LOGIN鳥が額にぶつかって、気を失った私──まったく、そんな偶然が起きるものなのか?
いたって平凡で、それまでは変わったことなど何も起きなかった私。
正月に縁起がいいモノと言えば、一富士、二
あの鳥は鷹。そうではなく、もっと小さかった。
小さいけれど、鋭い加速だった。私を獲物と勘違いしたみたいに、まっしぐらに飛んできた。
うん。ぶつかる前のことをちゃんと覚えている。
私は、何もかもを失ったわけではない。
記憶がしっかりしてる。
ちゃんと命もある。体も五体満足で、手足も動くし、顔も首も、上下、左右に動く。
恐る恐る、手を額に持って行く。
ちゃんと、額はあった。
ちゃんとあるし、穴も開いてない。凸凹がないのが、本当によかった。
ぶつかった形跡は今のところなさそうだ。詳しいことは鏡を見ないと分からないが、傷はないような触り心地だ。
よかったぁ。整形外科に通わなくて済む。
でも、ちょっと待ってよ──私はここにいていいのだろうか。
知らない場所に、いきなり来てしまった。
お邪魔……ではないのなら、ま、いっか。
自身の記憶はしっかりと頭に残っている。
私は普通のマンションに暮らす、平凡な主婦で
運悪く、高い階に住んでいた。
それでなのか、大空から鳥が飛んで来た。鳥がぶつかった一瞬で、世界が変わった。
どうしてこんな場所にいるのだろうか。
どのように聞かれても、私には説明がつかない。
夢でも見ているのか。そこははっきりした色と形から成る、独立した世界だ。
たいへん、たいへん、たいへんよ。
私はまったく知らない世界にいた。
そこは王宮だった。
私は王宮の建物の中にいた。
そこは、明らかに、きれいな王宮だった。
きれい? いや、いや。もっとすごい。
きらびやかなとは行かないまでも、壁は朱塗りの壁であり、柱は太くて頑丈そう。
天井に灯りはないが、部屋の四隅に
昔の中国風の王宮であり、なんとなく何かの映画で見た風景である。
そして、現世では高級な中華料理店でしか流れないような、優雅な音色の笛と弦楽器がどこかで奏でられている。
仕切りのないこの部屋にゆったりした音色が、風に乗って運ばれる。
「女子十二楽坊の音楽だわ」
その程度の理解でも充分すぎるほどの、とても優雅な音の世界。
そんな中、私は
だれもいないのをいいことに、なんとなく背中を丸め、足をくの字に曲げてみる。
もし携帯があれば、このポーズを写真に撮りたいのだが、便利な文明の利器は私のそばにはなかった。
ルネサンスの裸婦画のモデルみたいなポーズは、自分でも恥ずかしいけど、やってみたかった。
便利なものは近くにない。
けれど、なんとなくいい気分だ。
だれも、ここから出て行けと言ってこない。言わないから、こうしてゆっくりできる。
なんて、いい身分なのだろう。ジャングルや海中でなくて、本当によかった。
人間のままでよかった。
浦島太郎の最後のように年を取った老人でなくてよかったし、はたまた、別の物語のように赤ん坊や子どもに戻らなくてよかった。犬や猫、ネズミやヘビ、昆虫でなくてよかった。
とりあえず、自身の性格や動作に関して、あれやこれやと悩まなくていいのは楽であり、助かった。
それにつけても、服はユニクロのパーカーではない。薄くて緑の絹の着物。じつに高級で上等品だ。
「え? 私、裕福な貴族かしら?」
自分の羽織る着物の袖をつまみ、改めて呟いた。
しばらくこうして、悦に入った。
元の世界では、買い物をして料理を作った。
食器を洗い、ゴミ箱にゴミを捨てる。
汚れた服を洗い、洗濯物を干す。
掃除をしてきれいにし、疲れて休むと、また同じ食事の時間。
そんな日々が続き、多忙と疲労に忙殺されてきた。
自分が楽しむ時間は限られ、やりたいことが一部しかできない。
そして、どういうわけか別の世界に来ている。
ここでは、うまく行けば自由を手に入れられそうだ。
