「私を殺した騎士が、記憶を失って“好きだ”と言ってきた。」 かつて私は、あの人に斬られて死んだ――はずだった。 なのに目覚めた私を抱きしめたのは、彼だった。優しく、哀しげに。 記憶を失った騎士は、まるで恋人のように私を守ろうとする。 けれど私は知っている。彼の剣で命を奪われたことを。 “なぜ彼が私を殺したのか”――その理由を知るまでは、愛されてはいけない。 それでも、触れられるたび心も身体も壊れていく。 これは、殺された少女と、記憶を失った騎士が織りなす、 赦しと愛の歪な物語。
View More痛みが、まだ生々しく胸に残っていた。
熱に浮かされたような視界の向こうで、誰かが私の名前を呼んでいる。その声が、信じられないほど優しかった。 「……リア、目を覚ましてくれ」 私の額に触れる手。男の声。低く、少し掠れていて、けれどどこか懐かしい響き。まぶたを押し上げると、目の前に一人の男がいた。 漆黒の髪と鋭い輪郭。凛々しい目元。 見覚えがある——でも、その顔は私にとって、最も見たくなかった顔だった。 「……なんで、あんたがここに……」 声がかすれる。痛みと混乱で、頭がうまく回らない。でも私は確かに、この男に殺されたのだ。胸に深く、鋭く突き立てられた剣の感触。今も、身体の奥にその記憶が刻まれている。 「よかった、助かって……本当に……」 男——カイルは、まるで恋人に再会したかのような顔で笑っていた。その表情が、なによりも恐ろしかった。 私は首を振ることもできなかった。傷は深く、意識はかすれていく。それでも、この状況が夢や幻ではないと、理性のどこかが告げていた。 「気をつけろ。まだ完全に治ってない。しばらくは寝てた方がいい」 カイルはそう言って、壊れ物を扱うように慎重にブランケットをかけ直した。その動作一つひとつが優しくて——優しすぎて、気が狂いそうだった。 どうして、こんな顔をするの? 私を殺したくせに…… 涙が勝手ににじんだ。声を出す力はなかった。けれど、カイルはそれを誤解したのだろう。彼の手が、そっと私の頬に触れた。 「ごめん……怖かったよな。でも、もう大丈夫だ。俺がいるから……」 その言葉が、刃よりも鋭く胸を貫いた。この男は、覚えていない。私を殺した記憶を—— リアは目を閉じた。見たくなかった。あの男の顔も、声も、聞きたくなかった。 「俺は……なぜ君と一緒にいるのか、よくわからない。でも……顔を見た瞬間、守らなきゃって思った」 静かに語るその声音が、酷く優しい。あまりにもまっすぐで、残酷なほどに無垢だった。 私を殺したあんたが、そんな顔するなんて。 私の中に、記憶が蘇る。血の匂い。倒れた感覚。剣が胸を貫いた時の衝撃。そして、崩れ落ちる意識。 「……本当に、何も覚えてないの?」 絞るような声で問いかけると、カイルは眉をひそめて目を伏せた。 「夢を見た気がするんだ。君が泣いてて……俺は、血まみれの剣を持って……でもぼやけてて、何があったのか……」 その言葉に、リアの胸が痛んだ。何もかも忘れたふりをしているのではない。本当に、記憶が欠けているのだとわかってしまう。だからこそ、怒ることもできなかった。 カイルはベッドにそっと手を添えて、彼女を見つめた。 「怖がらせてごめん。でも、無理に話さなくていい。今は君がそばにいるだけで、それでいい」 優しい声だった。けれどその優しさが、何よりも残酷だった。 ----- 日が傾き始めた頃、私はようやく起き上がることができた。小さな山小屋。質素だけれど清潔で、暖炉では薪がぱちぱちと音を立てて燃えている。 カイルは台所で何かを作っていた。慣れない手つきでスープをかき回している。その後ろ姿を見ていると、胸の奥が複雑にざわめいた。 この人が、本当に私を殺したの? 今のこの優しい人が? 「起きたのか。体調はどうだ?」 振り返った彼の顔は、心配そうで、愛おしそうで——私への愛情が、隠しようもなく溢れていた。 「……少し、良くなったわ」 「そうか。よかった」 カイルは安堵の表情を見せて、椀にスープを注いだ。 「あまり上手じゃないけど、食べてくれるか?」 差し出されたスープは、確かに見た目はあまり上手とは言えなかった。でも、湯気と一緒に漂ってくる匂いは悪くない。何より、私のために作ってくれたという事実が、胸を温かくした。 一口飲むと、優しい味がした。塩加減も絶妙で、身体の芯から温まる。 