Share

いつか来る、永遠の別れ
いつか来る、永遠の別れ
Author: みそ汁

第1話

Author: みそ汁
5年の刑務所暮らしを終えて、元カレ・松井純一(まつい じゅんいち)に再会したのは墓地だった。

ボロボロの体を引きずりながら、私はいくつか候補のお墓を選んでいた。

ちょうどその時、純一は婚約者を連れて、彼の父親のお墓参りに来ていた。

「紬、5年も経つのに、まだこんな風に偶然を装って俺に会おうとするのか?残念だけど、俺はもうお前のことなんて好きじゃない」

私は唖然とした。でも、すれ違おうとした瞬間、純一に強く手首を掴まれた。

彼の薄い唇から、氷のように冷たい声がこぼれた。

「お前にできるのは、そんな安っぽい駆け引きくらいだな」

私は、呆然と顔を上げた。

爪が食い込むほど手を握りしめ、なんとか感情を抑えた。

「安心して。もうあなたに付きまとうつもりはないし、二度とあなたの目の前に現れたりしないから」

刑務所に五年も入っているうちに、いつの間にか、とげとげしさは消えていた。

私はその場から立ち去ろうとした。

でも、純一は再び口を開いた。

「親父の墓参りに来たんだね」

私は思わず足が止まり、口の中にじわりと血の味が広がった。

純一は笑った。

「やっぱりな。

今さら親父に謝りに来るなんて遅すぎる。あの時、一体何を考えていたんだ?

