LOGIN僕、香川優樹は、恋人の本宮昌義さんとアウトレットモールにデートに来ていた。今日は、本宮さんの誕生日。パンケーキ屋さんで、僕は昨日買っておいたプレゼントを渡した。本宮さんはそれを気に入ってくれたようで、お返しにブレスレットを買ってもらった。 翌日、親友の渋井遼にそのことを話すと、本宮さんを紹介してほしいと言われた。本宮さんに予定の確認すると、次の日曜日なら空いているとのこと。僕、本宮さん、遼の3人でカラオケに行くことにした。 カラオケを楽しんでいる最中、遼が本宮さんに興味がわいたと言い出し――。
View More(えっと……どれにしようかな?)
僕は、目の前に並んでいるブレスレットを見ながらとても悩んでいた。自分用に買うのなら、こんなに悩むことはない。直感でこれっていうものを選べばいいのだから。でも、今日買うものは、誕生日のプレゼントだ。それも恋人への。
(本宮《もとみや》さん、どんなのが好きなんだろ?)
考えながら、本宮さんを思い浮かべる。
普段からアクセサリーはしているけれど、ピアスだけだったような気がする。それも、ピアス穴が開いているのは、左だけだったような……。だから、ピアスは却下。大抵のピアスは、左右そろって販売されていることが多いからだ。
チョーカーとかネックレスは、デザインが豊富だから、人によって好みの振り幅が大きい。僕がプレゼントしたものが、もし、本宮さんの好みじゃなかったらなんて考えると、怖くてとても選べない。
その点、ブレスレットなら、ある程度デザインは似通ってくるだろうと思った。だから、こうしてブレスレットが並ぶ棚を見ているのだけれど、正直なところ、本宮さんが好きそうなデザインがまったくわからない。本宮さんと知り合って1年しか経っていないから、彼のことをあまり知らないというのもあるのかもしれない。
1年前、僕は初めて学校の中間テストで赤点を取ってしまった。高校に入って初めての中間テストということで、変に緊張していたのだと思う。思うように問題が解けず、白紙に近いまま答案用紙を出した。その結果が、クラス唯一の赤点だった。
クラスメイトや先生は、気を遣《つか》って慰《なぐさ》めてくれたけれど、親には――とくに母さんにはこっぴどく叱られてしまった。わからなくても何か書いておけば、どうにかなったかもしれないのにと。
テスト中の僕は、頭が真っ白になって、そんなことなんか考えられなかった。小学生の時も中学生の時も、問題文をちゃんと読めば理解できたし、答えも考えれば浮かんできたのに。
中間テストの結果が出てすぐに、母さんが家庭教師を雇った。赤点を取った僕を案じてのことだったらしい。
そして、この家庭教師というのが、本宮《もとみや》昌義《まさよし》さんだ。僕より背が高くて、体格がいい。ワイルド系の顔立ちで見た目はちょっと近寄りがたいけれど、とても優しくて勉強の教え方が上手い。学校の授業で理解できなかったところが、本宮さんの解説でちゃんと理解できたなんてことが、数多くあるくらいだ。
そんな本宮さんは、どうやら僕が好きなタイプだったようで、出会ってから数ヶ月経ったある日、恋人になって欲しいと告白された。正直、驚いた。だって、本宮さんは、母さんの1つ後輩にあたる人で30代の大人だ。僕みたいな子どもは恋愛対象にはならないと思っていた。それより何より、僕は本宮さんと同じ男だ。同性のそれも自分の母親と同じくらいの年齢の人から、本気で好きだと言われるなんて思ってもいなかった。
そう言われた直後は、戸惑ったし冗談だと思った。けれど、本宮さんは本気だった。僕は、真剣に本宮さんとのことを考えて、彼とつきあうことにした。
それからいろいろあって、母さん公認になった僕たちは、何回もデートを重ねていった。何回目かのデートで、本宮さんの誕生日が9月25日だということがわかった。それが、明日。
そういうわけで、プレゼントを買おうと近くのアクセサリーショップに来てみたのだけれど、思った以上に高価な代物が多い。予算以内で買えるもので、おしゃれな本宮さんに似合うものと考えると、なかなか決められない。
ああでもないこうでもないと、ブレスレットの陳列棚の前をうろうろすること十数回。ふいに、1つのブレスレットが視界に入った。それは、紫色と黒のレザーで編み込まれたブレスレットだった。
(これ……本宮さんに似合うかも)
直感でそう思った僕は、値段も見ずにそれを手にとってレジに並んだ。会計時に値段を見て、予算ぎりぎりだったことに、内心冷や汗を流す。ラッピングはシンプルなものにしてもらい、何とか予算内で買うことができた。
(本宮さん、喜んでくれるかな?)
