれを繰り返すのでしょうか」 やけに腰の低い死神は、いつもながらにやけている。「時代が変わったとはいえ、この村の者の甲への扱いは非道うごぜぇやす。まるで物か道具にしか思ってないようで」「ですから、私は佐加江に仮紋を刻んだのです」 鬼の機嫌取りを得意とする死神は、青藍の独り言に何度も大きく頷いていた。
世界は第二の性を忘れた。 オメガも ベータも アルファも みんな平等に みんな普通に。 産まれながらにして優劣があってはいけないと新薬の開発が進み、国主導で老若男女問わず全国一斉に行われた遺伝子操作。 当初、国民には死をもたらす重篤な伝染病のワクチン接種だと知らされた。 先人が抗う事なく受け入れてきた遺伝を、無理やり捩じ曲げるような試み。 国を挙げての人体実験。 第一世代から産まれた子供は、粒を揃えたように全てがベータになり、知能も運動能力も皆、同じ程度。ずば抜ける者もいなければ、落ちこぼれる者もいない。そんな結果を受け、男女関係なく産まれてすぐこのワクチン接種は義務化され、新薬がさらに改良された第二世代は、最良の結果をもたらした。 人類が背負った業に、勝ったとも言われた研究。 神に勝ったとも揶揄された。 そして、 世界は全てが平らになった。……と、思われていた。「国民主権だの、男女同権だのと皆、平等を謳っていたんだ。これで満足だろう」「しかし」「ならば特区を作ったらいい」「特区、ですか」「特別にワクチン接種を免除する地区を作る、これでどうかな」「そんな事、国民が納得するはずありません」「政治に国民がいたことがあったか」 「民主主義であれば、国民の理解を求めるのは当然のことかと」「君は、まだこのワクチン接種に反対なのか。民意などどうでもいい、理解も求める必要はない。敗戦国である我々は、受け入れなくてはならないんだ。第二の性の研究を続ける君への私のせめてもの譲歩案だ。私と君の故郷である鬼治を特区とする。君は第二の性の研究を続けられる。但し、これは極秘事項だ。すぐに密書を鬼治へ届けてくれ」「ですが、総理」 テーブルを手のひらで打つ激しい音が公邸の一室に響く。カランと煙草の吸殻が山のようにあった灰皿が床へ落ち、灰が宙を舞った。 密書を手にした彼は肩を落とし、秘書の背中を見ながら玄関へ向う。「どうぞよろしく、との事です」 あばら家も多く立ち並び、小学校教員の初任給が二千円と言われた時代。玄関に揃えられた彼の靴には、当時、最高額紙幣だった千円札が目一杯ねじ込まれていた。「……これは、何の真似です」「総理からです。我々の鬼治をどうぞよろしく、との事です」 深く頭を下げた秘書が、微笑んだ。 その晩、
♢♢♢ ひとまわり大きな学生服に身を包んだ佐加江は、大学病院の受付で緊張していた。検査の結果が出ているから、と学校帰りに病院へ来るよう越乃に今朝、言われたのだ。 「すいません。産婦人科の越乃先生に用があって来ました」 ここは、越乃の職場。東京の第三次医療を支える現場とあって、救急車がひっきりなしにやってくる様子を目の当たりにした。そんな場所に中学生がひとりとは、なんとも不釣り合いで健康な佐加江自身、最前線で働く越乃が自分のために時間を割いてくれることを申し訳なく思った。 越乃の専門は産婦人科。 親代わりに佐加江を育ててくれている越乃の仕事を誇りに思っているが、知れば知るほど『産婦人科』と言葉にする事に気恥ずかしさを覚える年頃でもある。 「息子さんかしら?」 「はい」 「先生から伺ってますよ。先ほど、オペが終わったそうなので病棟にきて欲しいとの事です。そこのエレベーターから八階へ上がってください。東病棟です」 「ありがとうございます」 言われるまま八階へ向かった。産まれたばかりの赤ちゃんが並ぶ新生児室を通り過ぎ、分娩室の前では頭を抱える若い父親の姿があった。それを横目に案内されたのは、カンファレンスルーム。 