LOGINディリアンの手にわずかに力がこもった。それでも表情は動かず、約束も反論も返ってこない。重い沈黙だけが続いた。セレーネはディリアンを見つめる。まるで全く見知らぬ他人にでも接するように、すぐ手の届く場所に立ちながら、彼女がこれまでに知る誰よりも遠く感じられる。胸がひどく締め付けられ、食堂の空気が唐突に奪い去られてしまったかのようだった。「もう、耐えられないわ」やがて彼女は口を開く。低い声だったが、その震えを隠し通すことはできなかった。「こんな状況なら、なおさらよ」その言葉は二人の間にただぽつりと落ち、ひどく重く、そして誰にも拾い上げられることはなかった。ディリアンは沈黙している。その視線はゆっくりとテーブルへと落ち、冷たく整然とした木目に固定された――答えを要求してこない物を見つめている方が、彼にとっては遥かに容易だったからだ。セレーネは生唾を飲み込んだ。心臓が早鐘を打っている。「約束して……くれる?」もう一度口を開く。今度の声はほとんど囁きのようだった。自分自身にとっても、あまりにも脆く響く願いだった。ディリアンは短く息を吐き出した。口の端が少しだけ上がるが、それは微笑みではなく、もはや隠すことを放棄した疲労の表れだった。「俺はこれまでに、どれほどの約束をお前にしてきただろうか、セレーネ」彼は静かに問う。「そのどれ一つとして、お前に俺を信じさせるには足りなかったとでも言うのか?」セレーネは顔を背けた。窓から差し込む朝の光が眩しかったからか、あるいは、滲み始めた涙の光をディリアンに見せないための単なる口実だったのかもしれない。「分からないわ」彼女は正直に答えた。その誠実さはかえって、自分自身に対する裏切りのように感じられた。ディリアンの手が離れた。かつてそこにあった温もりは消え失せ、代わりに二人の間に再び距離が広がる。「それなら」と彼は言葉を継ぐ。今の声は平坦で、極めて制御されている。「今度はどんな約束の言葉を、俺の口から聞きたいんだ?」セレーネが鋭く顔を向ける。「どうしてあなたが苛立っているの?」ディリアンは答えない。顎を硬く引き結び、呼吸を止める。「あなた自身の過ちでしょう」セレーネは言葉を重ねる。その声は徐々に大きくなり、あまりにも長く押し殺してきた感情によってひび割れ
その一言が、辺りの空気を一瞬で凍りつかせた。ディヴリオが息を呑む。訓練中の兵士たちが反射的に動きを止め、ジェイは凍りついた。ほんの一瞬、壁時計の針の音と、回廊に響く遠くの足音以外、全ての音が消え失せた。ダグニーを見つめていたジェイは、やがて大理石の床へと視線を落とす。背筋は真っ直ぐに伸びていたが、硬く引き結ばれた顎が、言葉にできない葛藤を物語っていた。ダグニーが半歩、前へ踏み出す。その目は涙で潤み始めていたが、彼女は泣くまいと必死に堪え続けていた。先ほどよりも小さな声で、彼女は続ける。「それを言ってくれたら、もう怒らない。約束する」ディヴリオがようやく、ためらいがちに口を開く。「ダグニー……たぶんジェイおじちゃんには、そういうのを選べないんだよ」鋭く彼を睨みつけ、「黙ってて、ディヴリオ。ジェイが悪いんだもん」とダグニーは言い放った。ゆっくりと顔を上げたジェイの視線が、再びダグニーへと向けられる。それは、長年守り続けてきた小さな子供を前にして初めてどう振る舞うべきか分からなくなった、一人の大人の男の眼差しだった。「お嬢様」極めて慎重に言葉を選びながら、ジェイは静かに告げる。「言葉で約束しただけでは、なかったことにできないこともあるのです」ダグニーは激しく首を振った。「嘘つき。大人はいつもそう言って、約束を守らないんだ」その言葉は、どんな非難よりも重くジェイを打ち据えた。彼は押し黙り、口を開きかけては、再び閉じる。普段は落ち着き払っている手が、今は背中の後ろで固く握り締められていた。「子供ができたから怒ってるんじゃないもん」ダグニーが再び口を開くが、その声はすでに砕け散っていた。「嘘をついたから怒ってるの。何にもないって言ったのに、ヴィヴィおばちゃんにジェイの赤ちゃんができたって、みんな言ってる。ジェイのバカ……私にひどいことしたんだ」ついに涙が、音もなく一粒また一粒と零れ落ちた。ディヴリオが反射的に彼女の手を握る。「ダグニー、泣かないで……」胸が締め付けられるのを感じながら、ジェイはゆっくりと片膝をつき、ダグニーと視線の高さを合わせた。彼らの前で、その気丈な態度が完全に崩れ去ったのはこれが初めてだった。「申し訳ありません」やがて彼は、低く重い声で謝罪する。「お嬢様を悲し
