All Chapters of この先は縁もなく、それぞれの彼方へ: Chapter 1 - Chapter 10

26 Chapters

第1話

温品真言(ぬくしな まこと)と鷹取千浬(たかとり せんり)は結婚して五年、その五年間ずっと互いを消耗し合ってきた。彼は外で女を作り、彼女も外で男を作った。二人は約束していた──遊ぶのは外だけにしよう、相手を家に連れて帰ることだけは禁じる、と。しかし、千浬は結局その約束を破った。彼は真言の誕生日の日に、亡くなった姉にそっくりな女性を家に連れてきた。「この女を愛してしまった。真言とは離婚する」と彼は言った。けれど彼は知らなかった。真言はすでに死の間際にあったことを。あるいは、二日前にはもう亡くなっていた。二日前。それは二人の結婚五周年記念日だった。千浬への贈り物を用意するため、帰宅途中で真言は事故に遭ったのだ。猛スピードで走る車が彼女をはね飛ばし、数メートル先まで吹き飛ばした。瀕死の状態で、彼女は閻魔の姿を見た。執着心が強すぎて、死に切ることができなかったのだ。そこで閻魔は、彼女と一つの賭けを交わした。七日のうちに、もし千浬が心から彼女に一度でも口づけをすれば、再び命を得ることができる。そうでなければ、彼女は閻魔のもとに残り、彼の花嫁となる。その賭けの勝算が、どれほど低いかは真言自身がよく知っていた。結婚して五年、千浬は一度たりとも彼女に口づけしたことがなかったからだ。たとえ数えるほどしかなかった同衾の夜ですら。江代都の名門の社交界で、千浬は最も奔放で恐れられる存在だった。容姿も権力も兼ね備え、多くの令嬢が彼を追いかけた。だが彼の心の中にいたのは、いつも真言の姉──温品真雪(ぬくしな まゆき)ただ一人。彼は言ったことがある、「僕の妻は永遠に真雪だけだ」と。本来、彼と結ばれるはずだったのも真雪であり、真言ではなかった。五年前、真雪が突然の事故で命を落としたため、彼は仕方なく真言を娶ったのだ。真雪がいなければ、誰を妻にしても構わなかった。幼馴染である真言は都合の良い選択肢だった。彼は彼女にすべてを与えたが、愛だけは与えなかった。真雪の死後、彼は記者会見を開いて世界に宣言した。「僕の妻は永遠に真雪だけだ。僕と真言、ただの政略結婚だ」そう言って彼は記者の前で真雪の位牌を取り出した。そこにはこう刻まれていた。「吾が最愛の妻、真雪之位」
Read more

第2話

彼女は期待を込めて彼を見つめた。だが彼はただ、冷たく吐き捨てるように言った。「キス?分かっているだろう、僕は愛していない女に口づけなどしない。お前にそんなことされる資格があると思ってるのか?五年も一緒にいただけで、本当に僕の妻になれたと思うな」そう言い終えると、隣にいた小娘が怯えたように彼の袖を引いた。「千浬......真言さん、どうしてそんなことを言うの?だってもう五年も結婚してるんでしょう?一度もキスしたことがないなんて......」彼はその問いに答える代わりに、彼女の頬をつまんで甘やかすように言った。「バカだな。男は本気で愛した女にしかキスはしないんだ。僕は彼女を愛していない。だから、するはずがないだろう」そう言い放つと、彼はその場で彼女に口づけを落とした。一言一言、一つ一つの仕草が、真言の心を鋭く切り裂いた。唇を震わせながら、彼女はようやく声を絞り出す。「千浬.....五年の結婚は、数日の恋にさえ敵わないの?」「お前は一体何がしたいんだ。欲しいものはすべて与えてきただろう。鷹取家奥様の座、金も、名誉も、地位も。さらにはお前が毎月求めた一度の同衾だって、欠かさず与えてきた。まだ足りないのか」彼は一歩、また一歩と近づき、その声は冷ややかで氷のようだった。「外にあれだけ男がいるだろう。好きに探せばいい。だが僕が、お前にキスすることはない」言葉はますます毒を帯び、彼女は反論する力も失っていった。ただ見ていることしかできない。彼が女性を連れて階段を上っていく、その背中を。必死に求めても得られないものを、その子は容易く手に入れていく。たかが一度の口づけ、それすら彼は与えようとしなかった。視線を落とすと、手首の「赤い糸」が淡く消えかけていた。それは、彼女に残された時間がもう僅かだという証だ。部屋に戻った真言は、秘かに大切にしてきたアルバムを開いた。そこに写っているのは千浬と真雪、そして彼女。けれど、どの写真でも主役は二人で、彼女は背景でしかなかった。子供の頃から、千浬と姉の真雪は公然の「理想のカップル」だった。高校に入ると、すでに社交界で才子佳人と囁かれていた。容姿も、頭脳も、釣り合っていた。彼女はただの脇役で、後ろから黙って二人を追いかけ、密かに千浬を想い続けるし
Read more

