ログイン江藤くんは、システムエンジニアとして入社しただけあって、パソコンにめっぽう強い。だから、私はパソコン関係でわからないことがあると、たいてい江藤くんに頼ってしまう。忙しいとは思っているけれど、頼りやすいのは江藤くんなのだ。
「江藤くん、ちょっといい?」
「どうしました?」声を掛けると、江藤くんは手を止め、モニターから顔をひょこっと上げる。私くらいのパソコンの悩みなら、彼にとっては朝飯前なのか、いとも簡単に解決してくれる頼もしい存在だ。
そんな関係を続けていたからか、江藤くんとは遠慮なく、何でもざっくばらんに話せる仲になった。仕事のことも、ちょっとした愚痴も、時には恋愛の話も。
私は普段お弁当を持ってきているけど、そうじゃない日は一緒に社員食堂でお昼を食べたりもする。
「今日は食堂?」
なんて、江藤くんから声をかけてくれる日もある。そんな日はきまって、社員食堂で並んで昼食をとる。他愛もない話をしながらの、ゆったりとした昼食時間。
私に彼氏がいることも、江藤くんに今彼女がいないことも、お互い知っている。だからこそ、「最近どうよ?」なんて会話が、成り立つのかもしれない。
その関係が、なんとも言えず安心する。近すぎず、遠すぎず。その距離感が心地いいみたいだ。
二人で住む家が決まるまでは、ひとまず遼太郎くんのワンルームマンションへ引っ越すことになった。 二人では手狭だけれど、とても整った部屋。 彼の生活の気配がそこかしこにあって、私は少しだけ緊張しながらも、どこか安心していた。転居届けも提出する。 今回の郵便局は、正広とはまったく関係のない地域。 安易にバレることはない。 それこそ、彼が転勤でもしない限り。「もしまた探って現れたら、今度は職権濫用で訴えるから」遼太郎くんがそう言ったときの目は、いつになく鋭かった。 私を守ろうとしてくれるその気持ちが、言葉の端々に滲んでいて、胸がじんと熱くなる。新しい家が決まったら、また更に転居届けを出す。 そんな面倒なことをしなくてもいいのにと私が言うと、彼は首を横に振った。「プログラムと一緒。懸念事項はなるべく回避しないと」「さすがSE。職業病だねぇ」「これからの思い出は、新規保存だよ。萌のデータベースを俺で埋め尽くす」「じゃあ、遼太郎くんのデータベースも私で埋め尽くすね」ふざけたようなやりとりなのに、部屋の空気がふわりと和らいでいく。 どちらともなく、ふふっと笑った。 でも、次の瞬間、彼は急に真顔になって言う。「絶対、萌を幸せにするよ」その言葉に、胸がぎゅっと締めつけられる。 冗談の延長みたいな流れだったのに、彼の瞳はまっすぐで揺るぎなかった。私は嬉しくなって、でもどうしてだろうか、急にじわりと込み上げてくるものがあって、そっと目を伏せた。 優しく笑う遼太郎くんの顔が、涙で滲んで見えた。
ぐすっと鼻をすすると、私は思わず遼太郎くんを睨みつけた。 涙で潤んだ目のまま、少しだけ怒ったふりをする。「遼太郎くんの嘘つき。泣かせないって言ったくせに、私のこと泣かせ過ぎ。幸せが嬉しすぎて、泣けちゃうよ」彼は苦笑いしながら、そっと私の目尻に指を伸ばして拭ってくれる。 その仕草があまりにも優しくて、また胸がきゅんとなる。 触れる指先が、とても温かい。「だから、それは反則だってば」「だって、泣けちゃうんだもん」ぷくっと膨れて見せると、遼太郎くんは照れたように笑った。 彼の声や雰囲気が、部屋の空気をやわらかく包み込んでくれる。 こんなふうに、誰かと一緒に笑って、泣いて、心を重ねていけること。 それが、こんなにも幸せだなんて思いもよらなかった。幸せだと、言葉にできること。 胸がいっぱいで、ぎゅうぎゅうと締めつけられること。 それが何よりも、幸せだという証拠なのだろう。「遼太郎くん、愛してる」自然と口からこぼれたその言葉は、まるで春の風みたいにふわりと部屋を漂った。 彼は驚いたように目を見開いて、それからすぐに満面の笑みを浮かべた。「俺も、愛してるよ」明日はきっと、もっと幸せ。 そうやって、一歩ずつ二人で愛を積み重ねていくんだね。 【END】
