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あさの紅茶
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Novels by あさの紅茶

強引な後輩は年上彼女を甘やかす

強引な後輩は年上彼女を甘やかす

社内で高嶺の花と言われる朱宮姫乃(29) 彼氏いない歴=年齢なのに、彼氏がいると勘違いされてずるずると過ごしてきてしまった。 「じゃあ俺が彼氏になってあげますよ。恋人ができたときの練習です」 そう協力をかって出たのは後輩の大野樹(25) 練習のはずなのに、あれよあれよと彼のペースに巻き込まれて――。 恋愛偏差値低すぎな姫乃を、後輩の樹が面倒を見るお話です。
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Chapter: 14_08 お互いの道 姫乃side
「待っててよ。焦って他の男と結婚しないで」「しないよ。待つ、待ちます。樹くんこそ、浮気しないでね」「誰に言ってるの?」樹くんは意地悪そうに笑うと、私の左手を取って指輪にキスを落とした。前にも一度同じようなことをされたけど、その時以上に胸のときめきが抑えられない。ドキドキと心臓が悲鳴を上げているようだ。「俺のことしか考えられないようにしてあげようか?」ぐいっと引き寄せられると、深いキスが落とされた。幸せな気持ちにすぐに溺れそうになる。「樹くん、好きだよ」「もっと言ってよ。もっと姫乃さんから、好きって言ってもらいたい」「大好き、樹くん。大好き!」ぎゅっと、自分から樹くんの首に手を回した。抱きしめ返してくれる力強さが心地良い。この幸せが、もうすぐなくなってしまう。自分が決めたことなのに、心が寂しいと泣いている。「……ただの遠距離恋愛になるだけだよ」「……そうだよね」「……日本に戻ったら、今度こそ結婚してほしい」「……ありがとう。待ってるね」優しく笑みを落とす樹くんの手が、私の手と絡み合う。その温もりが愛しすぎて、ほどくことができなくなった。見つめ合い、絡み合う視線は甘く優しく、そしてまたゆっくりと唇が重ねられた。離れることは別れじゃない。お互いの道を進んだその先に、二人の未来がある。今はちょっと泣けちゃうけど……。「春は出会いと別れの季節だもんね」「姫乃さんと出会ったのも春でしたね」季節は巡っていく。そうやって、二人で思い出を積み重ねていくんだろう。「私、樹くんと出会えて幸せ」「俺の方こそ。これからもよろしく」「よろしくね」「愛してるよ、姫乃さん」「あい……」「うん、愛してる」きゅんと胸が苦しくなって樹くんにしがみついた。嬉しくても涙が出るんだと、初めて知った。また数年後、あのときは泣いちゃったよねって笑えるように。私は樹くんと、愛を深めていくんだ。【END】
Last Updated: 2025-09-19
Chapter: 14_07 お互いの道 姫乃side
しばらくの沈黙ののち、「はあ」と樹くんの深いため息が聞こえた。「姫乃さん、顔上げて」そう言われて恐る恐る顔を上げると、樹くんと視線が絡まる。 優しく微笑んでくれるその眼差しに、胸がきゅっと悲鳴を上げた。「姫乃さん、結婚遅くなるよ。それでもいいの?」「うっ……」樹くんが言うのはもっともだ。だって私はずっと、彼氏が欲しいって焦っていたし、本当は三十歳までに結婚したい……なんて淡い夢も描いていたからだ。プロポーズを断れば、当然そんな夢もついえるわけで、すべてが終わってしまう。「……しかたないよね、私がそう選んだんだから。樹くんとは結婚できなくなっちゃうけど……、ほら、おみくじに焦っちゃいけないって書いてあったし。だから……」言いながら、目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。 あれ、なんでだろう。だって、そう決めたのは私なのに、胸がぎゅっと締めつけられて苦しい。つらい。「何で泣くの?」「だって、やっぱり樹くんのこと好きだから……」私は欲張りだ。