第3話

一陣の冷気が襲い、男の瞳に宿る血のような赤を見て、真言は首を振った。「違う......そうじゃないの、千浬!」彼女は胸を押して退けようとしたが、彼はその手を疎ましく思い、両腕を頭上に縛り上げた。「望み通りにしてやるよ」視線の端に映った壁掛けの暦を見やり、彼は冷笑する。「なるほど......今日は毎月のあの日か。道理でそこまで手段を選ばないわけだ」月光が彼女の雪のように白い肌を照らし、彼は怒りの炎をその瞳に燃え上がらせた。欲望の色など欠片もなく、ただ憎しみで彼女の身体を貫く。抵抗は無意味だった。ただ火花のような痛みを刻まれるしかなかった。一晩中、千浬は様々な方法で彼女を責め苛んだ。夜が白み始めた頃、真言は肩にすがりつき、かすれた声で囁いた。「私は本当に、千浬の妻になりたいの......本物の妻に。お願い......一度でいいから、私にキスをして......?」必死に胸に縋りつき、唇を伸ばす。だが彼は身を引いた。「言ったはずだ、不可能だ」その言葉と共に、壊れた人形を投げ捨てるように彼女をベッドへ叩きつけた。それでも彼女は諦めず、抱きつき、何とか唇を奪おうとした。ついに、彼女の唇が彼の唇に触れた。しかし、夢見た温もりは訪れなかった。逆に、千浬の嫌悪はさらに膨れ上がる。「吐き気がするぜ!」その言葉を残し、振り返ることなく部屋を去った。閉ざされた扉を見つめながら、真言は嗤う。やはり、強引では駄目だった。どうして。どうして、たった一度の口づけすら、与えてくれないの......?夜明け、彼女は眠りにつき、目を覚ますとベッドサイドに離婚協議書が置かれていた。まさか、彼がもう準備していたとは思わなかった。結婚して五年。彼の周りには女が絶えなかった。だが唯一、結婚を考えた相手は、亡き姉・真雪に酷似した琉雅だけ。彼女は離婚協議書を開き、内容を確かめた。千浬は金銭的には冷酷ではなかった。10億の慰謝料、この別荘まで譲るという。だが――もうすぐ死ぬ自分には、何の意味もない。真言はシャワーを浴びて階下へ降りた。食堂では千浬と琉雅が朝食を取っていた。「琉雅ちゃん、今夜は仕事の会合がある。夕食は一緒にできない、留守を頼んだ」「難航してた例の
Read more