と、期待半分不安半分で帰宅する。
* * * *
翌日、僕はあくびをかみ殺しながらリビングで濃いめの緑茶を飲んでいた。昨夜は、なかなか寝つくことができなかったのだ。
「まったく、子どもだねえ」
と、母さんが呆れながら淹れてくれた。
僕は、母さんのその言葉に、何も言い返すことができなかった。自分でも呆れているのだからしかたがない。まさか、高校生にもなって、翌日が楽しみすぎて眠れないなんて……。
「ふわぁぁ……」
ふいに、あくびがもれた。この調子だと、本宮さんに迷惑をかけてしまうかもしれない。それだけは避けなければ。
今日は、本宮さんの誕生日であり休日ということもあって、隣町にあるアウトレットモールに行く予定だ。しかも、僕と本宮さんの2人きりで。いわゆるデートである。
ようやく眠気がなくなってきたところで、呼び鈴が来客を知らせた。
時計を見ると、午前9時30分を少し回っている。
僕は、残りの緑茶を一気に飲み干して自室に戻った。お気に入りの黒いショルダーバッグを手に、玄関へと駆けて行く。
玄関では、母さんが本宮さんを出迎えているところだった。
母さんと話をしている本宮さんは、相変わらずかっこいい。ウルフカットの黒髪と左耳についているシルバーのピアスは普段と変わらないけれど、見慣れないワインレッドのシャツに黒のデニムパンツを着ている。でも、それがとても似合っていた。
ドキッとした僕は、伏し目がちに母さんの横をすり抜ける。
「あんた、あいさつくらいしたらどうなの。まったく、あんまり寝てないんだから、いつも以上に気をつけなさいよ」
「わかってるよ」
母さんの言葉に、僕はぶっきらぼうに答えて靴をはく。
「それじゃあ、優樹をよろしく」
「はい。あまり遅くならないようにしますんで」
本宮さんがにこやかに言うと、母さんはにやにやしながら、
「遅くなってもいいけど、変なことはするなよ?」
と、忠告している。
にやけながら言うことではないと思うのだけれど。
「しませんよ、変なことなんて。そんなことしたら、先輩、俺のことぶん殴るでしょ?」
苦笑する本宮さんに、母さんは「そりゃそうだ」と笑い声をあげる。
「お待たせ、本宮さん。早く行こう」
2人の会話が途切れた隙を狙って、僕は本宮さんをうながした。
いってらっしゃいの母さんの声を背中で聞いて、僕は本宮さんと家を出た。
アウトレットモールには、本宮さんの車で向かう。目的地まで結構な距離があるし、そもそも僕はそこに行くまでの道のりを覚えていなかった。隣町にあることは知っているけれど、家族で行ったことは数えるほどしかない。
「そういえば、あんまり寝てないとか聞いたけど大丈夫か?」
しばらく車を走らせていると、本宮さんが心配そうにたずねてきた。
「うん、大丈夫。今日のことが楽しみすぎて眠れなくて……」
苦笑しながらそう説明すると、
「そっか」
と、本宮さんは前を見たまま顔をほころばせた。その表情にも声音にも、ホッとしたような感じがあった。
僕は、何だか申し訳なくなり、
「心配させてごめんなさい」
と、謝ったのだけれど、思ったより声が小さくなってしまった。
「別に悪いことしたわけじゃねえだろ? 謝る必要ねえよ。無理さえしなきゃ、それで充分だ」
そう言って笑う本宮さんの言葉に、僕はどこか救われた気がした。
それから、車を走らせること20分。僕たちは、無事にアウトレットモールに到着した。
駐車場に車を停めて外に出ると、爽やかな青空が僕たちを迎えた。9月も下旬になったからなのか、空気が涼しく感じられる。薄手の上着を着てきて正解だったようだ。
「優樹、腹は減ってるか?」
にやりとして聞いてくる本宮さんに、僕は同じようににやりとして、大きくうなずいた。これから行く場所のために、朝食を抜いたので、気を抜くと腹が鳴りそうなほど空腹だった。
「それじゃあ、行くか」
と、本宮さんは満面の笑みで言った。
そんな彼と一緒にモール内に入る。日曜日だからか、客の数が多い。その大半が、家族連れやカップルだった。
「優樹、はぐれるなよ」