自分のキャリアも捨てたくないけれど、樹くんとも別れたくないと思っている。どちらかを選択することはできなくて、でも選択しなくちゃいけなくて……。気持ちが揺らいで波にのまれそう。樹くんの手がすっと伸びてきて、私の涙をそっとすくった。そしてそのままぎゅうっと抱きしめられる。優しい抱きしめ方。いつもの樹くんのにおい。その胸に頭をもたげた。「俺、結婚断られたからって姫乃さんと別れる気ないよ」「え……」「それに、おみくじの焦るとダメは恋愛運。結婚は別でしょ」「……別れなくていいの?」「俺さ、立派になって帰ってくるから、それまで待っててくれる?」「……待ってていいの?」まさかの言葉に私は驚きを隠せず、涙が一瞬引っ込んだ。 驚愕の表情で樹くんを見ると、目を細めて甘く微笑む。 それがとてつもなく色っぽく見えた。
Last Updated: 2025-09-19
Chapter: 14_06 お互いの道 姫乃side
樹くんからプロポーズされて数日、私はずっと考えていた。どちらを選択するのが正しいのか、私はどうしたいのか。いつも通りの日々が過ぎていく。その間、樹くんは私を急かすことなく、普段と何も変わらない生活をしてくれた。そんな気遣いが、泣きそうになるくらい優しかった。樹くんと海外に行って生活をすることも想像してみたけれど、胸に引っ掛かるのはやはり自分のキャリアのこと。どうしても天秤にかけてしまう。何日も葛藤の末、出した答えは――「樹くん、結婚することはできません。ごめんなさい」いつもの食卓で私は頭を下げる。樹くんの表情を見るのが怖くて顔が上げられない。沈黙が、やけに長く感じた。樹くんが箸を置く音が耳に届く。 「はぁ」と小さな息を吐く声も聞こえた。「姫乃さん、俺のこと好きじゃない?」その言葉に、バッと顔を上げて首を横に振る。そんなことない。 樹くんのことは大好きだ。 好きで好きでたまらないに決まっている。「じゃあ……」樹くんが困惑の表情を浮かべた。 私はスカートの裾を握りしめる。「……私、仕事のキャリアを捨てたくないの。樹くんが自分の仕事に誇りを持っているように、私も自分の仕事に誇りを持ってるから」自分が決めたことを伝えているだけなのに、声が震えてしまう。 強い意思で決めたはずなのに。 考えれば考えるほど、樹くんへの想いが募る。 そんな迷いを振りきるように、一気に気持ちを吐き出した。「私、庶務グループのリーダーに正式に任命されたの。そこで頑張ってみたいの。だから……、仕事を辞めて結婚することができないです。ごめんなさい」しっかり前を向いて言いたかったのに、結局顔を上げることはできなかった。 胸がヒリヒリする。
Last Updated: 2025-09-18
Chapter: 14_05 お互いの道 姫乃side
すごく嬉しい。 じわじわと身体中から嬉しさが溢れ出そうになった。だけど……。「それは私が仕事をやめて、ついていくということだよね?」一応確認してみる。案の定、樹くんはコクンと頷いた。「そうなるね」どうしてだろう、とても嬉しいのに、その場で承諾することができなかった。だって、私も新しい部署のリーダーに抜擢されたのだ。樹くんのエリートコースとは遠く及ばないけれど、私もきちんと評価されたことが嬉しくて、仕事にやりがいも見出している。結婚して樹くんのお嫁さんになることはとても嬉しくて幸せで夢のようだけど……。「……ごめん、少し考えさせてほしい」声が震えてしまう。 樹くんの表情も陰った。「あ、いや、結婚はしたいし、プロポーズされてすごく嬉しいんだけど、仕事をやめて海外に行くっていうイメージが湧かなくて。だから、……ごめんね」「いや、いいよ。俺も納得して着いてきてほしいし。考えてみて」「……うん」本当にバカだと思う。アラサー独身彼氏なしだった私が、こんなにも素敵な彼氏ができて、しかもプロポーズまでされたのだ。だったら二つ返事で承諾すればいいじゃないか。それが幸せってものでしょう?それにこのタイミングは恵まれている。今を逃したら、私はもう結婚できないかもしれない。ううん、結婚どころか、恋人さえもうできないんじゃないだろうか。樹くんのことは大好きだし、すごく大切にしてくれてることもわかっている。 この幸せを逃してはいけないと、頭の中の私が警鐘を鳴らす。だけど私の仕事のキャリアは? やめてしまったらゼロになるのでは? 庶務チームでリーダーをやってみたい。それくらい、私は仕事のことも大切にしてきたし、なにより今回、評価されたことが嬉しかったのだ。男性しか出世できないと言われているこの会社で、一筋の光が見えた。それが、私の心に響いて胸を熱くする。きちんと評価されるこの環境で、今以上に頑張りたい、道を開きたいともう一人の私が言っている。
