わたしを殺した騎士が、記憶を失って“好きだ”と言ってきた。

わたしを殺した騎士が、記憶を失って“好きだ”と言ってきた。

last updateDernière mise à jour : 2025-08-04
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「私を殺した騎士が、記憶を失って“好きだ”と言ってきた。」 かつて私は、あの人に斬られて死んだ――はずだった。 なのに目覚めた私を抱きしめたのは、彼だった。優しく、哀しげに。 記憶を失った騎士は、まるで恋人のように私を守ろうとする。 けれど私は知っている。彼の剣で命を奪われたことを。 “なぜ彼が私を殺したのか”――その理由を知るまでは、愛されてはいけない。 それでも、触れられるたび心も身体も壊れていく。 これは、殺された少女と、記憶を失った騎士が織りなす、 赦しと愛の歪な物語。

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Chapitre 1

優しさが、いちばん残酷だった

痛みが、まだ生々しく身体に残っていた。

熱に浮かされたような視界の向こうで、誰かが私の名前を呼んでいる。

その声が、優しかった。信じられないほどに。

「……リア、目を覚ましてくれ」

私の額に触れる手。男の声。低く、少し掠れていて、けれどどこか懐かしい響き。

まぶたを押し上げると、目の前に一人の男がいた。

漆黒の髪と鋭い輪郭。凛々しい目元。見覚えがある――

でも、その顔は私にとって、最も見たくなかった顔だった。

「……なんで、あんたがここに……」

声がかすれる。痛みと混乱で、頭がうまく回らない。

でも私は確かに、この男に殺されたのだ。胸に深く、鋭く突き立てられた剣の感触。

今も、身体の奥にその記憶が刻まれている。

「よかった、助かって……本当に……」

男――〈カイル〉は、まるで恋人に再会したかのような顔で笑っていた。

その表情が、なによりも恐ろしかった。

リアは首を振ることもできなかった。傷は深く、意識はかすれていく。

それでも、この状況が夢や幻ではないと、理性のどこかが告げていた。

「気をつけろ。まだ完全に治ってない。しばらくは寝てた方がいい」

カイルはそう言って、壊れ物を扱うように慎重にブランケットをかけ直した。

その動作一つひとつが優しくて――優しすぎて、気が狂いそうだった。

(どうして、こんな顔をするの? 私を殺したくせに……)