そう言って、本宮さんが僕の手をつかむ。何気ない行為のはずなのに、急に胸がドキドキして小さくうなずくことしかできなかった。
手をつないだ僕たちは、道行く人の波をかき分けながら、アウトレットモールのレストランエリアにやって来た。このエリアに、お目当ての店がある。歩きながら、人波のすき間から見える店名を確認する。でも、探している店ではなかった。
あれも違うこれも違うと探すこと十数分。
「あった! 本宮さん、あれ!」
ようやく見つけた店名に、僕は思わず声をあげた。
それが功を奏したのか、違う方を見ていた本宮さんが、僕の指さす方に顔を向ける。
僕たちの視線の先には、『ハニーノルン』という看板を掲げている店があった。ここが、僕たちのお目当ての場所だ。10時すぎということもあり、店内はなかなかに混んでいる。
「うわ、結構混んでるな。どうする?」
やめようかと、顔をしかめながらたずねてくる本宮さんに、僕は、
「今更帰るなんて、ありえないからね」
と、きっぱりと告げた。
だって、今日の目的は、このハニーノルンで美味しいパンケーキを食べることなのだから。もちろん、本宮さんの誕生日を祝うことも忘れていない。でも、ここで帰ってしまったら、何のために来たのかわからなくなってしまう。さすがに、それは嫌だった。
「じゃあ、待つか」
本宮さんは、ホッとした笑顔を浮かべてそう言った。
どうやら、本宮さんもここのパンケーキを楽しみにしていたらしい。それなら、やめようかなんて聞かないでほしいとも思うけれど、尻込みしてしまう気持ちもわかる。なぜって、店内にいる客のほとんどが女性だからだ。もしかしたら、男は僕たち2人だけなのかもしれない。
ハニーノルンは、都内では有名なパンケーキ専門店らしく、テレビの情報番組で取り上げられることが多い。スイーツ系から惣菜系まで取り揃えられていて、そのどれもがふわふわの生地で美味しいと評判だそうだ。
そんな有名店が、このアウトレットモールに出店したのが先月のことだ。県内で唯一ということもあって、オープン当初は、長蛇の列ができるほど大盛況だったらしい。もちろん、1ヶ月経った今もその人気は衰えていない。
それから30分ほど待つと、ようやく僕たちの番がやってきた。もう少し遅かったら、空腹で倒れていたかもしれない。
店員さんに案内されて、空席になったテーブルにつく。さっそくメニュー表を開くと、いろいろなパンケーキの写真が名前とともに掲載されている。どれもが美味しそうだった。
「どれにするんだ?」
本宮さんに聞かれて、僕はうーんと唸った。正直なところ、とても悩む。
「本宮さんは?」
逆に聞いてみると、本宮さんは少年のような笑顔を浮かべて、もう決まっているなんて口にする。
(早っ! ヤバい、どうしよう……)
焦ってメニュー表を凝視する僕に、本宮さんはゆっくり決めていいと言ってくれた。気を遣ってくれているんだろうと思うと、申し訳なくなってくる。
それから少し悩んだ僕は、店名を冠したスペシャルパンケーキを選んだ。店員さんを呼んで注文する。
しばらく待つと、本宮さんが注文した商品が先に運ばれてきた。厚めのパンケーキの上に、カリカリのベーコンと目玉焼きが乗っている。惣菜系パンケーキの中でも定番の一品だ。
続いて運ばれてきたのは、僕が頼んだハニーノルンスペシャルパンケーキだ。分厚いパンケーキの上には、たっぷりの生クリームとメープルシロップがあり、パンケーキの横にはいちごやブルーベリーなどの果物がこれでもかというほど盛られている。スペシャルというだけあって、さすがにボリューミーで豪華だ。
「すごいな、それ。食べ切れるのか?」
目を丸くしている本宮さんに、僕は大きくうなずいて、
「もちろん! そのために朝、抜いてきたからね。もうお腹ペコペコだよ。本宮さんは、それだけでいいの?」
「ああ。食いすぎると、動けなくなっちまうからな」
そう言って、本宮さんはパンケーキを一口食べる。
(食べすぎると動けなくなるって、どのくらい食べるつもりだったんだろう?)
