LOGIN周囲の人々からの説得もあり、彩花は一度隼人と直接会うことを決めた。本人に久方ぶりに会って、どんな話をしたら良いのか、そもそも病気のことを感づかれたりしないかなど、いろんなことを想定してしまっていた。 今はとにかく、隼人と向き合うことで今後のことは、その時の雰囲気や状況で判断しようと彩花は心の中で決めていた。ただ一つ、病気のことだけは決して告知しないことは定まっている。パソコン画面に向かって仕事をしつつも、脳裏は隼人のことでいっぱいであった。「じゃあ、お先に」「ちゃんと話すんだよ」 退社時間になり、さくらと健太は後押しをするように告げると、帰宅していった。一人残った彩花は、そのまま応接用のソファーで横になり、大きく背伸びをした。 約束の十九時半まで一時間半あったが、心の準備がしたかった彩花は、帰り支度をして事務所の灯りを消すと、夜の街へと歩み出していった。 十月もまもなく下旬を迎えると、少し肌寒く感じる涼しい夜になっている。太陽はほぼ沈み、街は建物の光でキラキラと輝いている。 途中、百貨店やジュエリーショップなどが立ち並ぶビルの前を通り過ぎた。頭上の化粧品の看板に大きく映る麗菜の姿が、彩花の目に留まった。化粧や衣装の着こなしから、主役クラスの女優の貫禄が看板からも滲み出ている。 ――この人と神宮寺社長が、結婚するかもしれないってことか。 彩花はしばらく立ち止まって、麗菜の映る看板を見つめていた。それ当時に、彩花の脳裏で、隼人と最初に知り合った五年前のあの夜のことから、出資プレゼンのために突然停止したエレベーターの中で遭遇したこと、プレゼン会議で資料に猛烈なダメ出しをされたこと、婚約者のフリを最初に行ったパーティーのこと、そのパーティーの晩にホテルでちょっとした痴話喧嘩をしたことなど、隼人と時間を共にした様々な出来事が鮮やかに浮かんでは消えていった。 その記憶の中で、ふと社長としてではなく、一人の人間としての弱さを見せる隼人の姿が思い出された。そして、隼人であることを確証した大きな背中の痣もまた、彩花の脳裏に鮮明に蘇る。 傍から見れば完璧な経営者である隼人だが、その裏に持つ弱さや欠点を彩花には見せていた。秘書である千晴の言っていた『初めて本当に心の底から好きになった相手』という言葉は、健太も隼人から聞かされている。そこまで公言する隼人の気持ちを
健太が帰社すると、既に墓参りから彩花は戻ってきていた。さくらと共に、資料を見ながら仕事の相談をしていた。「お帰り。いきなり出かけたから、何事かと思ったじゃん」 さくらがパソコン画面を見ながら言った。「ちょっとお呼び出しがかかってさ……」「誰に?」 怪訝な顔でさくらが見てくると、健太は彩花のほうをじっと見た。「どうしたの、健太?」 彩花が不思議そうに首を傾げると、健太は大きく息を吸って、「神宮寺社長に、呼ばれた」「何で健太が?」 パソコン画面から振り向いたさくらの眉間には深い皺が寄っている。「どうして神宮寺社長が、健太に……」 健太はじっと彩花の顔を見つめ、三十分前の出来事を告げるべきと判断した。「ジュリアンさんのことを、聞かれたんだよ」「え、ジュリアンの?」「どうして神宮寺社長がジュリアンのことを、わざわざ健太に?」「俺じゃないと、いろいろ聞けないと思ったかららしい。さくらを呼んでもどうせ断られると思ったんだって」「私に嫌われてるって自覚、あの人にあるんだ」 露骨にさくらは不機嫌そうな顔になる。「それで健太、神宮寺社長にジュリアンのこと何て話したの?」 彩花が尋ねると、健太は苦笑して、「もちろん、ただの小学校からの同級生としか言わなかったよ。俺が知ってるのは、ジュリアンさんが彩花とさくらの同級生だって情報しか知らないし」「あ、それもそうか」「けど何で、あの人はジュリアンのことを聞いたんだろうね。まさか、ジュリアンに嫉妬でもしてるのかな? 彩花が自分に振り向いてくれないから」 さくらが淡々と愚痴を言うような話口調になった。「あながち、間違ってないかも……」 健太は小声で呟いた。「神宮寺社長、おっしゃってたんだよ。彩花が、本当に心の底から好きになった相手なんだって」「へえ、あの社長でもそんな純粋な青年みたいなこと言うんだ」「あの言葉に嘘はないと思ったよ。彩花、一度神宮寺社長とちゃんと会って話してみたらどう?」「健太……」 彩花は驚くように健太を見つめた。「健太、本気でそんなこと言ってるの? 何も神宮寺社長の肩持つようなこと言わなくても良いじゃん」 飽き飽きしたようにさくらが呟いたが、健太の意志は固かった。「俺はさ、ただ彩花にはこれからも幸せでいてほしいって思うから。だって、神宮寺社長のこと好きなんで