スーツ姿の遼太郎くんは、とても眩しく見えた。 いつもは柔らかくて、どこか抜けたところもあるのに、今は背筋をぴんと伸ばし、凛とした表情で私の両親の前に立っている。 その横顔がどうしようもなく頼もしくて、私は隣で誇らしい気分になった。「はじめまして。萌さんとお付き合いをさせていただいております、江藤遼太郎と申します。萌さんと同じ会社でSEをしております」ただそれだけの挨拶なのに、どうしてこんなに立派に見えるんだろう。 いや、きっと比べてしまうからだ。 あの、とぼけた前例、正広のことがあるから、遼太郎くんの一言一言が、何倍にも、何千倍にも輝いて見えた。しかも、私の知らないうちに手土産まで用意していて、自然な所作で両親に手渡す。 その姿に、最初は「変なやつが来たら追い返してやる」と警戒していた父と母も、すっかり気を許してしまったようだった。「結婚じゃなくて、同棲なのか?」父が少し眉をひそめて言う。 結婚前の同棲にあまりいい顔をしないのは、昔から知っていた。「お父さん、結婚だなんて気が早いよ。遼太郎くんも困っちゃうよ」私は慌てて口を挟んで、遼太郎くんの方を見た。 だけど、彼は落ち着いた声でまっすぐに言う。「俺は、すぐにでも結婚したいよ」「ええっ! いや、でもっ!」予想外な言葉を返されて、今度は私が困る。 どう答えていいかわからず、顔が熱くなってどこを見ればいいのかわからない。 嬉しいのに恥ずかしくて、私はただただ頬を染めて焦り、それを見た両親は顔を見合わせてふっと笑った。「ちゃんといい人見つけたのねぇ。ねぇ、お父さん」母が明るく言い、父も小さく頷く。 その瞬間、胸の奥にじんわりと温かいものが広がった。ちゃんと両親に認められるって、こんなにも嬉しいことなんだ。 こんなにも、心が満たされるものなんだ。 私は今、ようやく本当の意味で、幸せの意味を実感した。
ふいに、遼太郎くんの顔が真剣な表情に変わる。「萌。ご両親に挨拶に行かせて」その言葉は、夜の静けさの中でまるで鐘の音のように響いた。 私は思わず足を止めて、彼の顔を見上げる。「えっ?」「一緒に住むんだから、ちゃんとしないとね」街灯の淡い光が、遼太郎くんの横顔を照らしている。 その眼差しはまっすぐで、声色は穏やかで凛としていた。 胸の奥が、じんわりと熱くなるのを感じる。 まさか、そんなことを言ってくれるとは思ってもみなかったからだ。こんなふうに、誰かに大切にされていると感じたのは、初めてだった。 守ろうとしてくれる気持ちが、言葉の端々から伝わってくる。 その優しさに、私は感動でうち震えてしまった。「ありがとう」もう一度、心からのお礼を伝えると、彼は繋いだ手をぐっと引き寄せた。 私を包み込むような力に、そっと身を寄せる。「愛してる」耳元で囁かれたその言葉に、私は息を呑んだ。 胸がきゅっと締めつけられるような衝撃。 嬉しいのに、どうしてだろう。 恥ずかしくて、顔を上げることができなかった。夜風がそっと髪を揺らす。 遼太郎くんの家までの道のり、私はずっと彼の手を握ったまま、うつむいて歩いた。 でも、その手のぬくもりが、心の奥まで染み渡っていくのを感じていた。
どう言えばいいのか、頭の中で言葉を組み立ててみたけれど、曖昧に濁したり遠回しに伝えたら、かえって誤解を与えてしまうかもしれない。 そんな気がして、私は深く息を吸い込んだ。そして、正広に会ったこと、やり直したいと言われたこと、それをちゃんと断ったこと。 全部、ストレートに伝えた。「……それで、逃げてきたの」「どこで会ったの?」「……家の近く」遼太郎くんは黙って聞いていたけれど、「家の近く」と言った瞬間、彼の眉間に深くシワが寄った。 その表情は、怒りというより、心配が滲んだものに感じた。私の手を掴むと、彼は何も言わずにスタスタ歩き出す。「り、遼太郎くんっ?」「萌をそんな危ないところに住まわせられないから、もう俺の家に住むこと」「で、でも。そんなの迷惑……」「さっきも言ったよね。恋人には迷惑かけていいって。まあ俺は迷惑でもなんでもないし、むしろ早く一緒に住みたかったし。一緒にいた方が守ってあげられる」握る手が、少しだけ強くなる。 でも、その強さが今は心地よかった。 さっきまで、あんなに怖かったのに、遼太郎くんが隣にいるだけで心がすっと落ち着いていく。 不安が、少しずつ溶けていくみたいだ。「ありがとう」お礼を言うと、彼は私を見て、ふわりと微笑んでくれた。
