LOGIN私・黒井葵(くろい あおい)が死んで、初めて迎えた七日目の夜。 夫の遼(りょう)は、私たち夫婦の寝室で、初恋の相手である瀬島清花(せじま きよか)と情欲に溺れていた。 「これでやっと、あのホステス女の顔を見ずに済む」 念願が叶ったとばかりの、心底せいせいした表情。 妻が死んだことなど微塵も信じていない遼は、私の不在をそう嘲笑った。 ――それなのに。 後になって真実を知った遼は、私の遺品にすがりつき、泣き崩れて懺悔することになるのだ。 「葵……っ!なんで帰ってこないんだよ……!」 ねえ、遼。 すっかり忘れてしまったの? 私はとうの昔に、死に追いやられているのよ。 大切な清花を助けたい一心で、私に無理やり骨髄移植を強要した、あの凍えるような夜に。 私のお腹の中で息づいていた、小さな命と一緒にね――
View More深呼吸をして落ち着きを取り戻した遼は、愛想笑いを浮かべて担当医に頭を下げた。病院を出る時、足元が大きくふらついたこと以外は、すっかり普段の「冷徹な社長」の顔に戻っていた。そして再び、狂ったようにアクセルをベタ踏みして、父の家へと車を走らせた。しつこく付きまとわれた父もとうとう折れ、彼を私の墓へと案内した。墓前に立つなり、遼は私にプロポーズした時よりも素早く、地面に膝を突いた。その目には、いっぱいの涙が溜まっている。「……葵、待っていてくれ。全部……俺が全部終わらせたら、必ずお前のところへ行くから!」傍らに立つ父は、パタパタと団扇を扇ぎながら、ただ冷ややかに男の醜態を見下ろしていた。――その後、権力と金を使って真相を調べ上げた遼は、当然のようにすべてを知った。私が本当に妊娠していたこと。清花と悪徳医者が結託して、私に麻酔を打ち、子どもごと殺したこと。その事実を知った遼は、泣きながら、笑いながら、何度も何度も床に額を打ちつけて「許してくれ」と叫び続けた。手遅れになってから気づく愛なんて、ただの残酷な自己満足でしかないのに。「……母さん。結納の準備をしてくれ。俺は……清花と結婚する」スマホを握りしめる彼の手には、血管が青々と浮き出ていた。すぐに清花から電話がかかってきた。その声は、猫撫で声のように甘く、喜びで弾んでいた。「遼さんっ!やっぱり、私のこと愛してくれてたのね!」これまで清花の言葉には必ず甘く返していた遼が、この時ばかりは沈黙した。そして、暗闇の底から響くような、低く冷たい声で笑った。「ああ……俺が誰を愛しているか、ようやく分かったよ」結婚式の準備が進む中、遼はすべてをスタッフに丸投げし、一切関わろうとしなかった。清花が不満げに小言を漏らしても、遼は冷たい一言で彼女を黙らせた。「葵は、そんなワガママを言ったりしなかった」確かにその通りだ。あの頃の私は、愛する遼のお嫁さんになることが人生のすべてで、文句をつける余裕なんてあるはずがなかったのだから。遼は眉間にしわを寄せながらタバコをふかし、あの安物の結婚指輪を愛おしそうに指の腹でなぞる。そして、今まで見たこともないような優しい顔で呟いた。「葵……もう少しだけ、待っていてくれ」――馬鹿みたい。今更、あんたなんかの
「母さん、やめてくれ!葵には俺が悪いんだ、これ以上何も言わないでくれ!!」一体どういう風の吹き回しだろう。突然「良心」というものが芽生えたのか、遼は義母の腕を強引に引っ張って実家から逃げるように立ち去った。二人が自宅へ戻ると、そこにはすでにすっかりこの家の女主人を気取っている清花の姿があった。私が残していった私物はすべて捨てられ、代わりにクローゼットには清花の派手な服がぎっしりと詰め込まれている。「あ、遼さん!あのホステスの荷物、全部片付けておいたわ!これからは、私とこの子が、ずっと遼さんのそばにいるからね」その言葉を聞いた瞬間。遼は突如として激高し、歩み寄って清花の頬を思いきりビンタした。パァンッ!!「……っ!?り、遼さん……?」「お前が、俺の妻の物に触る資格なんてない!!」あまりの剣幕に、清花も義母もその場に凍りついたように立ち尽くした。誰も止めることすらできない。遼はクローゼットの扉を乱暴に開け放つと、清花の服を次々と床に投げ捨て始めた。そして血走った目で彼女を睨みつけ、私の荷物をどこへやったのかと問い詰める。「ちょっと遼!清花ちゃんのお腹には、あんたの子どもがいるのよ!?」