第4話

蒼夜館。二階の個室で、真言は川崎社長の膝の上に座らされ、嫌悪を押し殺しながら男に口元へ押しつけられる酒を一口また一口と呑み干していた。「いやあ、驚いたよ。温品さん、随分と酒に強いじゃないか!これだけ呑んでも、顔色一つ変わらんとはな」男の落ち着きのない手が彼女の白い肩に伸びる。真言は気づかぬふりをして静かに押し退けた。「川崎社長、今夜はご満足いただけましたか?」「満足だとも!温品さん自ら俺に酒を注いでくれるんだ、これ以上の幸せがあるか?」「それはなりよりです。ではこの契約書に、署名をお願いします」彼女が差し出すと、男は下卑た笑みを浮かべて首筋へ顔を寄せ、深く匂いを嗅ぐ。「温品さん、今夜は暇か?一晩付き合ってくれるなら、契約どころか川崎家の商売すべて、鷹取に任せてもいいぞ!」「未来のことはどうでもいい。私はただ、川崎社長にこの契約を署名してほしいだけです」胃の奥が波のように逆巻き、吐き気が込み上げる。「いいだろう!だがすぐに一緒に来てもらうぞ!」男はあっさりと契約書にサインし、彼女の腕を引いて立ち上がる。「おえっ......」堪えきれず、胃の中のものがせり上がった。「失礼します......お手洗いに」洗面所へ駆け込み、彼女は激しく嘔吐した。吐瀉物に混じる赤黒い血を見て、彼女は乾いた笑みを漏らす。胃が弱いのに......こんなに酒を呑んでしまった。でもいい......千浬が、キスしてくれるなら、何だって我慢できる......身なりを整え個室へ戻ると、そこには琉雅の姿があった。同じように川崎社長に抱き寄せられ、酒を呑まされている。止めに入ろうとした瞬間――慌ただしく扉を開け、千浬が現れた。真言の姿を認めた途端、その顔は氷のように冷え切った。「真言!琉雅ちゃんはどこだ?どこへやった!」返事をする間もなく、視線の先に琉雅が見えた。男に弄ばれている彼女を。怒りに燃え、千浬は真言を乱暴に突き倒し、扉を蹴破った。「琉雅!」床の痛みに耐え、彼女が顔を上げた時、見たのは琉雅を庇いながら川崎社長に拳を叩き込む千浬の姿だった。「何するんだ!」「それはこっちのセリフだ!」彼は男を床に押さえつけ、拳を雨のように浴びせる。琉雅は契約書を握りしめたまま、必死に腕
Read more

第5話

彼女は膝をつき、床に転がった吸入器を拾おうとした。だが、その前に琉雅が素早く足で蹴り飛ばした。「きゃっ」琉雅は吸入器を踏みつけたままバランスを崩し、畳に倒れ込んだ。「琉雅ちゃん!」千浬は慌てて駆け寄り、彼女を抱き起こす。「大丈夫か!?」「足が、痛い......」「病院へ行こう」彼は琉雅を抱きかかえ、そのまま振り返りもせずに去っていった。真言は床に伏したまま、遠ざかる背中と、少し先に転がる吸入器を見つめ、激しく喘ぎ続ける。「千浬......薬が......助けて......」意識が戻ったとき、彼女はすでに病院の白いベッドの上だった。診察を終えた医師は険しい顔をして告げた。「体は危険な状態です。今回運ばれるのが少しでも遅ければ......命はなかったでしょう」真言は唇を震わせた。「千浬は......?」「鷹取さん?来ていませんよ」医師は説明した。「あなたを運んだのは、通りかかった若者です。道で倒れていたあなたを見つけて運び込んでくれたのです。鷹取さんに連絡を取りましょうか?」「彼じゃない......?」真言は乾いた笑みを浮かべる。その笑みには深い苦味があった。彼は知っている。自分が喘息で、薬がなければ死ぬことを。それでも、琉雅を抱えて先に病院へ行った。愛していなくても、せめて一緒に自分を運ぶことはできたはずなのに。どうして......どうして、あの人は手を伸ばそうともしないの?残された時間は、あと四日。けれど進展どころか、千浬との溝は深まる一方。真言は胸の奥でどうしようもない絶望を抱えた。考え込む彼女の前に、影が差し込む。病室の扉が乱暴に開かれ、誰かが彼女をベッドから引きずり下ろした。「な、何?!」振り返ると、そこに立っていたのは千浬だった。「琉雅ちゃんに謝れ!」彼の声は冷たく響く。目を向けると、扉の側に立つ琉雅の顔には赤い発疹が浮かんでいた。まるで呪いに触れたかのように。「琉雅ちゃんは酒アレルギーだ!それをお前は無理やり飲ませただけでなく、あの川崎社長の相手までさせた......真言、お前には心底失望したぞ!」「違う......」真言は力なく口を開く。「私はやっていない。あの契約は彼女じゃなく、私が川崎
Read more

