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第17話

Author: 鳳安ちゃん
その瞬間、千浬の腕に抱かれていた死体が、抗えぬ力に引かれるように宙へ浮かび、遠ざかっていった。

「だめだ!真言、行かないで!僕から離れないでくれ!」

深紅の打掛を纏った花嫁を乗せた黒漆の駕籠が、黒塗りのリムジンの横に降り立つ。

その瞬間、世界のすべてが凍りついた。

動いているのは千浬ただ一人。

彼は目の前で、真言の亡骸がその駕籠に吸い込まれるのを呆然と見つめた。

やがて、そこに座す彼女は生き返ったかのように背筋を伸ばし、深紅の打掛姿でじっと彼を見返していた。

「......見えたのか?」

千浬が声を絞り出すと、周囲の景色は忽然と消え失せた。

琉雅も、群衆も、警官も、すべて跡形もなく。

残されたのは駕籠と、その上の真言だけ。

異様な狩衣姿の従者たちが駕籠を担ぎ上げる。

千浬は慌てて駆け寄ったが、駕籠はまるで幻のように彼の身体をすり抜け、前へ進み続けた。

「真言!どこへ行くんだ!お前は僕の妻だ!一緒に帰ろう!」

必死の叫びも、真言には届かない。

彼女はまるで彼の存在を認識できぬかのように、視線すら向けなかった。

やがて駕籠は止まり、真言は無表情のまま静かに降り立つ。

そこへ、鬼面を被った男が歩み寄り、手を差し伸べた。

「ようこそ、我が新婦よ」

真言はわずかに顔を上げた。

その瞬間、背後から注がれる視線を感じ、胸がざわめく。

「彼が、見ている」

閻魔王の冷ややかな声が響いた。

真言の顔色が一瞬で変わる。

「千浬が?」

「そうだ。奴は此処にいる」

閻魔は嗤った。

「君が他の男に嫁ぐ姿を、あいつに見せてやろう」

「彼は気にしない......むしろ、私が死ぬことを望んでいた。生まれ変わることすら許さないほどに」

「本当にそう思うのか?生を与えてやった時、君はそんな顔をしていなかったんだがな」

真言は沈黙し、それから小さく囁いた。

「今日は婚礼の日......せめて、その鬼面を外して顔を見せて」

「いいだろう、なにせ新婦の願いだ」

男はゆっくりと面を外した。

現れたのは、妖しくも整った若々しい顔。

冷血な閻魔王のはずが、思いがけぬ美貌に真言は一瞬、息を呑む。

「どうだ、新婦よ。これで満足か?」

「......ええ。綺麗な顔をしていますね」

「それは光栄だ」

予想外に軽口を叩く閻魔に、真言は思わず笑みをこ
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