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元夫の愛は期限切れです

元夫の愛は期限切れです

By:  八方みのりCompleted
Language: Japanese
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夫・藤沢直哉(ふじさわ なおや)の誕生日。 私、藤沢夏帆(ふじさわ かほ)はバラの花束を抱え、彼を驚かせるつもりで、足音を立てないように郊外の家へ入った。 すると、私たちの寝室から、男女がじゃれ合う声が聞こえてきた。 西園綾香(にしぞの あやか)が、甘えた声で言った。 「夏帆さん、今日はこっちには来ないって聞いてますけど……大丈夫ですよね?」 直哉は、私には聞かせたことのない優しい声で答えた。 「心配しなくていい。あいつは俺に逆らえない。今日はこっちに来るなって言ってある。だから来ないよ」 床には、脱ぎ散らかされた服と、崩れたケーキがあった。 私は二人に声をかけることも、問い詰めることもせず、そっとドアを閉めて家を出た。

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Chapter 1

第1話

夫・藤沢直哉(ふじさわ なおや)の誕生日。

私、藤沢夏帆(ふじさわ かほ)はバラの花束を抱え、彼を驚かせるつもりで、足音を立てないように郊外の家へ入った。

すると、私たちの寝室から、男女がじゃれ合う声が聞こえてきた。

西園綾香(にしぞの あやか)が、甘えた声で言った。

「夏帆さん、今日はこっちには来ないって聞いてますけど……大丈夫ですよね?」

直哉は、私には聞かせたことのない優しい声で答えた。

「心配しなくていい。あいつは俺に逆らえない。今日はこっちに来るなって言ってある。だから来ないよ」

床には、脱ぎ散らかされた服と、崩れたケーキがあった。

私は二人に声をかけることも、問い詰めることもせず、そっとドアを閉めて家を出た。

……

さっき聞いた二人の笑い声が、耳から離れない。

思い出すだけで吐き気がした。あの家には、もう戻りたくない。

私は自分で束ねた花束を、門を出た先のゴミ置き場に捨て、秘書の小野寺遥(おのでら はるか)に電話をかけた。

「小野寺さん、郊外のあの家を売却する手続きを進めてください。それから、来週までに湊崎市で抱えている仕事をすべて片づけられるよう、調整してください」

窓の外に浮かぶ月をぼんやり眺めていると、直哉から電話がかかってきた。

「夏帆、今日が何の日か分かってるよな?少しは俺のことも考えろよ。稼げって言ったからって、本当に仕事しかしてないのか?俺へのプレゼントは?」

誕生日のことで直哉からこんなふうに責められたのは、これが初めてだった。

私はこの5年、毎年欠かさず直哉の誕生日を祝ってきた。

彼に喜んでもらえるよう、毎年、時間をかけてプレゼントを選んだ。

そしていつも、その贈り物に彼専用の家族カードも添えていた。

直哉はそのたびに私を抱き寄せ、愛おしそうに私を見つめた。

「夏帆、ずっと大事にするから」

私はコートの襟元をぎゅっと掴み、こみ上げる感情を必死に抑えた。

「仕事で立て込んでて忘れてた。あとでちゃんと渡す」

私がそう答えると、直哉の声はすぐに柔らかくなった。

「夏帆、愛してる。明日、迎えに行く」

私は答えず、車で会社近くのマンションへ戻った。

エレベーターに乗ったところで、SNSの通知が一件表示された。

知らないアカウントから、私宛てのメンションが届いていた。

投稿文は、こうだった。

【彼の30歳の誕生日に、最高のプレゼントを】

添えられていたのは、かなりきわどいポートレート写真の数々だった。

写真に写っているのは、綾香だった。

直哉が最近、撮影現場で目をかけている後輩の新人写真家。そして、さっきあの家のベッドにいた女だ。

返信はしなかった。ただ、いいねを押そうとした瞬間、その投稿は削除された。

翌日の昼、直哉は綾香を連れて私のオフィスに押しかけ、ドアを乱暴に蹴り開けた。

そして、私の前にスマホを叩きつけ、声を荒らげた。

「お前、綾香は俺の後輩で、仕事でも面倒見てるだけだって知ってるだろ?

