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第3話 生き物として

last update Petsa ng paglalathala: 2026-06-08 21:21:05

昔の中国風王宮に来た私。タイムワープってやつなのか。

難しい理屈に頭を使う気はない。

そんな高級な頭脳すら持ち合わせてない。

優雅な音色の笛と弦楽器。

ゆるやかに、部屋に吹き渡る風。

とても優雅な世界で、いつまでもこの屋敷にいたい、住みたいと願った。

天蓋ベッドの部屋から出た。

薄くて緑の絹の着物を着る私は、食堂を探した。

板張りの廊下を歩く。

まっすぐ進み、角を曲がり、またまっすぐ行く。

突き当たりに左右の廊下があり、右に行く。

あちこちに部屋があり、どこを曲がったのか、よく分からない。

それにしても、お腹が空いた。

お腹が空いたのに、だれも呼びに来ない。まさか、寝室で食事のわけもないだろう。

私は貴族。

優美に振る舞うの。そうよ。でなけりゃ、梅皇貴妃じゃないもの。

グルルル、グー。また、はしたないお腹の音。

体は正直だ。生き物として、しごく当然。

食事前にこちらの世界へ来ればよかった。そんなつまらぬ後悔をした。

皇貴妃の身分に合う食事を用意してほしい。

中国らしい食事。食べられそうなメニューを頭に思い浮かべた。

薄いピンクの饅頭、フカヒレのスープ、特製ラーメン。

点心で出るケーキ。北京ダック。アワビの煮込み。

とにかく、本で見た「満漢全席」のような、贅ぜいを尽くした料理の数々。

そんな食事を期待しながら、涎よだれが出そうなのをこらえて広大な屋敷の中をほっつき歩いた。

途中、女官がお辞儀をするので、小さく頷いて会釈した。

やっと、それらしい場所に来た。

天井の高い部屋だ。ここが食堂だろう。

「ここ、食堂かしら」

 だれもいない食堂で呟いた。

「おーい、だれかおらぬか」

返事がない。

テーブルには皿数枚が重ねられているだけだ。他の食器も、箸、スプーンもない。

時間じゃないから、食べられないパターンかよ。

私は、空腹を我慢できず、隣の厨房を覗いた。

唖然とした。ここにも、だれもいない。

でも、いいものを見つけた。

饅頭が二つ、台座付きの食器に置いてある。

私がいただくわよ。

心の中で唱えるがいなや、素早く饅頭に手を伸ばした。

表面がぷりんとして、大きな饅頭だ。

手が動くより早く口が饅頭を迎えに行く。

かぶりつくように、腹を空かした熊のように、猛烈に饅頭にむしゃぶりついた。

そのあまりの旨さに、舌を噛みそうになった。

「うまい! ああ、生き返った」

あっという間に饅頭二つを平らげた。

私は小腹を満たし、恵比寿顔で食堂を後にした。

腹が膨れ、日当たりのいい縁側に腰かけた。

日本の庭園とは異なり、小学校にあったような築山つきやまがある。

築山の前方には絶壁の巨岩がそびえている。

岩の前には複雑に曲がった池がある。

池の中央には鳳凰の像があり、天を向くくちばしから水が噴き上がっている。

池の周りには、柳と牡丹の木が植えられている。

それらの景色を見ているうちに、暖かな陽射しで、こっくりこっくりしてきた。

眠気を催し、気付くと廊下で寝そべっていた。

もしかしたら、ここは冬ではなく春かもしれなかった。

どこかの部屋から、漢文を読む声がした。

それも子守歌のようだ。

いつまでも、うららかな陽射しが私の体に降り注いだ。

桃源郷にいるような心地で、私は夢の中で遊んだ。

どれほど寝ていたのか。

太陽が雲に隠れている。

まだ夕方ではなさそうだ。

だれかが私の体に毛布をかけてくれていた。

優しい御仁ごじんもいるものだ。

毛布を畳み、ふぁーっと欠伸をした。

立ち上がると、何だかお腹が張っている。

「ん? これは」

私は便意を催した。大きい方である。

困った。場所が分からない。

困って歩き回った。

どこにもそれらしき小屋がない。

焦ってきた。

焦れば焦るほど、下腹部に「重み」が増してくる。

「昔の日本でも、便所は離れにあるのと違うかしら」

臭い部屋は、母屋とは違う場所にあり、悪臭が屋敷に漂わないように配置されている。

そんな風に考え、庭の方を見た。

あっ、あの築山の向こうにあずまやが!