気にならないわけではないけれど、追求はしなかった。それよりも目の前のパンケーキの方が、今の僕には重要だった。
「いっただっきまーす!」
そう言って、一口大に切り分けたパンケーキを食べる。ふわふわの食感と生クリームの爽やかな甘さ、それを追いかけるメープルシロップのコクが口の中に広がった。
「ん? そうなのか?」と、僕の方を見る本宮さん。いつも以上に色っぽい彼に、僕は思わず息を飲んだ。まさか、こんなにも色気が増すなんて思ってもみなかった。小首をかしげる本宮さんから視線をはずして、僕はうなずいた。さすがに、妖艶な彼を直視するなんて勇気は、今の僕にはない。「普段、ほとんど飲まないからね。たまに飲むと、さすがに酔っぱらうみたいだよ。それに、今日は本宮もいるからね。浮かれてるんじゃないかい?」と、母さんがキッチンから戻ってきた。その手には、真新しいグラスが2つほどある。「はい」と、そのうちの1つを僕の前に置いた。「これは?」僕がお礼を言ってたずねると、「はちみつレモンだよ」微炭酸のねと、母さんが答えた。その言葉に、僕は面食らってしまった。今まで、食後――それも風呂上がりに作ってもらったことなんてない。早く寝なさいとどやされるのが、日常だった。(これも、昌義さんのおかげかな)そんなことを密かに思いながら、はちみつレモンに口をつけた。はちみつの甘さと爽やかなレモンの香りが、口の中で広がる。ほどよい微炭酸の刺激もあって、風呂上がりのほてった体に染み渡るようだった。「ほら! 修吾さんは、これ飲んで」と、母さんは父さんに水を勧めている。「……甲斐甲斐しい亜紀先輩、初めて見た」本宮さんが、ぽつりとつぶやいた。「そうなの? うちじゃあ、わりとこんな感じだけど」と、僕は両親を見ながら言った。父さんは、まだはちみつ酒を飲むと駄々をこねている。そんな父さんをあしらいながら、母さんははちみつ酒がまだ残っているグラスを水入りのグラスにすり替えて飲ませていた。たしかに、ここまで父さんの世話を焼くのは、珍しいかもしれない。でも、母さんは、基本的に誰かの世話を焼くのが好きなタイプだと思う。口では文句を言いながらも、母さん自身が楽しんでいるように見えたからだ。「たしかに、姉御肌で面倒見がいい人だよな。でも、俺が知
「しばらく、そうさせてあげな。だいぶ、気に病んでたみたいだから」と、母さんが優しく言った。そんなことを言われてしまったら、何も言えなくなってしまう。僕は、もう一度ごめんと言って、父さんの気が済むまで抱きしめられていることにした。母さんがリビングに行くのを、横目で確認する。「本宮、今日はありがとね」「いえ。俺も心配だったんで」という母さんと本宮さんの会話が聞こえた。その短いやり取りだけで、僕がどれほど2人に――もちろん、父さんにもだけれど――愛されているのかを感じた。母さんと本宮さんの声音が、いつもより優しいものだったからだ。(もう、無理はしないでおこう)僕は、密かにそう心に誓う。僕が大切に思っている人たちを、もう悲しませたくないから。「そういえば、夕飯はもうできてるって言ってたよな?」気が済んだのか、父さんは僕から離れてそんな疑問を口にした。僕はうなずいて、すぐに準備するからと告げた。父さんが手伝うと言ってくれたけれど、笑顔で断った。病み上がりとはいえ、動けないわけではない。何よりこれは、心配をかけてしまったことへのお詫びみたいなものだからだ。全員分のカレーとスープを配膳して、食卓につく。「えっと……ご心配をおかけしました。これは、僕からのお詫びってことで」召し上がれと言うと、母さんがいきなり笑い出した。「何を改まってるんだい、この子は。心配するのは、当たり前だろ? でもまあ、せっかく作ってくれたんだし、いただこうかね」と、カレーに手をつける。母さんに続いて、僕たちもいただきますと言って食べ始めた。ほどよい辛さのカレーは、思ったよりもコクが増していた。隠し味に入れたチョコレートのおかげだろう。鼻から抜けるほんのりと甘い香りが、チョコレートの存在をアピールしている。「美味い!」と、本宮さんが顔をほころばせる。「よかったな、優樹」と、にこやかな父さんに言われ、僕は満面の笑みでうなずいた。