SNSに写真を上げただけで、そこまで目くじら立てるか?わざわざ消させるなんて、みっともない真似すんなよ。

綾香はちゃんと俺の誕生日を祝ってくれたぞ。お前は?何を用意してくれたんだよ」

私は目の前の書類に視線を落としたまま、顔を上げなかった。

直哉の考えていることなど、とっくに分かっていた。

直哉が写真家としてここまで続けてこられたのは、この何年も私がお金を出してきたからだ。

新しいカメラが欲しいと言えば、買ってあげた。

スタジオを作りたいと言えば、手を貸した。

海外で勉強したいと言えば、学校を探し、手続きから生活の準備まで、すべて整えた。

愛していたから、彼がいつか写真家として名を上げる日まで、待てると思っていた。

でも今は、もう待ちたくない。

綾香は直哉の腕をぎゅっとつかんだ。

「直哉さん、大丈夫です。私、怒ってませんから。夏帆さんのこと、責めないであげてください」

目の前の女は若く、美しかった。

そのうえ声まで柔らかい。けれど、私を見る目には、少しの遠慮もなかった。

私は書類を閉じ、困ったように二人を見た。

「直哉、会社が今かなり厳しいの。これ以上、あなたに回せるお金はない」

直哉の表情がさっと強ばった。

「だったら、そんな会社やめちまえよ。今の俺なら、お前ひとりくらい養える。会社なんか売って、専業主婦にでもなって俺の世話をしてろ」

そう言い捨てると、直哉は綾香を連れて、振り返りもせず出て行った。

直哉は才能のない写真家だ。

でも同時に、プライドだけはやたらと高い。

仕事のために毎日駆け回る私を、彼はどこかで見下していた。

彼の中では、夢を追っている自分だけが純粋で、お金のために働く私は俗っぽい人間なのだ。

私が稼ぎ、直哉が夢を追う。

これまでの私たちは、そんな役割分担で成り立っていた。

私は5年間、直哉に本気で尽くしてきた。

けれど今日、私は嘘をついた。

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松坂 美枝
松坂 美枝
誰にも責任を取れないクズ男の話 主人公が甘やかしすぎたのかなあ 主人公の金と甘やかしがなくなった途端一気に崩れて、主人公の仕事はうまくいく 世の中うまく出来てるわ
2026-07-21 10:19:46
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第1話
夫・藤沢直哉(ふじさわ なおや)の誕生日。私、藤沢夏帆(ふじさわ かほ)はバラの花束を抱え、彼を驚かせるつもりで、足音を立てないように郊外の家へ入った。すると、私たちの寝室から、男女がじゃれ合う声が聞こえてきた。西園綾香(にしぞの あやか)が、甘えた声で言った。「夏帆さん、今日はこっちには来ないって聞いてますけど……大丈夫ですよね?」直哉は、私には聞かせたことのない優しい声で答えた。「心配しなくていい。あいつは俺に逆らえない。今日はこっちに来るなって言ってある。だから来ないよ」床には、脱ぎ散らかされた服と、崩れたケーキがあった。私は二人に声をかけることも、問い詰めることもせず、そっとドアを閉めて家を出た。……さっき聞いた二人の笑い声が、耳から離れない。思い出すだけで吐き気がした。あの家には、もう戻りたくない。私は自分で束ねた花束を、門を出た先のゴミ置き場に捨て、秘書の小野寺遥(おのでら はるか)に電話をかけた。「小野寺さん、郊外のあの家を売却する手続きを進めてください。それから、来週までに湊崎市で抱えている仕事をすべて片づけられるよう、調整してください」窓の外に浮かぶ月をぼんやり眺めていると、直哉から電話がかかってきた。「夏帆、今日が何の日か分かってるよな?少しは俺のことも考えろよ。稼げって言ったからって、本当に仕事しかしてないのか?俺へのプレゼントは?」誕生日のことで直哉からこんなふうに責められたのは、これが初めてだった。私はこの5年、毎年欠かさず直哉の誕生日を祝ってきた。彼に喜んでもらえるよう、毎年、時間をかけてプレゼントを選んだ。そしていつも、その贈り物に彼専用の家族カードも添えていた。直哉はそのたびに私を抱き寄せ、愛おしそうに私を見つめた。「夏帆、ずっと大事にするから」私はコートの襟元をぎゅっと掴み、こみ上げる感情を必死に抑えた。「仕事で立て込んでて忘れてた。あとでちゃんと渡す」私がそう答えると、直哉の声はすぐに柔らかくなった。「夏帆、愛してる。明日、迎えに行く」私は答えず、車で会社近くのマンションへ戻った。エレベーターに乗ったところで、SNSの通知が一件表示された。知らないアカウントから、私宛てのメンションが届いていた。投稿文は、こうだった。