「美味しい」 素直にそう言うと、カイルの顔がぱっと明るくなった。 「本当か? よかった……初めて作ったから、心配だった」 初めて? でも、なぜか手つきは慣れているようにも見えた。記憶を失う前は、料理をしていたのかもしれない。 「カイル……あなたは、自分のことを覚えてるの?」 「いや」 彼は首を振った。 「名前も、過去も、何もかも曖昧だ。ただ、君を見た瞬間に『カイル』という名前が浮かんだ。それが俺の名前だと、なぜか確信できた」 「他には?」 「君を愛してるってことだけは、はっきりしてる」 またそんなことを。私の頬が熱くなる。 「どうして、そんなことが言えるの? 記憶もないのに」 「理由はわからない。でも、君を見てると胸が苦しくなる。大切にしたくて、守りたくて……これが愛じゃなくて何だって言うんだ?」 その言葉に、私の心は大きく揺れた。嘘偽りのない、真っ直ぐな想い。記憶を失っているからこそ、純粋に私だけを見つめている。 でも、だからこそ辛い。この愛は、偽りの上に成り立っている。 「私のことを、何も知らないのに」 「これから知ればいい。君の好きなもの、嫌いなもの、笑顔の理由、涙の理由……全部、教えてくれ」 カイルが私の手を取った。大きくて、温かい手。この手が、私の胸を貫いたなんて信じられない。 「時間はたくさんある。急がなくていい」 時間? 私たちに、そんなものがあるの? いつか彼の記憶が戻ったら。いつか真実を知ったら。この優しさは、憎しみに変わってしまうかもしれない。 「リア? どうした? 顔が青いぞ」 「何でもない……ちょっと疲れただけ」 嘘をついた。でも、本当のことなんて言えるはずがない。 カイルは私をベッドまで運んでくれた。お姫様抱っこで、まるで本当の恋人同士みたい。 「もう少し休め。俺がそばにいるから」 ベッドの脇に座って、私の髪を優しく撫でてくれる。その手つきが、どこまでも慈愛に満ちていて、涙が出そうになった。 「カイル……」 「何だ?」 「もし、私があなたを傷つけたことがあるとしたら……それでも、愛してくれる?」 彼は少し考えてから、微笑んだ。 「君が俺を傷つけるなんて、想像できない。でも、もしそうだとしても……愛してる。君がどんな人でも、何をしたとしても、この気持ちは変わらない」 嘘。きっと、真実を知ったら変わる。 でも今は、その言葉にすがりたかった。 「ありがとう……」 カイルは私の額にそっとキスをして、部屋を出て行った。一人になった私は、胸の傷跡に手を当てた。まだ痛む。でも、それ以上に心が痛んだ。 愛してる。この人を、心から愛してしまった。 殺された相手を愛するなんて、狂気の沙汰かもしれない。でも、止められない。 窓の外では、夕日が山の向こうに沈んでいく。美しい光景だった。でも私には、不吉な予感しか感じられなかった。 この幸せは、いつまで続くのだろう。 その答えを知るのが、怖くて仕方なかった。ノルディア帝国の国境に到着したのは、朝もやに包まれた時刻だった。目の前に聳える巨大な要塞都市。高い城壁と、無数の監視塔。まるで戦争に備えているような、物々しい雰囲気。「すごい要塞ね」私は城壁を見上げていた。「まるで愛を拒絶してるみたい」「軍事国家らしい光景だな」カイルも緊張していた。「ガルバニア王国とは大違いだ」確かに、ガルバニア王国は美しく開放的だった。でも、ノルディア帝国は閉鎖的で威圧的。愛とは正反対の雰囲気。「でも、きっと中の人たちは優しいはず」私は希望を捨てなかった。「どんな人でも、愛を求める心があるから」国境の検問所に近づくと、重装備の兵士たちが現れた。全身を鎧で覆い、表情は見えない。でも、その威圧感は凄まじい。「止まれ」兵士の一人が冷たい声で言った。「身分を明かせ」「私たちは愛の騎士団です」私は丁寧に答えた。「皇帝陛下にお会いしたくて参りました」「愛の騎士団?」兵士たちがざわめいた。明らかに、私たちのことを知っている。そして、警戒している。「貴様らが、例の危険な組織か」「危険じゃありません」私は首を振った。「私たちは愛を広めているだけです」「愛は帝国にとって有害だ」兵士が剣の柄に手をかけた。「立ち去れ」有害?愛が有害だなんて、なんて悲しい考え。「お話だけでも聞いてください」私は一歩前に出た。「愛の素晴らしさを」「聞く必要はない」