「佐加江、わざわざ悪かったな」 「おじさん」 曲線を描くテーブルがある殺風景な小さな部屋で待っていると、ほどなくして青い術衣に白衣を着た越乃がやってきて、|忙《せわ》しなくそこにあったパソコンを立ち上げた。こんな間近で越乃が仕事をする姿を見たことがなく、妙に胸がざわつく。 「家で説明しても良かったんだけど事情が事情だけに、きちんと話しておかないといけないと思ってね」 「事情って?」 「血液検査は軽い貧血程度だから、特に問題なかった。ただ、このあいだCTも撮っただろ?」 「うん」 「その事で説明したいんだ。……ここの部分」 CT画像がパソコンに映し出され、その一部を越乃がゆび指した。が、佐加江は見たところで何も分からない。首を傾げていると、画面が立体画像に切り替わった。 「子宮だ。正確には、前立腺小室と言うんだけど」 「子宮……?」 「佐加江は、子供が産めるって事だ」 「冗談でしょ?」 部屋は、シーンと静まり返る。 こんなところまで呼んでおいて何の冗談かと笑おうとした
モヤモヤした気持ちで家へ帰ると早々に診療所を閉め、珍しくスーツを着た越乃が旅行鞄にワイシャツを何枚か入れているところだった。「おかえり、佐加江。急に出かけることになったから、待ってたんだ」「これから?」「ああ。藤堂学長に呼ばれてね」 いつか大学病院で会った藤堂は、教授から学長へと上り詰めていた。「泊まり?」 「そんな顔するな。子供の頃のように一緒には行けないだろ、佐加江には仕事があるんだから」 佐加江の頭を撫でた越乃は笑っていた。「……すぐ帰ってくる?」「薬学の聞きたい講演もあるから、一週間くらいかな。村の患者さんには緊急時、隣村の病院へ行くよう伝えてあるから」 越乃は佐加江から見ても勉強熱心だ。専門は産婦人科だが、こちらに来てからは様々な専門書を夜遅くまで読んでいる。もし越乃が大学病院へ残ってキャリアを積んでいたら、藤堂のようになれたのかもしれない。「……ねぇ、おじさん。大学病院に残れなかったのって僕がオメガだったから?」「佐加江。今まで何度も言っているけど、おじさんは自分の意思で大学病院を辞めたんだ。佐加江の事は関係ないよ。それにおじさんは佐加江の側にずっといたいんだ、家族なら当然だろ?」 過保護な越乃が、ここまで家を空けるのは初めてだった。戸締りをしっかりする事と、発情抑制薬のある場所を確認して越乃は車で出掛けて行った。 風呂を済ませ、用意してくれてあった夕飯食べたが、一人の食事は随分と味気のないものだった。 することがなくなってしまった佐加江はふと思い立ち、家の一番奥にある自分の部屋へと向かった。誰もいないというのに辺りを見回し、広い廊下をつま先で走って、本棚の奥へ隠してあるDVDをこっそりと取り、居間へと戻った。「へへ」 前の住まいを離れる前にネットで購入したが、まだ一度も見ていないエロDVD。佐加江にも人並みに年相応の性欲はある。 居間のテレビにDVDをセットし、音を最小にする。電気を消して、65インチのテレビの前にクッションを抱えて座った。リモコンで再生ボタンを押すとドキドキしてきてクッションをもう一度抱き直し、思わずティッシュをそばへ寄せた。 『……君は何歳かな?』 「二十二歳です!」『二十歳です』 『処女なんだよね?』 『はい』 『ふふ……、おっきなクリだね』「いや、それチンチンだよ?」 佐