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第2話
もう直哉に、1円たりとも使いたくなかった。自分の時間も体も削って築いてきたものを、あんな最低な男に食いつぶされるのはごめんだ。どうせ終わらせるなら、最後くらいきっぱり片をつけたかった。その日のうちに、私は郊外の家がある住宅地の管理事務所へ行き、防犯カメラの映像データの控えを取っておいた。それから会社近くのマンションへ戻ると、直哉はすでにキッチンに立っていた。彼は私の好きな料理ばかりを並べていたが、私は少しも食べる気になれなかった。直哉は、私が箸を持ったまま何も口に運べずにいるのを見ると、立ち上がって味噌汁をよそってくれた。「また忙しくて、食べるの忘れてただろ。まず味噌汁だけでも飲めよ。少しは落ち着くから」私は椀を受け取ったものの、口をつける気になれなかった。ただ、ぼんやりと湯気を眺めていた。直哉は料理が得意で、最初の頃は毎朝、私に朝食を用意してくれた。毎朝は大変だろうと思って断っても、彼はいつも笑って私を席に座らせた。「夏帆は働きすぎなんだから、朝くらいちゃんと食べろよ。倒れたらどうするんだ」けれど、いつの間にか彼が私のために料理をすることは減っていった。ある日は、近所のコンビニで適当に買ってきたおにぎりやパン。またある日は、夜景の撮影があると言って、そのまま帰ってこないことさえあった。彼の周りには、いつも綺麗なモデルたちがいた。そのことで私が怒ると、直哉は決まって逆ギレした。「俺の仕事なんだから仕方ないだろ。気に入らないなら離婚すればいい」浮気をしていると断言できる証拠はなかった。だから私は、そのたびに自分に言い聞かせるようにして、直哉を信じてきた。けれど、時間が経つにつれて、あの頃の気持ちは少しずつ薄れていった。仕事を終えて帰っても、温かい料理が待っていることを、私はもう期待しなくなっていた。直哉の料理をおいしいと思うことも、いつの間にかなくなっていた。そして、直哉自身のことさえ、もう好きではなくなっていた。彼がほかの女を抱いていた光景が頭に浮かび、吐き気がした。私は箸を持ったまま、どうしても口をつける気になれなかった。そんな私を見て、直哉は箸を床に叩きつけた。「そんなに俺の飯が嫌か?それとも毎日外でうまいものばっかり食って、口が肥えたのか?分かっ
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第3話
考えてみれば、残された時間はあと5日しかなかった。私は立ち上がり、会社へ戻って残業を続けた。人けのないオフィスで、直哉と私の写真だけがやけに目立っていた。それは、この5年で一番幸せだった記憶だ。直哉が初めて買ったカメラで、最初に撮った一枚だった。あのときの直哉は、うれしそうに私を抱きしめてくれた。「夏帆、いつかウェディングフォトを撮ろうな。世界で一番きれいに撮ってやるから」けれど5年たっても、プロポーズも、結婚式も、ウェディングフォトもなかった。入籍だって、直哉と慌ただしく役所へ婚姻届を出しただけだった。美しい思い出だったことは、たしかだ。それでも、もう残しておきたいとは思えなかった。私は写真を破り、ゴミ箱へ捨てた。気づけば午前2時を回っていて、私は休憩室でそのまま眠りに落ちた。すると、直哉の撮影アシスタント、白井悠(しらい ゆう)から電話がかかってきた。「夏帆さん、迎えに来てもらえませんか?直哉さん、酔っぱらってしまって……どうしても連れて帰れないんです」私は電話を切ると、離婚する前に夫に死なれて困る、と心の中で悪態をつきながら車のキーを手に取った。店の個室では、直哉が綾香に寄りかかっていた。悠がいくら引き離そうとしても、二人は離れなかった。悠はひどく気まずそうに私を見た。「夏帆さん、直哉さんは酔っているだけなので、あまり気にしないでください」私はにこやかに笑い、足元にあった台車をつま先で悠のほうへ押しやった。「大丈夫。