Last Updated: 2025-09-17
Chapter: 14_04 お互いの道 姫乃side
仕事の方も順調で、庶務リーダーとして正式に任命を受けた。ゴタゴタしていた業務も整理ができて、ようやく軌道に乗ったなという感じ。ずっと下っ端で頼ってばかりだった立場も、頼られる立場に変わってきた。責任感も芽生えて、今まで以上に充実しているし、スキルアップしていることも感じる。何もかも順調だと思っていた。これ以上の変化が起こるなんて、想像すらしていなかった。その日もお互い忙しくて、でも同棲しているから遅くに一緒に夕飯を食べていた。何も変わらない、いつもの日常。この後はお風呂に入って一緒にお布団に入って……。樹くんが箸を置く。ごちそうさまでしたときちんと挨拶をして、いつもなら食器を下げるためにすぐに席を立つのに、今日は座ったまま。不思議に思っていると、突然樹くんが真剣な表情で私を見つめた。「姫乃さん」「うん、どうしたの?」「俺、転勤になった」予想外の言葉に、一瞬喉が詰まる。「て、転勤? どこに?」努めて冷静に聞いたつもりだったけれど、少し声が掠れてしまった。心なしかドッキンと心臓が音を立て始める。樹くんのあまりにも真剣な顔に、空気がピンッと緊張するかのごとく張り詰めた。「ベトナム」「……海外なの?」「新規プロジェクトの立ち上げメンバーとして行くことになった。数年行くことになりそうなんだ」「数年?」おうむ返しのようにしか返事ができない。 それくらいに私は動揺していた。だってまさか海外に転勤だなんて、予想だにしていなかったからだ。そして樹くんは席を立ち、私の横まできて左手を取った。 何事かと、樹くんを見上げる。「俺に着いてきてほしい。結婚してください」「え……」突然のプロポーズにドキドキと胸が高鳴った。嘘? 本当に?
Last Updated: 2025-09-16
Chapter: 14_03 お互いの道 姫乃side
仕事の合間を縫って、自分の荷物を樹くんの部屋に運び込んだ。少しずつ増えていく荷物。 少しずつ減っていく荷物。ここに越してきてまだそんなに経っていないのに、もう自分の部屋を引き払うなんて思わなかったな。そういえば、樹くんにこのアパートは単身用だからって指摘されて、私に彼氏がいないことがバレたんだった。ん……? 単身用?「ねえ、樹くん。ここって単身用じゃなかった?」「そうですよ。規約に、単身用(同居可)って書いてあるでしょ」「同居可……? やだ、騙された!」「騙す?」「最初に、ここは単身用だから、私に彼氏いないって言ってたじゃん」「ああ〜、カマかけただけだよ。その後、ちゃんと規約確認し直したし」「抜け目ない……」「姫乃さんが抜けてるだけなんじゃ」「むう」樹くんは楽しそうに笑いながら、「でも一緒に住めるんだからいいじゃん」と頭をポンポン撫でてくれる。それはそうなんだけど、やっぱり樹くんの方が一枚上手なんだよなぁ。「そのうちに、もっと広いところに引っ越しましょうか」「狭いほうが樹くんと近くにいられるから、ここがいいよ」「毎日姫乃さんを触れる」「何か言葉が卑猥」「想像しちゃった姫乃さん、エッチだね」「もう、すぐからかうんだから」ごめんごめんと言いながら、樹くんは私を引き寄せる。嫌じゃない私は、そんなやり取りさえも幸せに感じている。ずっとずっと、こんな日々が続いたらいいな。
Last Updated: 2025-09-15
泡沫の恋は儚く揺れる〜愛した君がすべてだから〜

泡沫の恋は儚く揺れる〜愛した君がすべてだから〜

