Masuk大晦日の夜、婚約者の神楽蓮(かぐら れん)は、私と年越しを過ごすために帰ってこなかった。 届いたのは、冷凍年越しそばが一袋だけ。 メッセージも、たった一言。 【よいお年を】 電話を切ったばかりの私は、すぐにインスタで彼の秘書・白石沙耶(しらいし さや)が投稿した写真を目にした。 テーブルいっぱいに並んだ豪華なご馳走。添えられた文は―― 【誰かさんが地元の味を食べさせたいって、一日中キッチンに立ってくれた。ありがとう、大好き】 私はもう、以前みたいに問い詰めたりはしなかった。ただ一人で、海外に行った。 私が姿を消して一日目、友人から一本の動画が送られてきた。 動画の中で、蓮は沙耶を抱き寄せながら、笑ってこう言っていた。「ただ拗ねてるだけだって。そのうち泣きながら戻ってくるって」 ――そして、一か月後。 今度は蓮が、狂ったみたいに私を探し回っていた。 「そば、打てるようになったんだ。これから一生、お前のために作る。だから戻ってきて、食べてくれないか?」 でも彼は、最後まで知らなかった。 私が一番嫌いな食べ物が、そばだったことを。
Lihat lebih banyak蓮はウィンスター王国に居座った。そして、異常なほど私に執着し始めた。私が配信で写真の撮り方を紹介していると、彼は別アカウントで大量のギフトを送ってきた。そのアカウント名は【レンはミズキだけ】。画面いっぱいに高額ギフトが流れ、コメント欄が埋まる。せっかくの映像も、私の顔すら見えなくなるほどだった。視聴者たちはコメント欄で、【誰!?】【この人何者?】と大騒ぎしていた。私はその気色悪いアカウント名を見て、吐き気がした。「モデレーター、ギフト機能切ってください」冷たく言い放ち、私はそのまま配信を終了した。金で頬を叩かれているような気分で、私には屈辱でしかなかった。彼は、お金さえあれば何でも取り戻せると思っている。私のプライドまで含めて。配信を切った瞬間、スマホが狂ったように震え始めた。全部、蓮からのDM。【なんで無視するんだ?】【あれだけギフトを送ったのに、お礼もなし?】【本当に愛してるんだ。もう一回だけチャンスくれ】一つブロックしても、また別アカウントで現れる。まるで、どれだけ剥がそうとしてもまとわりついてくる厄介な粘着物みたいだった。――このまま逃げ続けても意味がない。そう思った私は、自分から彼を呼び出した。待ち合わせはカフェ。蓮はかなり早く来ていた。わざわざ身なりまで整え、髭も剃り、新しいスーツに着替えている。私を見るなり、顔いっぱいに媚びた笑みを浮かべた。「美月……!やっと会ってくれた」薔薇の花束を差し出してくる。私は受け取らなかった。ただ冷たく彼を見る。「蓮、もう芝居やめて。改心したって証明したいんでしょ?」私は彼のスマホを指差した。「白石沙耶に電話して、スピーカーで」蓮は一瞬きょとんとした。次の瞬間、目を輝かせる。――試されている。そう思ったのだろう。彼は急いで電話を掛けた。繋がった瞬間、怒鳴り始める。「沙耶!もう俺に付きまとうな!お前が誘惑したせいで美月が出て行ったんだろうが!お前なんか、美月の足元にも及ばない!二度と連絡してくるな!」電話の向こうでは、沙耶が泣き叫んでいる。蓮は罵れば罵るほど、どこか得意げな顔になっていく。まるで私に「どうだ」と手柄を見せつけているみたいに。その様子を見て、私はただ
一か月後、知らない番号から電話がかかってきた。現地の番号だったので、仕事関係かと思ってそのまま出る。「もしもし?」数秒の沈黙のあと、聞き慣れた声が耳に届いた。「……美月。俺だ」蓮だった。以前みたいな横柄さはなく、どこか探るような、媚びるような声。「いつまで拗ねてるつもりだ?そろそろいいだろ。一か月も好き勝手したんだから。年越しの件、まだ怒ってるんだろ?沙耶の親戚が恋愛事情にうるさいから、あの日は一緒にいただけだって。俺が行かなきゃ、あいつは面倒だったんだよ。長い付き合いなんだから、それくらいで怒るなよ」私は思わず笑ってしまった。一か月経っても、この男はまだ私が「大晦日のことで拗ねている」と思っている。あまりにも的外れすぎて、逆に感心する。「蓮」私は彼の話を遮った。「本気でそう思ってるの?」「違うのか?」と彼は即答する。「……分かった」私は静かに息を吐く。