モルウェンナの笑みは一瞬こわばり、すぐに冷ややかな嘲笑へと変わった。「よくもまあ、そんな口が叩けるものね?」彼女は鼻で嗤う。「今のあなたの体はとても脆いのよ、セレーネ。歩くことさえ、慎重にならなければならないのに」少しだけ顔を伏せたセレーネは、ダグニーの頭頂にキスを落とし、ディヴリオの髪を撫でた。そうしてから、再びモルウェンナを真っ直ぐに見据える。「だからこそよ」彼女は静かに告げる。「いつ耐え忍ぶべきか……そして、いつ反撃すべきかを、私は知っているの」モルウェンナはくすくすと笑い声を漏らし、その音は空っぽの回廊に響き渡った。「その時を、楽しみに待たせてもらうわ」そう言いながら、彼女は後ずさる。「最後に生き残るのが一体どちらか、見せてもらおうじゃないの」セレーネはもう答えなかった。踵を返し、ダグニーとディヴリオを連れて歩き出す。しかし、その真っ直ぐに伸びた背中の向こう側で、彼女の瞳は恐怖からではなく、確固たる決意によって冷酷な光を帯びていた。寝室に、夜がゆっくりと降りてきた。それは冷たく、寒さを完全に防ぐことはできない毛布のようだ。少しだけ開かれた窓から忍び込む微風が蝋燭の光を揺さぶり、壁に落ちた影がまるで生きているかのように蠢いている。セレーネは依然としてベッドの端に座り、片手でダグニーの毛布を直していた。ディヴリオはそう遠くない場所で、小さな背中を窓枠に預けて立っている。ダグニーは長いこと天井を見つめていた。幼い胸に収めきれない思いを、どう言えばいいのか迷っているようだった。やがて、こらえていた声を震わせて口を開いた。「ママ……どうしてパパは、あんな悪い女の人を連れて帰ってきたの?」その問いが宙に留まる。セレーネは一瞬凍りついた。毛布の上で指先が止まり、呼吸が普段よりも深くなる。彼女は顔を向け、ダグニーを見つめた――その瞳はまだ無邪気さを残しているが、すでにその年齢では抱くべきではない怒りと嫉妬が潜んでいる。セレーネが答えるよりも早く、窓の外から視線を戻したディヴリオが口を開く。彼の視線はダグニーとセレーネの間を行き来し、最後に再びダグニーへと向けられた。「ママ」彼は慎重に言葉を選びながら、小さな声で尋ねる。「ヴィヴィおばちゃんも昔は悪い人だったけど……僕たちを助けてくれたよね
部屋の空気が変化した。ディリアンはすぐには答えず、モルウェンナの言葉が疑問を生み出すのに十分な重さを持って二人の間に漂うのを許すほど、長い間が置かれた。「必要ない、だと?」やがてディリアンは、低い声で反芻する。モルウェンナは小さく頷いた。「盛大な宴などいらないわ、ディリアン。長々とした招待客のリストも、煩わしい準備も必要ないの」彼女は彼を真っ直ぐに見据える。「私が求めているのは、ただ確かな約束だけよ」ディリアンは再び長く押し黙り、ようやく口を開いた。執務室に沈黙が戻り、壁時計の針の音だけが響いた。決断の時が、一刻ずつ近づいてくるようだった。「……分かった」低く、感情を完全に押し殺した声で彼は告げる。「それなら……お前は何を望んでいる?」顔を上げたモルウェンナの唇には、自分が主導権を握っていると完全に理解している者の薄い笑みが描かれていた。「あなたが私を浄化することには、もちろん同意するわ」彼女は軽やかに、ほとんど甘い声で言う。「でも、この結婚式は私のやり方で進めさせてもらう」ディリアンは無表情のまま彼女を見つめていた。胸の奥底で理由を問い質したかったが、そんな質問をしたところで何一つ結果は変わらないと分かっていた。「いいだろう」彼は短く答える。