石原紗良(25) 甥っ子(4)を育てる一児の母。 滝本杏介(27) プール教室の売れっ子コーチ。 紗良の働くラーメン店の常連客である杏介は、紗良の甥っ子が習うプール教室の先生をしている。 「あっ!常連さん?」 「店員さん?」 ある時その事実にお互いが気づいて――。 いろいろな感情に悩みながらも幸せを目指すラブストーリーです。
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Chapter: 番外編③ シアワセノカタチ-11
カシャカシャカシャッその音に、紗良と杏介は振り向く。そこにはニヤニヤとした海斗と、これまたニヤニヤとしたカメラマンがしっかりカメラを構えていた。「やっぱりチューした。いつもラブラブなんだよ」「いいですねぇ。あっ、撮影は終了してますけど、これはオマケです。ふふっ」とたんに紗良は顔を赤くし、杏介はポーカーフェイスながら心の中でガッツポーズをする。ここはまだスタジオでまわりに人もいるってわかっていたのに、なぜ安易にキスをしてしまったのだろう。シンデレラみたいに魔法をかけられて、浮かれているのかもしれない。「そうそう、海斗くんからお二人にプレゼントがあるんですよ」「えっへっへー」なぜか得意気な顔をした海斗は、カメラマンから白い画用紙を受け取る。紗良と杏介の目の前まで来ると、バッと高く掲げた。「おとーさん、おかーさん、結婚おめでとー!」そこには紗良の顔と杏介の顔、そして『おとうさん』『おかあさん』と大きく描かれている。紗良は目を丸くし、驚きのあまり口元を押さえる。海斗とフォトウエディングを計画した杏介すら、このことはまったく知らず言葉を失った。しかも、『おとうさん』『おかあさん』と呼ばれた。それはじわりじわりと実感として体に浸透していく。「ふええ……海斗ぉ」「ありがとな、海斗」うち寄せる感動のあまり言葉が出てこなかったが、三人はぎゅううっと抱き合った。紗良の目からはポロリポロリと涙がこぼれる。杏介も瞳を潤ませ、海斗の頭を優しく撫でた。ようやく本当の家族になれた気がした。いや、今までだって本当の家族だと思っていた。けれどもっともっと奥の方、根幹とでも言うべきだろうか、心の奥底でほんのりと燻っていたものが紐解かれ、絆が深まったようでもあった。海斗に認められた。そんな気がしたのだ。カシャカシャカシャッシャッター音が軽快に響く。「いつまでも撮っていたい家族ですねぇ」「ええ、ええ、本当にね。この仕事しててよかったって思いました」カメラマンは和やかに、その様子をカメラに収める。他のスタッフも、感慨深げに三人の様子を見守った。空はまだ高い。残暑厳しいというのに、まるで春のような暖かさを感じるとてもとても穏やかな午後だった。【END】
Last Updated: 2025-03-23
Chapter: 番外編③ シアワセノカタチ-10
その後はスタジオ内、屋外スタジオにも出てカメラマンの指示のもと何枚も写真を撮った。残暑の日差しがジリジリとしているけれど、空は青く時折吹く風が心地いい。汗を掻かないようにと木陰に入りながら、紗良はこの時間を夢のようだと思った。「杏介さん、連れてきてくれてありがとう」「思った通りよく似合うよ」「なんだか夢みたいで。ドレスを選んでくださいって言われて本当にびっくりしたんだよ」「フォトウエディングしようって言ったら反対すると思ってさ。海斗巻き込んだ壮大な計画」「ふふっ、まんまと騙されちゃった」紗良は肩をすくめる。騙されるのは好きじゃないけれど、こんな気持ちにさせてくれるならたまには騙されるのもいいかもしれない。「杏介さん、私、私ね……」体の底からわき上がる溢れそうな気持ち。そうだ、これは――。「杏介さんと結婚できてすっごく幸せ」「紗良……」杏介は目を細める。紗良の腰に手をやって、ぐっと持ち上げた。「わあっ」ふわっと体が浮き上がり杏介より目線が高くなる。すると満面の笑みの杏介の顔が目に飛び込んできた。「紗良、俺もだよ。俺も紗良と結婚できて最高に幸せだ」幸せで愛おしくて大切な君。お互いの心がとけて混ざり合うかのように、自然と唇を寄せた。
Last Updated: 2025-03-22