親父の納骨の日に、どうしてお前は来なかった?」

彼は怒りをあらわにして言った。「お前が今さら親父の前に顔を出すなんて、ただ吐き気がするだけだ」

彼がまだ、私が彼の父親を殺したと恨んでいるのは分かっていた。

でも、本当のことなんて言えるはずもなかった。

私は口に広がる血の味を飲み込み、静かな声で言った。

「私はもう、償いを済ませたでしょう?」

純一が一歩、前に出ようとする。

原田絢香(はらだ あやか)が慌てて彼の服の裾を掴んだ。

「純一さん、もう時間だから、先にお父さんのところへ行きましょう」

彼女は純一の手を引いて、その場を去ろうとした。

そして去り際に、私を慰めることも忘れなかった。

「紬さん、純一さんはずっとこうなのよ。もう慣れっこだから、気にしないでね」

純一は聞く耳を持たず、絢香の手を振り払った。

「紬、お前と出会わなければよかった」

純一の言葉と同時に、風は吹き、巻き上げられた落ち葉が、私の視界をかすめた。

以前は、決してそんなこと言わなかったのに。

純一と初めて会った時。

彼はまだ若くて経験も浅かったが、ビジネスの世界の新星として輝いていた。

彼の父は有名な科学者で、母は人望の厚い大学教授だった。

A市で彼の名を知らない者はいなかった。

そんな眩しい彼に、私は惹かれずにはいられなかった。

わざと偶然を装い、好きでもない華やかなパーティーに顔を出した。

胃の痛みを我慢して、お酒を何杯も飲んだ。

そうしてとうとう、シャンパンを片手に彼の前へ進み出て、自己紹介をした。

でもあの日、純一の私を見る目には、どこか壁があった。

でも、そんなことは私にとって重要ではなかった。

必ず彼を射止めてみせると、心に誓っていたから。

それからは、偶然を装わなくても色々なパーティーで彼を見かけるようになった。

あるチャリティーパーティーで、私は純一と再び顔を合わせた。

私たちの運命の歯車が、そこで動き始めたのだ。

あの時は、それまでと違って、彼の方から手を差し出してくれた。

「松井純一です。お会いできて光栄です」

……

風が止み、私は現実へと引き戻された。

そこには、もう私一人しかいなかった。

震える指先を見つめ、私は自嘲の笑みを浮かべた。

大丈夫。もうすぐ、本当にあなたの目の前から消えてあげるから。

お墓の場所を決めた三日後、私は再び救急室に運ばれた。

母はベッドの脇に座って、点滴で腫れ上がった私の手の甲を見つめ、目を赤く泣き腫らしていた。

その時、病室のドアがノックされた。

ドアの外には、果物かごを提げた純一の母親・松井美優(まつい みゆ)が立っていた。

「紬さん」

五年ぶりに聞く彼女の声に、私は一瞬、夢かと思った。

彼女は私の隣に腰を下ろすと、いきなり本題を切り出した。

「純一から聞いたわ。あなたたち、会ったそうね。

病気が治ったら……H市へ行きなさい。もう手配はしてあるから。

あそこなら、新しい生活が始められるわ。

純一はもうすぐ結婚するの。だから、あなたたち二人は……」

その先は、言われなくても分かっていた。

私が口を開く前に、母が怒りに燃える目で彼女を突き飛ばした。

「娘はやっと出てきたばかりなのよ!また彼女からすべてを奪うつもりなの!

言っとくけど、そんなこと、絶対にさせないから!」

「お母さん」

私は母の目尻に溜まった涙を拭ってあげた。

母は、ぴたりと黙った。

「松井先生」

私は目の前の女性を見つめた。

そして一語一句、はっきりと告げた。「私、癌なんです。もう末期なの……」
Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • いつか来る、永遠の別れ   第8話

    高校生の時、勉強のプレッシャーがすごくて、日記を書くのが習慣になった。大学に進んでからも、この習慣はずっと続いていた。純一は一ページずつめくっていき、ついに彼の父親が亡くなった日の内容を見つけた。【純一さん、本当のことを隠していてごめんね。あなたはお父さんを亡くしたばかりだから、せめてお母さんまで失ってほしくなかったの。神様が私にあの場面を見せたのは、たぶん、あなたのお母さんの身代わりになるためだったんだと思う。今でも、すごく混乱してる。今日はあなたのお父さんの納骨の日だね。この数日、あなたを避けていてごめん。今、すごくつらいよね。そばにいてあげられなくて、本当にごめんなさい。でも、あなたにはお母さんがいるから。警察の人が最後に時間をくれて、もう少しだけ両親と一緒にいられることになったの。この後、自首して刑務所に入るつもり。刑務所から出たら、また昔みたいに戻れたらいいな。でも、無理だよね。これから私は、あなたのお父さんを殺した人殺しになるんだから。きっと、私のこと、恨むよね……それなら、私がいないこれからの日々も、笑顔でいられますように。】まるで、五年前の自分が目の前に現れたようだった。私は、もう涙も出なかった。純一の顔はぐっしょりと濡れていて、それが雨なのか涙なのか分からなかった。日記の文字は水に濡れて、黒いシミのように滲んでしまった。純一は、もうこらえきれずにその場に崩れ落ち、後悔の涙を流した。彼女は、俺の母親の身代わりで五年も刑務所にいたんだ。それなのに、出所してきた彼女に、俺は何度も酷い言葉を投げつけた、と純一は心の中で呟いた……母は、そばにあったスコップを掴むと、何度も純一に打ちつけた。「うちの娘になんてことを!あんたが娘を殺したんだよ!」純一は避けようともせず、ただ重々しくうなずいた。「そうだね、俺のせいで彼女は死んでしまったんだ」母は殴り疲れて、最後には声にならないほど泣いた。スコップが、ガチャンと地面に落ちた。雨音と泣き声だけが、墓地に響き渡っていた。父が、そんな母を支えた。「もうやめろ。天国の娘にまで、お前の泣き声を聞かせて安らかに眠らせないつもりか?」純一は、母の怒りをすべて受け止めてから、ゆっくりと立ち上がった。彼は呟いた。「紬に申し訳な

