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第10話

Penulis: 雪八千
支配人は、まるでスイッチが入ったかのように饒舌になった。

「高瀬さん、社長はね、見た目は冷たそうに見えるけど、実際はとても情に厚い方なんです。結婚すれば、奥さんを誰より大切にして、守ってくださいます。他人にいじめられるなんて、絶対にありません。

それにね、あの綾さんだって、社長の前では牙を引っ込めて大人しくなるんですから」

調子に乗った支配人はさらに言葉を畳みかける。

「もっと言えばですよ?社長の奥様になれば、『高瀬弘樹のお義姉さん』という立場にもなるわけです。もし彼とトラブルがあったら、堂々と仕返しができますし、絶対に反撃なんてされません」

――確かに。弘樹は首都では揺るがぬ存在。だが秀一を後ろ盾にできれば、立場は一気に跳ね上がり、これまで弘樹や綾に受けた屈辱を、すべてまとめて返せるだろう。

そう考えるだけで、唇の端がつい吊り上がりそうになる。

だが、玲にはそんな未来を思い描くことすらできなかった。

自分と弘樹の間にさえ大きな隔たりがあったのに、秀一の妻になるなど、あり得ない話だ。

秀一は優しい人だ。きっといつか、彼にふさわしい女性と結ばれるだろう。それが自分でないことは、最初から分かっている。

玲は真剣に頷き、支配人に穏やかに微笑んだ。

「おっしゃる通りです。藤原さんのお嫁さんになる女性は、きっと幸せでしょうね。そのときは、私もぜひご祝儀を包ませていただきます」

「……」

支配人は一瞬、言葉を失い、微妙な表情を浮かべた。

そして、玲の怪我の手当てが終わると、医者とともに気まずそうに部屋を出ていった。

玲は少し戸惑っていたが、部屋に静けさが戻ると同時に、張りつめていた気力が一気に切れ、どっと疲れが押し寄せてきた。

ベッドに腰を下ろすと、着替える余力もなく、そのまま仰向けに倒れ込む。

腰のあたりに硬い感触を覚え、ポケットからスマホを取り出すと、誤操作でアルバムが開いてしまった。

そこには弘樹と過ごした三年間の、秘密の恋の記録が収められている。

二人の関係は人に知られることはほとんどなかったが、普通の恋人たちのように、二人で撮った写真は数えきれないほどある。

その中でも、玲がひときわ大切にしていたのは、交際一周年の記念日に撮った一枚だ。

あの日は、小さな陶芸教室を訪ね、互いの人形を作ろうとした。

幼いころから土に親しんできた玲は手際よく形を整えたが、弘樹は不器用で、泥まみれになりながら悪戦苦闘していた。

それでも、必死な彼の姿が玲にはひどく愛おしかった。

こっそりシャッターを切ろうとした瞬間、気付いた弘樹に抱き寄せられ、彼の膝の上でツーショットを撮ったのだ。

弘樹のおふざけで、顔が泥まみれになった玲が困ったように笑い、普段は穏やかな雰囲気を纏う弘樹も太陽のように朗らかに笑っている。

玲はその写真を「私の光」と名付け、大切に保存してきた。

十三年前、初めて出会ったときから、弘樹は彼女の人生を照らす光だったからだ。

だが今、その光は影に変わり、彼女を押し潰している。

写真を眺めながら削除しようかと迷っていると、不意にプッシュ通知が届いた。綾のSNSからの新しい投稿だ。

綾は頻繁に発信をしていて、そこそこのフォロワーを抱えている。

投稿されたのは、有名ブランドLの春コレクションのハイヒールを履き、ポーズをとる綾の写真だった。

靴は確かに美しかった。だが、その足元には、無惨に砕かれた小さな泥人形があった。

添えられた文章にはこうだ。

【弘樹さんが買ってくれた靴。可愛いって褒めてくれた。みんなも褒めて!】

フォロワーたちの羨望が次々とコメントに並ぶ。

【うわあ、昨日はガラスの靴、今日は有名ブランド!さすが綾様、愛されてるね!】

【綾ちゃん可愛い!羨ましい!こんなに大事にされる彼女なんて初めて見た!】

【……でも背景のあれ何?床に落ちてるの、人形のかけらっぽいけど?】

綾は、そのコメントにだけ返した。

【ただのゴミよ。使用人が片付け忘れただけ】

玲は画面を閉じた。

綾が踏みつけていたのは、交際記念日に弘樹と作った小さな人形だった。

玲はそれを何年も大切に保管してきた。乾燥や湿気に気を配りながら。

それが今、見つけられ、粉々に砕かれ、見せしめのように足蹴にされている。

弘樹との写真を記念に残すべきか、そう迷っていた玲の心は、その瞬間、完全に決まった。

彼女はアルバムを開き直し、冷たい指先で「私の光」を削除した。クラウドのバックアップも含めて、すべて。

さらに三年間のすべての写真を、一枚残らず消し去った。

最初から、その恋が存在しなかったかのように。

そもそも二人の関係は秘密だった。

弘樹の望み通り、外でのデートもなく、映画も観ず、贈り物ひとつなかった。

だから写真が消えれば、思い出もまた跡形もなく消えていく。

ちょうどそのとき、雪乃から電話が入った。

かつてなら、どんな状況でもすぐに出た。たとえ入浴中で両手が泡まみれでも――母からの急用かもしれないと気を遣って。

だが今は違う。出たところで、そこにあるのは叱責と命令だけ。玲にはそれがわかっていた。

彼女は通話を切り、そのまま着信拒否に設定した。

今日からは、もう誰にも振り回されない。

他人を自分より優先することもしない。

家族だろうと恋人だろうと、自分より大事な人間はいない。

すべての操作を済ませて深く息を吐いたそのとき、突然、部屋の扉が激しく叩かれた。

ドンドンドン!

次の瞬間、電子ロックも解除され、扉が勢いよく開く。

玲は驚き、ベッドから跳ね上がって扉を見た。そして入ってきた人物を認め、さらに目を見張った。

「……雨音ちゃん?どうしてここがわかったの?」

「よくそんな顔で私に聞けるわね!」

怒鳴りながら飛び込んできた雨音の目は、真っ赤に腫れていた。そのまま勢いよく抱きしめられる。

「この馬鹿!何かあったらすぐ私に連絡しなさい!心配で死ぬかと思ったんだから!」

秀一からすべてを聞かされた雨音は、ここに来るまでの道中ずっと、弘樹を罵りながら泣き続けていたのだ。

玲は声を失っていた。だが、親友の腕に包まれた瞬間、こらえ続けた感情がついに決壊し、子どものように泣きじゃくるしかなかった。

……

そのころ、秀一は会社から自宅の別荘へと戻っていた。

静まり返った部屋でネクタイを緩めたところに、一本の電話がかかる。彼は通話に応じ、スマホをテーブルに置く。

「……頼んでいた件、ちゃんと済ませたか?」
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