Chapter: 番外編③ シアワセノカタチ-09
カシャッ「じー」小気味良いカメラのシャッター音と、海斗のおちゃらけた声が同時に聞こえて、紗良と杏介はハッと我に返る。「あー、いいですねぇ、その寄り添い方! あっ、旦那様、今度は奥様の腰に手を添えてくださーい」「あっ、はいっ」カシャッ「次は手を絡ませて~、あっ、海斗くんはちょっと待ってね。次一緒に撮ろうね~」カシャッカメラマンの指示されるがまま、いろいろな角度や態勢でどんどんと写真が撮られていく。もはや自分がどんな顔をしているのかわからなくなってくる。「ねえねえ、チューしないの?」突然海斗がとんでもないことを口走るので、紗良は焦る。いくら撮影だからといっても、そういうことは恥ずかしい。「海斗、バカなこと言ってないで――」と反論するも、カメラマンは大げさにポンと手を叩いた。「海斗くんそれいいアイデアです!」「でしょー」カメラマンと海斗が盛り上がる中、紗良はますます焦る。海斗の失言を恨めしく思った瞬間。「海斗くん真ん中でパパママにチューしてもらいましょう」その言葉にほっと胸をなで下ろした。なんだ、それなら……と思いつつ、不埒な考えをしてしまった自分が恥ずかしくてたまらない。「うーん、残念」杏介が呟いた声は聞かなかったことにした。
Last Updated: 2025-03-21
Chapter: 番外編③ シアワセノカタチ-08
ウエディングドレス用の、少しヒールのある真っ白なパンプスに足を入れた。かかとが上がることで自然と背筋もシャキッとなるようだ。目線が少しだけいつもより高くなる。「さあ、旦那様とお子様がスタジオでお待ちですよ」裾を持ち上げ、踏んでしまわないようにとゆっくりと進む。ふわりふわりと波打つように、ドレスが繊細に揺れた。スタジオにはすでに杏介と海斗が待っていた。杏介は真っ白なタキシード。海斗は紺色のフォーマルスーツに蝶ネクタイ。紗良を見つけると「うわぁ」と声を上げる。「俺ね、もう写真撮ったんだー」紗良が着替えて準備をしている間、着替えの早い男性陣は海斗の入学記念写真を撮っていた。室内のスタジオだけでは飽き足らず、やはり屋外の噴水の前でも写真を撮ってもらいご満悦だ。海斗のテンションもいい感じに高くなって、おしゃべりが止まらない。「紗良」呼ばれて顔を上げる。真っ白なタキシードを着た杏介。そのバランスのいいシルエットに、思わず見とれてしまう。目が離せない。「とても綺麗だよ。このまま持って帰って食べてしまいたいくらい」「杏介さん……私……胸がいっぱいで……」紗良は言葉にならず胸が詰まる。瞳がキラリと弧を描くように潤んだ。
Last Updated: 2025-03-20
Chapter: 番外編③ シアワセノカタチ-07
そんなわけであれよあれよという間に着替えさせられ、今はメイクとヘアスタイルが二人のスタッフ同時に行われているところだ。あまりの手際の良さに、紗良はなすすべがない。大人しく人形のように座っているだけだ。(私がウエディングドレスを着るの……?)まるで夢でも見ているのではないかと思った。海斗を引き取って、一生結婚とは無縁だと思っていたのに、杏介と結婚した。そのことすらも奇跡だと思っていたのに。結婚式なんてお金がかかるし、それよりも海斗のことにお金を使ってあげたいと思っていたのに。そのことは杏介とも話し合って、お互い納得していたことなのに。今、紗良はウエディングドレスに身を包み、こうして花嫁姿の自分が出来上がっていくことに喜びを感じている。こんな日が来るなんて思いもよらなかった。この気持ちは――。嬉しい。声を大にして叫びたくなるほど嬉しい。ウエディングドレスを身にまとっているのが本当に自分なのか、わからなくなる。でも嬉しい。けれどそれだけじゃなくて、もっとこう、心の奥底からわき上がる気持ちは一体何だろうか。紗良の心を揺さぶるこの気持ち。(早く杏介さんと海斗に会いたい)心臓がドキドキと高鳴るのがわかった。
Last Updated: 2025-03-19
Chapter: 番外編③ シアワセノカタチ-06