初孫の身を案じた義母がたまらず口を挟むが、今の遼には全く響かない。「俺が欲しいのは、葵との間にできた子どもだけだ!そんな私生児なんかどうでもいい!!」遼はリビングのテーブルにあった物を手当たり次第に床へ払い落とし、肩で息をしながら狂ったように喚き散らした。清花は目を真っ赤にして、今にも泣き出しそうに震えている。だが、遼の目に彼女への同情や愛情は、もはや欠片も残っていなかった。恐れをなした清花と義母は、這々の体で家から逃げ出していった。静寂が戻った部屋で。遼は狂ったように引き出しや棚をひっくり返し、何かを必死に探し始めた。その目からは、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちている。「……どこだ……葵の指輪は……どこにある……」ようやくあの四万円の安い指輪を見つけると、彼は泣きながら、笑いながら、その冷たい銀の輪に何度も何度もキスを落とした。「葵……許してくれるよな?なぁ、もう一度、俺と結婚してくれよ……」誰もいない部屋の真ん中で。彼は虚空に向かって片膝をつき、まるでプロポーズをするように指輪を差し出した。
あまりにも突然の凶行に、親族の誰も彼を止めることができなかった。祭壇に飾られていたのは、私が燃やされて残った無残な白い遺骨と、火葬の直前に外された遺品の数々だ。遼は血走った目で花をなぎ払い、遺品のトレイから小さな銀色の輪を拾い上げて、血が滲むほどギュッと握りしめた。――あの時、ストレッチャーからはみ出た私の指にはめられていた、四万円にも満たない安物の結婚指輪だ。ペアになっているもう一つの指輪は遼が持っているはずだが、「こんな安物、恥ずかしくてつけられるか」と鼻で笑い、結婚してからただの一度も身につけたことはなかった。指輪を握りしめたまま、遼は泣いているような、笑っているような異様な顔でその場にへたり込んだ。「……葵、お前は本当に残酷な女だ。まさか死なんていう方法で、俺に復讐するなんて……っ」……葬儀での遼の狂態は、瞬く間にネットで拡散された。それを境に、遼は自宅に完全に引きこもり、一切の面会を謝絶するようになった。――ボリッ、ジャリッ。誰もいないリビングで、不気味な咀嚼音が響く。遼は、かつて自分がゴミ箱にぶちまけた私の作り置きを這いつくばって拾い集め、機械のように口へと運んでいた。一緒に引っこ抜いた観葉植物の泥がベッタリとついているのに、全く気にする様子もなく、ボソボソと虚空に文句をこぼしながら。「葵……どうしてまだ帰ってこないんだよ。俺のメシ、作ってくれよ……」天井付近からその様を見下ろしながら、私はただ困惑するしかなかった。私が死んでからというもの、この男は突然、私を愛し始めたのだ。かつて忌み嫌っていた底辺ホステスは、今や彼の心臓に深く突き刺さり、片時も安らぎを許さない永遠の呪いへと変わってしまったらしい。それからというもの、遼は毎晩のように浴びるほど酒を飲み、とうとう胃穿孔を起こして救急搬送された。それなのに、ストレッチャーの上で激痛にのたうち回りながら、狂ったようにゲラゲラと笑っていたのだ。「あはは……っ、葵……やっと、お前と同じ痛みが分かったよ……!だから、もう帰ってこいよ……っ」顔をぐしゃぐしゃにして、空っぽの虚空に向かってすがるように哀願する。「なぁ、葵……なんで……こんなに飲んでるのに、お前の幽霊すら見えないんだよ……」トップの異常行動により、会社の株価は暴落
遼の会社は、再び激しい非難の的となり、世間の大バッシングを浴びていた。父が連日のように会社のエントランス前に立ち、「娘の命を返せ」と書かれたプラカードを掲げて抗議し、メディアが面白おかしくこぞって報道したからだ。「何度も言わせるな!いつもの店の弁当に変えろと言っただろうが!」社長室で、アシスタントが理不尽な怒声を浴びていた。あまりの剣幕に耐えきれなくなったのか、アシスタントはとうとう震える声で真実を口にする。「しゃ、社長……っ!以前召し上がっていたお弁当は……奥様が、葵様が手作りされていたものです!もうずっと、奥様はお見えになっていません……!」その瞬間、遼は言葉を失い、押し黙った。忌々しげに手を振り、アシスタントを部屋から追い出す。「……葵。