もう、全部言ってやろうと思った。「そんなに知りたいなら教えてあげる。大晦日、『残業』って嘘ついて、白石沙耶の家で料理してたよね。私にはお金ないって言って、彼女には何百万もするブレスレットを買ってた。あなたが病院の付き添いって言ってた日は、彼女とホテル行ってた。私が実家に帰る準備してた日も、『仕事』って言いながら彼女と寝てた」私は淡々と、一つずつ事実を並べた。その言葉の一つ一つが、平手打ちのように彼を打ち据えていた。電話の向こうは、静まり返っていた。聞こえるのは、蓮の呼吸だけ。長い沈黙のあと、彼はようやく震える声を出した。「お前……全部……知ってたのか?」「蓮」私は冷たく答える。「私、ちゃんと見てたし、考えてたの。ずっと、あなたが私の側に戻ってくるのを待ってた。でもあなたは、私の我慢を『都合の良さ』だと思ってたでしょ?」「美月、違うんだ!聞いてくれ!」蓮は完全に取り乱していた。「俺、あいつとは遊びだったんだ!これから毎日お前に飯作る!給料だって全部渡す!だから戻ってこいよ……お前の作るシチュー、また食いたい……」「……は?」私は呆れて笑った。「ほんと気持ち悪い。そのシチュー、白石沙耶にでも作ってもらえば?」そう言って、私は通話を切った。その二日後、信じられないことに、蓮がウィンスター王国首都まで追いかけてきた。
ウィンスター王国首都に着陸して、スマホの電源を入れた瞬間だった。着信画面に、蓮の名前が表示される。私は少しだけ画面を見つめ、そのまま電話に出た。次の瞬間、耳をつんざくような怒鳴り声が飛び込んできた。「美月!お前どこ行った!?家に帰ったらいないし、荷物も全部なくなってる!本当に逃げたのか!?ふざけんなよ!俺に黙って勝手に出て行くとか何考えてんだ!今すぐ戻ってこい!」声が大きすぎて、鼓膜が痛くなった。周囲の外国人たちが、不思議そうにこちらを見ていた。私はスマホを少し耳から離し、驚くほど穏やかな声で言った。「蓮。私たち、もう別れたよね?別れたってことは、私はもうあなたの許可なんて必要ないの。報告する義務もない。これから先、あなたはあなた。私は私。もう連絡してこないで」それだけ言って、彼がまた怒鳴り出す前に通話を切った。そのまま、彼の番号をブロックした。ついでにLINEも、送金アプリも、連絡可能なものを全部遮断する。全て終えたあと、私はスマホ画面を見つめながら、深く息を吐いた。――世界が、ようやく静かになった気がする。ずっと背負っていた重たい荷物を、ようやく降ろせたみたいだった。身体が軽い。私はスーツケースを引きながら空港を出る。ウィンスター王国首都の湿った空気を、胸いっぱいに吸い込んだ。自由の匂いがした。部屋に着くなり、私はそのままベッドに倒れ込んだ。久しぶりに、安心して眠れた。悪夢もない。誰かを待ち続ける夜もない。深夜にスマホを何度も確認することもない。目を覚ました時には、もう翌日の昼だった。カーテン越しの陽射しが、ベッドを柔らかく照らしている。私は大きく伸びをした。まるで、生まれ変わったみたいだった。スマホを開くと、美華から動画が届いていた。騒がしいバーの中、真っ赤な顔で酒を飲む蓮が映っている。グラスを片手に、取り巻きたちに得意げに話していた。「ただ拗ねてるだけだって。女なんてみんなそういうもん。俺のことが大好きなんだから、本気で離れるわけないだろ。そのうち泣きながら戻ってくるって。美月はさ、俺がいないと生きてけないんだよ」周囲は大笑い。動画の後、美華から音声メッセージが届く。呆れと軽蔑が混じった声。「このバカ、まだ『駆け
「……別れる?」蓮は目を見開き、信じられないものを見るように私を見た。口元には、まだ引きつった笑みが残っている。「美月、お前……自分が何言ってるか分かってるのか?今なら一度だけ許してやる。その言葉、取り消せ」「嫌」私は彼を真っ直ぐ見返した。今までで一番、迷いのない目で。「別れるって言ったの。蓮、私たち終わりだよ」その瞬間、彼の顔から笑みが完全に消えた。代わりに浮かび上がったのは、怒りと屈辱。――パシンッ。乾いた音が部屋に響く。視界が横に弾けた。頬が一瞬で熱を持ち、耳の奥がキーンと鳴る。蓮は、力いっぱい私の頬を叩いた。「何様のつもりだ!」彼は私を指差しながら怒鳴る。「俺が甘やかしすぎたせいで、自分の立場を忘れたか?