FAZER LOGIN第二次世界大戦がはじまった。この世界では日英同盟が健在であり、それに伴って日本はイギリスへ軍を派遣することになる。 戦線は膠着するも42年にアメリカがドイツ側で参戦したことにより戦況は一気に変化した。そして44年にイギリスを屈服させるべくドイツ、アメリカ連合軍がイギリスへと大規模空襲を始めようとする。イギリスもまた日本に援軍を求め日本はそれに応じる。そしてその中に機材輸送メインとして女子航空隊「天使隊」があった。が、彼女たちは戦争に巻き込まれ、「ケルビム」隊として活躍となる。 主人公はその女子航空隊の一パイロットである。
Ver mais1947年11月下旬各務ヶ原飛行場
「ここでいいんだよな。しかしながら何故私に白羽の矢がたったのだろうか。一応航空技術廠のテストパイロットとしての籍はあるけれど女子のあたしがよばれるとはね」
私の名前は瑞雲 ユキ《みずも》一応大日本帝国統合空軍所属の戦闘機パイロットでありテストパイロットでもあるね。明日私は新型実験機に乗り誰も超えたことがない音の壁を超えるための操縦手としてよばれたわね。まあ、軍にはほかにも技量甲を持つテストパイロットは多数いるけれどこの機材で音の壁を越えようとしたものは皆殉職した。それで、向こう側もしり込みしたのか天涯孤独のパイロットをということであたしが選ばれたようね。まあ、女子パイロットでエースクラスのパイロットは多数いたけれど、大部分は終戦後家庭をもってそのまま第三種戦傷でじょたいしていったわね。
ま、あたしならば天涯孤独だから万が一殉職したとしても、遺族年金や弔慰金を受け取る人間もいないから軍部にとってはとても都合のいい人材ということになるのよね。
そんな感じで格納庫に入って機材を見ていると後ろから声をかけれられた。
「ユキやんか。あんたが明日のテストパイロットなんか」
「ええ。神谷隊長も無事で何よりですよ」
関西なまりの女性が私の後ろから声をかけてきてそして飛びついてくる。彼女の名前は神谷晴子(かみやはるこ)先の戦争で私の隊長としていたひとである。いわば戦友ともいえる関係かな。
それはともかく私は彼女に尋ねる。
「そうやな。あんたも無事にもどれたんやもんな」
「そうですね。で、神谷隊長は今でも戦技教官ですか」
私の問いに彼女は答える。
「ん。あたしは第一線を引退して今はひよこたちを育てているよ」
彼女はそういうと別の格納庫に案内してくれて、赤とんぼこと「九五中練」が数多くならんでいたのである。
「で、隣の建屋にある機材があんたが明日音の壁を破るためにある新型試作機や安心しい。もしもあんたが逝っても骨は拾ってやるさかい」
「ありがとね」
「なんや随分とみずくさいやないか。ウチとあんたの仲やないの」
「まあ、そうですが、一応、貴方が先任ですので」
「さよか。まあ積もる話もあるし今夜は一杯といいたいけれど明日飛行があるから飲酒は厳禁やったな。
その辺も随分と変わったなぁ」
「ですね」
そんな感じで神谷さんの部屋に厄介となることになった。
「あれ。ここ二人部屋ですよね。この部屋の同室の人は」
「そいつは昨日練習機で着陸にしくじって脱出できずに訓練生ともどもまる焼けの黒焦げの遺体になってしもうた。で、今朝葬式が行われたんや。ところで、ユキ。あんた本当に音の壁を破るつもりなんか」
「もちろんそのつもり。これが成功すれば人類発の音速突破パイロットでかつ女性パイロットが突破したという記録も打ち立てられるからね。それにもうじきあたしも退役になるだろうしね。だったら箔をつけたいよ」
「まあ、あんたの気持ちもわかる。そうやな。ユキあんたも退役してもおかしないほどの年季つとめてるもんな」
「ええ。除隊後の身の振り方はまだ決めてませんがね」
「そうか、まあ、職業軍人をやっているのはウチと水瀬隊長だけやもんな」
「ですね。ほかの人は皆戦死や終戦後にそのまま除隊ですしね」
「そうやな」
そして神谷さんは一枚の集合写真を取り出していう。
「藤井、坂上、水瀬隊長。それに真田整備班長がいたからあの戦いをぶじにだよなぁ」
「ですね。初めは空輸任務が主体だったのになし崩しで戦闘部隊にですからねぇ」
そして私たちはかつての戦いに思いをはせるのである。