ガルバニア王国での成功から一週間が過ぎた。私たちは王都に戻る途中、各地で素晴らしい光景を目にしていた。街道沿いの村々で、人々が愛を語り合っている。恋人たちが手を繋ぎ、家族が微笑み合っている。愛の輪が、確実に広がっていた。「すごいわね」私は馬車の窓から外を眺めていた。「ガルバニア王国の話が、もう他の村にまで伝わってる」「愛を取り戻した話は、人々の心に希望を与えるからな」カイルが微笑んだ。「君たちの活動が、世界を変え始めてる」確かに、変化を感じる。人々の表情が明るくなった。愛を語ることを恥じなくなった。素晴らしいことね。「リア様」セラフィナが資料を持ってきた。「各国からの報告が届いています」「どんな?」「愛の騎士団の活動に感銘を受けた人たちが、各地で愛を守る活動を始めているとか」各地で愛を守る活動?「具体的には?」「東のアルヴェリア王国では『愛の祭り』が開催されました」「南のベルガディア共和国では『愛の学校』が設立されたそうです」愛の祭り、愛の学校……素敵な響きね。「私たちが蒔いた種が、あちこちで花を咲かせてるのね」「でも」ザイヴァスが困った顔をした。「気になる報告もあります」「気になる報告?」「西のノルディア帝国から、不穏な動きがあるとか」ノルディア帝国……聞いたことのある名前ね。確か、大きな軍事国家だった気がする。「どんな動き?」「愛の騎士団を『危険な組織』として警戒しているそうです」危険な組織?私たちが?「なぜ危険なの?」「『愛は人を弱くする』『軍事力を削ぐ』と考えているらしいです」なんて偏った考え。愛は人を弱くするどころか、強くするものなのに。「それに」セラフィナが続けた。「ノルディア帝国は、近隣諸国への侵攻を計画しているという噂も」侵攻計画?「つまり、戦争を起こそうとしてるということ?」「可能性があります」「そして、愛の騎士団の活動が、その計画の邪魔になると考えている」これは……深刻な問題ね。愛を広げる活動が、戦争の引き金になってしまうかもしれない。「どうしましょう?」マーサが不安そうに尋ねた。「活動を控えた方がいいのでしょうか」「いえ」私は首を振った。「むしろ、もっと積極的に活動すべきです」「でも、危険では?」「危険だからこそ、愛が必要なの
王の私室に足を踏み入れた瞬間、空気が凍りつくような寒さを感じた。部屋は豪華な装飾に満ちているのに、まるで氷の洞窟のよう。そして、部屋の奥の玉座に一人の男性が座っていた。ガルバニア王国の新王様。年齢は三十代前半。端正な顔立ちだけれど、その表情は氷のように冷たい。瞳には一切の感情がない。完全に愛を失った人の目。「誰だ」王様が機械的な声で言った。「許可なく王室に入るとは」「私たちは愛の騎士団です」私は一歩前に出た。「あなたにお話があって参りました」「愛の騎士団?」王様が眉をひそめた。「愛などという不健全な言葉を使うな」やはり、完全に愛を否定している。でも、不思議なことに威圧感がない。怒りも憎しみも感じられない。ただ、空虚なだけ。「愛は不健全なものではありません」私は優しく言った。「最も美しく、大切なもの」「愛は苦しみの元凶だ」王様が立ち上がった。「愛があるから、人は傷つく」「愛がなければ、平和になる」その言葉に、深い悲しみを感じた。この人も、愛で傷ついた経験があるのね。「でも、愛がなければ喜びもありません」私は続けた。「愛があるから、人は幸せになれるんです」「幸せなど幻想だ」王様が玉座の横にある杖を手に取った。それは……魔術師の杖?「この杖で、愛の苦しみから人々を解放した」やはり、この杖が術式の中核ね。「解放したのではありません」私は強く言った。「人間らしさを奪ったんです
夜の帳が降りた王宮は、昼間よりもさらに不気味だった。月明かりに照らされた白い石壁が、まるで墓石のように冷たく見える。「ここが裏門です」アランが小声で私たちを案内した。「侍女たちが使う通用口」確かに、正面門よりもずっと小さくて目立たない扉があった。「警備は?」カイルが周囲を警戒しながら尋ねた。「夜は一人だけです」アランが答えた。「でも、その衛兵も……」「愛を失っているのね」私は頷いた。「でも、きっと心の奥では覚えているはず」私たちは静かに裏門に近づいた。予想通り、一人の衛兵が立っていた。でも、その表情は虚ろで、まるで生きた人形のよう。「どうやって通り抜けましょう?」マーサが困った顔をした。「力づくは避けたいですが……」「私に任せて」私は指輪に手をかけた。「愛の力で」指輪が静かに光り始めた。でも、今度は強い光ではなく、優しく温かな光。その光が衛兵を包み込む。「……なんだ……この感じは……」衛兵がぼんやりと呟いた。「温かくて……懐かしい……」「思い出して」私は優しく語りかけた。「あなたが愛した人のことを」「愛した人……」衛兵の目に、かすかな涙が浮かんだ。「そうだ……俺には……娘がいる……」「可愛い娘が……」愛の記憶が蘇っている。「その娘さんを思い浮かべて」「きっと、あなたの帰りを待ってるはず」「娘……マリア……」衛兵が娘の名前を呟いた。その瞬間、彼の表