そんなに離れたくないなら、二人まとめて運べばいいわ」悠は目を丸くしたが、結局、店員を呼んで二人を台車に乗せ、そのまま運び出した。私は近くのホテルに部屋を取り、二人を泊まらせることにした。ところが部屋の前で、直哉はいきなり私を突き飛ばした。「どけよ、夏帆。俺は綾香しか見てない。お前の顔なんか見たくもない」私は一瞬固まったが、すぐにスマホを取り出して彼に向けた。「直哉、もう一度言って」直哉は幸せそうに笑い、スマホのカメラに向かって、はっきりと口にした。「俺は綾香しか見てない。今も、これからも」私は何も言わず、口元だけで笑って、直哉を部屋へ押し込んだ。ホテルを出ると、空から雪が舞い落ちていた。まるで、空にまで笑われている気がした
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第4話
直哉があそこまで取り乱した声を聞くのは、初めてだった。これまでも怪しいと思うことはあったが、どこかで一時の遊びにすぎないと思い込もうとしていた。けれど今回だけは違う。直哉は本気で綾香に惹かれている。私はテーブルの上のコーヒーを一息に飲み干した。弁護士が用意した離婚協議書は、すでに目の前に置かれていた。私は直哉の不倫写真を離婚協議書の間に挟み、バッグへ入れた。5年かけて作り上げてきたこの場所が、少しずつ、何もなかった頃の姿に戻っていく。それを見ていると、胸の奥が少しだけ痛んだ。ここには、必死に働いてきた私の時間が詰まっている。けれど会社の将来を考えるなら、汐見市へ移したほうがいい。3年前にも一度、会社の拠点を移そうとしたことがある。けれどそのとき、直哉は丸1か月、ことあるごとに私を引き止めた。――そんなに遠くへ行かないでくれ。夏帆がいないと無理だ。きっと寂しくなる。彼はそんな言葉を、何度も何度も繰り返した。……あの頃の私は、傷ついたように振る舞う直哉にすっかりほだされていた。私は残った。けれど直哉は、そこから少しずつ私から離れていった。彼はもう、私に優しくしてくれることも、気遣ってくれることもなくなった。私も、彼に愛されていた頃の感覚さえ、忘れかけていた。今の直哉が私に優しくするのは、私から何かしらの利益を得ようとしていただけだった。時には、ご機嫌取りさえ雑になった。期待しないことに慣れすぎて、私は離れる勇気まで失っていた。あの日、直哉の裏切りを目の前で見るまでは。だから今度こそ、私は離れると決めた。スマホにメッセージの通知が立て続けに届き、私は現実に引き戻された。昨夜、私がホテルを出たあと、綾香はこっそり直哉の部屋に入り込んでいた。送られてきた写真は、どれも二人で寄り添っているものばかりだった。何枚も続けて写真を送りつけたあと、綾香は勝ち誇ったようにメッセージを送ってきた。【夏帆さん、困っちゃいます。直哉さん、私を抱きしめてないと眠れないって言うんです】私は冷たく笑い、その写真を一枚ずつ保存した。【それなら今度、直哉に言って、特別手当でも出してもらわないとね】綾香が言い返してくる前に、私はそのままブロックした。直哉には【出張で忙しい。しばらく連
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第5話
私はバラをゴミ箱に捨てた。私はバラが好きだった。私が好きなものなら、自分も好きになれる。直哉はそう言っていた。出張から戻るたび、家にはいつも鮮やかなバラが飾られていた。けれど花は、いつか必ず枯れる。愛も、いつかは終わる。今夜は大雪のせいで、このあたりの道が通行止めになっていた。身動きが取れず、私は持っていくものを少しずつ片づけ始めた。直哉が戻ってきたのは、日付が変わってずいぶん経ってからだった。私は書斎にしゃがみ込み、書類を整理していた。彼のズボンの裾は雪で濡れていた。冷たく赤くなった手で、私をリビングまで引っ張っていった。直哉は背後から私を抱きしめ、ソファの上に置かれたウェディングドレスを指さした。「気に入った?明日これを着て撮ったら、きっと誰よりきれいだよ。明日は余計なこと、何も考えなくていい。俺の隣で笑っててくれれば、それでいい。誰にも邪魔させない。綾香にもな。なあ、夏帆。俺たち、ずっと二人でやってきただろ。そろそろ子どものことも考えてみないか」私は答えず、ただウェディングドレスを見つめていた。3年前、同じことを口にしたのは私のほうだった。けれど直哉は、少しも迷わず首を横に振った。