鏡に映る自分の姿がどんどんと綺麗になっていく様を、紗良はどこか他人事のようにぼんやりと見つめていた。一体どうしてこうなったのか。海斗の入学記念写真を撮ろうという話だったはずだ。それなのにウエディングドレスを選べという。掛けられていた純白のウエディングドレスは、そのどれもが繊細な刺繍とレースでデザインされている。素敵なものばかりで選べそうにない。「どうしたら……」ウエディングドレスを着ることなんて、これっぽっちも考えたことがなかった。だから果たしてこんなに素敵なドレスが自分に似合うのか、見当もつかない。ドレスを前にして固まってしまった紗良に「ちなみに――」とスタッフが声をかける。「旦那様の一押しはこちらでしたよ」胸元がV字になって、透け感レース素材と合わせて上品な雰囲気であるドレスが差し出される。肩から腕にかけては|五分《ごぶ》くらいのレースの袖が付いており、デコルテラインがとても映えそうだ。レース部分にはバラの花がちりばめられているデザインで、それがまるで星空のようにキラキラと輝く。純白で波打つようなフリルは上品さと可憐さが相まってとても魅力的だ。「でも自分の好みを押しつけてはいけないとおっしゃって、最終的には奥様に選んでほしいとこのようにご用意させていただいております」そんな風に言われると、もうそれしかないんじゃないかと思う。杏介の気持ちがあたたかく伝わってくるようで、紗良は自然と「これにします」と答えていた。
Last Updated: 2025-03-18
君と奏でるトロイメライ~今度こそ君を離さない~

君と奏でるトロイメライ~今度こそ君を離さない~

山名春花 ヤマナハルカ(25) × 桐谷静 キリタニセイ(25) ピアニストを目指していた高校時代。 お互いの恋心を隠したまま別々の進路へ。 それは別れを意味するものだと思っていたのに。 七年後の再会は全然キラキラしたものではなく何だかぎこちない……。 だけどそれは一筋の光にも見えた。 「あのときの続きを言わせて」 「うん?」
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Chapter: 君と奏でるトロイメライ 08
「手首を捻挫してからどうしても上手く弾けなくて。こんな状態で人に教えているのが苦しくて辞めさせてもらったの。生徒さんたちには申し訳なかったんだけど……」マグカップに口をつけながら、春花は困ったように眉を下げた。「時間をかけながら生徒さんたちを説得したって、店長さんから聞いたよ」「そっか……」葉月には、自分の居場所を静に言わないでほしいとお願いしていた。静の中から自分の存在が消えたら良いのにとさえ思っていた。なのに今こうして会えて嬉しい気持ちになっている。こうして捜してもらえたことに感激さえしている。なんて矛盾した気持ちなのだろう。目が合って、ふわりと柔らかく微笑む静。 春花はそんな静を求めるように胸が震えた。「保育士になったんだね」「うん。なんだかんだピアノが忘れられなくて。ちょうどここの求人を見つけて、リトミックに力をいれてるし保育士免許も持ってたし、ダメ元で受けてみたんだ。それでまた子供達の前でピアノを弾いて、一緒に歌って、ああなんかいいなって思った」「そっか、これが春花の天職だったんだ」「そう、なのかな? だけど……」言いかけて春花は言い淀む。一度目を伏せてから、静を窺うように見つめる春花に、静は首を傾げた。「うん?」「今日、静と弾いたトロイメライが一番楽しかった。静に敵うものは何もなくて。本当に嬉しくて、楽しくて。ずっと弾いていたいって思った。静が来てくれたのが嬉しかった」「俺は後悔してたよ。あの時なんですぐに日本に帰らなかったんだろうって。なんで海外に行ったんだろうって。もう後悔はしないって決めたはずなのに。春花に会いたくてたまらなかった」「今さら、こんなこと我がままだと思うけど……。私……、静とずっと一緒に……いたい」「春花」ぐっと手を引かれ、春花は座ったまま前のめりになる。静に抱きとめられポスンと胸の中に納まった。「俺も一緒にいたい」「いいのかな、私で」「いいんだよ。春花じゃなきゃダメだ。もう絶対離さないから。俺と結婚してください」きつく抱きしめられながら春花は静のぬくもりに酔いしれる。 すれ違っていた想いはまたひとつになって、やがて涙となった。「……はい」雫がキラキラと頬を伝う。 そのまま交わした口づけは、甘く蕩けるようで、そしてすこし涙の味がした。 【END】
