登入入籍したその日、私は婚姻届をキャンドルディナーの隣に置き、写真を撮ってSNSに投稿しようとしていた。 そのとき、岳がふいに口を開いた。 「それ、偽物だから」 私は固まった。 彼のスマホから、女の甲高い声が響く。 「ちょっと!なんでそんな早く種明かしするのよ!これじゃ面白くないじゃない!」 岳はつまらなそうに眉をひそめた。 「こいつ、今まで気づかなかったくらいだし。もう演技続ける必要ないだろ。賭けはお前の勝ちでいいよ。これで満足か?お姫様」 でも、もう投稿はしてしまっていた。 みんなが祝福していた。 私と岳、7年越しの恋がようやく実ったのだと。 電話の向こうの女は、昔私をいじめていた頃と同じように、嫌味ったらしくコメントを残す。 「へぇ〜もう籍入れたんだ?で、結婚式はいつ?お祝いのお酒飲ませてよ〜うふふ」 私は少し考えてから、返事した。 「来週」
查看更多ようやく待っていた医師が屋敷へやって来た。麻酔を打たれ、意識がぼんやり霞んでいく。その時だった。目の前の女が、突然マスクを引き剥がした。現れたのは、狂気に歪んだ顔。――遥。彼女はメスを握り、私の首元へ向けて何度も刃先を突きつける。「詩野、まさかこんな形で会うなんて思わなかったでしょ?私の人生がもう終わったのだから、あんたも道連れよ!」助けを呼ぼうとしても、身体にはまったく力が入らない。刃が振り下ろされる、その瞬間、一人の男が私の前へ飛び込んできた。刃は、真正面から彼へ突き刺さる。温かい血が私の身体へ降りかかった。それなのに彼は、口元から流れる血を手の甲でそっと拭いながら。優しく、静かな声で言った。「......詩野。もし本当に、過去へ戻れたらよかったのにな......お前があいつらにいじめられてた時......俺が助けてやれたらいいのに。今みたいに」私は顔面蒼白のまま、掠れた声で名前を呼ぶ。「......岳......」遥はなおも狂ったように叫びながら、何度も刃物を振り上げ、私へ襲いかかろうとした。幸い、すぐにボディーガードたちが駆けつけ、彼女はそのまま取り押さえられて連行される。ほどなくして、パトカーと救急車のサイレンが同時に響いた。床に倒れた岳が、重そうに瞼を開く。「詩野......今まではごめん......お前の幸せを、願ってるから......」その言葉に、私の胸もまた、深く抉られたように痛んだ。蓮人が駆け戻り、そっと私を抱き締めてくれるまで。私はずっと、その場から動けなかった。床一面に広がっていた血痕は、いつの間にか使用人たちによって綺麗に片付けられていた。「大丈夫だ。俺が全力で助けるから。少なくとも......」蓮人は苦笑混じりに言葉を続ける。「こいつを、君の心に一生残る男にはさせない」その声で、ようやく私は我に返った。そして強く、彼の胸へ顔を埋める。「......私ね。振り返らない主義だから」祖母が昔、言っていた。――この子の一番の長所は、決して後ろを振り返らないことだ、と。高校では酷いいじめを受けた。それでも大学へ進んだ私は、人と友達になることを怖がらなかった。今度は、深い裏切りを受けた。それでも私は、
新婚旅行が終わった後。蓮人は出勤前に私の額へ軽くキスを落とし、私は家で、予約していた美容医療の修復専門医が来るのを待っていた。インターホンが鳴る。玄関を開けると、立っていたのは医師ではなく、岳だった。次の瞬間、彼は乱暴に私を壁へ押しつける。そして狂ったように、首筋に残ったキスマークへ噛みついた。私は反射的に彼を平手打ちした。全身が震える。「......この変態!」彼の目は真っ赤に充血していた。「あいつと一緒にいて楽しいのか?なぁ、聞いてよ。俺、毎日お前のこと考えてるんだ。眠れないくらいに......!」私は必死に彼を押し返した。でも力では敵わない。だから、思い切り彼の肩へ噛みつく。「.....私を弄んだ時点で、こうなることくらいわかってるはずよ!」彼は力なく拳を壁へ叩きつけた。そして袖を捲る。そこには、幾筋もの火傷跡が刻まれていた。「見ろよ......全部で三十一本。やっと、お前がどれだけ痛かったのか分かったんだ......だから......許してくれないか?」私は顔を背けた。もう、彼の目を見たくなかった。「私、もう結婚してる。征矢さん、婚約破棄されたって聞いたよ。やっと彼女と一緒になれるじゃない」遥の炎上騒動は、婚約者の会社の株価まで暴落させた。本人も完全に社会的信用を失い、SNSアカウントも凍結。これまで華やかに立ち回っていた令嬢たちのコミュニティからも追い出された。騒動が広がって三日目。彼女は婚約破棄された。相手は権力も地位もある男だ。あんな醜聞を抱えたまま結婚などできるはずがない。その後、遥は人を雇って私へ嫌がらせを仕掛けようとした。けれど今の私には、常にボディーガードが付いている。彼女に近づく隙はなかった。だから彼女は、幼なじみの岳へ縋ろうとした。かつての「都合のいい保険」だった男へ。私はてっきり、新婚旅行から戻る頃には、岳と遥の結婚話でも聞かされるのだと思っていた。でも、遥の願いは叶わなかった。征矢家は彼女を「家の恥」だとして、地方の富豪の愛人として嫁がせようとしているらしい。遥の話になると、岳は眉をしかめた。「俺、本当はあいつのこと好きじゃない。だからあいつが誰と結婚しようが、俺には関係ない。それよ