ガルバニア王国に足を踏み入れた瞬間、異様な空気を感じた。街は確かに美しい。石造りの建物が立ち並び、花壇には色とりどりの花が咲いている。でも、人々の表情が暗い。まるで感情を失ったような、虚ろな目をしている。「おかしいわね」私は街を歩きながら呟いた。「みんな、生きてるのに生きてないみたい」「愛を失うと、人はこうなるのか」カイルも眉をひそめていた。「まるで魂が抜けたようだ」私たちを案内してくれている男性……彼の名前はアランといった……も悲しそうに頷いた。「三週間前から、みんなこんな感じなんです」「愛を表現することを禁じられて……」「いえ、禁じられただけじゃなくて……」アランが言いにくそうにした。「愛そのものを、感じられなくなったんです」愛を感じられない?「どういうこと?」「言葉で説明するのは難しいんですが……」アランが頭を抱えた。「家族を見ても、恋人を見ても、何も感じない」「まるで、心に穴が開いたみたいに」これは……記憶操作よりも深刻ね。愛の感情そのものを奪われている。「でも、あなたは愛を感じてるじゃない」私はアランを見つめた。「恋人を救いたいという気持ちも愛よ」「そうなんです」アランが不思議そうに言った。「なぜか、僕だけは愛を感じられるんです」「他の人たちは、みんな……」街の人々を見回した。確かに、誰も笑っていない。手を繋いでいる恋人もいない。親子でさえ、よそよそしい距離を保っている。「恐ろしい状況ね」マーサが震え声で言った。「愛のない世界なんて……」「でも、必ず治せます」ザイヴァスが確信を込めて言った。「この魔術は、私が作ったものだから」「本当に?」「はい」ザイヴァスが重い口調で答えた。「『愛情感受阻害術』……愛を感じる能力を一時的に封じる魔術です」「なぜ、そんな恐ろしい魔術を?」ソフィアが憤った。「愛は人間にとって最も大切なものなのに」「当時の私は……」ザイヴァスが自分を責めるように言った。「愛こそが苦しみの元凶だと思っていました」「だから、愛を感じなければ苦しまないと……」愚かな考えね。愛がなければ、確かに愛の苦しみはない。でも、愛の喜びもない。人間らしさそのものを失ってしまう。「その魔術を解く方法は?」私は尋ねた。「術者である私が、直接解呪すれ
ザイヴァスとの戦いから一ヶ月が過ぎた。王都は、完全に平和を取り戻していた。街角では恋人たちが手を繋ぎ、家族が笑い合っている。愛に満ちた、美しい光景。「みんな、本当に幸せそうね」私は王宮のバルコニーから街を見下ろしていた。「あなたたちのおかげよ」オリヴィア王女が隣に立った。「愛の騎士団の活動が、みんなに希望を与えた」「でも、まだやることがありそうね」私は遠くの山々を見つめた。「他の国にも、愛を憎む人がいるかもしれない」「そうですね」エリザベス姉も合流した。「隣国のガルバニア王国から、不穏な報告が届いています」不穏な報告?「どんな?」「愛を禁止する法律が制定されたとか」また、愛を禁止する法律?「それは……」「ザイヴァスの影響が、他の国にも及んでいるのかもしれません」セラフィナが資料を持ってきた。「調べてみたところ、ガルバニア王国では三週間前から愛に関する法律が厳しくなっています」三週間前……ちょうど、ザイヴァスが活動していた時期ね。「つまり、彼の魔術が他の国にも広がっていたということ?」「可能性があります」カイルが地図を広げた。「ガルバニア王国は、隣国だから影響を受けやすい」「でも、ザイヴァスはもう改心したのよ」私は混乱した。「なぜまだ影響が?」「魔術には、術者が改心しても効果が持続するものがあります」ザイヴァスが部屋に入ってきた。この一ヶ月で、彼は愛の騎士団の重要なメンバーになっていた。「私が過去に行った記憶操作の魔術が、まだ残っているのです」「消せないの?」
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