♢♢♢ 佐加江を置いて祠へ逃げ込んだ青藍は屋敷まで走り、黒い大きな門を閉めた。そして、庭先にしゃがみ、真っ赤な顔を膝に埋めている。「鬼殿、今日の逢い引きは楽しかったようだの」 こちらの世でも天狐と青藍はお隣同士だ。御殿の二階の縁で毛つくろいをしていた天狐が、笑いながら青藍の元へとふわっと飛び降りてくる。「逢い引きなど、していません」 「生娘みたいにそんなに顔を赤くして、どうしたんだ」「昨日は佐加江が私のことを覚えている事に驚いてしまって、あのような態度を」「あれは酷かったぞ。佐加江も悲しそうな顔をしておった」「佐加江にまた、求婚されました」「およおよ。ずいぶんと情熱的だの、佐加江は」 佐加江の部屋から昨晩、持ち帰ってしまったノートを返そうと出かけたつもりだった。が、そんなことすっかり忘れていた。 懐からノートを取り出した青藍は、昨晩から暗記してしまいそうなほど何度も読み返た佐加江の九十九の願い事を見つめていた。「――それに何の問題がある」「私は鬼です」「それでも良いのだろう。佐加江に紋を刻んだのは、鬼殿ではないか」 「あれは……、佐加江の行く末を案じたからです。あの村で、甲は神事と名を借りた儀式を」「昔と変わらず佐加江は可愛いのう。鬼殿がめとらぬのなら、我がご相伴に預ろう。うなじを噛まなければ、何をしてもよかろ」「おやめください、天狐様」「見るからに、佐加江は助平そうだ。あの腰つきが……、ウヒヒ。我から離れられない身体にしてしまおうか」 桐生の時のように、天狐の股座から精気がみなぎっていた。煽られているだけだと分かっていながら、怒りに震えそうになる青藍を思い留めさせるように耳とうが太くなる。耳たぶに開いた穴が押し広げられる痛みに大きく息を吐き出し、青藍は気持ちを落ち着かせた。「ただ、ここには番になりたいとは書いて
(眠い……)翌日、太郎は休みだった。 午睡の時間、なかなか寝付けない園児に添い寝をしていた佐加江は、昨夜あまり眠れず、油断すると一緒に寝入ってしまいそうだった。と、園児がカーテンの隙間を凝視していた。その視線をたどっていくと、角が見えたような気がした佐加江の眠気は、一気に吹き飛んだ。(何やってるの?!) 青藍だ。隠れているつもりなのかもしれないがカーテンに影も写っているし、隙間から覗く目が佐加江を見つめている。「怖……」 教室内にいる誰かにバレていないか心配であたりを見回したが、添い寝をしていた園児は眠りにつき、テーブルで作業をする二人の先生は気づいていないようだった。 どこかへ行け、と手を払うが何を勘違いしたのか、青藍は手を振り返してくる。(違う、そうじゃない) 園児に布団を掛けた佐加江は、青藍を無視して先生たちの作業に合流した。 クリスマス会の演目の桃太郎のお面作り。まだ先だが、芋掘りやら何やらとこれから忙しくなるのを見越して、今から作業を進めていた。「佐加江先生は鬼のお面、切り取って」「了解です。これ、怖すぎじゃないですか?」「だよね。私もそう思う」「もっと優しい顔してるのに……」 佐加江は切り取った面を本物にぜひ見てもらおうと、顔に当て振り返る。 牙がむき出しになった、赤鬼の顔。佐加江の緩くカールする癖っ毛と鬼の面があいまって、小人鬼の出来上がりだ。 窓からずっと覗き込んでいた青藍の顔が固まった。が、青藍と同じように今にも泣き出しそうな顔をした園児もひとりーー。「あ……」 口がへの字になり、次第に目が真っ赤になる。みるみる間もなく涙が溢れ、大声で泣き出してしまった。「佐加江先生」 「すいません! ごめんね、先生だよ。ってか、このお面、怖すぎですから」 面をテーブルに置き、園児を抱き上げると青藍の姿はなくなっていた。
「おじさん。今日、疲れちゃったから先に寝るね。夕飯の片付けは、明日の朝するから」 「それくらいはやっておくよ、おやすみ」 「おやすみなさい」 気がつくと、佐加江は鬼治稲荷の境内に倒れていた。夢ではないことを証明するかのように、手には狐の面が握られていた。 (あれが、あの世なのかな) 風呂でうなじを触ったが確かに腫れは引いていて、鏡に写してみても何も映らなかった。 「青藍が僕のこと忘れてたら、番になる約束してたって意味ないじゃん」 古民家の奥まったところにある自室へ向かい、机の引き出しから一冊のノートを取り出した。せっかく青藍と再会できたと言うのに、佐加江には不安しかない。