便意の近い私は、急ぎ足であずまやへ向かった。

母屋とあずまやの間に庭を横切る渡り廊下がある。渡り廊下を渡った。

あずまやが見えた。

そこに便器もなにもなかった。

ただ、小さなイスが置いてあるだけで、そこから築山や池を見渡せるだけだった。

むろん、ここでしても、いいのかもしれないが。

「どうしよう」

私は母屋に引き返した。

困った、困った。

ちょうどそこへ、召使が来た。

渡りに船だ。

「あの、ちょっと。私はトイレを使いたいのだが」

「は? トイレとは?」

召使は首をひねる。

「便所」

「便所とは?」

「厠かわやよ。便を排泄する場所」

「はて、よく分かりませぬ」

頭の悪い召使めが。

私は、ジェスチャーで用を足す仕草をした。

女性なので、大人の男性に対してするのがとても恥ずかしかった。

赤面したが、やらないと、排便のときが迫っている。

ようやく、通じた。

召使は手をぽんと叩いた。

召使は、「しばしお待ちを」と、私をその場に待たせた。

やがて、黒塗りの小箱を持って来た。

召使はそれを差し出した。

「なんじゃ。習字をするのではないぞ」

「ここにするのです」

「え! この箱の中に便を?」

「さようです。みんな、そうしてます」

「終わったらどうする? どうやってお尻を拭く?」

「別の女官がお尻をぼろ布できれいにします」

「じゃ、出したものは?」

「土をかけて、上から香草を散らします」

「は、はは。さようか」

私は複雑な気持ちだったが、了承するしかなかった。

現世の震災のときを思い出した。

当時、まだ中学生だった。

震災で私の地域は断水し、電気も止まった。

諸事情で避難所には行けなかった。自宅にとどまり、水が不足した。

トイレで流す水が足りず、父が使ってない植木鉢をトイレに置いた。

拭いた紙を植木鉢に入れ、上からトイレマジックリンを吹き付けなさい。父にそんな風に言われた。実際にそうした。

不衛生でも、そうやって凌しのがねばならなかった。

やがて水が出て、ちゃんと元の水洗トイレとして使えた。

発想としては、香草を散らすのもそれに近い。

「どこでやればいい?」

「人の見てない部屋ならどこでもかまいません。衝立ついたてをたててくだされば」

「わかった。あの部屋でする。衝立と女官の手配を頼む」

「わかりました」

私はその部屋で着物を脱いだ。

白い着物と黒い帯姿になったとき、女官が衝立を持ってやって来た。

「頼んだぞ」

「はい。お座りください」

若い女官は涼しい顔で微笑んだ。

人生で初だ。他人のそばで排便するなんて。

とにかく、慣れてない。

でも、恥ずかしくてもやらないと。

すかさず着物をめくって裾をたくし上げた。

腰のひもをゆるめ、腰巻きをずらした。

お尻があらわになった。

私のお尻の下に、女官の差し出した黒塗りの小箱が差し出された。

振り向いて、位置を確かめようとしたが、箱が小さくて視界に入らない。

女官は私の後ろにひざまずき、口をきっと結んでいる。

私は用を足した。

またぞろ、生き物としてやむを得ぬこと。

顔が火照った。

女官の腕が少し動いた気がした。

女官は箱に便を受け止めた。

そして、箱を後ろに引き、右手に持った布でもって、私のお尻を何度か拭った。

「もうよろしいですか」

「うむ。だいたいよいぞ」

私は心を落ち着け、貴人らしく威厳を保って答えた。

女官は、着物から土を出した。

左手でばらばらと、箱の汚物に土をかけた。

かけ終わると、今度は香草をだして、土の上からかぶせた。

最後に、黒塗りの小箱に蓋をした。

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