第6話

「一体いつまでこの茶番を続けるつもりだ」千浬の声には苛立ちが滲んでいた。「さっき廊下で医師に会って聞いたが、お前は健康体じゃないか!なのに毎日『死ぬ』『死ぬ』って......お前が死ねば僕が悲しむとでも思ったか?言っておくぞ、真言。たとえ本当に死んだとしても、僕は絶対にお前にキスなどしない。その幻想はさっさと捨てろ!」「そんな言い方しないで、千浬。真言さんはただ不安なだけなの。キスしてあげればいいじゃない」琉雅は無垢を装う瞳で瞬き、ハンカチを差し出す。「真言さん、泣かないで。千浬を説得してあげるから。今日のことも責めるつもりはないの。あなたが千浬のために必死になってただけだって分かってるからね」その演技は巧妙で、危うく真言自身も信じそうになるほどだった。もし彼女が琉雅を呼んでいないこと、川崎社長に付き合わせてもいないことを知らなければ。だが真実は違う。「琉雅ちゃん......君は本当に優しい」千浬はため息をつく。「まあいい。琉雅ちゃんがそう言うなら考えてみるよ」真言は嗤った。自分が何度言葉を尽くしても届かないのに、琉雅の一言で心が揺らぐ。「明後日は琉雅ちゃんの誕生日だ。パーティーを開こうと思う。もし本気で償いたいなら、お前が準備しろ。琉雅ちゃんが満足すれば......お前の望みをひとつだけ聞いてやる」胸の奥から苦味がこみ上げる。真言は乾いた唇を舐めた。「いいでしょう。死ぬ前に私にキスしてくれるなら、何でもする」「本当に狂ってる」千浬は琉雅を抱き、部屋を去った。去り際に琉雅が振り返り、挑発と嘲笑を宿した瞳を真言に向けた。翌日。誕生祝いの準備のため、真言は一日中動き続けた。四日目の夜明け、最後のイルミネーションライトを吊るし終えたころには、体は鉛のように重かった。その夜、千浬は帰らなかった。使用人の話では、琉雅と共に海辺の別荘へ行き、豪華なクルーザーを贈ったという。船には「雅」と名付けられ、そんな待遇、真言は一度も受けたことがなかった。「奥様......旦那様のあんな仕打ちに、腹も立たないんですか?どうしてあの女のために必死で飾り付けまで?」使用人は心配と困惑の入り混じった目で見つめる。「旦那様、今までどんなに浮気しても女を家に連れ込むことはなかっ
Read more

第7話

真言が目を覚ましたとき、そこは廃ビルだった。琉雅は椅子に縛り付けられ、怯え切った表情でこちらを見ていた。「いやっ......真言さん、そんなことしないで......ごめんなさい、千浬のそばに現れたのが間違いだったの。お願いだから、許して......」真言は呆然と立ち尽くした。何が起きたのか、分からない。確かなのは、さっき肩に鋭い痛みを覚えた直後に意識を失い、目覚めたらここにいて、手には血の滴るナイフが握られていたことだけ。琉雅の腕には深い切り傷があり、赤い血が流れ落ちて床を濡らしていた。「これは......」真言が戸惑いながら近づくと、琉雅は恐怖に引きつった声で叫んだ。「来ないで!真言さん、お願いだからやめて!私......千浬から離れるから!」「何を言ってるの?......紐を解いてあげるよ」その瞬間、背後から低い怒号が響いた。「真言!何をしている!」振り返ると、千浬が立っていた。真言が言葉を発する前に、琉雅が声を張り上げる。「千浬......!真言さんが私をここに連れてきて、殺すって言ったの!この腕も......彼女が刃物で切ったのよ!」真言は凍り付いた。そんなことはしていない。唯一の可能性――これは琉雅の自作自演。あまりの恐ろしさに、彼女は信じられないという目で琉雅を見つめた。「お前は狂ったのか?誘拐して傷つけるなんて......」千浬の視線は鋭く、彼女の手に握られた血のナイフに突き刺さった。「琉雅を解放しろ。今すぐだ。そうすれば......今日のことは見逃してやる。だが拒めば......お前を警察に突き出す」「......ふふ」もう、彼の中ではすべてが「真言の犯行」になっている。ナイフを握る手が震え、心臓を抉られるような痛みが走った。「私が彼女を誘拐したって思ってるの?千浬の中で......私はそんな人間なの?」千浬の瞳は氷のように冷たかった。「まだ言い逃れするのか?ここにいるのはお前だけだ。琉雅がこっそりお前のスマホを使って僕に連絡してくれなければ、気づきもしなかった。なぜこんな方法を選んだんだ」「......そこまで決めつけるなら、もう言うことないわ」冷たい笑みを浮かべ、真言はナイフを琉雅の首筋に押し当てた。「いやっ!やめて!千
Read more