あの頃、私は新しい会社に入社したばかりだった。花粉アレルギーで倒れ、病院へ運ばれたあの日。私は知らなかった。病院へ見舞いに来ていたのは、実は二人いたことを。一人は岳。そしてもう一人が――岳の叔父、蓮人だった。彼は私の新しい会社の上司だった。川島家から独立し、起業して初めて成功させた会社。私がオフィスでアレルギーを起こして倒れた時、彼はちょうど会議中だったらしい。何事か確認しようとした矢先、自分の甥が私を抱きかかえて病院へ向かう姿を目にした。蓮人は、岳の性格をよく知っていた。昔から遥の後ばかり追いかけて。以前には、征矢家の会社の資金繰りを助けるために、会社の機密情報を盗み出して渡そうとしたことまである。そんな、遥のためなら何でもする男が、今は別の女を恋人として抱えている。好奇心もあった。同時に警戒心も。だから彼は病院までついて来て、私がどんな人間なのか見ようとした。――そこで偶然、岳と遥の会話を聞いてしまったのだ。本来なら、彼には関係のない話だった。放っておいてもよかった。――でも。私の仕事ぶりは、彼の目から見ても群を抜いていた。だからこそ、真実を知って精神を壊し、仕事へ支障をきたす姿を見たくなかった。彼は何度も、それとなく私へ忠告した。けれど私は、まったく信じなかった。その頃の私は、岳との恋愛に夢中だったから。むしろ上司のくせに、私生活へ踏み込みすぎだと感じていた。本気で退職まで考えた。だが蓮人は、昇進と昇給を提示して私を引き留めた。そして結局、そのまま時間だけが過ぎていった。その時だった。彼は私に、一つの賭けを持ちかけたのは。――岳は、絶対に私と結婚しない。もし私が負けたら、私は彼の「政略結婚を回避するための表向きの妻」になる。もし勝ったら、彼は私に、輝かしい未来を与える。そして結果は――私が岳を信じすぎていただけだった。私が賭けを受け入れた時、蓮人は少しも驚かなかった。私はてっきり、急ごしらえの結婚式になると思っていた。なのに実際には、会場の装飾から細部まで、何一つ妥協なく整えられていた。中には、半年前から予約しなければ取れない会場まであった。「どうして、私が負けるって確信してたの?」そう尋ねると、彼
結婚式の最中、私は招待客たちへ順番にお酒を注いで回っていた。その時、入口の方から騒ぎ声が上がる。顔を上げると、岳が止めに入ったスタッフを蹴り飛ばしていた。そして私と目が合った瞬間。彼はその場で固まる。「詩野......説明しろよ。俺を式場まで騙して呼び出して、まるで馬鹿みたいに弄んで......!なんでお前が、あいつと結婚してるんだよ!?」私はゆっくりグラスを置き、彼の前へ立つ。静かな声で口を開いた。「別に騙してないよ。私、ずっと言ってたじゃない。『来週、結婚する』って。それを信じなかったのは、あなたでしょ」岳は信じられないというように一歩後ずさる。全身が震えていた。「でも......」「でも?私が絶対岳と結婚するって、そう思ってた?あなた、私の傷跡を見たことあるよね。それでも見て見ぬふりをして、遥の味方をし続けた。それにあなたたちは元々、私を結婚式で笑いものにするつもりだったんでしょう?恥をかく役が遥に変わっただけで、そんなに嫌?」彼はほとんど懇願するような顔で、私に言った。「違う......違うんだ......もし最初から知ってたら、俺は絶対あいつらに加担なんてしなかった。俺は......本当にお前と結婚するつもりだったんだ。詩野、信じてくれ......確かに、この数日は迷った。でも......最後にはちゃんと分かったんだ。自分の気持ちが......この結婚式だって、俺を怒らせるための芝居なんだろ?本気じゃないんだろ?」そう言いながら、彼は不安そうにこちらを見ていた祖母の方へ向き直る。「おばあさん、俺は詩野の彼氏です。いや......違う、夫です」「君が夫なら、俺は何になる?」電話を終えて戻ってきた男が、自然な動作で私の腰を抱き寄せる。そして何事もない顔で、私を岳から遠ざけた。岳の唇が震えた。「お、叔父さん......どうして......どうして詩野を奪うんだよ。あんたは知ってたはずだ、詩野が――」川島蓮人(かわしま れんと)は、皮肉げに口角を吊り上げる。「何を言っている。俺たちはもう籍を入れている。法的にも正式な夫婦だ。お前は数年前から何も変わっていないな。優柔不断な人間は、いつだって先を越される」私が蓮人の腕を取ったまま立ち去ろうとすると、