「まだしばらくは二人でいいだろ。子どもなんていたら、今みたいに自由にできなくなるし、俺にはまだ無理だ」今さら優しい夫のふりをされても、嫌悪感しかなかった。私はもう、少し優しくされただけで舞い上がっていた頃の私ではない。私の心は、もう揺らがなかった。それでも直哉は諦めず、キスをしようと顔を近づけてきた。私は顔をそむけて、彼を避けた。直哉はわずかに眉を寄せたが、私は落ち着いた声で言った。「生理が来たから、今日は無理」言い終えると、直哉はすぐにキッチンへ向かい、牛乳を温め始めた。キッチンに立つ彼の背中を見て、私は思わず目を疑った。「あなた、本当に直哉なの?」直哉はもうずっと、私の体調を気にかけることなどなかった。毎月、生理痛でベッドの中で丸まっていても、直哉は冷たく見るだけで、ひどい時は別の部屋へ行って寝てしまった。だから今になって急に優しくされても、理由はひとつしか思い浮かばなかった。直哉はただ、私に疑われたままでいたくないだけなのだ。「夏帆、今まで俺が悪かった。これか
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第6話
直哉が夜明け前、花火会場に駆けつけた頃には、私の姿はもうどこにもなかった。彼は慌てて、近くで掃除をしていた清掃員に声をかけた。「すみません、妻を見かけませんでしたか?あっ……この人なんですが」彼はスマホを取り出し、画面の写真を見せた。清掃員は呆れたように直哉を見た。「兄ちゃん、酒でも入ってんのか。こんな寒い中、奥さんがこんな時間まで待ってるわけないだろ。もう帰りな。こっちも片づけなきゃいけないんだ」直哉はふらつきながら車に乗り込み、郊外の家へ向かった。気が急いていたのか、玄関先に置かれていた段ボール箱につまずき、その場に倒れ込んだ。箱の中身が、床に散らばった。直哉が私にくれた、最初の誕生日プレゼント。直哉が私を撮った、最初の写真。直哉が私を愛していないと言い切った動画と、綾香との写真。そして最後に出てきたのは、離婚協議書だった。直哉は全身を震わせながら、痛みをこらえてドアを開けた。中にはもう、私が暮らしていた気配など少しも残っていなかった。直哉はこらえきれず、空っぽの部屋に向かって怒鳴った。「夏帆、いるんだろ。出てこいよ。待っててくれって言っただろ。少しくらい待ってくれてもよかったじゃないか。夏帆、頼む。もう少しだけでいいから、俺を待ってくれよ」直哉はその場に崩れ落ち、床に膝をついたまま泣いた。直哉だって、分かっていたはずだ。私が彼を待ち続けていた夜、彼はバーで女たちに囲まれていた。私が彼の夢が叶う日を待っていた間、彼は私のお金を好き勝手に使っていた。私がもう一度愛される日を待っていた頃、彼はほかの女との子どもの父親になろうとしていた。私がもう二度と彼を待たないことを、直哉自身が一番よく分かっていた。直哉はそのまま、リビングで一晩を過ごした。不動産会社の担当者がドアを開けて入ってきたとき、彼はやっとのことで立ち上がった。「藤沢様、こちらの家の件は、売主様からすべて弊社にお任せいただいております。残っていたお荷物はまとめて玄関前に出してありますので、本日中にお引き取りください。明日には新しい買主様へお引き渡しする予定です」直哉は最後まで聞かずに外へ飛び出し、タクシーをつかまえて会社へ向かった。私が直哉を見限っても、会社まで手放すはずがない。直哉はどこ
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第7話
大型案件の受注が決まった直後、管理会社の担当者から電話が入った。「先ほどご主人がいらっしゃいました。やはり行き先を聞かれました」受注が決まったばかりで、まだ喜びが冷めないまま、私は会場の隅へ移り、落ち着いた声で答えた。「しつこく聞かれたら、私は海外に行ったと伝えてください。それでも諦めないようなら、適当な住所を教えて構いません。お礼は口座に振り込んでおきます。この件でこちらからご連絡するのは、これで最後にします」担当者は笑いながら礼を言い、電話を切った。汐見市へ移ってからの日々は、思っていたよりずっと快適だった。毎朝、目を覚ますと窓の向こうに海が見えた。顔に触れる海風が、胸につかえていたものを少しずつほどいてくれる気がした。今になってようやく分かった。直哉がいなくても、私はちゃんと生きていける。