「お電話ありがとうございます、合同会社ALIVEです。はい、あ、はい……」 昼休みに彩花が双子の姉の墓参りに出かけた同じ頃、会社の固定電話にかかってきた着信に出たのは健太だった。受話器から聞こえてくる男性の声に、健太の声が曇った。「ただいま」 下のコンビニで昼食の弁当を買ってきたさくらが戻ってきた。「はい、では後ほど。失礼します」 さくらが帰ってくると、健太は相手の用件を聞いてすぐに受話器を戻した。「ちょっと出かけてくる」 さくらに尋ねる隙も与えず、健太は最低限の荷物を持って飛び出していった。 健太は駅前にある大きなホテルのロビーへやってきた。周囲を見渡すと、一階奥のカフェスペースでコーヒーを飲んでいる男性の姿を見かけた。「お待たせしました」 健太は、その男性のもとへ歩み寄り、声をかけた。隼人だった。「申し訳ない、いきなり呼び出して」「いえ……」 健太が隼人と直接会うことは、これが初めてだった。最初の出資のプレゼン以降、隼人と直接会ってやりとりをしていたのは彩花で、中間報告会はさくらが担当した。自分と接点が全くなかった隼人が突然自分を呼びつけたことに、健太は疑念を抱いていた。 接客してきたウェイトレスにコーヒーを頼むと、単刀直入に健太は、「あの、僕に聞きたいことと言うのは? 正直、いきなり神宮寺社長から彩花でもさくらでもなく、僕に会って聞きたいことがあると言われて驚きました」 深々と椅子に座って足を組む隼人の姿を見て、これが大きな会社のトップに立つ人間の風格なのかとさえ思えてならなかった。隼人はたった四歳上なのに、落ち着いてもう少し上にも見えた。これまでホームページや雑誌に掲載された写真でしか見たことがない隼人。そんな人が自分にどんな用件で呼びつけてきたのだろうかと、まじまじと見つめてる。「どうした?」「え?」「そんなに俺のこと、気になるか?」「あ、いえ……」 彩花やさくらから、間接的に隼人のことはいろいろと聞いてきた。それだけに、つい先入観を持って、警戒する気持ちで隼人を見てしまう。「彩花と仲良くしてる、ハーフの青年のこと知ってるか?」 ジュリアンのことだと、健太はすぐに分かった。「ええ」「どういう関係だ?」「……小学校の同級生だと聞いています。彩花もさくらも、それから亡くなった彩花の双子のお姉さんとも仲が良か
月命日であるその日、彩花は亡き双子の姉である唯花の墓参りに来ていた。墓石の前でじっと座り込んだ彩花は、墓の下で眠る唯花に向かって話しかけている。「待っててね、唯花。私ももう少しで、そっちに行くから」 日を追うごとに感じる死期とその覚悟は、彩花の中で強くなっている。これまで嫌というほどの経験をしてきた中で、今ようやくさくらや健太と共にビジネスを行う幸せを掴んでいる彩花だったが、やはり自分が死ぬことを考えると、怖い気持ちも抱いている。「この十年、ずっと寂しかったよね……。いくらお母さんがいるって言ってもさ……」 北城家の墓の下には、唯花だけでなく、小学校の時に亡くなった母も眠っている。血を分けた母と妹が亡くなった今、北城家には血の繋がらない他人しかいないことを、彩花は改めて感じていた。義兄である拓也の冷酷さ、その妻である天音の自分勝手さ。考えるだけでも腹が立ってくる。 隼人や健太からは、拓也が実質的な経営を握ってから業績不振になっている話を聞いてはいるが、継父はどう考えているのかさえ気になって仕方がなかった。このまま拓也に経営を任せることが、本当に『KSインターナショナル』にとって良いことなのだろうか。小さな会社とはいえ自分も会社を経営しているだけに、継父の気持ちが知りたいと思った。 だが余命宣告の話すら家族には打ち明けておらず、五年前から家族との縁を切った彩花には、もう戻る実家はないと感じていた。このまま自分と心が通い合っている人間たちに見送ってもらったほうが、どれほど幸せだろう。家族に見送られても嬉しくはない。ここ数日、彩花はそんな気持ちになっていた。「彩花」 その声を聞いて、彩花は振り返った。「ジュリアン」「月命日だから、僕も来たよ」「ありがとう」 ジュリアンは墓の前にしゃがみこむと、線香を上げて合掌した。「彩花、ちょっと痩せた?」 病気のせいだとは、ジュリアンには言えなかった。以前のパーティーで再会してから、小学校時代を思い出すように再び交流が始まったが、余命宣告の話は伝えられなかった。せっかく懐かしい気持ちになっている彼は、元々唯花とクラスメイトだったことで交流のきっかけである。唯花を失い、次は自分までもが彼の前から永遠に姿を消すことになるという事実を考えると、これ以上ジュリアンを悲しませたくはなかった。「仕事でバタバタしてるか