  • いつか来る、永遠の別れ   第7話

    絢香は、二人の間に割って入った。「おばさん、もうやめてください。純一さんはあなたの一人息子なんですよ」美優は、絢香の頬を思い切り平手で叩いた。「何様のつもりで、私に指図する気?忘れたの?息子の好みから生活スタイルまで、全部私があなたに教えたのよ。紬が刑務所に入っていなかったら、あんたなんかに純一を近づけるわけないでしょ。純一がいつまでも紬のことを引きずってほしくなかったから、お嫁さん候補にしてあげただけなのよ。紬と比べたら、あなたなんて足元にも及ばないわ!確かに、紬はうちの息子には不釣り合いだと思っていた。でも、紬は純一を大切に思っていたし、私の身代わりになってくれたのよ。あなたにそんなことできる?」「もう、黙ってくれ!」純一は怒鳴り声をあげた。その手は怒りで震えていた。「つまり、二人はグルだったってことか。俺が結婚する相手まで、母さんが決めてたなんて。俺のこと何だと思ってるんだ!母さんの言いなりになるおもちゃじゃないんだぞ!」純一の胸は、激しい怒りで大きく上下していた。「おばさん、紬は……紬に、会わせてください」彼の声はかすれていた。「俺は、五年間も彼女を誤解していたんだ。今すぐ、彼女に謝りに行く」純一は、私を探しに行こうと身を乗り出した。母は、涙を流しながら、悲惨な笑みを浮かべた。「純一さん。もう二度と、紬にお詫びすることさえできないんだよ。あの子は、もう、死んでしまったから」母は、ありったけの力を振り絞ってそう言った。それを言い終えた瞬間、母は全身の力が抜けたように、ふらふらと外へ向かって歩き出した。純一は、去っていく母の後ろ姿を見つめていた。胸に無数の針が突き刺さるような痛みが走り、耳鳴りが止まらない。彼はその場に呆然と立ち尽くした。「紬が、死んだ?そんなはずがない」純一は母を追いかけ、その手を掴んだ。「おばさん、ちゃんと説明してください」母は鼻で笑った。「あら、知らなかったの?まあそうよね。あなたのお母さんが、あなたを大事に守っていたものね。私の娘が刑務所から出たらすぐにでも追い払おうとしていたんだから、あなたが知るわけないかね。紬は……癌だったのよ。あの子はずっと、耐えてきたのに……」母はそれ以上言葉を続けることができず、純一を振り切って、

  • いつか来る、永遠の別れ   第6話

    母は何も言わず、スマホを取り出すと、ある録音データを再生した。「紬、お願い。先生の身代わりになってくれたら、すぐに示談書を書く。安心して、あなたには絶対に迷惑かけないから」「先生の気持ちをわかってくれてありがとう。あの子は……純一は、お父さんを亡くしたばかりなのよ。もし母親の私までいなくなったら、あの子は……」「先生、わかりました。安心してください。純一さんには何も言いませんから。彼のお父さんを殺したのは……私です」「やめなさい!今すぐそれを消して!」美優は叫んだ。でも、再生は止まらなかった。「どうしてあなたがその録音を……あなたが娘とグルになって私をハメたんでしょ!」私はどうすればいいのか分からなかった。母は目尻の涙をぬぐった。「数年前、家の監視カメラの映像を見返して、本当のことを知ったの。あの時、娘に会いたくてたまらなかった……でも、あの子はもう刑務所の中。毎日、家の監視カメラの映像を見て眠るしかなかったの。まさか、あなたがこんな風にあの子を騙していたなんて、思ってもみなかった!やっぱりね。あんなに優しい紬が、人を殺すはずがない。間違って、なんてことも絶対にありえないわ!」母が言葉を紡ぐたび、美優の顔から血の気が引いていく。母は、純一を恨めしそうな目つきで睨みつけた。「うちの娘は約束を守った。死ぬまで、本当のことを言わなかったわ。でも、私はあの子の母親よ。娘が濡れ衣を着せられたまま死んでいくなんて、絶対に許せない!」純一は、ひどく驚いた顔をしていた。「母さん、この人の言ってることは、全部本当なのか?父さんを殺したのは、母さんだったのか?」「私がお父さんを殺しただって?警察がナイフから誰の指紋を検出したか、忘れたの?紬は、自分がお父さんを殺したと認めて、刑務所にも入ったのよ。私が殺したわけないじゃない」絢香が、純一の腕にしがみついた。「純一さん、どうしてこんな他人の言うことなんか信じて、お母さんを疑うの?」「そうよ」美優も、隣で口をそろえた。「私はあなたの母親なのよ」「でも、当時の検死の結果では、刺し傷に不自然な点があると報告されていた。紬の身長や力では、背後からあの位置に致命傷を与えるのは難しい、って」純一の表情が、いっそう険しくなる。彼は、全ての点と線がつな