それどころか、前よりずっと穏やかに過ごせていた。直哉は海外まで行ったが、私を見つけることはできなかった。彼は昔の友人たちにしつこく食い下がり、ようやく同級生の一人から私の住所を聞き出した。けれど、直哉は知らなかった。彼が汐見市に着いたことも、そのあとどこへ向かったかも、私はすべて把握していた。私を見つけるのは、そう簡単なことじゃない。まして、綾香まで連れて来ているのだから。少し膨らんだ綾香のお腹を見ても、私の心はもう少しも動かなかった。私はスマホの電源を切り、今日決まったばかりの大口契約を社員たちと祝うことにした。酒が進むにつれ、皆の口もだんだん軽くなっていった。「社長、離婚したらしばらく落ち込むのかと思ってました」「会社まで移したんですから、よっぽど嫌になったんですね」「社長、離婚してから仕事運まで上がってません?やっぱり男って、稼ぐ邪魔にしかならないんですね」そんなふうに好き勝手言われても、私は少しも腹が立たなかった。私はグラスを上げ、今月は全員に特別ボーナスを出すと告げた。みんなに持ち上げられて、私はすっかり気分がよくなっていた。そして同時に、今の自分を少しだけ誇らしく思えた。直哉は弁護士から電話を受けるなり、スマホを綾香の足元に叩きつけた。私が去ってから、直哉の写真業界での評判は日に日に悪くなり、仕事も目に見えて減っていった。私が頭を下げ、折々の挨拶を欠かさず続けてきた
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第8話
私がいなくなってから、直哉はようやく、仕事を一人で回していくことがどれほど大変かを思い知った。それまで私は、直哉が面倒な現実を見なくて済むように、先回りして守ってしまっていた。彼のきれいな夢を、傷つけないように大事にしてきたのだ。けれど私がいなくなった今、その現実を代わりに背負ってくれる人はもういなかった。離婚のとき、直哉は私から1円も受け取らなかった。何も知らない綾香は、彼に残されていたわずかな貯金を好き勝手に使っていった。壁一面に並んだバッグを見て、直哉はこらえきれず、初めて綾香に手を上げた。綾香は一瞬ぽかんとしたあと、すぐに声を荒らげた。「どうして好きなものを買っただけで怒られなきゃいけないんですか?夏帆さんから財産を分けてもらったんでしょう?まだあの人のことを引きずってるんですか?それとも、私とこの子なんて、最初からどうでもよかったんですか?大事にするって言ったじゃないですか。私とこの子を幸せにするって、そう言ったじゃないですか」直哉は心底うんざりしたように綾香を見た。「この子がどうやってできたか、お前が一番分かってるだろ。俺が酔ってるのをいいことに、お前が勝手にベッドに入ってきたから、こんなことになったんじゃないか。俺も本当にどうかしてた。お前みたいな見栄っ張りを、少しでもいいと思ったなんてな」――直哉は、夏帆を捨ててまで私を選んだ男のはずだった。こんな相手に見下されることだけは、耐えられるか?!綾香はそう思って、一歩前に出ると、直哉のネクタイをつかんで問い詰めた。「直哉さんだって、見栄っ張りじゃないですか。だから私たち、お似合いなんでしょう?」直哉が言い返せずにいるのを見て、綾香が言い負かしたと思ったその瞬間、直哉は莫大な借金の明細書を彼女の前に叩きつけた。綾香は慌てて手に取ろうとしたが、直哉に突き飛ばされた。「そうか。だったら、お前がこの借金を返してくれるのか?お前、本当にどうしようもない馬鹿だな。離婚する前なら、少なくとも夏帆がどうにかしてくれた。で、お前は?親は海外で顔が利くって言ってただろ。俺があれだけ大事にしてやったのに、どうして何の助けにもならないんだよ」綾香はただ、直哉に早く離婚してほしくて、その場しのぎで嘘をついただけだった。直哉が本気にしていたとは、思っても
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第9話