荒くなる呼吸を必死で抑えて、彩花は大きく深呼吸をした。それでもまだ、息は荒かった。「大丈夫、彩花?」 彩花の様子に気づいて、さくらがソファーまで駆け寄って隣に座った。「うん、大丈夫。ごめんね」「彩花……、もう一度、神宮寺社長のこと考えてみたら?」 背中をさすってくれたさくらに言われ、彩花は更に動揺した。「え……」「俺も、そう思う」 デスクから健太が顔を覗かせた。「私はね、神宮寺社長のことは好きになれない。多分、これからも。けどね、彩花にはずっと幸せになってほしい」「さくら……」「やらずに後悔するより、やって後悔したほうが良いって言うじゃん。だから彩花にも、そうなってほしい。神宮寺社長とずっと距離置いて、それこそ病気が悪化した時に、やっぱり神宮寺社長と一緒になれば良かったって思っても遅いから」「そうだよ。それってきっと、神宮寺社長も同じだと思うよ。病気のことを分かったうえで、やっぱり婚約しておけば良かったって思う時が来るかもしれない。それだったらいっそのこと、早い方が良いよ」 さくらと健太に諭されるように言われ、彩花は黙ってしまった。「好きなんでしょ、神宮寺社長のこと」 そのさくらの一言を聞き、彩花はじっと見つめた。「顔に書いてある」 うつむきながら、彩花はじっと隼人のことを考えた。最初は、ただの出資のための条件で受け入れた婚約者のフリでも、五年前の一夜からの運命かもしれないと思った彩花にとって、隼人の存在は欠かせないものとなっていた。 だがそれと同時に、隼人の悲しい顔を思い浮かべたくはないという葛藤も生まれていた。「そりゃあ……好きだよ、神宮寺社長のこと」「だったら」「でも……やっぱり私、神宮寺社長が悲しむ顔見たくないの。せっかく一緒になったって、結局は二人で過ごす時間なんて限られてる。後に
富橋ひなたが、再び彩花のもとへ突然来訪してきたのは、秋らしく涼しい季節となった十月の始めだった。事前のアポもないひなたの来訪に、さくらと健太は相変わらず呆れていたが、彩花は一人冷静に、ひなたに対処した。「今日は、どのようなご用件ですか?」「よくそんな呑気でいられるね」 甲高いひなたの声が、彩花の両耳の鼓膜を震わせる。「隼人兄ちゃんのことだよ。今日うちのパパから言われてびっくりしたけど、隼人兄ちゃんと園崎麗菜、婚約するそうじゃない」「そのことですか……」 特段驚きはしなかった。隼人の秘書である千晴にも聞かされており、何よりもう隼人のことは赤の他人と思っていたからだ。「このまま、あの女と結婚させて良いの? これじゃあ隼人兄ちゃんは、親たちに上手く利用されて終わるだけだよ」「そんなにお二人のことが気になるんだったら、ひなたさんが神宮寺社長と結婚すればよろしいんじゃありませんか? 私のことだって気に入らないんでしょ」 いつにも増して、彩花は冷静だった。目の前の死期を悟ると、もう何も怖いものがない。ヒステリックになりそうなひなたをよそに、彩花終始、淡々と冷静な口調だった。「少なくとも、親が決めた相手と無理矢理結婚することが、隼人兄ちゃんの幸せにはならないって私は思ってるの。だったらまだ、隼人兄ちゃんが自分で好きになったあなたと一緒になるほうが、幸せになるんじゃないかって思って」「お言葉ですけど、私はもう神宮寺社長とはビジネス的な付き合いしかしないって決めたんです。神宮寺社長の幸せを願うんだったら、ひなたさんが結婚すれば……」「……私だって、そうしたかったよ」 突然、ひなたが遮って来た。「でも、この間パパに言われたの。『お前みたいな奴は、とても神宮寺ホールディングスの社長夫人には相応しくない』ってね。パパの人を見る目と、人と人とを繋ぐ力は確かだから、私は仕方なく諦めたの」 意外な答えに、彩花は不思議に思いながらも、小さく頷いた。「そうだったんですか……」「隼人兄ちゃんと結婚したいって思ったのは本当だよ。







