「そしてわたしはマハー・カーラ、マハー・カーリから生み出されたマハー一族の神だ」
マハー・カミラを名乗った赤い美女は杖を鶴葉下さんに突きつけました。
杖の先では蛇が大きく口を開き、舌をペロペロさせ鶴葉下さんを見つめているのです。
「マハー・カミラは、お前が呼んだから来ただけだ。 マハー・カーラを呼ぶには最低でも三年の修業が
必要だ。お前などの求めに一族の長、マハー・カーラがわざわざお出ましになると思うか? 愚か者
め!」
マハー・カミラの叫びの下。
大きく杖が振り下ろされました。
鶴葉下さんが頭を押さえました。
そのまま悲鳴と共に倒れたのです。
指の間から血がしたたり落ちます。
杖の先の蛇の口からも、血がしたたり落ちています。
蛇は笑っているようでした。
「だが呼ばれた以上、このマハー・カミラが希望も未来もないお前の願いをかなえてやろう。 見るがよ
い」
マハー・カミラが杖を旋回させました。
鶴葉下さんはハツキリ見たのです。
宙に浮く一冊の分厚い古びた本を……。
『孔雀王経《くじゃくおうきょう》』
中国の唐の時代に書かれた仏教に関する書物でした。
頁がひとりでにめくれ、ある頁で静止しました。
<即ちマハー・カーラに願いを託すには、膨大な量の血肉を必要とする。
それを避けるには修行により、ダラニ呪文を会得せねばならぬ。
ダラニ呪文の会得には最低でも三年間の修行を必要とする。更にマハー・カーラより加護を受けるに
は、なお数年の年月を必要とする
常人がマハー・カーラに願いを託しても、その血肉のみ奪われ屍と果てる>
頁がめくれ、それより後の頁を示します。
<マハー・カミラはマハー・カーラの一族の女性。マハー・カーラの闇に対して赤を基調となす。常人
の願いをよく聞き届け、血肉の代償を求めず>
『孔雀王経』はゆっくりと閉じられ、鶴葉下さんの前から消え去りました。
「わたしは伯父様と違い、ずいぶんと物分かりのよい神だ。 直ちにお前の願いをかなえてやろう」
僕はいつの間にか、赤に囲まれた部屋にいた。 どす黒い血の色の赤。 赤の天井、壁、床。 そして赤を背景に無数の顔に囲まれていた。 部屋中に色々な人の顔が並んでいる。どの顔も笑っていなかった。恐怖と苦痛の表情だった。 部屋中、絶望と悲痛な叫びが響き渡った。 なんて恐ろしい光景だろう。 僕はといえば、手足を縛られ壁にもたれて座っていた。 僕の足元に長い髪の女の子の顔があった。年齢は僕ぐらいだろうか。 顔を歪めた泣き顔。大きく開けた口からは悲鳴が聞こえてきた。「助けて! お母さん。もう一度会いたい」 その隣には、若い女の人の顔。 目を白目にして口から舌を出していた。「ギエーーーッ、ウェーーーーーッ。祟りじゃあ」 横を向けば……。 壁には苦痛の表情の男の人たちの顔。 天井を見上げる。 まだ小学生くらいの子どもたちの泣き顔が、天井いっぱい並んでいる。 殴られたのか、目や頬が腫れあがった顔もあった。 鼻が潰れた子が悲しそうな顔で、僕を見下ろしてくる。「怖いよ、暗いよ」「だれか助けに来て。いい子にします」 髪の毛の少なくなったしわくちゃのおじいさんの顏が虚ろな目で叫ぶ。「やめてけれ、やめてけれ。おおーっ、助けて」 そして僕の目の前には……。 赤の女性が仁王立ちしていた。 ミニブーツを履いた足下の床。 床には赤ん坊が目を潤ませた顔が浮かび上がっていた。 横には女性の悲しそうな顔があった。 ふたりは母子なんだろうか。 赤の女性は足元に浮かび上がった顔を、ブーツを履いた足で強くこすった。 赤ん坊の泣き声。母親の叫び。 赤の女性がブーツでふたりの顔を蹴る。「ギャーーーーーーーッ」「やめてください」 赤の女性が残忍に笑った。「死ね」 ブーツが床を踏みつける。 うめき声が聞こえて静かになった。 赤ちゃんと母親の顔が浮かび上がっていた床には、赤い肉がところどころ残った頭蓋骨が浮かんでいた。「半世紀前。この塔はわたし、マハー・カミラのものとなった。この者たちはそのときに、永遠の奴隷となった」 マハー・カミラさんという女性がおごそかな口調で言った。「それから五十年。太陽が沈んでから赤の森に近づく者は、わたしの生贄として、この塔の中で死んだ」 マハー・カミラさんが僕の顔をのぞきこんだ。 「この部屋でな」 僕