お前は、いつまでこんなふざけた真似を続けるつもりだ」遼はまだ、私が死んだことを信じていない。どこまでも意地を張って、私が当てつけで嫌がらせをしているのだと固く信じ込んでいるのだ。遼は人を介して「一度会って話がしたい」と父に打診したが、当然のように、すげなく一蹴された。「ねえ、遼さん。葵さん……本当に死んじゃったのかな?」清花がわざとらしく上目遣いをしながら、遼の胸にすり寄る。すると、彼女の肩に添えられていた遼の手が、突然ギリッと力を込めて食い込んだ。清花が短く悲鳴を上げる。遼は慌てて力を緩め、取り繕うように適当に清花をあやした。そして、自分に言い聞かせるように呟く。「……ありえない。憎まれっ子世に憚るって言うだろう。それに、俺が生きているのに、あの女が勝手に死ぬわけがないんだ」引きつった笑顔を浮かべるその姿を見て、私はふと、この男が何を考えているのか全く分からなくなった。最近、遼は頻繁に家に帰るようになった。そしてなんと、家までついてこようとした清花を玄関先でシャットアウトしたのだ。「清花、中に入るのはやめておけ。葵がへそを曲げて帰ってこないんだ。……しばらくは、このままにしておこう」清花の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。信じられないといった顔で遼を見つめている。――無理もない。私だって信じられないのだから。あんなに溺愛していた初恋の女を、私のために拒絶しているとでも言うの?清花の返事を聞くこともなく、玄関のドアは無情にも閉じられた。
きっと私の見間違いだったのだろう。黒井遼が私のために喜ぶなどあり得ないはずだ。「遼さん、私、帰った方がいいわ。葵さんに誤解されたら困るもの」濑岛清花は遼の反応がないのを見て、さらに拗ねてみせた。遼の目が微かに動き、彼女をぐっと抱き寄せ、なだめるように額にキスをした。「怖がることはない。あいつは何もできないさ」私は遼の勝ち誇った様子を見て、腹立たしさを感じずにはいられなかった。ドアの鍵が回る音がして、私も驚いた。この家は結婚した年に父が買ってくれたものだ。義理の家族に軽んじられないようにと、父は人生の大半の貯金を使ってこの家を買ってくれたのだ。私と遼以外に鍵を持っ
義母の父への侮辱を聞きながら、私は怒りに震えた。黒井遼は黙ったまま、義母が電話をかけるのを許した。聞き慣れた着信音が鳴った。それは私の18歳の誕生日に録音したものだった。父がそれを着信音にしているとは思わなかった。遼のために父との縁を切ってしまった私は憎らしい。これほど長い間、一度も父に電話をかけなかったなんて。「娘の幸せを願うなら、すぐに金を送れ」親心は世界共通だ。父はすぐに金を送ってきた。ただ一言のメッセージがあった。「葵をもっと愛してやってくれ」私は思わず声を上げて泣いた。10年間、私は両親に申し訳ないことをしてきた。黒井遼は良心の呵責を感じたのか、しばら
突然、恐ろしい考えが頭をよぎった。彼は私を一度も愛したことがないのかもしれない。黒井遼の磁性のある声が聞こえてきた。今まで聞いたことのないほど深い愛情を込めて。「何を言ってるんだ。俺は君の夫だぞ。君を愛さないわけがないだろう?」なんて素敵なんだろう。私はその小さな希望を胸に、深い眠りに落ちていった。手術は成功し、濑岛清花は一命を取り留めた。しかし、私は孤独な魂となり、子供さえも失ってしまった。私の子供はまだ形さえなっていなかった。小さな胚は魂すら持たず、この世で幽霊となったのは私一人。私の幸運は黒井遼に出会った瞬間にすべて使い果たしてしまったのかもしれない。そして私
私の死後7日目、夫は初恋の人と私たち結婚時の寝床でまぐわっていた。夫は願いが叶ったような顔で言った。「やっとあのホステス女と会わなくて済む」後になって、夫は私の遺品を抱きしめながら懺悔した。「葵、どうして帰ってこないんだ?」彼は忘れてしまったようだ。あの夜、初恋の人の骨髄移植のために私を追い詰め、私は命を落とした。そして、お腹の中の子も一緒に......黒井遼が帰ってきたとき、私はわずかに膨らんだお腹を撫でていた。そこには私たち二人の子供がいる。実は、この嬉しい知らせを彼に伝えようと思っていたところだった。思いがけず彼が帰ってきたのだ。結婚して10年、初めてこんなにもタ