第8話

「いったい何なんだ。なぜそんなにキスにこだわる?たかが一度のキスで、不老不死にでもなれるのか?」千浬は目の前の女を睨みつけ、ただ狂気としか思えなかった。彼女が強く望めば望むほど、彼の心は嫌悪に傾いていった。「......別に」ただ、それで自分は生き返れる。真言はかすかな希望を込めて言った。「中畔の命と、キスを交換。どうかしら?」「真言......そんなに愛に飢えているのか?」千浬は、椅子に縛られ恐怖に震える琉雅を憐れむように見つめ、長い沈黙のあと、静かに頷いた。「いいだろう。キスしてやる」一歩、また一歩と近づいてくる。真言は期待に胸を震わせ、静かに目を閉じた。だが次の瞬間――彼は急に飛びかかり、彼女の手からナイフを奪おうとしたのだ。「......!」真言は愕然とした。彼は危険を冒してでも、彼女のキスを拒んだ。その瞬間、心は粉々に砕け散った。「刃物を渡せ!」「そんなに嫌なの?たった一度のキスさえも!」怒りと絶望で体が震え、真言は刃を握りしめた。「本当に......私がこの子を刺すかもしれないのに!」彼女が刃を振りかざした瞬間、千浬は力づくで奪い取ろうとした。もみ合う中、その刃は深々と真言の胸に突き刺さった。「......っ!」焼けつくような激痛が走り、真言はゆっくりと自分の胸を見下ろした。血に濡れた刃が突き刺さっている。「僕は警告したはずだ――」千浬は慌てて手を放したが、その後の言葉は喉で詰まった。「あの子のために......刃を選ぶの?私は十五歳からあなたを愛してきた。十五年間よ......その結果がこれ?」鮮血を吐きながら、真言は床に崩れ落ちた。千浬の胸が締め付けられる。「真言、病院へ連れて行く!」「痛いよ......千浬......私、このままだと死ぬかも......」そのとき琉雅が気を失い、千浬は即座に彼女を抱き上げた。そして立ち去ろうとする。彼は倒れた真言に一瞥を投げた。「待っていろ。琉雅を病院に運んだら、すぐに戻ってお前を助ける。恨むなよ。これは自業自得だ......あの一撃は心臓を外れている、お前は死なない。琉雅があれほど血を流したんだ。今度はお前が味わえ」その後の言葉は、真言の耳にはもう届かなかった
Read more

