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第835話

作者: レイシ大好き
当面の急務は、とにかくここから早く出ることだった。

このままぐずぐずしていたら、ずっとここに閉じ込められてしまう。

なぜだか分からないが、その予感だけは辰琉の中で強く確信めいていた。

だからこそ、彼は声の調子を和らげ、わざと媚びるような響きを混ぜた。

「ごめん、父さん......わかってるよ。

今回ここに入ったのは本当に偶然で、誰かが俺たちを陥れようとしたんだ。あの人の罠に乗っちゃいけないんだよ」

一言一言、切実さをにじませて必死に訴える。

けれど、この時の安東父にはもう何を言っても耳に届かなかった。

机の上に積まれた大量の書類を前に、頭が割れそうになっていた。

そのうえ息子はどうしようもない役立たず。

何の助けにもならないどころか、二川家との結婚の話も散々引き延ばしている。

それだけでも十分面倒だというのに、今度は外で問題を起こし、挙げ句に拘置所送り。

まるで会社の名誉を地に落としているようなものだ。

幸い、今回は海外での出来事。

騒ぎ立てなければ、外に漏れることはない。

安東父は一気に堪忍袋の緒が切れた。

「自分で何とかしろ。こっちは忙しい」

もはや心の底から、この息子を見限ろうとしていた。

この子供が潰れたなら、新しい子供を育てればいい。

そう思った瞬間、彼の目に冷たい光が走る。

そうだ、息子はひとりじゃない。

なぜこの子にばかり力を注ぐ必要がある?

考え至ると、安東父は一切のためらいもなく電話を切った。

辰琉に言い返す機会さえ与えずに。

「もしもし......父さん?」

受話器から響く「ツーツー」という音。

辰琉は思わず声を張り上げた。

何度も「父さん!」と叫んだが、返事は一切なかった。

その時ようやく心の底まで打ち砕かれ、力が抜けてその場に崩れ落ちた。

あまりにも唐突で、頭が追いつかなかった。

部屋の中の警官が物音に気づき、ゆっくりと立ち上がり外へ出てきた。

崩れ落ちた辰琉を一瞥し、かつて自分が受けた屈辱と痛みを思い出す。

やっと仕返しができる。

「おやおや、これはこれは鳴り城の安東家のお坊ちゃまじゃないですか」

警官はあからさまに嘲るような笑みを浮かべた。

「どうされたんです?電話を終えたら床に座り込んで動けなくなった?

床は冷たいですよ。お坊ちゃまの繊細なお体が冷えたら大変じゃない
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