敷いた布団に寝転んで、表紙に『青藍と会ったらしたい事リスト』と書いたノートを眺めながら佐加江は唇を尖らせ、ゴロゴロと転げ回っていた。 「痛いな、自分」 こんな身体ではと、いつもニコニコ笑っているようにした。 『結婚したいなら相手の胃袋を掴め』と引っ越してきてから読んだ女性向けHow to本を鵜呑みにして、熱心に料理にも取り組んだ。冬には村長をはじめとする猟友会のメンバーと山へ入って、狩った獲物を山から下ろす手伝いもした。血が苦手で、目の前でさばかれる命に卒倒しながらもどこでも生きて行けるようにと、その光景を見続けていた。 「どこに向かって僕は頑張ってたんだ」 魂が減ると言われただけあり、佐加江はいつの間にか深い眠りに落ちていた。 どれだけ時間が経ったのか、佐加江は背中をすーっと撫でられる感覚に目を覚ます。 (……夢?) 触れたのは、長い髪。 息が触れるほどの距離で背中を眺めている青藍に、目を固くつむった佐加江は動
「佐加江です。……僕のこと、覚えていませんか」 「ーー覚えがありません」 「鬼殿、佐加江だぞ。忘れたのか」 「鬼君の嫁?」 「佐加江をめとったら、閻魔殿も安泰じゃ。こんな機会ないぞ。人間の甲など、うちの桐生と佐加江くらいしか、もうおらんからの。な、桐生」 「なっ、じゃねぇから!話が見えねぇよ。 俺にも事情を説明しろよ」 「知りませぬ」 青藍は名前を聞いても、眉ひとつ動かさない。それどころか、佐加江を見ようともしなかった。 踵を返して行ってしまった青藍に面を返しそびれた佐加江は、追いかけて良いものか分からず立ちつくしていた。 「あの子、佐加江君って言うの? 生身の人間じゃん。なんでここにいるの」 「桐生、お前は少し黙っていろ」 「青藍は僕のこと、覚えてないんだ……」 仔狐たちが青藍の子ではないことは分かった。が、いつも楽天的な佐加江も、さすがにこれにはシュンとしてしまっている。 「気にやむでない。鬼は悪しき思い出ばかりを集める悲しいあやかしゆえ……。しかし、そのうなじの紋は間違いなく鬼殿のものだ。安心しろ」 「紋?」 「責任は取らせよう」 狐が目を細めて見ていたうなじに触れると、ミミズ腫れのようになっていた。それは首筋から肩甲骨まで広がっていて、まるでそこに血管が通っているかのようにドクドクしている。 「なに、これ……」 いつもは、こんな風になっていない。佐加江は、身体がこれ以上普通ではなくなる事に戸惑い、蒼白した。 「じき、その腫れは治まるだろう」
ーーまだ、死にたくない! 地面に叩きつけられると思った瞬間、フワッと体が浮いた。 おそるおそる目を開けると、すぐ近くに男の顔があった。どうやら佐加江は、力強い両腕に抱き抱えられていたようだ。 (やっぱり青藍だっ!) 男の額に瘤のような物が膨れ上がり、それはみるみるうちにニョキニョキと伸びていく。 「鬼の角って、出し入れ自由なんだ……」 男を見つめる先には佐加江が普段、見たことのない世界が広がっていた。 昼と夜の境のような群青色した逢魔が時の空の色。土が踏みならされたどこまでも続く大通りには赤い提灯が吊るされ、その先の広場では、特別ゲストの弁財天の琵琶の音色に合わせて踊る人魂の盆踊り。ヌエが突然、ヒョーヒョーと鳴けば、恵比寿が抱えていた鯛が驚いて跳ね上がり、なんと書いてあるのか分からない看板がある緑色の建物から出てきたのは、ヒンドゥーの破壊神、シヴァ――。 佐加江は、トンと地面に降ろされた。 足元にあった花を踏んでしまい、スニーカーを履いているはずの足の裏がムズムズした。佐加江が退けると、それはモソモソと移動して商店の裏へと隠れてしまった。 「青藍、結婚しちゃったんだ……」 ここがどこか、と言うことよりも青藍とおぼしき男の事を「父様」と呼ぶ仔狐がいることに、佐加江はショックを受けていた。 「天狐、この野郎! 離せよっ」 突風が吹き、提灯が激しく揺れる。