私の時間。私の自由。自分ひとりの、だれにも邪魔されない時間。
ああ、のびのびする。
空気がおいしい。
「憧れが現実になるって、なんていいものなんだろう」
私の呟きに対して、答えをくれる声がした。
男の声だ。
そんなに大きくない声。高い声。
「そうさ。君は優雅な貴族さ。王宮に住まう貴婦人だね」
声を発したのは、皇太子のかぶるような黄色の帽子をかぶる子どもだった。
なんだ、子どもか。
まだガキなのに、大人の言葉を使っている。
あと、ちょっと生意気に見えた。
「あなた、だれ?」
「僕は、皇帝の息子さ。
彼はそう名乗った。王子は黄色い服を身に着け、こちらを見て笑っている。まだ無邪気な子どものくせに。
王宮に時計はない。
その代わり、私のお腹がグーと鳴り、静寂な部屋に響き渡った。
は、は、恥ずかしい。
私は赤面した。天蓋ベッドで寝そべって王子に尻を向けて。
王子は笑った。
「もうお腹が空いたのか? 呆れたな」
王子は私の方を指さし、おかしそうに体を揺らしている。
「いま、いつなの?」
「いまは昼過ぎさ。それ以上のことは、僕に聞いてもムダさ」
「私の名、知ってる?」
「だいぶ、冗談がキツいね。寝ぼけてるの? 今日のバイヒは、ずいぶんととぼけたことを言うなぁ」
「バイヒ? もしかして」
「家来が言うには、梅の妃らしいけどね。妃ってなんなのか、知らないよ」
梅の妃。それで、梅妃、か。この世界では、梅本香里ではなく、
と、そこへ、「失礼します」の声。
今度は、大人の男の声だ。
王子は後ろに手を組み、向こうへ歩き去った。
「なんじゃ」
位の高そうな女の台詞。初めて使ってみた。少し面映いけれど、ちょっと偉そうに装って。
「梅皇貴妃におかれましては、詩歌はいかがなされましたか」
「へ? 詩歌とはなんぞや」
「詩歌と言えば、昔の漢詩にございます。皇貴妃は午後から、
「あ、ああ、そうね。予定を変えたのよ」
本当に適当な、それでいて、女だから気も変わるように言いくるめてみた。
「それでは、他の妃にもそのように申しておきましょうか」
「そうしてくれるか。悪いのう」
「では、失礼いたします」
男は召使だろう。一礼して出て行った。両手を反対の袖に通し、下げた頭と同じ高さにするところが、中国っぽい。
難しいことは避けて通りたい。梅皇貴妃か。ずいぶんと位が高そうだ。
私が梅皇貴妃に乗り移ったのか? 乗り移る前までは、漢詩を詠める教養があったらしい。どうせなら、今の私にもその素養があれば助かるのに。
ここが正真正銘の昔の中国と仮定するとして、漢字ばかりの国にやって来て書物を読め、なんていうのはただの苦行でしかない。
それはそうとして、皇后でなく、妃でもないのか。
楊貴妃という美女は知っている。楊貴妃よりも偉いのかしら? 同じくらいか?
いろいろ知りたくて、でもすべてを知りたいとは思わない。
少しずつ、他のだれかに教えてもらえればいい。
できれば、素敵なパートナーが現れて……。
そもそも、ここにいつまでいられるか、分かったもんじゃない。
また、鳥がぶつかったら、おじゃんになりそうで、恐い。
勝手な妄想が、ゆるやかな弦の調べに乗って、私の頭の中で踊りを舞っている。
黒い八分音符が隣の音符と手を組み、楽しそうに踊っている。
皇貴妃は、中国の明および清の時代に存在した、皇帝の后妃(妻や側室)における最高位の称号のこと。側室のトップであり、皇后 > 皇貴妃 > 貴妃 > 妃 > 嬪 の順に偉い。事実上の「副皇后」とも言える。 楊貴妃は「楊」+「貴妃」であり、この文章の梅皇貴妃は、「梅」+「皇貴妃」なので、楊貴妃よりも上の位である。