  • いつか来る、永遠の別れ   第5話

    目を閉じた瞬間、せき止めていた血が口の端からゆっくりと流れ落ちる。でも、もうなにも感じなかった……「血が!純一さん!」私の無惨な姿にいち早く気づいたのは、絢香だった。彼女は怖がりながら、純一の腕を強く握りしめた。純一もようやく私の異変に気づいたようで、その声は震えていた。「紬!」彼はすぐに救急車を呼んだ。私が担架で運ばれていくのを見ても、彼の不安な気持ちは収まらなかった。「紬、お前の被害者を装った芝居も、俺くらいにしか通用しないぞ」彼は迷っていたが、結局、病院へはついてこなかった。結婚式はそのまま続いたけど、純一はうわの空だった。そして指輪を交換する時、彼は招待客全員の前で、絢香に「ごめん」と謝った。「お前とは結婚できない」純一は、美優と絢香が止めるのも聞かず、足早に式場を後にしてしまった。スマホを取り出すと、記憶に焼き付いている番号にかける。でも、それが繋がることはもう二度となかった。無機質なアナウンスが何度も繰り返されると、純一は怒りのあまりスマホを叩きつけた。「紬、お前に怒る資格なんてないくせに」彼が振り返った瞬間、母が純一の胸ぐらを掴んだ。「私の娘を返しなさい!」……私の魂は、母のそばを漂っていた。真っ赤に泣きはらした目で、体を震わせている母。その姿を見ていると、私の口の中には、言いようのない苦さが広がった。もう死んだはずなのに。どうして、まだ胸がこんなに痛むんだろう。「お母さん、帰ろう。お家に帰りたいよ」そう言っても、母にはもう私の声は届かない。「何の用だ?」相手が母だと分かると、純一はすぐに眉をひそめた。「なんだ、紬の芝居がダメだったから、今度はあんたが来たのか」「あんた、うちの娘に一体何をしたの!」純一は苛立った様子で、母の手を荒っぽく振り払った。母は数歩よろめいた。支えようと手を伸ばしたけど、私の手は母の体をすり抜けてしまった。「今日は俺の結婚式だぞ。俺が彼女に何をしたって言うんだ?あの人殺しに、俺の結婚式を台無しにするなと言っただけだ」母は悲しみに打ちひしがれて泣いていたけど、私には何もできなかった。「よくも、よくも私の娘をそんな風に!紬は人殺しなんかじゃない!」母は怒りに震えながら、彼に平手打ちをした。打たれ

