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第2話

Author: 葵子
夜の8時、輝也が帰宅した。

彼の手には、かつて莉奈が大好きだった苺ケーキがあった。

家に入るなり、彼はソファに横になっていた莉奈に向かって腕を広げた。

「莉奈、ただいま」

彼はまず莉奈を抱きしめ、その顔を彼女の首元に埋め、まるで彼女の香りを貪るように嗅いだ。

そして突然、彼は顔を上げた。

「どこか具合でも悪いのか?」

どうやら病院での消毒液の匂いが服に染みついていたらしい。

輝也の嗅覚は鋭かった。

莉奈は淡々と微笑んだ。

「違うわ。ただちょっと風邪をひいただけ。病院で薬をもらったから大丈夫よ」

その言葉を聞くと、輝也はすぐさま台所に向かった。

少しすると、彼は湯気の立つ生姜スープが手に現れた。

それは彼自身が作ったものだった。

「俺の不注意だったな」

彼は莉奈を見つめ、申し訳なさそうに言った。

「最近、寒くなってきたのに、気が回らなかった」

そう言うと、さらに彼は執事に暖炉の火を強くするように指示した。

莉奈は生姜スープを二口ほど飲んだだけで、それ以上飲む気にはなれなかった。

その後、輝也は宝物でも見せるように一つの箱を取り出した。

箱を開けると、中には上品な光沢を放つ白玉のかんざしが静かに横たわっていた。

「これ、つけてみようか」

彼は真剣な表情でかんざしを莉奈の髪に挿し、じっと見つめた後、彼女をぎゅっと抱きしめた。

「やっぱり間違いなかった。君にぴったりだ」

その一連の行動の間、莉奈は彼の襟元の内側についている鮮やかな口紅の跡をはっきりと見ていた。

だが、彼女は何も指摘せず、何も問い詰めなかった。

ただ顔を上げ、輝也に言った。

「私もあなたにプレゼントがあるの」

「本当?」

輝也の目が輝いた。

大人の男とは思えないほど、まるで子供が飴をもらったかのように嬉しそうだった。

「ええ」

莉奈はうなずいた。

「でも、今じゃないわ。数日後に、サプライズを用意しているから」

その言葉に輝也は彼女の胸に顔を埋めながら、素直にうなずいた。

「分かった。莉奈が言う通りに聞くよ」

莉奈は隣のバッグに目をやり、冷たい笑みを浮かべた。

その中には、彼女の診断書が入っている。

「輝也、その時を楽しみにしていてね」

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