調子に乗るのも大概にしろ!俺は何一つ悪いことしてない!この生活を支えてるのは誰だと思ってる!それなのに、お前は感謝もしないで、勝手に疑ってばっかり。ほんと、お前には失望した!」私は頬を押さえたまま、ゆっくり顔を上げる。目の前で怒鳴り散らす男を見る。――これがかつて、「一生お前のことを守る」と誓った男。その姿が、滑稽でしかなかった。この男と「どっちが正しいなのか」を言い争うこと自体、自分が惨めになるほど無意味だった。腐った人間に道理を説いても、通じるわけがない。「失望?」私は口の端の血を拭い、冷たく笑う。「じゃあ、そのままずっと失望してれば?蓮、あなたは一生その程度の人間だよ」自分の嘘の中だけで生きて、誰かを尊重することも、愛することもできないまま。私はスーツケースを引き、そのまま玄関に向かった。一秒でも早く、ここから消えたかった。蓮は私が本気だと気づいたのか、顔色を変える。慌てて追いかけてきた。「待て!どこ行く気だ!話はまだ終わってないだろ!俺が許すまで、お前はどこにも行かせない!」――その時、けたたましい着信音が鳴った。張り詰めた空気を切り裂くように。蓮の動きが止まる。私はテーブルのスマホを見た。画面に表示されていた名前は【沙耶ちゃん】。蓮はスマホを見て、そして私を見る。どうするか迷っているのが、顔に出ていた。着信音は鳴り続ける。数秒後、彼は結局私の腕を離して、電話を取る。声色が一瞬で変わる。甘く、焦った声。「
仕事が終わったあと、蓮はそのまま沙耶の家に向かわなかった。車を停めたのは、大型ショッピングモールの前。「行こう。新年のプレゼント買ってやる」そう言って、私をジュエリーショップに連れていく。有名ブランドではない。駅前によくあるチェーン店だ。蓮はショーケースの前であれこれ迷った末、一本のシルバーネックレスを手に取った。小さなチャームが付いている。「これどう?お前、肌白いから似合いそう」そう言いながら、私の首元に当ててみせる。私は値札を見た。――5980円。何も言わず、ただ彼を見つめる。数日前、沙耶のSNSで見た投稿を思い出した。彼女が嬉しそうに見
蓮の反応は早かった。彼は大股でこちらに歩いてくると、私の手首を掴み、そのまま強引に社長室に引きずり込む。――バタン。勢いよくドアが閉まった。さらに鍵まで掛ける。振り返った彼の顔からは、さっきまでの狼狽は消えていた。代わりに貼り付いていたのは、無理に取り繕った平静さだった。「……なんでここに?」ネクタイを緩めながら、彼の視線が落ち着きなく揺れていた。「実家帰ったんじゃなかったのか?」私は何も答えなかった。ただ静かに、彼を見つめる。すると蓮は、すぐに「いつもの芝居」を始めた。「さっきのは……誤解だから。沙耶はまだ業務で分からないことが多くてさ。マナーとか
荷造りを終えた頃には、もう深夜を回っていた。私は左手のリングを外し、ベッドサイドに置く。この指輪は、蓮が社会人になったばかりの頃にくれたものだ。高価な物ではない。それでも私は宝物みたいに大事にしていた。お風呂に入る時ですら外したくなかった。なのに今は、見ているだけで皮肉にしか思えない。蓮がどん底だった頃、両親は重い病気を抱え、借金取りに毎日のように家まで押しかけられていた。玄関先で怒鳴られ、罵声を浴びせられる日々。そんな彼を支えたのは、私だった。貯金を全部切り崩して彼の借金を返し、昼は会社で働き、夜はフリーマーケットで小物を売った。疲れ果てて、帰り道の歩道脇
大晦日の夜、婚約者の神楽蓮(かぐら れん)は、私と年越しを過ごすために帰ってこなかった。届いたのは、冷凍年越しそばが一袋だけ。メッセージも、たった一言。【よいお年を】電話を切ったばかりの私は、すぐにインスタで彼の秘書・白石沙耶(しらいし さや)が投稿した写真を目にした。テーブルいっぱいに並んだ豪華なご馳走。添えられた文は――【誰かさんが地元の味を食べさせたいって、一日中キッチンに立ってくれた。ありがとう、大好き】私は画面を見つめた。写真の隅に、男の手が映り込んでいる。見間違えるはずがない。蓮の手だった。手首には、去年、私が節約してやっと買った腕時計。
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