涙が勝手ににじんだ。声を出す力はなかった。

けれど、カイルはそれを誤解したのだろう。彼の手が、そっとリアの頬に触れた。

「ごめん……怖かったよな。でも、もう大丈夫だ。俺がいるから……」

その言葉が、刃よりも鋭く胸を貫いた。

この男は、覚えていない。私を殺した記憶を――

リアは目を閉じた。見たくなかった。あの男の顔も、声も、聞きたくなかった。

「俺は……なぜ君と一緒にいるのか、よくわからない。でも……顔を見た瞬間、守らなきゃって思った」

静かに語るその声音が、酷く優しい。あまりにもまっすぐで、残酷なほどに無垢だった。

私を殺したあんたが、そんな顔するなんて。

リアの中に、記憶が蘇る。血の匂い。倒れた感覚。剣が胸を貫いた時の衝撃。そして、崩れ落ちる意識。

「……本当に、何も覚えてないの?」

絞るような声で問いかけると、カイルは眉をひそめて目を伏せた。

「夢を見た気がするんだ。君が泣いてて……俺は、血まみれの剣を持って……でもぼやけてて、何があったのか……」

その言葉に、リアの胸が痛んだ。何もかも忘れたふりをしているのではない。本当に、記憶が欠けているのだとわかってしまう。だからこそ、怒ることもできなかった。

カイルはベッドにそっと手を添えて、彼女を見つめた。

「怖がらせてごめん。でも、無理に話さなくていい。今は君がそばにいるだけで、それでいい」

優しい声だった。けれどその優しさが、何よりも残酷だった。

火は静かに揺れていた。狭い山小屋に、焚き火の明かりが影を落とす。

リアは毛布を引き寄せたまま、黙って炎を見つめていた。

背後に気配を感じる。振り返らなくてもわかる。カイルだ。ゆっくりと、彼が隣に腰を下ろす気配がした。

「……眠れないのか」

問いかける声は、酷く静かだった。リアは答えない。答えたくなかった。

身体の芯に、得体の知れない緊張が走っていた。彼が近くにいるだけで、心臓がうるさい。逃げたい。けれど、どこへ? 足が動かない。

視線を感じる。炎の光の中で、カイルの瞳がこちらを見ていた。

「リア。少しだけ、そばにいてもいいか?」

名前を呼ばれただけで、喉が震えた。彼の声が、胸の奥に刺さる。

「おまえのことを、知りたいと思ってる。記憶が戻らないなら、これから作っていけばいい」

その言葉に、リアの胸がざわついた。知らない記憶のくせに。私を殺した過去をなかったことにして、何を今さら。

なのに、気づけば彼の手が、毛布の上からそっと自分の手を包んでいた。

跳ね除けるべきだった。なのに、なぜか力が入らなかった。

温度が、懐かしかった。誰のものでもないようでいて、確かに自分の記憶の奥に刻まれているような、そんな手の温かさだった。

焚き火の火が、ぱちりと弾けた。

リアは、ずっと黙ったままだった。けれど胸の奥では、何かが悲鳴を上げていた。

「リア……俺は、君が好きだ」

それは、静かで、真っ直ぐな言葉だった。

その瞬間、世界が音を失った。

好きだ? この男が、私に?

喉の奥が焼けつくようだった。笑えばいいのか、泣けばいいのか、わからなかった。

私を殺した人間が、記憶を失って“好きだ”と口にする。

それは、神に許された罰か、悪魔の赦しか。

リアは、ゆっくりと彼を見た。炎の揺らぎの中、カイルは罪の自覚すらない顔で、自分を見つめていた。

「……わたしは」

言葉が続かなかった。涙が頬をつたうのがわかった。

こぼれるのは痛みか、それとも憎しみか。

それすらも、もう自分ではわからなかった。

カイルはそっと手を伸ばし、リアの髪を撫でた。

「君が泣いてるの、初めて見た」

その声が、あまりにも優しくて、リアはついに声を上げて泣いた。

涙が止まらなかった。

どうしてこんなにも悲しいのか。どうしてこんなにも、壊れそうなのか。

これは救いなんかじゃない。赦しでも、癒しでもない。

ただ、どうしようもないほどに──苦しかった。

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優しさが、いちばん残酷だった
痛みが、まだ生々しく身体に残っていた。熱に浮かされたような視界の向こうで、誰かが私の名前を呼んでいる。その声が、優しかった。信じられないほどに。「……リア、目を覚ましてくれ」私の額に触れる手。男の声。低く、少し掠れていて、けれどどこか懐かしい響き。まぶたを押し上げると、目の前に一人の男がいた。漆黒の髪と鋭い輪郭。凛々しい目元。見覚えがある――でも、その顔は私にとって、最も見たくなかった顔だった。「……なんで、あんたがここに……」声がかすれる。痛みと混乱で、頭がうまく回らない。でも私は確かに、この男に殺されたのだ。胸に深く、鋭く突き立てられた剣の感触。今も、身体の奥にその記憶が刻まれている。「よかった、助かって……本当に……」男――〈カイル〉は、まるで恋人に再会したかのような顔で笑っていた。その表情が、なによりも恐ろしかった。リアは首を振ることもできなかった。傷は深く、意識はかすれていく。それでも、この状況が夢や幻ではないと、理性のどこかが告げていた。「気をつけろ。まだ完全に治ってない。しばらくは寝てた方がいい」カイルはそう言って、壊れ物を扱うように慎重にブランケットをかけ直した。その動作一つひとつが優しくて――優しすぎて、気が狂いそうだった。(どうして、こんな顔をするの? 私を殺したくせに……)涙が勝手ににじんだ。声を出す力はなかった。けれど、カイルはそれを誤解したのだろう。彼の手が、そっとリアの頬に触れた。「ごめん……怖かったよな。でも、もう大丈夫だ。俺がいるから……」その言葉が、刃よりも鋭く胸を貫いた。この男は、覚えていない。私を殺した記憶を――リアは目を閉じた。見たくなかった。あの男の顔も、声も、聞きたくなかった。「俺は……なぜ君と一緒にいるのか、よくわからない。でも……顔を見た瞬間、守らなきゃって思った」静かに語るその声音が、酷く優しい。あまりにもまっすぐで、残酷なほどに無垢だった。私を殺したあんたが、そんな顔するなんて。リアの中に、記憶が蘇る。血の匂い。倒れた感覚。剣が胸を貫いた時の衝撃。そして、崩れ落ちる意識。「……本当に、何も覚えてないの?」絞るような声で問いかけると、カイルは眉をひそめて目を伏せた。「夢を見た気がするんだ。君が泣いてて……俺は、血まみれの剣を持って……でもぼやけてて、
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