  • いつか来る、永遠の別れ   第4話

    次に目を開けたとき、純一の視線とぶつかって、どうしていいかわからなくなった。このぬくもりが、まだ少しだけ恋しかった……彼から香る白檀の匂いは、何年も変わっていなかった。「紬、こんなところで芝居なんかして、俺の結婚式をめちゃくちゃにしたいのか?」その氷のように冷たい声で、私ははっと現実に引き戻された。必死に彼を突き放したけど、何かを言う前にウェディングドレス姿の絢香がやってきた。そして、見せつけるように純一の腕を組んだ。「紬さん、来てくれたのね」彼女はにこやかに笑っていて、純一も優しい目で彼女を見つめていた。まさに、お似合いの二人だった。「結婚、おめでとう」私は力なくうなずいた。胸が張り裂けそうなほどの絶望が、心に押し寄せてくる。「もうすぐ式が始まるから、ちょっとお化粧直しに付き合ってくれる?これからみんなの前に出るのに、みっともない姿は見せられないもの」私は断れず、絢香に手を引かれるままだった。でも、どうしても純一から目が離せない。彼の姿を心に焼き付けたくて、名残惜しそうに、何度も何度も彼を目で追ってしまった。新婦の控室に入った途端、頬に強い衝撃を感じて、ようやく我に返った。とっさに頬をおさえると、情けないことに鼻血まで出てきて、私のドレスを汚してしまった。「よくも、ここに来れたわね。やっぱりあんたも、あんたの母親とそっくりね。あの女は5年も純一さんと純一さんのお母さんにしつこくつきまとったわ。あんたも出てきた途端、恥知らずにも純一さんにまとわりつくなんて。あんたなんか、刑務所で死ねばよかったのよ!」私はぎゅっと拳を握りしめ、口に広がる血の味をなんとか飲み込んだ。そして、かすれた声で言い返した。「私のことを罵ったり、叩いたりするのはいい。でも、お母さんのことを悪く言うのだけは許さない!」私は目を真っ赤にして、ありったけの力で彼女の頬を張りかえした。ところがちょうどその時、純一がドアを開けて入ってきた。後ろには、彼の母親の美優の姿もあった。はっと振り返ると、絢香が顔をおさえて床に倒れ込んでいた。「紬、一体どう言うつもりなんだ!」純一の怒鳴り声で、耳が張り裂けそうだった。美優も、心底軽蔑したような目で私を見ている。「わ、私は……彼女が、彼女が先に……」「もういい!今すぐこ

  • いつか来る、永遠の別れ   第3話

    「私が先に手に取ったのに、彼女から奪うってどういうこと?」情けなくも、目に涙が浮かんで、声も震えはじめた。純一の目に一瞬、動揺が走った。彼は私の涙を拭おうと、手を伸ばしかけた。でも、はっと我に返って、すぐに手を下ろし、視線をそらした。そして気まずそうに言った。「わざとらしいんだよね。お前が悲しむことなんて何もないだろ」私は、こみ上げてくるものをぐっとこらえた。絢香は唇を噛んだ。「純一さん、もういいの。紬さん、泣きそうじゃない。ユキちゃんにぴったりの骨壷がなくても、大丈夫だから」そして、絢香は私に向けて、「そんなに悲しまないで。あなたに譲ってあげるから」と言った。彼女は手に持っていた骨壷を、私に差し出した。しかし、私の指先が骨壷に触れた瞬間、彼女はぱっと手を離した。ガチャンと音を立て、骨壷は床に落ちて粉々に砕け散った。絢香は驚いたふりをして、口に手を当てた。純一は怒りを滲ませて言った。「紬、わざとやったんだろう!絢香が大切にしているものを壊して、満足か!」彼はカッとなって、私の肩を突き飛ばした。私はよろめいて、数歩あとずさった。床に散らばった破片を見た瞬間、耳鳴りがした。絢香は純一をなだめるように言った。「純一さん、紬さんはわざとじゃないわ。私は彼女を責めないから。きっと、私の渡し方が悪くて落としちゃったのよ」絢香はくるりと向き直ると、私の耳元に顔を寄せた。「うちのユキちゃんと同じものを欲しがるなんて、身の程を知りなさいよ」あまりに早口だったので、一瞬、聞き間違えたのかと思った。でも、問い返す余裕はなかった。私は唇をぐっと噛みしめて、意識をはっきりさせようとした。ちゃんと薬を飲んだのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。崩れ落ちそうな体を必死に支えながら、私は必死でカバンの中の薬を探した。私の様子に驚いたのか、純一が、いきなり私の手を掴んだ。その目には、隠しきれない動揺が浮かんでいた。手足に激痛が走り、まるで無数の蟻が骨を蝕んでいくようだった。「紬、強く押してないぞ。当たり屋みたいな真似はやめろ」彼の声は、予想外のことにも震えていた。「薬……」私は、なんとか一言だけ絞り出した。純一は慌てて、床に落ちたカバンから薬を見つけ出し、私の口に運んだ

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status