第9話

千浬は琉雅を病院へ運んだ。医師は「搬送が早かったので大事には至らなかった」と告げた。彼は胸を撫で下ろし、真言を迎えに戻ろうとした。ベッドの上で琉雅がか細く咳をする。「千浬、もう行っちゃうの......?お願い、行かないで......怖いの。目を閉じるたび、真言さんのあの恐ろしい顔が浮かんで......」真雪に酷似したその顔が涙に濡れているのを見ると、千浬の心は締め付けられた。彼は優しく抱きしめ、低く囁いた。「今日のことは僕が悪かった。お前を一人にして、しかも真言を迎えに行かせた......安心しろ、必ずけじめをつける。真言に謝らせてやるよ」「ううん、いいの......彼女はただ、心が不安定なだけ。でも千浬、今日は私の誕生日なのよ。生まれてから、一度も祝ってもらったことがなかったから、ずっと今日を楽しみにしていたの。なのに、どうして真言さんは、今日という日に私を傷つけるの?」再び泣き崩れる彼女を見て、千浬の胸にあった真言への罪悪感は跡形もなく消え去った。「分かった。じゃあ僕は行かない。彼女を連れ戻させる。今日はずっと琉雅ちゃんのそばにいる。誕生日を祝おうか」「うん」琉雅は顔を上げ、濡れた瞳を輝かせる。千浬の目には、彼女はただ無垢で愛らしい少女にしか映らなかった。かつての真雪に瓜二つの。真雪が死んだ時、自分は海外にいて戻れなかった。ずっと負い目を感じていた。だから彼の周囲の女は、皆どこか真雪に似ていた。しかし九分通り似ているのは、琉雅ただ一人。まるで天が与えた贈り物のように、真雪の命日――その日に彼女は自分の前に現れた。だから、これからは琉雅が望むなら、たとえ天の星であろうと贈ってやりたいと思った。「千浬、退院したい。家に帰りたいの。だって今日、私に誕生日パーティーをしてくれるって言ったでしょう?その場で、私たちの婚約をみんなに発表すると」「だが、琉雅ちゃんの体は――」「先生も大丈夫だって言った。ただ腕を少し傷めただけ。気をつければ平気」琉雅は潤んだ瞳で見上げ、甘えるように言った。「お願い、千浬......家に帰ろう?」「......分かった」千浬は頷いた。「連れて帰る」病院を出る前に、彼は電話をかけ、人を廃ビルに向かわせて真言を病院へ搬送させるよう指
Read more

第10話

「どういうことだ」千浬は眉をひそめ、顔を険しくした。「場所は間違いないはずだ。本当に見つからなかったのか?」「はい。床に血の跡が一面残っているだけで、それ以外は何も......周囲も探しましたが、どこにもいません」「千浬、一緒にケーキを切ろう?」琉雅が彼の腕を引いたので、千浬は苛立ち混じりに電話を切ろうとした。「もういい。たぶん自分で病院に行ったんだろう。放っておけ」真言が自力で病院へ行ったと思い込み、彼はそれ以上気に留めなかった。どうせ彼女は罪を犯したのだから、少し苦しませてもいいだろう――そう考えた。パーティーは順調に進んだ。千浬が客を見送っている間、琉雅は一人離れた場所で電話をかけた。「どう?頼んだこと、ちゃんとやった?」「安心してください。あの女はもう連れて行きました。鷹取には絶対に見つけられません。これで鷹取との結婚を邪魔する者はいない。心配ご無用です」「真言はどうなった?」琉雅は声を潜め、問うた。「死んでくれた?」「はい。すでに息絶えています。遺体もこちらで預かりました。これからどうしますか?」「死んだのね」琉雅は眉を上げた。「じゃあ、遺体は適当に処分して」「処分、とは......」「これ以上言わせるの?終わったら報酬を渡すわ。いずれ私が正式に鷹取の妻になったら、あなたたちにも利益を分けてあげる」そう言って電話を切った。「......利益?」背後から声がして、琉雅は飛び上がるほど驚いた。「誰と電話していた?」「えっと、別に......昔の友達よ。私が結婚するって聞いて、喜んでくれたの」「そうか」千浬は彼女を抱き寄せ、低く言った。「今日は疲れただろう。もう休んだほうが」「ねえ千浬、真言さんと離婚の話は?彼女、離婚協議書に......署名してくれたの?」琉雅は探るように聞いた。焦りを悟られまいと必死だった。「真言の性格からして、素直に署名するはずがない。だが心配するな。離婚はできる」そう言って琉雅の手を引き、部屋に戻ろうとした時――使用人が書類の束を持ってやって来た。「旦那様、お忘れ物です。先ほど二階を片付けていて見つけました」千浬はそれを受け取り、目を落とした瞬間、内容を悟った。真言に渡した離婚協議書だ
Read more
PREV
123
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status