空一面が赤くなった。 ちっとも美しくなんかない。どす黒い赤色。 赤い血が、だんだん僕に近づいてくるように見えた。 僕のすぐ目の前で血は渦を巻き、あっという間に夜に変わった。 空は普通の黒色なんかじゃない。 黒い色の中に、かすかに赤色が混ざっている。そんな不気味な恐ろしい色。 空にきらめく星までが、どんよりした赤色に光っている。 こんな空を見たのは初めてだった。 逃げたくてもロープで固く木に縛りつけられているので動けない。 遠くでかすかに声が聞こえた。「捕まった。助けてください! わたしは静かに暮らしたいだけです。どうか、『鶴葉下照光の生活と意見』を書かせてください。わたしのライフワークなんです。ギャッ」 男の人の泣き叫ぶ声。 「助けてくれ!だれか来てくれ!」「イヤだ!死にたくない!」 男の人の悲鳴。 そして……。「お母さん!助けて!」「お父さん!こわいよーー」 女性の声。僕と同じくらいの年齢だろうか?「金太! まだ警察は来ないのか? 金太! 守ってくれ、みんなのことを。頼む!ウワーッ」 空いっぱいに絶望の叫び。 ずっとずっと長く続いた。 そして空いっぱいにギザギザの裂け目が広がった。 目の前を赤い光が一瞬で通り過ぎた。 光の中から、だれかが出てきた。 二メートル近くの長身。 全身は血のような赤色。 赤い髪は肩までのセミロング。 赤い髪を額に垂らしてる。 大きな目と大きな口。 冷たく残忍そうな顔。 だけどとっても美しい。 胸元から下の赤いドレス。 スカートの裾は超ミニ。 スラリとした美しい赤の脚。 赤色のクルーソックスに赤のミニブーツ。 右手には赤い杖。 僕に杖の先を突きつける。 杖の先がハッキリ見えた。 大きく口を開け、舌を出して笑ってる赤い蛇の頭。「十二年ぶりの獲物だ」 赤の女性が僕を見て言った。 「わたしの名はマハー・カミラ」 それから顔いっぱいの大きな笑み。「少年。お前は死ぬのだ」
バスを降りたら、そのまま九人に囲まれた。 宇野に両手を後ろにねじあげられた。手首にロープが巻きつけられる。「あっ、やめてよ」 あわてて声を出したけど知らん顔。手首を後ろ手に固く縛られ、余ったロープで上半身を縛られた。「このヤロー」 鈴木に頭をこづかれた。それが合図のように、全員に足を蹴られたり、胸を殴られたりした。何度も頭をこづかれた。鈴木たちの笑い声が空に消えていく。「痛いよ。やめて」 僕、何度も叫んだけど無視された。「こいつは三神とつるんでで嘘言ってる犯人だ」「逮捕!逮捕!」「死刑」 体中が痛い。そのまま、先頭を歩かされた。「まっすぐ行ったら赤の森だよ」 僕、恐る恐る声をかけた。「まだ日が沈んでねえ。オレたちは引き返すから平気だ」「お前だけ、ずっと森に残るんだ」 九人の男女が僕のこと見てニヤニヤ笑った。 「やめてよ。そんなの!」 僕だって、赤の森の伝説は知っている。 五十年前に地殻変動かなにかで、突然、なにもなかった空地に赤の森が出現した。 それまであった白い塔が赤く変わったけど、原因はよく分かってないって聞いた。 そのとき、空地にいた大勢の人が亡くなったって話。 いまでは真っ赤になった塔のことを、玉山市では『幽霊塔』って呼んでいる。「みんな知ってるだろう」 鈴木が笑いながら言う。「霊能力者が森を見て言ったらしい。『赤の女神と呼ばれる怖ろしい神がこの地を占拠した。太陽が沈んだ後、この森に近づく者は必ず赤の女神の生贄になる。