1947年11月 各務ヶ原飛行場「これが川崎航空機工業が開発した超音速実験機桜花や。これは大型爆撃機に吊るされて高度6000から投下されて飛ばす代物や。理論上はマッハ1.1までは出るそうやけど今まで挑戦してきた連中は音の壁を越えられずに皆バラバラになったんや。ユキあんたがどうなるかわからんがウチとしては死なせたくはないね」「そうかもしれません。ですが誰かがそれをやらないとね。何事にも最初はありますよ」「そうやな。それじゃあ行こうか」 そんな感じで私は与圧服に着替えて与圧面を被り酸素供給箱を持って機に乗り込んだわね。日本が立ち遅れていた大型機の分野でレシプロエンジンでは勝てないと悟った軍はいち早くジェットを採用した。この大型機もジェットペラエンジンとターボファンジェットの混合機として生まれた「連山」に乗り込み機体は離陸し高度6000にあがり私は与圧服の状態を確認しそして桜花に乗り込む。 いつものように緊急用射出座席の導通状態を確認、計器、舵の状況を確認。そして補助動力装置を動かして主エンジンを動かすための圧搾空気を作る。そして、圧搾空気により主エンジンのタービンを回して始動可能回転域に達したことを確認後私は燃料噴射ポンプスイッチをオンにして主エンジン点火を確認し、補助動力装置の稼働を止める。一連の行動をすべて問題なく終えた私は神谷さんに全て良しとの手信号を送る。それを確認した神谷さんが風防を閉めて、爆弾倉から機内に戻った。そして無線機のレシーバーから声が聞こえる。「いつでも降下はいけるで。準備が出来たら言ってくれや」「はい。いつでも大丈夫です。カウント行きます。5.4.3.2.1。降下」 私がそう言うと機体を吊り下げていたフックが外され高度6000から落下するもすぐさまエンジンを吹かして飛行させる。目指すはマッハを突破することだね「現在速度マッハ0.89。これより音速突破試験を開始する」 そして私はスロットルレバーを常用最大位置に合わせ補助ブースターロケットを作動させる。その上再燃加速装置のボタンをおしてスロットルをさらに押し込むことでエンジンは最大出力を発揮していた。「現在0.96、9.7。振動発生。舵はまだに動くマッハ0.99。さらに振動がひどくなってきた」 その直後伊勢湾上空に爆発音とも言える音がした。で、神谷さんが私をひっきりなしに
1945年 10月19日 横須賀港ついに私たちは無事に日本にたどり着くことができた。しかしながら米軍の攻撃も激しくアリューシャンから飛び立ったB29による戦略爆撃は関東地方にも少なくない被害を与えていたようね。市街地はあちこち焼けていた。話に聞くと私が住んでいた苫小牧は港町であり石炭の積出港だったから相当ひどくやられたようね。まあ、港湾機能はかろうじて残っていたそうだけど。イギリスの未完成艦バンガードは途中の呉に入港しそこのドックで空母に改装されることが既に決定済みだそうね。もっともどう急いでも就役は年単位の話になりそうだけどね。それから赤城、加賀も修理のために佐世保で修理が行われることになった。私たちが乗った信濃は無事に横須賀に入港し私たち乗組員は検疫のために横須賀の施設で数日隔離となり、軍医の診断を受けて問題がないことがわかったので私たちは新しい衣服が与えられそれに袖を通して再び日本の地をふんだわね。そして私たちの部隊は移動用のトラックに乗って福生の飛行場へと移動したわね。そこで待っていたのは私が大尉に昇進と金鵄勲章の授与だったわね。まあ、それは神谷小隊長も同じくということになるのかな。そして私がイギリスで最後に飛ばしたJ7W局地戦闘機「震電」ジェット仕様のサンプルは直ちに技術本部に移送されそこで解析がおこなわれたそうね。まあ、それには整備班長の真田少佐も出向したそうね。同じく船団に乗っていたジョージビダン率いるジェットエンジン技師たちも開発技師として水瀬、如月、来栖川、三菱航空機、中島飛行機などに引き抜かれた。そして、私の処遇は今年の4月から出来た陸軍航空隊と海軍基地航空隊が統合されてできた大日本帝国航空軍に編入されそこで帝都の空を守る侍として迎撃任務に就くことになった。そうそう、ほかの皆さんについてもいわないとね。まあ、こちらに来た時に居たメンバーだけど藤井さんはイギリスで戦死したし智代は怪我したけれど末期に復帰して対地攻撃とケープ沖でも生き延びて少尉になったわね。そして向井の姉御と菊池ちゃんもなんとか生き延びたみたいね。補充要員とはいえ生き延びれたのだからそれ相応の実力を持っていたということになるわね。そのような感じで日々を過ごしていたわけだけど、12月1日に世界が驚く事件が遠くの地で起こったわね。ヨーロッパのナチスドイツの総統であ