気づくと私は伸びていた。そこはベランダの手前。床に仰向けになり、白い天井が見えた。床の先の掃き出し窓は開いていて、冷たい風が入り込む。風は乾いてとても冷たい。起き上がって、窓を閉めた。「こ、これって……」そこは前前世の私の家。梅本香里の住む家だった。その当時の記憶が今、つながった。前の晩、夫の浮気が原因で夫とケンカをした。翌朝、互いに無視したままで朝の支度をした。夫がUSBメモリを忘れ、そこでもひと悶着。嫌な夫が出社し、やれやれとラジオをかけ、紅茶を飲んでほっこりした。「そうよ。ラジオと洗濯物」ラジオの音がようやく耳に入った。「今朝、こんなニュースが飛び込んできましたね。一月八日の午前七時半。ついさっきです。都内のビル工事現場で強風が吹きました。強風によって看板が落ち、下を通る歩行者の体に当たりました。リスナーの皆さん、くれぐれも風の強い日は気を付けてくださいね。歩行者はケガをしましたが、警察によると軽傷とのことです。では、ここで音楽のリクエストをかけましょう──」そうよ。このDJの声。このラジオを聴きながらベランダに出た。洗濯物を干そうとして、鳥が額にぶつかった。今、たしかに元の体に戻っている。梅妃や女官ヒナとして生きた記憶も残っている。そして、始まりと終わりのきっかけを作ったのは鳥。鳥が額にぶつかって気絶した経緯もはっきりと覚えている。「どうして、気絶して昔の中国王朝なんかでロマンスを経験したのかしら?」ひとり呟いても、だれにも時空の旅を説明できる人はいないだろう。あちらの経験は膨大な量の事件や思い出に基づいていた。それは心に深く根を張っていた。「ま、いいわ。危ない目に遭ったけど、ちょっと得した気分ね」異世界に転移と転生したのは事実であり、その事実は夫には緒にしておこう。私はほくそ笑んだ。床に落ちている洗濯物を拾い上げ、物干しざおに丁寧にかけた。干しながら、しみじみとあの思い出や出会った人物たちを思い返した。あんな経験、お金を払っても、そうそうできやしない。中世あたりの中国王宮。その第二夫人に転移して、豪奢な暮らしを堪能した。皇帝に抱かれ、純粋なロマンスにうっとりした。悪い召使の計略にはまり、罪を犯した。そして、地下牢に投獄された。救出され、召使のクーデターは失敗。悪い奴らは死んだ。生活
女官ヒナとして、まだ生きていける。私は安堵した。幻の芙楽の助けで、女官として生かされた。その先、芙楽が私の前に現れる機会はなかった。前世で彼を裏切った形なのに、死んだ彼は私を咎めなかった。不思議なもので、「私を平気で裏切ったあなたには、最高の罰で償ってもらいますから」という呪縛の言葉も、二度と頭に浮かばなかった。引き続いて王宮の仕事を続けた。李妃の部屋で着替えを手伝っていたとき、李妃からこんな風に言われた。「ヒナ。いくつになったの?」「私ですか? 十八です」「そう。今が女としていちばんいい頃ね。魅力的よ」「ありがとうございます」「その着物、ヒナに上げるわ」「え?この緑の着物でございますか」「そうよ。それ、もう飽きてしまったわ」「本当によいのですか」「いいわよ。私からの贈り物よ。明日暇を上げるから、町にそれを着て行くといいわ」「承知しました。ありがとうございます」私は李皇貴妃の着替えを手伝いながら、心の中はうれしさで一杯だった。李妃からいただいた緑の着物を大事に畳んで小脇に抱え、仕事の合間に配房で袖を通してみた。青銅鏡を立てかけた。鏡の向こうに映る、着物を着たもう一人の私。とてもきれいだった。すごいわ。これが私のなのね。みすぼらしい普段の着物とは全然話にならない。まるで格が違う。豪華でいて上品な女性に見せてくれる着物。うれしくて涙ぐんだ。親に見せてあげたい。一生ものの衣装だ。「これを着て、明日町を歩くのね。うれしいわ。天に舞い上がりそう」有頂天になり、その場で軽く飛び跳ねた。着物を大事に畳んで配房のタンスの抽斗に丁寧にしまった。とてもうれしくて、気分のいい状態は長く続いた。頼んでおいた自分の洗濯物を取りに、ある部屋へ向かった。その部屋に着いた。部屋で自分の着物を受け取った。部屋を出た。洗濯物を手にして配房に帰る途中だった。廊下を歩いていた。向こうの角に皇帝がいた。年老いた皇帝は背中を丸め、何かを眺めている。庭に舞い降りたのは、先日の鳥だ。「皇帝は長らくペットとして、隼という名の鳥を飼われている。そんな風に聞いていたわ。じゃあ、あの鳥が隼なのね」皇帝は隼を腕に止まらせ、パッと腕を上げた。空に舞い上がった隼は空を一直線に切り裂き、あっという間に高みへ上昇して見えなくなった。私はな