天から声が聞こえ、朱の隈取りでもしたかのような目力の強い、大きくて真っ白な狐が突如として風に乗って姿を現した。口元にはレジ袋を握りしめた男性を咥えている。 「離せ……ッてば!」 「仰せのままに」 狐は男性の身体をパッと離した。地面との距離はそこそこある。まともに落ちたら擦り傷では済まないと思った佐加江が走り出そうとすると、やはりふわっと浮き上がった身体が、静かに着地した。 「……つか、いきなり離すな!もっと優しく扱え」 「鬼殿、申し訳なかった。子守りは苦しゅうなかったか」 「慣れておりますゆえ。桐生が捕まったようで何よりでした」 「ああ。都会の花街をそぞろ歩きしておった。イケオジに化けて、ラブホテルなるところの休憩へ誘ったら一発よ」 「ば、ばっかじゃねぇの! 最初から天狐だって気付いてたしっ。俺、てっきりデートに誘われたのかと思って……コ
「お先に失礼します!」 終業時間を少し過ぎ、リュックを背負った佐加江は保育園を後にした。自転車で走り出すと夕暮れ時の風が肌寒いくらいだ。 鬼治村へ入る細い一本道は途中、小さな山を貫いたようになっている。光を遮るように木々がうっそうと生い茂り、昼間でも薄暗い。削られた山肌は苔むし、そこだけ温度が違った。 その中ほどあたりに、立派な門柱がある。村の神事の際、他所者に邪魔されないよう閉鎖するためのものらしいが、今では過疎を理由に執り行われなくなったと聞いている。そこさえ抜ければ視界はひらけ、のどかな田園風景が広がっていた。 「今日こそ、青藍に逢えるかな」 朝、手を合わせた鬼治稲荷の前で自転車を止めた。春には桜が美しいこの境内が、今も昔も佐加江のお気に入りの場所だった。 幼い日の約束を胸に、引っ越してきて二年と少し。すぐにまた逢えるのだろうと心躍らせていたが、佐加江は今だ青藍に会えていない。 オメガと聞いて放心していたある日、ふと「青藍と結婚できるじゃん!」と霧が晴れたように自身の運命を楽天的に捉えた。鬼治で就職することに躊躇がなかったのも、そんな下心からだ。が、ここへきて佐加江の人生設計に暗雲が立ち込めたように思う。 あの頃、確かにここで青藍に会っていた。「結婚してください」と佐加江は青藍に何度もプロポーズした。が、いま考えると恥ずかしくて仕方がない上に、肝心な青藍の顔が思い出せない。 月のような青みを帯びた白髪の長い髪と一角、耳たぶには大きな輪っかの真鍮の耳とう――。 それくらいしか佐加江は、記憶に留めていなかった。漠然と自分は青藍と結婚するものだと思い込んで、この歳まで来てしまった。客観的に見て少々、痛い人間だと自覚もある。 「幻だったら、どうしよう」 夢見る夢子ちゃんか、あるいは記憶違いも考えられた。 思えば小さい頃は、いろいろな不思議な者が見えていた。 教室の隅にたたずむクラスメイトではない女の子や深夜の金縛りの後にやって来るテケテケ、帰りが遅くなった夕暮れ時の通学路で子供たちを見下ろし、「ぼぼぼぼ」と低い変な声で笑っている大きな大きな八尺様ーー。 それらをいつからか、めっきり見なくなった。もしかしたら大人になり、あやかしが見えなくなったのかもと目を引ん剥いたり、細めたりしながら仕事終わりにここをうろつくのが、佐加江の日課だった。
「太郎君、パパが迎えに来てくれるからね。心配いらないよ」 朝のおやつの時間が終わり、外遊びをしている子供たちのなかに、顔を真っ赤にしている男の子がひとりいた。佐加江が就職した年に入園し、ついこのあいだ、三歳の誕生日会をした太郎だ。元気に遊んではいたが、額に手を当てると驚くほど熱い。職員室へ慌てて連れて行き、体温を測ると四十度に届きそうな熱だった。緊急連絡先である父親の携帯に連絡を入れると、すぐ迎えに来ると言う。 「最近、涼しいから風邪ひいちゃったかな」 他の先生たちが出払った職員室で、佐加江はぐずっている太郎を抱っこしながら父親の迎えを待っていた。まだミルクの匂いがする柔らかな身体。