「あ、いや、それは大丈夫! 僕の方こそごめん!」僕が頭を下げると、「どうして、優樹が謝るんだ?」と、本宮さんがきょとんとしながらたずねた。「いや、えっと……僕が、起こしちゃったかなって。昌義さんの髪、なでてたから」と、僕はしどろもどろに答える。「別に、気にする必要ねえよ。遠慮せずに、もっとなでてもいいんだぜ?」なんて言って、本宮さんは微笑んでいる。その笑顔がとてもかっこよく見えて、僕はときめいてしまった。顔が真っ赤になっているだろうから、すぐにでもベッドに潜り込みたい。けれど、さすがに許してはくれないだろう。「そ、それじゃあ……失礼して」と、意を決した僕はおずおずと彼の頭をなでる。うっとりと目を細める本宮さんは、とても無防備で。普段はなかなか見られない彼の一面に、ドキドキする。とろけるような笑みを見せる彼を、とてもかわいいと思ってしまった。(大人の男の人に、『かわいい』は、おかしいかな?)ふと、そんな疑問が浮かび、僕は手を止めた。「どうした?」と、本宮さんが小首をかしげる。「あ……いや、何でもない!」唐突に恥ずかしくなった僕は、取り繕うように言ってそっぽを向いた。「何でもないって態度じゃねえな?」と、本宮さんが僕の顔をのぞき込もうとする。僕は、それを阻止するように彼に背中を向けた。「優樹? こっち向いてくれよ」本宮さんはそう言いながら、僕を後ろから抱きしめた。彼のぬくもりが心地よくて、身を委ねたくなってしまう。それを知ってか知らずか、本宮さんは、僕のうなじに何度もキスを落とす。その感触に、変な声が出そうになった。どうにか我慢していると、「なあ、優樹。何か思ってることがあるなら、お前の言葉で教えてくれないか?」と、本宮さんが僕の耳もとでささやいた。「――っ!」一瞬、心臓が止まるかと思った。い
(どうして、そんなこと……)涙がほほを伝い、2人の楽しかった思い出が走馬灯のように脳裏に浮かぶ。「どうして……? 僕のこと、嫌いにでもなったの?」どうにかそれだけを口にすると、本宮さんは鼻で笑った。「お前とは遊びだったんだよ、最初っからな。なのにお前、本気なんだもん。マジでウケるぜ」嘲るような笑顔を浮かべながら、本宮さんはそう言った。けれど、彼の焦げ茶色の瞳は、一切、笑ってはいなかった。「じゃあ……あのリングネックレスも、プロポーズの言葉も、うそだったのかよ?」悲しみと怒りがごちゃ混ぜになって、そう告げる僕の声は震えている。「ああ、うそだよ。ちょーっと、からかっただけ。まさか、お前みたいなガキに、本気になるとでも思ったのか?」本宮さんは、小馬鹿にするように言って、くぐもった笑い声を上げる。彼の言葉を、信じていたのに。彼に愛されていると、実感していたのに。『遊びだった』たったその一言だけで、僕の心は引き裂かれていた。それでも、初めて恋をした人に縋《すが》りたくて。「昌義さん……」僕は、わずかな希望を抱いて彼の名を呼んだ。薄ら笑いを浮かべていた本宮さんは、いきなり冷めた表情をすると、「気安く呼ぶな」と、冷たく言い放った。ほんの少しでいいから、過去形でもいいから、好きだと言ってほしかった。ただ、それだけだったのに。無残にも一蹴されてしまった。たぶん、僕は涙を流したまま怯えた表情を浮かべていたのだと思う。それほど、本宮さんの本気の拒絶に恐怖を感じた。そんな僕を興味なさそうにちらりと見ると、「じゃあな」と、短く別れを告げて本宮さんは席を立った。「あ……」呼び止めようとしたけれど、言葉が出ない。あれだけのことを言われたのに、僕の心はまだ、彼に囚われたままだ。(これは、夢だ。本物の昌義さんに、直接言われたわけじゃない!)自分にそう言い