Last Updated: 2025-05-12
Chapter: 君と奏でるトロイメライ 07
◇小さく古い一軒家。少し錆びている門を開けると、油が切れかけているのかキィと小さく鳴った。玄関を入ると、なんだか懐かしい香りがする。「ここ、おばあちゃんちなの。空き家になってたところを借りたんだ。まわりは山に囲まれて、自然がいっぱいでのんびりしてるでしょ」前に住んでいた場所とはまるで違う。人も街も時間の流れさえもゆったりと感じられ、まとう空気も澄んでいるようだ。裏手にはだだっ広い庭が広がる。リビングに通されると「座ってて」と言われ、静は素直に従う。すぐ横にはキッチンがあり、一人暮らしの慎ましやかな生活が見てとれた。物はあまり多くないところが春花っぽい。ふいに指先にふわっとした感触があり、目線を落とす。「ニャア」「……トロ、元気だったか?」体を擦り付けるようにしたトロは、頭を撫でられ気持ち良さそうにゴロゴロと鳴いた。ポットでコーヒーを淹れる、コポコポとした音でさえ耳に優しく響いてくる。とても静かな環境に、静は大きく深呼吸をした。春花がいてトロがいて、部屋の片隅には使い込まれた電子ピアノ。そんな緩やかな感覚が妙に心地好い。静の目の前にマグカップがコトリと置かれる。一緒に住んでいた頃には何とも思わなかった行動ひとつが、今はとても愛おしく感じられた。
Last Updated: 2025-05-11
Chapter: 君と奏でるトロイメライ 06
宣言通り、春花の退勤時に迎えに来た静は、春花の姿を捉えると柔らかく微笑んだ。春花はどんな顔をしていいかわからず、ぎこちなく笑う。「あ、そうだ。海外公演大成功おめでとう!」「ありがとう」「すごいね。ニュースで見たよ。やっぱり静はすごいなって思った。これからどんどん活躍していくんだろうね」静が活躍する姿を想像すると胸が震える。本当に凄い人が近くにいるものだと他人のことのように思った。突然、ぐっと腕が引っ張られ、春花はよろける。そのままガシッと抱きしめられたことに心臓がバクンと跳ねた。「そういうこと言うなよ」「静?」「俺はどんな栄誉よりも春花と奏でるピアノが一番好きだ。どんなに練習してもどんなに素晴らしい人と共演しても、春花と弾くピアノが一番楽しくてわくわくして、心が踊る」静の胸の中で聴く静の言葉は、嬉しくてそして悲しい。何も言えないでいると、額にしずくが落ちてきて春花は驚いて顔を上げた。「……静?」「好きなんだ、春花。ずっと一緒にいたい」「……嬉しいけど、静はこれからもっと活躍していくでしょう。だから……」「そうやって身を引こうとするな。メイサからすべて聞いたよ。春花が犠牲になることは何もないんだ。春花の犠牲の上でいくら立派な賞を取ったって何も嬉しくない。春花が隣にいてくれないとダメなんだ」ぽとりと落ちた静の涙は、やがて春花の視界すらもぼやけさせていく。「バカだよ、静は」「うん。でも春花ほどじゃない」「なによそれ……」春花は静の背中に手を回す。胸に顔を埋めると、懐かしい香りに包まれた。それがとても心地良い。春花の大好きな匂いだ。
Last Updated: 2025-05-10
Chapter: 君と奏でるトロイメライ 05
「せんせーすごーい!」「素敵な演奏をしてくださった桐谷さんと春花先生に、ありがとうの拍手をしますよ」園長先生の掛け声とともにパチパチと拍手が送られる。 貴重な体験をした園児たちはその後も春花と静に群がり、やがて保育士たちに諫められて順番に教室へ戻って行くため列を成した。「突然のお願いだったのに、引き受けて下さりありがとうございました」「いえ、こちらこそ不審者のようにウロウロしてしまって申し訳ありません。お騒がせしました。実は僕は春花さんと同級生で、春花さんに会うためにここに来ました」「春花先生に?」「ずっと捜していたんです。