無我夢中で駆け出した足が、気づけば会社のビルの前で止まっていた。夜の帳が静かに降り始め、街灯がぽつぽつと灯りはじめる。ビルのガラスに映る自分の姿が、どこか他人のように見えた。乱れた髪、肩で息をする私。心の奥で何かが崩れかけているのを、必死に押しとどめていた。自動ドアが静かに開いたその瞬間、目の前に現れたのは遼太郎くんだった。 ああ、そうだ。今日は残業って言っていたっけ。「え、萌? どうしたの?」「えっと……忘れ物を取りに来たの」口から出たのは、咄嗟の嘘だった。 本当は、正広が怖くて逃げてきただけだ。 でも、そんなことは言えない。 遼太郎くんに心配なんてかけたくないからだ。だから、ニコッと笑ってそのまますれ違うように横を抜けようとした。 だけど――「待って」彼の手が、そっと私の腕を掴む。 その手は、あたたかくて優しい力加減だったけれど、決して離さないといった視線に、ドキッと心臓が揺れる。「俺に言いたいことあるよね?」「……遼太郎くん」「目が訴えてるって、言ったでしょ」私の瞳の奥を、まっすぐに見つめてくる。 逃げ場なんて、どこにもなかった。 この人の前では、いつだって私は嘘がつけない。ああ、なんでこんなにも優しいの。 ちゃんと見てくれる、気にかけてくれる。 私が、何も言わなくても、だ。「迷惑かけたくないの」やっとの思いで絞り出した言葉。 でも、遼太郎くんはふっと笑って、首を横に振った。「他人に迷惑をかけるのはよくないけど、恋人には迷惑をかければいいんだよ」恋人だからって、そんなに甘えていいの? そんなに優しくされたら、また誰かに頼りたくなってしまうじゃないか。「いいから、話してみて」遼太郎くんには何でもお見通しみたい。 嘘がつけない。
キッチンに、二人並んで立つ。 一緒に洗い物をしながら、たわいもないおしゃべりに花が咲く。 笑い合いながら、ふと顔を見合わせたその瞬間。あっ、キスだ――形のいい唇が、すっと近づいてくる。 空気が変わるのがわかった。 ドキドキと高鳴る鼓動を感じている間に、ふっと重なる唇。それはとにかく、甘くて柔らかくて。 大切にされている感がすごく伝わってくる、優しいキスだった。「うーん、自動保存機能が働いちゃうんだよね」 「……自動保存?」 「嫌だった?」真
ふと、口元を触る。 触れられた唇が、気持ち悪いと思った。カバンからハンカチを取り出し、ごしごしと口元を拭ってみたけれど、気持ち悪さはまったく拭えなかった。そんなことをしたって、何も変わらないことなど、わかっているはずなのに。わかっているけれど、どうしてもやらざるを得なかった。 必死に取り繕っていたけれど、 自分の弱さが悔しくて、罪悪感は膨れるばかりだ。 弱い自分とも、さよならしたい。脳裏に浮かぶのは江藤くんの顔。江藤くんからは、終わったら迎えに行くから連絡してほしいと言われている。正広とのことは
これは絶対に比べることじゃない。そう頭では思っているのに、どうしても思い出されてしまう。それは、正広とラーメンを食べたときのことだ。セルフサービスの水を二人分持ってきたのは、私だった。そういうのは、どちらかがやればいいとは思うから、自分がすることに何とも思わなかった。でも、取りに行っている間にラーメンが運ばれていて、正広は私を待つことなく食べ始めていたのだ。食べるのが早い正広は、私が席に戻った頃には、すでに半分以上食べ終わっていた。そのことにも驚いたけれど、それ以上に、私が食べ終わるまでの間、彼は会話することもなく、私の方を見ることもなく、
いつも優しくて、頼りになって。 楽しい話もいっぱいしてくれて。 私の話も、いっぱい聞いてくれて。 一緒に仕事をするのが、楽しくて。だけど、それが当たり前だと思っていた。 当たり前すぎて、それがどんなに優しい対応だったのか、気づいていなかった。江藤くんと一緒にいることは心地よくて、自然と甘えられたんだ。 そして、江藤くんはそれを快く受け入れてくれる、懐の広い人だった。でも、今わかった気がする。それは、相手が江藤くんだから甘えられたんだと思う。 江藤くんじゃなかったら、こんな風に甘える