椅子から立ち上がったモルウェンナは、ゆっくりとデスクを回り込み、彼の真正面で立ち止まった。ほとんど囁き声に近いほど低く、彼女は告げる。「あの湖には、私たち二人だけで行くのよ。誰もいない場所へ。貴族たちも、立会人も、あなたが信じている神でさえも、そこにはいないわ」その言葉に、ディリアンの顎が激しく強張った。しかし彼は頷いた。「分かった」モルウェンナは彼の服従を確かめるように、さらに長く彼を見つめる。「完全に、私たち二人だけの儀式になるのよ」彼女は繰り返した。「本当に理解しているのね?」ディリアンは再び頷いた。その小さな動作は、目に見える以上にひどく重いものだった。モルウェンナは満足げに微笑む。「不満そうね」彼女は軽やかな、しかし皮肉に満ちたトーンで言う。ディリアンはゆっくりと息を吸い込んだ。「不満なのではない」彼は正直に答える。「ただ……お前が言うような、たった二人きりの結婚式というものを想像し
その言葉は、震えも涙も伴わずにぽつりと落ちた。まるで、とうの昔に真実として受け入れていた事実を語るかのように。ジェイは凍りついた。「何だって?」予想以上に、その声はひどく粗く響いた。ヴィヴィエンヌは微笑んだままである。「疲れたのよ、ジェイ」彼女は静かに言葉を継いだ。「いつも悪者として扱われながら生きていくことに。毎日目を覚ますたび、私が何をしようとも、誰の目にも絶対に『良い女』として映ることはないのだと突きつけられることにね」ジェイは拳を強く握り締めた。「死ぬ理由としては、くだらなすぎるな」「そうね」ヴィヴィエンヌは頷く。「でも私にとっては、これが唯一……自分で選んだと思える死に方なの」うつむき、彼女の指先が毛布の上をゆっくりと這う。まるで、その腹の中にある見えない何かを感じ取ろうとするかのように。「生き延びようと足掻いてはきたわ」彼女は再び口を開く。「まともに生きようと努力もした。でも、どの道を選んでも結局は同じ場所に辿り着くのよ――孤独で、憎まれ、疑われる場所に」ジェイは鋭い視線で彼女を射抜いた。「奥様の身代わりになって死ねば、それで全てが終わるとでも思ってるのか?」ヴィヴィエンヌは苦々しく、短く笑い声を漏らした。「まさか。私が死んだところで、世界が少しでも良くなるわけがないわ」彼女は顔を上げる。「でも、セレーネは生き残る。彼女の子供たちには母親が残る。そして私の人生で初めて……私の存在が、本当に意味を持つことになるのよ」「自分自身を犠牲にしてか?」ジェイの声は低く、かすれていた。ヴィヴィエンヌは頷いた。「皮肉な話だと思わない?」彼女は深くジェイを見つめる。「一生利己的だという烙印を押されてきたこの私が、最後に初めて、見返りを求めず人のために動いたんだもの」息が詰まるほど重い静寂が、二人の間に降り下りる。そこに立つジェイは、怒りなのか、憐れみなのか、あるいは恐怖なのか――自分でも完全には理解しきれない感情によって、胸が押し潰されそうになっていた。「こんな風に命の使い道を勝手に決めるべきじゃない」やがて彼は絞り出すように言った。「それはお前ひとりで決めていいことじゃない」ヴィヴィエンヌは再び微笑んだ。今度の笑みは、ひどく優しい。「ジェ
ごくりと生唾を飲み込んだジェイの腕の中では、力なく寄りかかるヴィヴィエンヌが、浅くせわしない息を繰り返している。「ずっと、このままなのか?」低い声でジェイは問う。別の椀に緑色の液体を注ぎ入れながら歩み寄ってきたラミアは、「当分の間はね」と頷いた。「少なくとも、体が……適応するまでは」そのまま片膝をつき、薬湯を差し出す。「少しでいいわ。無理はさせないで」ジェイは頷き、慎重にヴィヴィエンヌの頭を持ち上げる。舌先に苦い液体が触れた瞬間、その唇が微かに震えた。ほんの二口飲み込んだだけで、ヴィヴィエンヌの体は再び硬直する。「私……」ほとんど聞き取れないほどの声。「平気、よ……」嘘だ。そんなことは誰もが分かっている。ラミアは小さく息を吐いた。「強がるのはやめて。ここは意地を張るところじゃないわ」苦々しく口の端を歪めて笑い、ヴィヴィエンヌは再び咳き込む。