意識がブラックアウトした。少したった。周囲が明るくなり、気が付いた。「あれ?私、生きてるわ」気づいて、生存を認識した。つまり意識が私の体に戻っていた。「こんなことって、あるのかしら?ちょっと信じられないわ」芙楽に刺されたからこそ、意識が肉体から飛び出したのではなかったか?そこに芙楽も、天馬も、槍もなかった。すべてが消えていた。あの走馬灯の主役たちは、何だったのだろう。私は屋敷の廊下に倒れていた。まだ起き上がれないが、体はわずかに動く。呼吸もできる。手で顔や体を触ってみた。顔。体。健康そのもので傷一つない。結果的に、私は命拾いをした。代わりに、私を殺そうとした郭貴妃が倒れていた。うつ伏せの状態で倒れていた。彼女の背中には大きな傷があった。その傷から、大量の血が流れていた。一方の竜光皇子は口から血を吐き、ゆっくりと膝をついた。目を見開いていた。郭貴妃に折り重なるようにして、竜光皇子も倒れた。私は殺されると思っていたけれど、私の代わりに二人の悪い親子が絶命した。もしや──。幻である透明な芙楽は私を刺さずに貫通し、向きを変えて郭貴妃と竜光皇子を槍で突き刺し、あの世へ送ったのか。そうかもしれない。そうとしか言いようがない。私は凶器を持ってない。私が二人を殺したわけでないのは明白だ。二人は「私の守護神」に殺されたのだ。そんな風に自分を納得させた。「芙楽様。ヒナを守ってくれて、本当
殺された。だれも助けてくれなかった。そう思った。しかし、そんな風に思うのはまだ早かった。寸前で助かった。死ぬと思った刹那に、走馬灯が見えた。走馬灯は死ぬ間際で見るもの。その走馬灯の世界で、空から何かがこちらに向かって来る。鳥、か。いや、もっと大きい。馬?空から来たのは、天馬だ。天馬に乗った人。その人は、芙楽王だった。「芙楽様」女官ヒナとして、なぜ彼の名前を、姿を知っているのだろう。我ながら不思議だ。ちゃんとした理由などない。ただ、なんとなく、前世に深い縁があった、と頭で分かった。芙楽は透明な体で馬に乗っていた。クラゲのように透き通り、輪郭だけがはっきりしていた。馬にはペガサスのように大きな翼が生えていた。そんな風な天馬だ。天馬に乗って駆けてきて、芙楽は手に槍を持っている。芙楽の乗った天馬は、地上に舞い降りた。芙楽は馬上で槍を構え、私に向かって叫んだ。「私を平気で裏切ったあなたには、最高の罰で償ってもらいますから」その台詞も聞き覚えがあった。台詞が頭の中でガーンと響いた。女官ヒナとしての記憶に前世の梅妃の記憶がかぶさる。もう何が何だか分からない。でも、思った。もはや、最高の罰を受ける運命から逃れられない、と。私は芙楽を平気で裏切ったんだわ。あの戦いで、芙楽は賀の王宮に突入した。芙楽は吊り天井の罠にはまった。天井に付いた杭により、八つ裂きになって死んだ。梅妃としての私には、どうしようもなかった。その後で、馬奈を見捨てて賀に寝返った。それが死んだ芙楽にとって無念であり、「平気で裏切った」ことになるのね──。その台詞を聞き終わるや、槍の刃先が私の心臓めがけて刺そうとする。槍が心臓を突き刺した。郭貴妃の短刀はどこへ行ったのか。短刀は視界から消えた。郭貴妃の姿も見えない。短刀が体に入るよりもかなり前に、芙楽の持つ長い槍が私の体を貫いた。ああ、これでいいのね。平気で裏切った私。そんな女にふさわしい、最高の罰。女官ヒナとして、だれかを愛したことはなかった。しかし、女同士で醜いケンカをし、相手を殴りつけた。竜光皇子にも暴力をふるった。私は女官として、イケナイ女だ。この槍の一突きをもって、この世から消える。短い生涯を終えるのね。私の父。私の母。ごめんなさい。親不孝な娘で、