1945年 6月21日ケープタウン沖500キロとうとう我々脱出艦隊は追撃してきた米独艦隊と交戦となった。この日の午前中敵機動部隊から発進してきた敵の戦爆連合約200機が後方で警戒していた駆逐艦のレーダーが発見し私達や戦闘機乗りの連中にたいして緊急発艦の号令が発令された。「どうやら。敵さんもうちらの制空権に入る前に叩いておこうとしたんやな」「そのようですね。旧型だろうが飛べる機材があるなら飛ぶしかないでしょうね」「そやな。英軍連中も頭数になるやろな。まあ、直衛やけど数は力やで」「ですね」そんな感じで私たちは飛行長からの指示を受け直ちに飛行甲板へと上がった。既に飛行甲板では整備兵たちが機体のエンジンを回していたので私は手馴れた手つきで機体に乗り込み。整備兵に手伝ってもらいながら座席ベルトを装備しパラシュートの開傘索のフックを所定の場所に装備し計器のチェック。酸素マスクの確認といった規定通りの手順を素早く済ませて待機。そして攻撃隊の連中が空中退避のためにカタパルトを使って次々と発艦しその直後に発艦士官からゴーサインがでる。整備兵に車輪止めを外してもらいそのままエンジン出力を上げて発艦する。その数約150機の戦闘機が迎撃のためにあがっていた。そして艦爆や艦上攻撃機たちは大部分は非武装で一部の対潜哨戒用の連中も同じく後方に退避行動を取っていた。そして私たちは金剛の管制に従って所定の空域へと機を飛ばす。まあ、この辺はイギリス本土で散々やっていた手順だからね。で、私はいつのまにか英国連中の指揮官に祭り上げられちゃったようで。私以外の編隊のメンバーは英国の連中だったりするね。で、敵の右側下部に敵編隊を発見したと司令部に伝え、編隊無線にもわれに続けと言って燃料コックを切り替え増槽を切り離して機銃を全て装填させて敵編隊に向けて降下したわね。もちろんダージリンたちもあの英国防空戦を戦い抜いた歴戦の勇者ゆえに機材が違っていたとしても体が覚えていたというかんじかしらね。私の挙動に皆ついていけていたわね。そして敵編隊に一撃を食らわせて一度戦場から離脱し返す刀で再び敵編隊の死角から急上昇させて敵機のエンジンやコックピットに多数の銃弾を敵さんに食べさせてあげた。その機は当然煙を吹いて大西洋の藻屑となるべく煙をだしてその後火が付いたらしく火と煙の尾を引いて海上へと墜落し
1945年5月15日 大西洋上イギリス女王陛下を乗せた我々帝国海軍艦隊は脱出船団と離脱し船団と英国本国艦隊の大部分はカナダのハリファックスという港を目指すそうね。女王陛下はシンガポールに向かうということで空母イラストリアス、ビクトリアス、インドミダブル、フォーミダブルを主体とした空母機動部隊になるわね。それにKG5世級が加わる編成になるわね。アタッカー級やルーラー級たち護衛空母郡と多数のエスコート艦隊はカナダに向かう船団護衛に回ったわね。で、ユニコーンも同じくカナダに向かった。で、私たちはというと空母信濃にある予備機を使ってイギリス連中をぶっつけ本番で空母乗りにするべく猛訓練中ということになるわね。対潜哨戒を兼ねてね。まあ、軍艦ゆえに「働かざる者食うべからず」ということなんだろうねぇ。まあ、私達帝国陸軍から派遣組は空母への着艦、発艦をマスターしているのですぐに感覚を取り戻したけれど問題はイギリス空軍連中の教育ということになるわね。まあ、で、練習機材としてポンコツ旧型の九七式二号艦攻や九九式艦上爆撃機をつかった対潜哨戒任務に彼女たちを使わせることにしたわね。で、私は旧型となった100式ああ。これは陸さんの名称だった。海軍名称三菱 零式艦上戦闘機53型爆撃戦闘機仕様をあてがわれて対潜哨戒と艦隊直衛任務を与えられたわね。で、ダージリンたちは九七式二号艦攻をみて全金属製の単葉艦上機があるなんてと驚いていたようね。まあ、英軍の艦上機ってまじで二枚羽のおんぼろソードフィッシュだったからね。で、後継機もアルバコアという二枚バネのポンコツだったので日本が見るに見かねて14試艦攻と彗星艦爆の設計図を送ってライセンス生産という運びになったからね。まあ、流石の大英帝国も空母機動部隊主体とした艦隊編成にはついていけれなかったということかしらね。私たちは当初の予定ではジブラルタルを通過後マルタ、アレクサンドリアからスエズを抜けてインド洋に入る予定だったけれどどうも信濃の喫水と日本からのタンカーたちがでかすぎてスエズは無理ということなので急遽ケープタウン経由となるわね。問題は赤道を越えてから南極近くを通るわけだけど南半球は冬でおまけに吠える海、荒れ狂う海を抜けることになるわけだからこれからどうなるやら・・・まあ、だいたいの日課として私たち搭乗員は朝夜明けとともに出