「言ったでしょう……私は絶対に、死なないって」ジェイは俯いた。「ヴィヴィエンヌ……」消え入りそうな声で囁く。「もし、つらくて耐えられないなら――」「違うわ」即座に遮る。疲労に満ちながらも鋭い瞳が、真っ直ぐにジェイを射抜いた。「つらいとは思ってない。私が自分で選んだことよ」ジェイは押し黙る。その言葉に救われることはなく、むしろ胸の重圧がさらに増していくのを感じていた。立ち上がり、暖炉に薪をくべながらラミアが告げる。「この薬は吐き気と目眩を抑えるだけよ。原因を取り除けるわけじゃない」ジェイは頷く。「私はここを動かない」ラミアは彼を一瞥した。「そうして。少なくとも、一人で立っていられるようになるまではね」目を閉じたヴィヴィエンヌの呼吸は依然として不安定だったが、激しい吐き気は徐々に和らいでいく。ジェイの胸に預けられたその頭は、温かく、脆く――いつも彼女が纏っている鋭く刺々しい姿とは、あまりにもかけ離れていた。息が詰まるような悪心の波がようやく引き、ヴィヴィエンヌはどうにかベッドの上で上体を起こせるようになった。顔色はまだ蒼白で唇に血の気はないものの、呼吸はずっと落ち着いている。部屋の隅で揺らめく蝋燭の光が、静まり返った木の壁に影を踊らせていた。その目の前にある簡素な椅子に、ジェイが腰掛けている。背筋を真っ直ぐに伸ばし、膝の上で手を組みながら、どこか遠くを彷徨うよ
オデットの怒声が、部屋に重く残ったまま、ディリアンは動けずにいた。あの声には逆らえない。幼い頃から、ずっとそうだった。「どうして、こんな馬鹿息子を産んでしまったのかしら!」そう吐き捨てると、オデットは背を向けて去っていった。残されたのは、ディリアンと祖母だけ。祖母は小さく息をつく。「この件に関してはね、わたしも、あなたの母と同じ意見だ」その声は穏やかで、芯が強かった。「あなたは、やってはいけないことをした」「お祖母さん」祖母はディリアンをじっと見つめた。ディリアンは低い声で言った。「人の気持ちは、無理に縛れるものじゃありません」祖母は、ふっと
イラルドが去ったあと、セレーネは書類を一つひとつ丁寧に確認した。城を出る日、迷わないために――すべてを理解しておく必要があった。気づけば、外は夕暮れ色に染まっている。控えめなノック音。「奥様。エレアノーラ様と、オデット様が到着されました」イラルドの声に、セレーネはすぐ立ち上がった。「わかりました」玄関へ向かい、丁寧に二人を迎える。応接室へ案内しながら、セレーネはいつも通り背筋を伸ばしていた。義母のオデットは、部屋に入るなり視線を巡らせる。調度品、床、カーテンの皺。ほんの些細な乱れも見逃さない人だ。だからこそ、セレーネは城を常に完璧に保ってきた。
その朝、セレーネは違和感を覚えていた。朝食の席に、ディリアンがいる。しかも、同じ卓に腰を下ろしている。それは、ほとんどあり得ない光景だった。彼が屋敷にいる日でさえ、朝は執務室か自室に籠もるのが常だった。セレーネも、もう近づこうとはしない。どんな言葉も、どんな気遣いも。彼にとっては「邪魔」でしかないと、知ってしまったから。心の傷が、彼女の足を止めていた。「お祖母さんと母上が、後で来る」食器を置き、ディリアンが言う。セレーネは一瞬だけ彼を見た。「わたくしが、まだ療養中だとお伝えしましたか?」「だからこそ、見舞いに来る」淡々とした答え。セレ
その朝、空気は凍えるほど冷たかった。いつも通り、セレーネはディリアンの姿を見なかった。もはや慣れきっている。夫が屋敷に戻らないことなど、今に始まった話ではない。かつては、城の執務が忙しいのだと自分に言い聞かせていた。だが真実を知ってしまった今、胸に残るのは嫌悪だけだった。心の傷はまだ癒えていない。それでもセレーネは、時間が自分を強くしてくれると、必死に信じようとしていた。しかし、その朝は違った。突然、公爵邸に父、モロー伯爵が現れたのだ。「ヴィヴィエンヌに、いったい何を言った?」低く、重たい声。逃げ場のない問いかけだった。「何を?あの娘が、何か