熱が下がり、どうにか女官の仕事に戻った。一般女官との対決に勝ち、私に敵意をむき出しにする女官はいなくなった。「ヒナ。李妃様がお呼びだ。鷺の間へ行け」私の部屋に召使が来て、そう声をかけた。午前中に詩吟の予定が入っていた。詩吟に出る李妃様を鷺の間へ案内したのは、二時間ほど前だった。「何かあったのかしら」私は首をひねった。詩吟の会はいつも二時間では終わらない。たいていお昼頃までかかるのは通例である。んだ。李妃の用事だと信じ、急ぎ足で廊下を歩いた。前から竜光皇子が一人で歩いて来た。私は頭を下げ、廊下の脇にどいた。竜光皇子は私の前を通り過ぎた。私は皇子の来た方向へ歩こうとした。まさにそのときだった。通り過ぎたはずの竜光皇子が引き返し、急に私の背後に回った。えっ!?私は狼狽した。この前、夜の庭でこの皇子は私を羽交い絞めにしたばかり──。あり得ぬことだが、その再現が行われた。竜光皇子は、またもや男の強い力でねじ伏せ、私を羽交い絞めにした。「やめてください!大声を出して、人を呼びますよ!」「フフフ。やれるものなら、やってみよ」彼は小声でうそぶいた。そして、不敵に笑った。そこへ、タタタタタと足音が聞こえた。廊下の前方からだれかが走り寄って来る。何と!相手は年を取った郭貴妃である。目を吊り上げ、こちらを睨んでいる。その手に短刀を握り締めている。両手を短刀に添え、胸の下で固定している。初老の郭貴妃は、廊下で羽交い絞めに遭っている私をめがけ、まっしぐらに走り寄る。「や、やめてー!」叫び声がかすれた。「ヒナ。いえ、梅妃の生まれ変わりめ。いざ、覚悟!」郭貴妃はたしかにそう叫んだ。郭貴妃が至近距離に近づき、目の前に短刀がキラリと光った瞬間だった。前世の記憶がワーッと見えない波になって押し寄せた。三皇子が乱立した経緯。王宮の人間関係が分断され、三つの勢力に分かれたこと、趙士良の仇討ちに遭い、前世の私が斬り殺されたこと。郭貴妃と対立し、恨みを持たれたこと。さまざまな因縁があった。だからこそ、郭貴妃親子は私を殺そうとしている。彼らは、私が因縁の梅妃の生まれ変わりだと見抜いていたのだ。まんまと郭貴妃親子の計略に引っかかった。また死ぬのか。諦めた。諦めて、目をつぶった。悲しくて、目に涙がたまった。い
女官がすっと腕を出した。反射的によけた。ふっと背後に人気を感じた。その気配は本物だった。私を後ろからがっちりと羽交い締めにした。前にいる女官と後ろの人間。二人だ。挟み撃ちに遭った。前の女官は紐のようなものを手にしていた。洗濯、あるいは裁縫の女官か。両手で紐を強くひき、水平にピンと張った紐が目の前にある。背筋がゾクゾクし、額に汗がにじんだ。女官は、いきなり私の首に紐を押し付けた。喉を圧迫され、私は喘いだ。ウッ、グ、グ。息が苦しい。女官の手をなんとか払おうとした。女官はなおも、ピンと張った紐を引いて、グイグイと喉を締め付ける。本当に苦しい。紐をどけようとするも、羽交い絞めで手が使えない。目をつぶった。これが女官のすることか。怒りがこみ上げた。タイマンなら負けないのに。涙が滲んだ。後ろで動きを封じられ、反撃できない。それでも、やってやる。怒りと悔しさが体を動かした。私は前で勢いをつけ、その反動を利用して、片足を思い切り後ろに振り上げた。「痛っ!」後ろの人間が呻いた。上手くいった。うまい具合に、足が相手の股間に入った。相手は怯んだ。私は手をほどいた。自由になった手で、羽交い絞めにした人間の頭をしこたま殴った。