悪縁というのは、切ったつもりでもなかなか切れないものだ。パーティー会場で取引先と話していると、私はまた直哉に見つかった。直哉は血相を変えて私の腕をつかみ、会場の外へ引っ張り出した。もう綾香と結婚していることも、その綾香が見ていることもお構いなしに、人気のない廊下の隅へ私を連れていった。「夏帆、やっと見つけた。頼む、俺のところに戻ってきてくれ。綾香のことなんて何とも思ってない。あいつに迫られて流されただけなんだ。お前が戻ってきてくれるなら、すぐにでもあいつとは離婚する」追い詰められた直哉が、こんなふうに人目も忘れてすがってくるとは思わなかった。あのとき、離婚を持ち出して私を追い詰めた直哉は、少しも迷っていなかった。それどころか、はっきりこう言い切った。「夏帆、俺はもう、お前とは離婚するって決めた。今さらやり直す気なんてない」それなのに今さら、どの面を下げて私にすがっているのだろう。私は彼の手を振り払った。「直哉、私は綾香とは違うの。人の夫に手を出す趣味はない。私たちはもう離婚してる。いい加減、自分の立場を考えて」直哉は、取り繕うように笑った。「夏帆、今までのことは全部俺が悪かった。綾香は結局、俺の金しか見てなかったんだ。あんな女に振り回されて、俺は本当に馬鹿だった。離婚のとき、俺はお前から1円ももらわなかっただろ?それで分かってくれよ。俺が本当に愛してるのは、お前だけなんだ」その瞬間、私は思わず直哉を平手で打っていた。「くだらない嘘はやめて。あなたが欲しいのは、私じゃなくて私のお金でしょう。離婚のときに1円も受け取らなかったから、少しは見直したのに。結局、困ったらまた私に泣きつけばいいと思っていたのね。離婚の原因はあなたの浮気よ。証拠だって全部そろっている。それでよく、お金の話なんてできるわね。それとも、あれだけ大事にしていた綾香には、もう愛想を尽かされたの?これ以上恥をかきたくないなら、さっさと出ていって。あなたの金策に付き合う気はないわ」私がその場を離れようとした瞬間、今度は頬に鋭い痛みが走った。綾香が直哉の前に飛び出し、彼をかばうように私を睨んでいた。「夏帆さん、直哉さんは私の夫です。あなたこそ、立場をわきまえてください。もう離婚したんですよね?だったら、これ以上直哉さんに近
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第10話
それを聞いた綾香は、直哉の腕の中で泣き出した。「直哉さん、ひどいです。夏帆さんにここまで馬鹿にされるなんて。100万なんて、直哉さんが毎月くれる生活費くらいしかないのに」その100万円は、かつて私が毎月、直哉に渡していた生活費と同じ額だった。最初の頃、直哉はいつも受け取るのを嫌がった。使わないなら貯めておけばいいと私が言うと、照れくさそうに、しぶしぶ受け取った。彼は、いつか子どもができたら、その子のために貯めておくと言っていた。まさか、それを綾香に渡していたとは思わなかった。直哉は綾香の涙をそっと拭い、優しい声で言った。「綾香、頼む。土下座してくれ。もらえるものは、もらっておいたほうがいいだろ」綾香は信じられないという顔で、直哉を見上げた。まさか直哉が、こんな場所で私に土下座しろと言うとは思ってもいなかったのだろう。彼女はぽかんと立ち尽くしたまま、なかなか膝をつかなかった。それを見た直哉は、彼女の手を引き、小声で急かした。「綾香、もともとはお前が人の夫を奪ったんだ。夏帆が身を引いたから、今のお前があるんだろ。礼の一つくらい言えよ」二人が揉めれば揉めるほど、私は少し遊んでみたくなった。私はもう一枚、キャッシュカードを取り出した。それは直哉の誕生日に合わせて、彼のために用意していた専用口座のカードだった。まさか、こんな形で使うことになるとは思わなかった。「足りないの?じゃあ、これは?この口座には2000万入っているわ。あなたの夫の借金を返すには足りるでしょう」直哉は途端に目の色を変え、綾香に土下座するよう何度も急かした。「綾香、俺たちが助かるにはこれしかないんだ。今さらプライドなんて言ってる場合じゃない。金を返せなかったら、本当に終わりなんだよ」その勢いでは、綾香が拒み続ければ、直哉のほうが代わりに土下座すると言い出しかねなかった。けれど綾香は、どうしても首を縦に振らなかった。やがて直哉はこらえきれなくなり、怒りをすべて綾香にぶつけた。「お前、ほんとに使えないな。こんなこともできないなら、何のためにいるんだよ」直哉に突き飛ばされた綾香は、その場に倒れ込んだ。さらに直哉が手を振り上げた瞬間、私はとっさに間に入り、その腕を受け止めた。じんと痛む腕を押さえながら、床の上で震えている綾香を見
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