春花さんは僕の初恋の人だから」園長と静が会話しているのを、聞き耳を立てながら園児たちの誘導をしていた春花だったが、静の発言により思わず足が止まる。こっそりと静を窺うが、その視線はバッチリと捉えられ逸らすことを許されない。「春花、仕事が終わるまで外で待ってる。迎えに来るから」頷くことはできなかったが、頬がピンクに染まってしまったことでハッと我に返り、そのまま春花はそそくさと園児たちと教室に戻った。「春花先生、そこのとこ詳しく!」「なれ初め教えてください」「後で話聞かせてよ~」と同僚の先生方に声を掛けられ、春花はかつてないほどに戸惑った。どうしてこうなったのだろう。意味が分からない。そんなことを漠然と思いつつも、静に会えた喜びが後からじわじわと押し寄せてきて、また泣きたい気持ちになった。(私はまだこんなにも静が好きなんだ)自分から離れたのに。 誰よりも応援するために離れたのに。 会えたことがこんなにも愛しく感じるなんて。
Last Updated: 2025-05-09
Chapter: 君と奏でるトロイメライ 04
「さあさあ、次で最後にしましょう」「え~! もっとひいてよ~」園長先生が声をかけると、園児たちから一斉に不満の声がわき上がった。思ったより大盛況になったコンサートに、静もニコニコと対応する。「じゃあ、最後は先生と一緒に弾いてもいいかな?」緩やかに声をかけた静の視線は、まっすぐに春花をとらえていた。目があった春花は内心ドキリとする。「春花、連弾で。トロイメライ」「……え」指名されたことに戸惑い動けないでいると、「はるかせんせ~」「ひいてひいて~」と、園児たちが口々に騒ぎ出す。それでも動けないでいると、今度は園児が春花の手を引っ張って静の元へと連れていった。静は春花をエスコートしてくれた園児たちに「ありがとう」とお礼を言うと、春花の肩を持って椅子に座らせる。大人しくストンと座った春花だったが、「……静」「春花」柔らかく名前を呼ばれ、その甘くて痺れるような声に心がザワザワと揺れ動いた。「いくよ」静のすうっという呼吸音に身がピリッと引きしまった。静のリズムに合わせて自然と指が動く。あんなに違和感があった左手首も、全く気にならない。静が隣にいるという安心感は絶大なものだった。(……楽しい!)演奏しながら、いつしか春花は笑顔になっていた。
Last Updated: 2025-05-08
Chapter: 君と奏でるトロイメライ 03
子どもたちが遊戯室に集まる。遊戯室にはピアノがあり、舞台の真ん中に設置された。 園長が「みなさーん」と声をかける。ざわざわしながらも子供たちは「はーい」と元気よく返事をした。「今日は、ピアニストの桐谷静さんが来てくれましたよ。桐谷さんはピアノがとても上手なんですよ。みんなの知っている曲はあるかな?」園長が説明すると、最初キョトンとしていた園児達もあれやこれやと歓声がわいた。ザワザワとした遊戯室。 今から何が始まるのだろうと期待に満ち溢れた園児達。 大舞台に慣れている静でも、少しばかりプレッシャーを感じてしまう。なぜならそこに春花がいるからだ。ピアノの前に出てお辞儀をすると、パチパチと子供たちが拍手をした。子供たちの陰に隠れるように座る春花を確認してから、椅子に座る。ポロロン……と演奏が始まると、ざわざわしていた園児達は耳を澄ますようにしんとなった。「これしってる!」「あー!きいたことあるー!」演奏が進むにつれ、メロディに合わせて歌い出す子、リクエストする子も現れ、楽しそうな声が遊戯室にこだまする。春花はどうしたらいいかわからず、ぼんやりと静の演奏を聴いていた。(どうして静がここにいるの? どうして戻ってきたの?)ぐるぐる回る思考に考えが追い付かない。園児たちに囲まれて楽しそうにピアノを弾く静。タキシードを着ていなくても髪をきっちりセットしていなくても、そこに存在しているだけで眩しく輝いている。そんな彼を見て、泣きそうになった。
Last Updated: 2025-05-07
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