赤い服を着た者が森に近づくと、すぐ幽霊塔に送られる』」 鈴木の言葉を受けて松下が言う。「うん。聞いた!だから殺したい相手を森まで連れてきて動けないように縛り付けておけば、夜になれば赤の女神が幽霊塔に運んで生命を奪うんだ。赤い服を着せておけば、間違いなく赤の女神がすぐ来る。完全犯罪だっ」 この森には五十年前の惨劇の後も、怖ろしいことが続いているみたい。 僕らの目の前に赤い森が現れた。 五十メートル以上ある針葉樹の大木がギッシリと並んでいる。 木の幹も枝も葉も、血のようにどす黒い赤色だった。 そして木の幹には、ところどころ、もっとどす黒い赤色や生々しいピンク色、薄く澄んだ赤色が、星型や大きな楕円形、小さな楕円形など様々な形で点在していた。 この木の幹のまだらな色あいを
教室の中で思いっきり蹴られて床に転がった。 僕の前に鈴木、宇野、松下が立ちはだかってる。 クラスメイトたちは、なにも見てない。聞こえていない。自分たちの話に夢中。 朝のホームルーム前の教室。「卑怯なマネしやがって」 長身の鈴木が僕のこと、見下ろす。イケメンって言われるのも無理ない。成績もトップだし、スポーツ万能。 僕は成績、クラス二位だけど、スポーツはぜんぜん✖。筆記試験でカバーしてる。 鈴木ってイケメンだからもてもて。僕とかクラスの弱い子いじめてたって、人気は変わらない。「殺すぞ!」「バカヤロー」 クマのような顔の大男の宇野、カマキリみたいな顔の松下が、ふたりで僕に向かって大声。 僕って床に倒れたまま、 鈴木に靴で何度も蹴られた。 楽しそうなクラスメイトの話し声が遠くで聞こえる。「タカ君。もうやめよう」「こんなヤツ。これ以上、痛めつけたってしょうがないよ」 鈴木が僕から離れる。 僕、黙って立ち上がる。 顔面を思いっきり殴られた。鼻血が流れる。「お前の幼馴染に言いつけろよ。お前が喧嘩売ってきたって説明するだけだ。クラスのみんなだって、そう言ってくれるからな。ザマ見ろ」 スクールバッグを取り上げられた。何度も床に叩きつけられ、それで朝は解放された。 昼間、またパンを買いに行かされた。 でもそれで終わりじゃなかったんだ。 授業が終わって教室を出ようってすると、鈴木に呼び止められた。 宇野、松下、それに鈴木のファンの女子たち六人。「一緒に帰るぞ」「ぼく、用事があるから」「オレらと関係ねぇだろう」「死ね!」 鈴木が残忍な目を僕に向ける。「どうしても寄らなきゃならないから」「どうする?」 鈴木が女子を振り返る。「上杉!あんた、あたしのこと盗撮しただろう」 木下さんが大声を出す。「あたし、胸触られた!」 今度は今井さん。「どうする? 六人とも職員室に行くぞ。被害者は今井と木下。女子四人が目撃者だ」「僕、なにも」 涙声になってた。 早くハーモニカの先生のとこ行かなきゃならないのに、どうしたらいいんだろう?「テメーに決定権ねえんだ。来い!」 どうしようもなかった。だけどハーモニカを見てくれる先生に連絡を……。「こいつのスマホ取り上げろ。三神に連絡されたらまずいすらな」 財布まで取られた。
今日、やっぱり学校行けない。だけど早めに家に来てくれる? 春奈> 月曜の朝。 春奈ちゃんからのline。 二階建ての白塗りの家には「三神」と書かれた表札。 ドアチャイムを押すと、春奈ちゃんのお母さんが出てきた。 「ごめんね。悠ちゃん。ずいぶん熱下がったけど、もう一日様子見る。入って!」 お母さんのすまなそうな顔。 「おじゃまします」 挨拶して家に上がった。 「市の広報に載ってたね。 <病院や施設でハーモニカ演奏会! 当麻高校一年特進クラス・上杉悠馬《うえすぎゆうま》君> 素晴らしいわ」 僕、恥ずかしく下向いた。 