満月がその人の顔をうっすらと照らした。竜光皇子──。直感で分かった。王宮に来て、四人の皇子の顔は知っていた。獅雷皇子が次期皇帝の最有力候補であり、残りの三人が後塵を拝しているのを知っていた。なぜ竜光皇子が私にひどい仕打ちをするのか。そのときは全く見当がつかなかった。月光に照らされた竜光皇子の顔は醜く歪んだ。細い目が見開かれた。目つきはおぞましかった。よほど私に恨みを持っていたのだろう。皇子は股間を押さえ、悶絶していた。驚いて攻撃の手が止まった女官は、紐を捨てて私を殴りつけた。私も殴った。女同士の意地のぶつかり合いだ。お互いに数発殴り合った。しつこい女官に対し、私は相手の髪の毛を掴んで思い切り引っ張った。女官は頭髪を押さえ、悲痛な声を出した。「やめて、やめて」うろたえる女官。髪を引っ張る私。女官の訴えにかまわず、髪を掴んで引きずり回した。とどめとばかり、狙いをつけて女官の腹にパンチを見舞った。憎しみのこもったパンチは確実に女官を痛めた。三発目のパンチが女官の急所に
「皇帝陛下、皇帝陛下。いずこに?」私は廊下を歩き、皇帝を捜していた。「皇帝陛下。梅皇貴妃が隼の餌を持ってきましたよ」しーんとしている。廊下をすたすたと歩く音と私の呼び声。それだけが響く。中国の王宮は静寂を好むのか。騒がしさとは無縁のようだ。「だれかおらぬか? 皇貴妃じゃ。梅妃が皇帝を捜しておる」中国の王宮で暮らす私の身分は皇貴妃。現世の主婦から貴族へと華麗に転身、異世界転移して第二夫人の体になった。姿は現生の私とほぼ変わらない。現世に夫を残して未練はないが、皇帝の愛がほしい。夫似の召使にそそのかされた。皇帝の寵愛を得たいなら、皇帝が愛玩する隼の喜ぶニワトリを園庭に放ちな
中国の王宮で暮らし、しばらくたった。 梅皇貴妃と呼ばれる私は、第二夫人として、宮中でそれらしく振る舞った。 その身分を受け入れ、貴婦人らしく振る舞いさえすれば、何不自由のない豪奢な生活を送れた。 現世ではただの主婦だったから、気持ちのいいことこの上ない。 本来はその世界の住人でなく、中国だの、宮中だの、何も知らない。 知らなくても、ここの人は皇貴妃だと言い、すり替わったことを疑わない。 元のままだと信じる人がいるなら、演じるだけだ。 お陰で中国の王宮生活にも慣れ、かなりいい気になっていた。 私は貴婦人である。皇貴妃という身分は、皇帝の愛を受け入れる二番目の夫人らし
どういうわけだか、中国の王宮のような場所で暮らすようになった私。しかも、都合のよいことに、皇貴妃という身分でいられる。とても嬉しい。中国の王宮の生活にもかなり慣れてきた。私は貴婦人である。相手として対象になる男性がいるなら、それは皇帝だろう。皇帝とは寝所で二人きりの時間を過ごした。とても感慨深い、特別な時間だった。皇后とは風呂でご一緒した。さすがに皇后だけあって気品にあふれ、息を呑むほどに美しかった。私もそうありたいものだと思った。何かしたければ、お付きの召使か女官を呼べばいい。どんなささいなことでもしてくれる人たちだ。彼らを使うことに抵抗がなくなった。それだけ、信頼を置いてい
どういうわけだか、中国の王宮のような場所で暮らすようになった私。しかも、都合よいことに、皇貴妃という身分にあるのだから、とても嬉しい。私は貴婦人である。相手として対象になる人がいるなら、それは皇帝をおいて他にいないだろう。何かしたければ、お付きの召使か女官を呼べばいい。実際、女官に服の着替えや、ベッドメイクをしてもらった。恥ずかしかったが、トイレを頼んだときもあった。彼らを使うのにも、すっかり慣れた。二十畳ほどの広い部屋に一人ぽつんといると、ちょっと寂しい。体に少しむずがゆさを感じ、入浴したくなった。召使を呼んだ。「風呂に入りたいのじゃ」「はい。準備して参ります。しばし