背中をトン、トンと優しく打てば、うつらうつらと瞼が重くなっている。 「パパに早く抱っこしてもらいたいね」 返事はなく、代わりに佐加江の水色のエプロンを握る小さな手。佐加江もとても不安で朝、会ったばかりの父親が職員室前の園庭を横切る姿を見て、ホッと胸を撫でおろした。 「太郎君パパ!」 佐加江は声を出さずに職員室の窓を開け、大きく手を振った。あまりこの辺りでは見かけない派手なスタイル。アロハシャツをワイドパンツにタックインし、まん丸なサングラスをかけた服装は今朝と変わりなく、見間違えるはずがなかった。佐加江は太郎を抱っこしたまま準備してておいた荷物を持ち、昇降口へと急いだ。 「佐加江先生、連絡ありがとうございます。太郎、迎えに来たよ」 太郎は、パパの腕の中でもぐっすりと眠ったまま。ずっと抱っこしていた佐加江は、ふっと身体が軽くなりよろけた。 「熱が高いので、様子を見てあげてください。そろそろインフルエンザも流行りだす頃なので」 寝ぼけているのか、太郎が目を閉じたまま嬉しそうに笑っている。そんな姿にホッとした佐加江は靴を履き替え、一緒に外へ出た。 「荷物、車までお持ちしますね」 「ありがとうございます」 年季の入ったワーゲンバスの後部座席に太郎を乗せ、パパは佐加江から荷物を受け取った。 「今年も佐加江先生が担任で良かったです。うち、女手がないもので女性に抱っこされると、すぐニヤけるので困ってるんです」 「太郎君がですか?」 強く吹いたつむじ風が園庭の砂を巻き上げ、目を固く閉じた佐加江は捲れるエプロンを抑えていた。 「先生」
高校卒業した佐加江は専門学校へ行き、保育士になって二年の月日が過ぎようとしている。 が、二十二歳になった今でも発情の気配はない。 外国から個人輸入で取り寄せている発情抑制薬はお守り代わりに、いつも首から下げているニトロケースに一回分だけ入っている。 「おじさん、仕事行ってくる」 「行ってらっしゃい。無理しないようにな」 「おじさんも、頑張りすぎないでね」 自転車にまたがり、古民家に診療所の看板を掲げた自宅を出る。今か今かと刈り取りを待ちわびる稲が生える田んぼのあぜみちには、今年も曼珠沙華が綺麗に咲いていた。 オメガには発情期があるから定職に就くのは難しいだろう、と言われていた。就職先を選ぶ際、迷っていた佐加江に越乃が勧めてくれたのが、この鬼治村と隣村にまたがって建つ保育園だった。鬼治は越乃の田舎。佐加江も幼い頃から、良く知った場所だった。 「今日も、良い天気だな」 その保育園への就職が決まると、越乃はあっさりと大学病院を辞め、廃墟同然になっていた越乃の実家へ二人で引っ越した。無医村だった鬼治で越乃は、小さな診療所を始めたのだ。ここまでくると越乃の過保護ぶりも溺愛に近いものがあるが、一人暮らしが心配だった佐加江には、心強かった。 最初こそ、山々に囲まれた閉鎖的な村での生活に息苦しさを感じていたが、佐加江は過疎化の進んだ村一番の若手、可愛がられないはずがなかった。 「ひろジイ、おはよう!」 保育園に向かっていると、畑仕事をする老人がいた。 「おはよう、佐加江」 このひろジイ、大学病院で佐加江を診察した藤堂の兄だ。カンファレンスルームでの例の一件もあり、最初は緊張していたが村長である浩志は親切で、何かと佐加江を気にかけてくれていた。今朝も畑仕事をしていた手を休め、日に焼けた顔を皺くちゃにして笑っている。 「今年は、かぼちゃがたくさん採れたんだ。例のあれ、作ってくれないか。あの甘くてとろっとした……」 「かぼちゃプリン?」 「そうそう。あとで診療所に届けておくよ」 「なにそれ、作るの強制じゃん」 「ははは。かぼちゃがあんなに美味いとは知らなかったんだ」 「時間ができたら作るね。診療所に行ったら台所に、このあいだ作った無花果のジャムが瓶詰めしてあるから持って行って。おじさんに聞けばわかるから」