「病院に入院してる子に勉強のお手伝いする学習ボランティアで、この前はラジオに出てたし、春奈って本当にいいお友だち持った! お母さんも自慢しちゃうから……」 お母さんがはしゃぐ度、僕、恥ずかしさで顔が熱くなる。 「三神さんのお父さんが僕のこと宣伝してくれたからです。僕なんて……」 「いくら都議会議員が言ったからって、簡単に市の広報とかマスコミが動くわけないでしょう。もっと胸張って! 悠馬君って立派なことしてるんだから」 お母さんに肩叩かれ、春奈ちゃんの部屋に入る。 春奈ちゃんが、ベッドから起き上った。 長い髪にキラキラした優しい目。ふんわり盛り上がった胸を見る度、甘酸っぱい気分。 クラスの人気ナンバー1。 だけど今朝は制服の代わりに赤いパジャマ。 「おはよう。大丈夫?」 返事の代わりに笑顔が返ってきた。僕はベッドに近づく。 「悠ちゃんの手を握りたいけど風邪移したらいけないよね」 春奈ちゃんが優しく言ってくれる。 僕、そっと春奈ちゃんの手に触れた。 「今日は学校休みなさい」 僕のことを、しっかり見つめてくる。 「一緒に遊びに行って風邪引いたことにしよう」 いつもならそうする。でも今日はやっぱり……。 「鈴木のグループ、停学になったことでわたしや悠ちゃんのこと恨んでる。わたし平気。だけど、悠ちゃんだけならきっとひどいことされる。鈴木の父親、PTAの会長だし、学校にたくさん寄付をしてるから、いくら先生に言いつけたって平気!」 僕は下向いた。 鈴木貴也。 父親は大手百貨店、月歩チェーンの会長。イケメンだけど僕のこと、取り巻きの宇野や松下なんか使っていやがらせをしてくる。
一宮金太《いちのみやきんた》さんは、この日の夕方見聞きしたことを、半世紀経った今も覚えていました。 当時、金太さんは小学三年生でした。 父親の紀夫さんは当麻町の消防団副団長でした。 金太さんは、紀夫さんの運転する消防団の乗用車に乗せられ、塔の回りの空地に到着したのです。 当麻町消防団と白く書かれた赤い車。 紀夫さんが車を降ります。金太さんは眩しげに紀夫さんを見上げました。 責任感に満ちた頼もしい紀夫さんは、金太さんの誇りでした。 「困ったものだ。弱い者いじめをして日頃のイヤなことを忘れようとする。一番悲しいことだ。日本人は美しい陶器や織物をつくるのに、こんな残酷なことをする一面がある。お父さんはなんとかやめさせたいと思っているが、消防団では、自分たちの活動とは関係ないというんだ」 車は塔から二百メートルほど離れていました。 「お父さんはこれでも勘が鋭い方でね。なにか大変なことが起きるような気がしてならない。ただの思いすごしであって欲しい。だがね。もしなにか起きたら、車に設置してある無線で警察に連絡してくれ。無線の使い方は知ってるね」 そう言い残して紀夫さんは、塔に向かってゆっくりと歩いていきました。 金太さんは、紀夫さんの背中をずっと見送っていました。 紀夫さんの姿が、塔の回りの群衆の中に消えたときです。 ゴーーーッ 地面が巨大な叫びをあげたのです。 突然、大きく揺れ始めました。 悲鳴が空地いっぱいに響き渡ったのです。 塔の前で人々が逃げまどっています。「地震だ! 助けて!」 塔の回りの空地。 あちこちが、山のように盛り上がりました。 見る間に地面が裂け、杉の木や松の木が生えてきました。 目にも止まらない速さ! そのまま空高く伸びていき、最後には五十メートル以上の高さになりました。 どの杉の木も松の木も、血のように赤かったのです。 なにもなかった空地が、巨大な赤い杉や松の木で埋め尽くされました。 赤い木の間を人々が逃げまどいます。 空地から逃げ出そうとしています。 そのときです。 赤い杉の木、松の木の枝が、まるで蛇のようにくねくねと動きながら、どんどん長くなっていきました。 赤い枝がものすごい速さで人々を追いかけます。 まさに獲物を追う蛇そのものでした。 逃げる人々に追いつき、蛇のように