気がつくと、僕の視界には見知った天井が広がっていた。(あれ? 僕、学校にいたはずだよな?)不思議に思って周囲を確認する。間違いなく、ここは僕の部屋だ。「優樹! よかった、気がついたか!」僕のベッドのすぐ横で、本宮さんの声が聞こえた。「昌義、さん……?」問いかけながら、僕は顔を右側へと向けた。そこには、ほっとした表情を浮かべる本宮さんがいた。少し涙ぐんでいるのか、目もとがきらりと輝いている。いまいち状況が飲み込めていない僕は、本宮さんにどうしてここにいるのかたずねた。「昼休みに教室で倒れたって聞いたんだけど、覚えてないのか?」と、本宮さんが心配そうにたずねる。「えっと……」と、僕は本宮さんから視線をはずし、今日一日のことを思い返す。いつも通り学校に行って、授業を受けて、遼と話をして……。「そういえば、ちゃんと寝ろって、遼に言われたっけ。……あれ?」心配そうな遼の姿を思い出した僕は、その後の記憶がないことに気がついた。本宮さんにそのことを告げると、「倒れたのは、たぶん、その時だろうな」「それじゃあ、昌義さんが僕を?」家に連れてきたのかと聞いてみた。けれど、本宮さんは静かに首を横に振った。「いや、優樹を迎えに行ったのは、亜紀先輩だよ。俺は、亜紀先輩から連絡もらって、優樹の看病をしてただけだ」「そっか、ありがと。それと、ごめんなさい」しょんぼりと僕が謝ると、本宮さんはきょとんとした顔をした。「あ、いや……今日、金曜日だし、昌義さんの授業ないじゃん? なのに、来てもらっちゃったから」と、僕は弁解するように言った。「そんなこと気にすんな。恋人の一大事なんだ、飛んでくるのは当たり前だろ」本宮さんは、優しく微笑んでそう告げた。何をどう言えばいいのかわからなくて、僕は小さくうなずくことしかできなかった。「俺の方こそごめんな
僕よりも本条刑事を知っている本宮さんが言うのだから、おそらく間違いないのだろう。「それでも気になるなら、俺が本条先輩を味方につけるぜ?」「本当!?」「ああ。まかせろ!」本宮さんの心強い言葉に、僕は素直にお願いする。そういうわけで、母さんを攻略する前に、僕は父さんを、本宮さんは本条刑事を味方につけることにした。交渉の方法は、個人の判断に任せることになった。「今日のところは、ここまでかな」と、本宮さんが言った。窓の外を見ると、もうすっかり暗くなっている。「じゃあ、続きは明日ってことで」と、僕がノートを閉じると、本宮さんは僕から離れて帰り支度を始めた。それが、少しだけ寂しく思えた。でも、口にも態度にも出さない。ただのわがままなのは、充分に理解しているからだ。「それじゃあ帰るけど、今日やったとこ、忘れるなよ?」「大丈夫だよ、復習しておくから」心配そうな本宮さんに、僕はそう言って笑顔を返す。苦手な分野は、復習しておかないと忘れてしまう。今日は、とくにその傾向が強い。なんたって、色気倍増の本宮さんとのキスで、ほとんど覚えていないのだから。「じゃあ、また明日な」と、さわやかな笑顔を浮かべる本宮さんを、僕は玄関まで見送った。* * * *いつも通り、家族揃って食卓を囲んでいた夕食時。(さて、どうしたものか……)僕は、卒業後の進路について両親にどう切り出せばいいか考えていた。もちろん、本宮さんとのことは伏せるつもりだ。そこまでオープンにする覚悟は、僕にはまだない。タイミング的にも、今ではない気がする。その反面、店を継ぐ意思があることは、早めに伝えた方がいいと思った。(でも、何て言えばいいんだろ?)下手なことを口走ると、それこそ母さんにツッコまれるおそれがある。それは、色々と面倒くさい。「どうした、優樹? そんなに難しい顔をして」と、父さんに声
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